よっしーのやまにっき Vol2

まだまだ行きたい山がある・・・

夏の甲子園

2015-08-01 21:20:39 | 語り
7月26日、神宮球場に行こうと思った。

なぜか・・・。

早実の清宮選手をみたいと思ったから。





栃木県大会の決勝でさえ見に行ったことがないのだが、

25日の土曜日夜、無性に、清宮選手をみたいと思った。




西東京大会決勝戦は11:00開始。

開門は3時間前との情報だったが、

早朝から並ばなくてはならないために、

26日早朝にあきらめた。


結果は、0:5から8回に大逆転で早実が優勝した。

おめでとう。






さて、私も野球少年(中学まで)だった。

私の中学、高校時代、甲子園球児はハイレベルだったと思う。

たくさんの有名な選手がいた。




昭和54年

大阪は浪商のドカベン香川と牛島投手。

牛島投手の細い身体で全身を使った躍動感あふれるピッチングは

見ていて小気味よかった。




早実といえば、

平成18年、早実 対 駒大苫小牧の決勝が記憶に新しいが、

私の青春時代といえば、

早実は、やっぱり 荒木大輔。

昭和55年、1年生のエース荒木は

伸びのあるストレートと変化球を自在に操り準優勝。

甘いマスクで、女子中高生のアイドルだった。




昭和57年、その荒木をメッタメタに打ち込んだのが

”やまびこ打線 ”の徳島県池田高校だった。

3年生エースの畠山、2年生の水野雄仁は強烈だった。

水野は、荒木からバックスクリーンに特大のホームランを打っている。

蔦監督率いる”やまびこ打線 ”は本当に強烈の一言だった。

池田高校は、昭和57年の夏、昭和58年春と優勝し

初の夏春夏の3連覇の期待がかかる中、

その池田高校を破ったのが、

1年生桑田、清原のKKコンビのPL学園だった。



そのPL野球部が存続の危機という。

甲子園の常連校、ちょっと寂しい・・・。





そして、

私の記憶の中で、

私が甲子園の最高の試合と思っているのは、

昭和54年夏、3回戦 箕島 対 星陵 の試合。


1:1のまま延長に突入、

延長12回表、星陵が1点勝ち越す。

その裏、箕島は簡単に2死となったが、

土壇場で同点ホームラン。



そして、

延長16回表、またも星陵が1点勝ち越す。

その裏の箕島、簡単に2死。

バッターはファーストファールフライを打ち上げ、万事休す。

一塁手がフライを捕って試合終了かと思いきや、

その年から甲子園のブルペンの芝生が人工芝に変わったのだが、

その人工芝と土の切れ目に足を引っかけてフライが捕れなかった。

そして、ツーストライクからまたも同点ホームランが飛び出したのだ。



最後は、延長18回、箕島が1点取ってサヨナラ勝となった。

この年、箕島が全国制覇を果たす。

この試合が、甲子園の中で自分の中で最高の試合だと思っている。



この時代は、公立高校も強かった。





甲子園には魔物が居る。といわれるが、

今年もどんなドラマが生まれるか。



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