台湾ファンの会 『台湾謎』

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◎台湾の歴史を学ぶ
◎北平の圧力に屈しない
◎台独は国民投票で台湾人の意志次第

後藤田正晴

2005年09月30日 | Weblog
9月19日に後藤田正晴元衆議院議員が亡くなったことで各新聞社及び週刊誌はヨイショ記事で溢れているがはたしてそんなに素晴らしい人かいな。

後藤田氏は東大卒業後旧内務省へ高等文官試験に合格後エリートとして入省。
その後徴兵で台湾に赴き主計兵として楽な軍隊勤務で戦後内務省に復帰のち警察庁長官と最高位に上り詰め金権政治家田中派に入り徳島全県区より立候補、ここには田中角栄の宿敵三木武夫がおり「徳島戦争」と呼ばれる大変な金権選挙となり初回の挑戦は一敗地にまみれ尚且つ大量の選挙違反者をだす。2年後の1976年(昭和51年)の衆議院議員総選挙に同じ徳島全県区で6万8990票を獲得し、三木に続く二位当選を果たした。この頃、ヤクザの大親分である徳島S会の某会長を評して「O君は紳士だ」と警察官僚のトップにいた後藤田が発言したとして世間の顰蹙を買った。政界では金権田中派に所属し、当選回数が少ないにもかかわらず田中角栄の影響力で重職を歴任することとなる。

「後藤田五訓」として内閣官房長官の後藤田が、部下である内閣内政審議室、内閣外政審議室、内閣安全保障室、内閣広報官室、内閣情報調査室の各室長等に対して与えた訓示がある。

 一、省益を忘れ、国益を想え
 二、悪い本当の事実を報告せよ
 三、勇気を以って意見具申せよ
 四、自分の仕事でないと言うなかれ
 五、決定が下ったら従い、命令は実行せよ
  
 部下の心得として有名な名文であるが、佐々によれば官僚社会の現状は正反対  だという。

まあ表向きはいいがその内実はお金に潔白なふりをして田中角栄のカネを平気で使い、自分は何も知らなかったと白々しくいうような人間であり宇宙人のようだ。
警察庁のトップを務めた人間が与党自民党に属しながら人気取りのためかどうか知らないが野党に同調するような「護憲派」を自認しまた、親中派として中国ODN予算を牛耳りそのODNの環流資金の道筋をつけ引退に当たっては自分の孫を政治家の後継として国会議員とした。いま金権田中派は橋本派となっているが1億円のヤミ献金問題で橋本元総理が引退に追い込まれ、またさらに今現在15億円の使途不明金で揺れている。宇宙人後藤田正治にお金は関係なかったのだとでもいうのだろうか??

護憲、親中派 この2点を見てとても信頼するような政治家ではない。
極めて唾棄すべき政治家の一人ではないか。何はともあれ「護憲派」「親中派」の巨頭である後藤田氏が亡くなられたことにお悔やみをいうとともにこれからの日本及び台湾の国益を妨げる障害が多少なりとも減ったことに対してお祝いをしたい。

靖国神社

2005年09月30日 | Weblog
明治維新後の1869年設立された東京招魂社(しょうこんしゃ)が前身。10年後に靖国神社と改称した。天皇のために戦った死者を「英霊」として祭る軍直轄の神社として国家神道の精神的支柱になったが、戦後の政教分離で宗教法人となった。自民党が5回にわたり国営化を求める法案を国会に提出したが、廃案に。約247万人の合祀(ごうし)者の大半は第2次世界大戦で死亡した軍人、軍属らが占める。中国や韓国などはA級戦犯が合祀された同神社への首相の参拝は、被害国の国民感情を傷つけると反発している。

はっきり言って 靖国神社に対して興味はあまりない。しかし、この神社を日本の首相が参拝することについて中国及び勧告がわめき立てることに強い不快感を覚える。
ふざけるんじゃないよ。日本国内で神社にお参りしようかしまいがおめえらにとやかく言われる筋合いはねえよ。

小泉首相の靖国参拝は違憲

2005年09月30日 | Weblog
小泉首相の靖国参拝は違憲=原告側の請求は棄却-大阪高裁
小泉純一郎首相の靖国神社参拝で、民族的・宗教的人格権を侵害されたとして、第2次大戦で戦死した台湾少数民族の遺族など188人が首相と国、靖国神社を相手取り、計188万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が30日午前、大阪高裁であった。大谷正治裁判長は、首相の参拝は「憲法20条3項の禁止する宗教的活動に当たる」との判断を示した。
 一方で、利益侵害はないとして、原告の請求を退けた1審・大阪地裁判決を支持、原告側の控訴を棄却した。
 同首相の参拝をめぐる高裁レベルでの違憲判決は初めて。 
(時事通信) - 9月30日

このような判決を下す裁判官は左翼思想若しくは神道を否定する他の宗教の信者なのだろう。裁判の際にアメリカでは聖書に手をおいて宣誓する。何人であろうとどの宗教を信じていようとそうする。それが秩序なのだ。この裁判官はその時宗教上の理由で宣誓出来ないというつもりなのだろうか??

台湾の中秋節

2005年09月29日 | Weblog
月餅 蓮の実あん


ことしは9月18日が中秋の名月だった。
台湾人と月餅を食べるのに話をした。

意外にも台湾では8月の中頃から9月の中秋の名月までの一ヶ月以外月餅は売っていないとのことであり、また普通は食べないとのことであった。

結婚式などで月餅を配るときは前もっ注文するのであり、普段は店先に並んでいないとのことである。日本では横浜中華街でもデパートでも年がら年中月餅を売っているのでほんとに意外なことであった。これは中国も同じであるらしい。

戸籍

2005年09月29日 | Weblog
戸籍というのは日本独自の国民登録システムであり世界中で存在するのは日本と韓国と台湾だけである。

台湾も韓国も日本が敗戦後もそのシステムをそのまま使用したのは戸籍というシステムが優れているからだろう。

許世楷・駐日代表インタビューを聴く

2005年09月29日 | Weblog
許世楷・駐日代表インタビューを聴く
http://www.cbs.org.tw/japanese/activities/2004/040820a.htmより抜粋転載

「中国」の名称押し付けは受け入れられない
許・代表は、台湾出身の華僑の、日本における外国人登録証の出生欄に「中国」と書かれていることは、台湾出身者と中国大陸出身者の区別をつけられなくするとし、世界に存在しない「中国」という名称を押し付けられることは受け入れられないと強調、日本の一部官庁には弾力性が欠如していると指摘しました。

これは以前から問題となっていることで台湾からの留学生や日本居住者はアパートを借りたりするのに非常に難儀しています。台湾や香港からだと比較的簡単に入居できますが、中国大陸出身だとなかなかハードルが高いです。

霧社事件

2005年09月28日 | Weblog
日本の台湾領有中に起きた事件として霧社事件がある。
タイヤル系セイダッカ族が地区運動会開催時に付近の日本人がほぼ全員参加するのをみはからって蜂起して運動会に参加していた日本人約140名を全員殺害した事件であり、その後報復として蜂起したセイダッカは全員自殺若しくは日本軍に掃討された上、生き残ったセイダッカも「味方蛮」となった敵対勢力を使った日本政府により虐殺された上に僅かに残った者も強制移住となりその土地は「味方蛮」によって分けられた極めて後味の悪い事件である。掃討には毒ガスを使用したとされる点もひどい話である。

この蹶起についてリーダーであるモーナルダオその結果も充分解っていた
だから、蹶起に参加した家族は山に入り足手纏いにならないように縊死。

そのモーナルダオの行動には尚武の魂を見ることが出来るのである
『かくすれば かくなるものと しりつつも やむにやまれぬ 大和魂』
まさにセイダッカの戦士は勇猛であり武士道に通じるおのがあり敵ながらあっぱれである。

日本が勝てる確信もないまま乾坤一擲の戦いをアメリカに挑んだのと同じではないか。このセイダッカの行動は決して馬鹿なこと、せねばならない我慢ではなかったのである。我慢の限界はとうに過ぎており自らの生命のみならずセイダッカという一族をもかけた崇高な戦いであったのである。

この霧社事件まで日本政府はその呼称まで蛮人とから「高砂族」と改め、またその政策も大きく転換するきっかけとなった大きな事件であった。その後の高砂族が如何に日本を愛し日本人と同化しようと努力したかはその後の歴史を見ればめいはくである。文字はもたずとも尚武の伝統と精神を持つ高砂族が鹿児島や会津等に極めて強く見られた尚武の精神、武士道との共通性を感じたに違いないと推測するのです。