7月11日、ラビが死んだ。
15歳と4カ月。

足腰が弱って、もうすぐ本当に寝たきりになりそうだったから
仕事はみんな整理して、ラビの介護に専念しようと思った矢先だった。
ご近所への訪問レッスンの最後の一回
これを終えたら、この夏はずっとずーっとラビのそばで
つきっきりで過ごすつもりだったのに・・・
その朝、ラビは突然逝ってしまった。
なっちゃんを連れて散歩に出る前には、
庭に出て自分で排泄できたし、オヤツも食べた。
そのわずか20分あまり後、突然の別れが来るなんて思ってもみなかった。
けれど、何かしら予感はあったのかもしれない。
散歩の帰り、なぜか急いで帰らなければいけないような気がして
私はなっちゃんを急かして走っていた。
どうして?どうして?どうして???
ラビを取り戻せるなら何でもする!
誰か何とかして!!
訳がわからないまま、事態に逆らおうと必死でもがいてみたけれど
苦しそうなラビを抱き抱えているうちに、
もう、こうして抱きしめて見送るしかできることはないのだと
ふいに、悟りのようにそう感じた。

よく生きた。
あの大きな体で15年、
ラビはほんとによく生きてくれた。
真っ白で、大きくて・・・
ホームズの散歩中に、勝手にくっついて来たダニだらけの子犬は
そのまま我が家に居ついて、じつにみごとな犬に成長した。
若い頃はケンカっ早くて、手を焼くことも少なくはなかったのだけれど
年を取るごとに穏やかになり、ゆったりと歩く姿は優美そのものだった。
綺麗な犬ですね、犬種はなんですか?とよく声をかけられた。
どっしりした秋田風の風貌がオジサンたちにも人気で
ラビと歩く時、私はちょっぴり誇らしかった。

でも、通りすがりの人がどう思おうと、
そんなこと、本当はどうでもいい。
あの姿を、豊かな表情や仕草を、私が、もう見られないこと、
大きな背中に抱きついて、深い毛に顔をくっつけ
ラビの温度や臭いを感じることができないこと、
それが寂しくて、寂しくて仕方がない。
ただそれだけなのだ。


器用で小回りが利いて、
つねに人に寄り添うのが好きだったホームズとは対照的に
独立心が強く、好奇心旺盛で、つねにマイペースだったラビ
私は、ラビのそんな一面が好きで、意図的にあるいは無意識のうちに
できる限りあるがまま、ラビの望むとおりにさせておいたのだろう。

野をかけ、穴を掘り・・・

藪に分け入って、虫やトカゲを取り・・・

ひとり静かに、車の影になった涼しいところで寝るのが好きで・・・

大人になっても、雪が降ると飽きることなく遊び・・・

ラビの、ラビらしい姿を見ると
野を渡る風に吹かれているように心地よくて
私は、そんな瞬間が大好きだった。

ラビがくれたものは、本当に計り知れない。
思いもよらぬことを仕出かして、笑わされり、驚かされたり。
一面、知らない場所ではウンチもできなくなるような
ナーバスな一面もあった。
その真っ白な毛色のように、他の色に染まるのを拒むかのような
凛とした“個性”・・・
それがラビだった。

7歳で甲状腺ガンを摘出し、13歳で脾臓を摘出
危ういところで何度も命を拾ってきた強運ラビくんだから、
年を取って衰えるのを目の当たりにしても、どこかで何となく
お別れなんて、永遠に来ないような気がしていた。
だから私は、別れを突然だと感じたけれど
ラビはラビの命を精いっぱい、誇り高く生きて、
その命が尽きたから、旅立った。
それだけの、ごく自然なことだ。

犬を飼うと、死んだ時がかわいそうだから飼えない
そう言う人が時々いる。
でも、私はラビをかわいそうだなんて思わない。
死は命あるものの宿命。生の一局面。
犬を飼うとは、見送ることを引き受ける・・そういうことなのだ。

そう思ってみても、ラビのいない部屋や庭は
ぽっかりと広く見えて
寂しい・・・。
どうしようもなく、ただ、ただ寂しい。
でも、この寂しさを受け止めることが、
飼い主として最後の務め。
なんだよね、ラビくん?
私のところに来てくれて、ありがとう。
そばにいてくれて、ありがとう。
宝物のような時間を、ありがとう。
私のラビへ、感謝と敬意をこめて。

15歳と4カ月。

足腰が弱って、もうすぐ本当に寝たきりになりそうだったから
仕事はみんな整理して、ラビの介護に専念しようと思った矢先だった。
ご近所への訪問レッスンの最後の一回
これを終えたら、この夏はずっとずーっとラビのそばで
つきっきりで過ごすつもりだったのに・・・
その朝、ラビは突然逝ってしまった。
なっちゃんを連れて散歩に出る前には、
庭に出て自分で排泄できたし、オヤツも食べた。
そのわずか20分あまり後、突然の別れが来るなんて思ってもみなかった。
けれど、何かしら予感はあったのかもしれない。
散歩の帰り、なぜか急いで帰らなければいけないような気がして
私はなっちゃんを急かして走っていた。
どうして?どうして?どうして???
ラビを取り戻せるなら何でもする!
誰か何とかして!!
訳がわからないまま、事態に逆らおうと必死でもがいてみたけれど
苦しそうなラビを抱き抱えているうちに、
もう、こうして抱きしめて見送るしかできることはないのだと
ふいに、悟りのようにそう感じた。

よく生きた。
あの大きな体で15年、
ラビはほんとによく生きてくれた。
真っ白で、大きくて・・・
ホームズの散歩中に、勝手にくっついて来たダニだらけの子犬は
そのまま我が家に居ついて、じつにみごとな犬に成長した。
若い頃はケンカっ早くて、手を焼くことも少なくはなかったのだけれど
年を取るごとに穏やかになり、ゆったりと歩く姿は優美そのものだった。
綺麗な犬ですね、犬種はなんですか?とよく声をかけられた。
どっしりした秋田風の風貌がオジサンたちにも人気で
ラビと歩く時、私はちょっぴり誇らしかった。

でも、通りすがりの人がどう思おうと、
そんなこと、本当はどうでもいい。
あの姿を、豊かな表情や仕草を、私が、もう見られないこと、
大きな背中に抱きついて、深い毛に顔をくっつけ
ラビの温度や臭いを感じることができないこと、
それが寂しくて、寂しくて仕方がない。
ただそれだけなのだ。


器用で小回りが利いて、
つねに人に寄り添うのが好きだったホームズとは対照的に
独立心が強く、好奇心旺盛で、つねにマイペースだったラビ
私は、ラビのそんな一面が好きで、意図的にあるいは無意識のうちに
できる限りあるがまま、ラビの望むとおりにさせておいたのだろう。

野をかけ、穴を掘り・・・

藪に分け入って、虫やトカゲを取り・・・

ひとり静かに、車の影になった涼しいところで寝るのが好きで・・・

大人になっても、雪が降ると飽きることなく遊び・・・

ラビの、ラビらしい姿を見ると
野を渡る風に吹かれているように心地よくて
私は、そんな瞬間が大好きだった。

ラビがくれたものは、本当に計り知れない。
思いもよらぬことを仕出かして、笑わされり、驚かされたり。
一面、知らない場所ではウンチもできなくなるような
ナーバスな一面もあった。
その真っ白な毛色のように、他の色に染まるのを拒むかのような
凛とした“個性”・・・
それがラビだった。

7歳で甲状腺ガンを摘出し、13歳で脾臓を摘出
危ういところで何度も命を拾ってきた強運ラビくんだから、
年を取って衰えるのを目の当たりにしても、どこかで何となく
お別れなんて、永遠に来ないような気がしていた。
だから私は、別れを突然だと感じたけれど
ラビはラビの命を精いっぱい、誇り高く生きて、
その命が尽きたから、旅立った。
それだけの、ごく自然なことだ。

犬を飼うと、死んだ時がかわいそうだから飼えない
そう言う人が時々いる。
でも、私はラビをかわいそうだなんて思わない。
死は命あるものの宿命。生の一局面。
犬を飼うとは、見送ることを引き受ける・・そういうことなのだ。

そう思ってみても、ラビのいない部屋や庭は
ぽっかりと広く見えて
寂しい・・・。
どうしようもなく、ただ、ただ寂しい。
でも、この寂しさを受け止めることが、
飼い主として最後の務め。
なんだよね、ラビくん?
私のところに来てくれて、ありがとう。
そばにいてくれて、ありがとう。
宝物のような時間を、ありがとう。
私のラビへ、感謝と敬意をこめて。
