大変お騒がせいたしました。
なんとか無事に昨日卒論を提出して参りました。
肝心の出来はというと、very前日に風邪を引いて12時に寝てしまったものの、
翌日5時半に起床いたしまして、なんとかかんとかまとめることができました。
ええ、まあ強制終了させたといいますか。
こんなあたふた気でなんとか終りを迎えた卒論なので、穴がありまくりです。
提出したとたんに訂正の指摘を受けましたよ。
恐らく、先生は読み進めるにつれて、まるで苦虫を噛み潰したような、
そんな表情に、さながらカメレオンのごとく顔色が変化なさることでしょう。
ま、とりあえずよいということで。
最終提出までに細かいところを見直したいと思います。
ふーみん、す。、Mゆ、えりか、コメントありがとう。
電話で、会って応援してくれた方々、ありがとう。
大分励みになりました。
んで、纏足について少し説明をするとします。
なんでこんな奇怪な風習が盛行したかについて。
前にも書いたように、これは非常に女性にとって過酷な風習といえる。
(参照:卒論についてVer.纏足)
現代を生きる私たちにとって、纏足された裸の足をみたり、
施術の方法を聞いたりするだけで、当時の中国の感性を疑ってしまう。
『エー!ありえなーい!』っみたいなね。
実際、纏足された足は、ちょっとでも洗わないとすごく匂い立ったり、
親指を除く全ての指が足の裏にくっ付くようにするために、
体重がかかる指には魚の目がしょっちゅう出来るため、その度に除去したりと、
纏足が完成しても、一生涯に渡って細かいケアが必要だった。
完成するまでには、丁度足が10センチぐらいのチマキ型になるように骨を変形させるという、
2年にも渡って激痛を伴う手術を耐え忍ぶ必要があったことは言うまでもない。
「纏足をするには瓶いっぱいの涙をながさねばならない。」
とはよく言ったもの。
だって、ちょっと小指の爪が剥がれかかっただけで痛いもんね。
纏足はそんな生半可なもんじゃなかった。
まず、親指を残した4本の指を、全部土踏まずにくっ付くように曲げて緊縛する、
つまり指を踏みつけて歩くことになるもんだから、下手したら小指の一本ぐらい潰れた。
この時点でもうしほりんは、云リッターぐらい泣ける自信がある。
でもこれではまだ終わらなくて、足の甲を弓状にして次に土踏まずがぽっこり窪むようにする。
以下に示したリンクはその結果の変形した足の写真。
大分グロいので別のところにアップします。
これとかこれ
ダー!ダー!!
そのような負担と苦痛に耐えてまで、なぜその習慣に準じていたのか、
そして結果こんなグロテスクな足になっても、むしろその足を誇っていたことに対して、
全く理解できないし、ちょっと嫌悪感を感じたりもする。
さて、纏足にまつわる文化っていうのは、さすがに1000年続いた風習だけに、
纏足狂時代というわれる清時代には、ここまでかというほど細かく規定されて、
いかに当時纏足が魅力的で異性を引き付けるものであったかを理解できる。
聴覚に訴えるもの、視覚に訴えるもの、嗅覚に訴えるもの、
手や口による触覚に訴えるものなど、その分類は48にも及ぶ。
かの有名な小説「金瓶梅」にも、もちろん主人公が妾の纏足を楽しむ情景が描かれている。
この風習は上記のように、「奇習」であることは間違いないんだけど、
調べるに従って、少し当時の小さな足に対するフェティシズムが理解できるようになったんだ。
思い返すと、日本にも『馬鹿の大足』という表現があるように、大きな足は嫌われる傾向にあるよね。
自分の感性を考えても、小さな足でてこてこ歩く姿がかわいいという思いはある。
相対的にみても、大きな足よりも小さな足のほうが、見栄えからしても女らしさを感じるし。
ただ中国においては、その感性をエキセントリックという域にまで高めてしまった。
特に纏足が盛行した当時は、足を可憐で繊細、かつ凝りに凝った模様を持つ纏足靴で包んでいた。
デパートに行くと分かるように、現代でも靴に対するオシャレは結構なものだけど、
当時の纏足靴の種類もさまざまあって、もはや芸術とでも言えるようなものもたくさんあった。
纏足は第二の性器とされたけれども、要はそれらにおおい隠された、
見えないからこそ魅惑の源泉ってやつだ。
裾からのぞく小さな足先にもチラリズムを見出したりね。
このようなことからも、もし少しでも小さな足に対する+の感情があるならば、
『美』と『流行』に敏感な女性だったら、興味を引かれてしまうのは道理だろう。
今でもちょっと流行に外れた格好をしていたり、他の人と180度違う美観を持っていたりすると、
ひかれてしまったり、なんじゃあれ!っみたいな感じになる。
逆に説明するならば、ハイヒールなんてものは、ただ疲れて歩きにくいものだけど、
見栄えがよくなったり、映画だので魅惑的な女性が履いているのを見て履くに至るであるし、
西洋におけるコルセットも同様に、ウエストが細い=かっこいい、美人と称される。
そういった点で、程度は違うにせよ動機としては似ている。
他にも、それら纏足靴を履いた小さな足を評定するような会が催されて、
そこの勝者、つまり一番纏足姿が美しいと評価された女性は、
『美女』という評判を得て、家庭の中で確固たる地位を得ることが出来た。
昔の中国って言うのは、全然今より女性の自由度、そして価値すらも低いし、
男性に頼っていかなければ生きていかないっていう時代だった。
だからその男性が好む姿になるように、そして社会から賞賛されるように、
もはや纏足は『しなければいけないもの』でもあり、
同時に、女性のアイデンティティを示す一つの、そして重大な拠り所でもあった。
ざっくばらんに述べたけど、以上が纏足が盛んであった時に対する見解。
纏足が行われるようになったきっかけと広まりは、またちょっと別の問題。
なので、さらに詳しく知りたい方がいましたら論文を差し上げます。
まだ完成していないけど。
なんとか無事に昨日卒論を提出して参りました。
肝心の出来はというと、very前日に風邪を引いて12時に寝てしまったものの、
翌日5時半に起床いたしまして、なんとかかんとかまとめることができました。
ええ、まあ強制終了させたといいますか。
こんなあたふた気でなんとか終りを迎えた卒論なので、穴がありまくりです。
提出したとたんに訂正の指摘を受けましたよ。
恐らく、先生は読み進めるにつれて、まるで苦虫を噛み潰したような、
そんな表情に、さながらカメレオンのごとく顔色が変化なさることでしょう。
ま、とりあえずよいということで。
最終提出までに細かいところを見直したいと思います。
ふーみん、す。、Mゆ、えりか、コメントありがとう。
電話で、会って応援してくれた方々、ありがとう。
大分励みになりました。
んで、纏足について少し説明をするとします。
なんでこんな奇怪な風習が盛行したかについて。
前にも書いたように、これは非常に女性にとって過酷な風習といえる。
(参照:卒論についてVer.纏足)
現代を生きる私たちにとって、纏足された裸の足をみたり、
施術の方法を聞いたりするだけで、当時の中国の感性を疑ってしまう。
『エー!ありえなーい!』っみたいなね。
実際、纏足された足は、ちょっとでも洗わないとすごく匂い立ったり、
親指を除く全ての指が足の裏にくっ付くようにするために、
体重がかかる指には魚の目がしょっちゅう出来るため、その度に除去したりと、
纏足が完成しても、一生涯に渡って細かいケアが必要だった。
完成するまでには、丁度足が10センチぐらいのチマキ型になるように骨を変形させるという、
2年にも渡って激痛を伴う手術を耐え忍ぶ必要があったことは言うまでもない。
「纏足をするには瓶いっぱいの涙をながさねばならない。」
とはよく言ったもの。
だって、ちょっと小指の爪が剥がれかかっただけで痛いもんね。
纏足はそんな生半可なもんじゃなかった。
まず、親指を残した4本の指を、全部土踏まずにくっ付くように曲げて緊縛する、
つまり指を踏みつけて歩くことになるもんだから、下手したら小指の一本ぐらい潰れた。
この時点でもうしほりんは、云リッターぐらい泣ける自信がある。
でもこれではまだ終わらなくて、足の甲を弓状にして次に土踏まずがぽっこり窪むようにする。
以下に示したリンクはその結果の変形した足の写真。
大分グロいので別のところにアップします。
これとかこれ
ダー!ダー!!
そのような負担と苦痛に耐えてまで、なぜその習慣に準じていたのか、
そして結果こんなグロテスクな足になっても、むしろその足を誇っていたことに対して、
全く理解できないし、ちょっと嫌悪感を感じたりもする。
さて、纏足にまつわる文化っていうのは、さすがに1000年続いた風習だけに、
纏足狂時代というわれる清時代には、ここまでかというほど細かく規定されて、
いかに当時纏足が魅力的で異性を引き付けるものであったかを理解できる。
聴覚に訴えるもの、視覚に訴えるもの、嗅覚に訴えるもの、
手や口による触覚に訴えるものなど、その分類は48にも及ぶ。
かの有名な小説「金瓶梅」にも、もちろん主人公が妾の纏足を楽しむ情景が描かれている。
この風習は上記のように、「奇習」であることは間違いないんだけど、
調べるに従って、少し当時の小さな足に対するフェティシズムが理解できるようになったんだ。
思い返すと、日本にも『馬鹿の大足』という表現があるように、大きな足は嫌われる傾向にあるよね。
自分の感性を考えても、小さな足でてこてこ歩く姿がかわいいという思いはある。
相対的にみても、大きな足よりも小さな足のほうが、見栄えからしても女らしさを感じるし。
ただ中国においては、その感性をエキセントリックという域にまで高めてしまった。
特に纏足が盛行した当時は、足を可憐で繊細、かつ凝りに凝った模様を持つ纏足靴で包んでいた。
デパートに行くと分かるように、現代でも靴に対するオシャレは結構なものだけど、
当時の纏足靴の種類もさまざまあって、もはや芸術とでも言えるようなものもたくさんあった。
纏足は第二の性器とされたけれども、要はそれらにおおい隠された、
見えないからこそ魅惑の源泉ってやつだ。
裾からのぞく小さな足先にもチラリズムを見出したりね。
このようなことからも、もし少しでも小さな足に対する+の感情があるならば、
『美』と『流行』に敏感な女性だったら、興味を引かれてしまうのは道理だろう。
今でもちょっと流行に外れた格好をしていたり、他の人と180度違う美観を持っていたりすると、
ひかれてしまったり、なんじゃあれ!っみたいな感じになる。
逆に説明するならば、ハイヒールなんてものは、ただ疲れて歩きにくいものだけど、
見栄えがよくなったり、映画だので魅惑的な女性が履いているのを見て履くに至るであるし、
西洋におけるコルセットも同様に、ウエストが細い=かっこいい、美人と称される。
そういった点で、程度は違うにせよ動機としては似ている。
他にも、それら纏足靴を履いた小さな足を評定するような会が催されて、
そこの勝者、つまり一番纏足姿が美しいと評価された女性は、
『美女』という評判を得て、家庭の中で確固たる地位を得ることが出来た。
昔の中国って言うのは、全然今より女性の自由度、そして価値すらも低いし、
男性に頼っていかなければ生きていかないっていう時代だった。
だからその男性が好む姿になるように、そして社会から賞賛されるように、
もはや纏足は『しなければいけないもの』でもあり、
同時に、女性のアイデンティティを示す一つの、そして重大な拠り所でもあった。
ざっくばらんに述べたけど、以上が纏足が盛んであった時に対する見解。
纏足が行われるようになったきっかけと広まりは、またちょっと別の問題。
なので、さらに詳しく知りたい方がいましたら論文を差し上げます。
まだ完成していないけど。
風邪をひきひきほんとにお疲れさま。
若いことはいいことだ。私は来月ついに24!ショック!
あとは最終提出日までにうまい具合にチョコチョコ直せばいいのかな?
なにげにこっちの作業の方がやる気が起きなくてしんどかったりしてね(笑
ありがち。
あれだよね。先細のヒールとかって外反母趾になりそう。
個人的にはぺったんこ靴ガールが。
でもなんだかんだ実用性ではスニーカーが一番だね!
ちなみにグロ画像はまだ見れていません・・・。
<恐らく、先生は読み進めるにつれて、まるで苦虫を噛み潰したような、
そんな表情に、さながらカメレオンのごとく顔色が変化なさることでしょう。
想像すると、ウケるw この内容なら、大丈夫でしょ☆
ホント、お疲れ様~~!!
いまだ文章なんて書いていない。あと一ヶ月後に卒論を追われるおいら。こんなこと書いていたら、やらなきゃと思ってしまった。現実にもどり、卒論と格闘しやす。
でわまた。
ってか、仮提出みたいなもんなの??
んま、ひと段落かな?おつかれさまあ~★★
すごいじゃん、纏足わかりやすいっ。
なんかねえ「纏足」をやるあたりがすごいよ。
なんちゅーか、すごいよ。何学科かわかんない感じで。(笑)
さっみゆもやらねばまずい。本気でまずい。
まずいとわかりつつやらないあたりが
ものすごくまずい。
よおし、頑張ります!!
うんうん!!なんとかなったよぅ 涙
今日先生から早速送り返されてきたけど。
しかもかなり真っ赤でした。
大分めんどくさい。ありがちな感じで。
戦いは続く。。
ふーみんは来月24になるの?
ショックとかって・・笑
大丈夫、男の人は歳をとるにつれ、
渋みが出てきて男前があがるのよ☆★
そーそー、あれは外反母趾になるよ。
スニーカーが確かに一番歩きやすいよね。
ふーみん=スニーカーなイメージ。(どんなだ
グロ画像は、まじグロいので気をつけて・・。
>す。
帰ってきたね、今日。。。
なんか先生の顔色が想像できるような修正っぷりだったよ。
うがぁぁぁ~。
頑張ろうね!!
>K
おお!大分久しぶりだね★コメントありがとう。
切羽詰って卒論を仕上げるようなゼミって・・笑
何事も早め早めがいいよね。
私が言えるような台詞では全くないけど。
反面教師にしてくださいマセ
>Mゆ
そそ、仮提出みたいな感じだよ。
学部に提出するのは一月の半ばぐらいかな。
第二ラウンドに突入した感じよね。
お褒めに預かり光栄です☆
まじ自分でも何学部に所属してるのやらって感じ。
因みに主専攻は「法律」です。
卒業単位は満ちているのに、法律の単位足りてません。
主専攻なのに。あは。
みゆも頑張ってね!!
まずいと分かりつつやらない・・
すっごく同感。
後悔は先にたってるようなもんだよね。
でもやらないみたいな。
頑張って。