昨日の石川県城巡りに引き続き、
この日は福井県の城を巡りました。
まずは丸岡城へ。
1576年、柴田勝家の甥にあたる勝豊が築いた城で、
昭和23年の地震で倒壊するまでそのまま残っていた
重要文化財に指定されている天守を持つ御城です。
天守は二層三階の小ぶりなもので、
内部は城の歴史などについてのアナウンスが流れている以外は
展示もほとんどないシンプルな造りです。
丸岡の後は、いつかは行きたいと思っていた永平寺へ。
曹洞宗の総本山です。
広い構内を1時間ほどかけて巡りましたが、
多くの修行僧が活動しておりました。
あれだけ観光客がいるなかで落ち着かないことと思いますが、
その中で動じないのは流石です。
その後、福井市街へ戻り、
福井城址へ。
現在は堀と石垣に囲まれた郭内に県庁が建っているという
ちょっとシュールな構図をなしております。
しかも石垣は地震などの影響で崩れかかっている部分があり、
ちょっと危険。
昼食は市街地にあるヨーロッパ軒にて。
日本におけるソースカツ丼発祥の店とのこと。
自分が考えていた味とは一風変わっていて美味でした。
その後、一乗谷へ。
戦国大名朝倉氏の城下町で、現在は整備がなされています。
福井駅から電車で17分程度なのですが、本数が2時間に1本・・・
復元町並み。
当時の武家屋敷などの様子が発掘調査をもとに復元されています。
朝倉氏館跡。
下は入口にあたる唐門です。
付:福井には、著名人の像が数多くあります。
市街南西方面の足羽山にある継体天皇(450~531)像。
全体的に頭と手が大きめに作られていますが、
何か意図があるのでしょうか。
足羽山から市街方面に行ったところにある左内公園内の
橋本左内(1834~59)像。
強い意志が窺える表情です。
中心街の駅南西部には北の庄城址があり、
8年ほど前に来た時と比べ、ずいぶんと発掘調査が進んだようです。
柴田勝家(1522~83)像。
夜間にはライトアップされ、勇猛で憤怒を内に秘めた様子が
さらに強調されるかのようでした。
お市の方(1547~83)像。
最期を勝家と共にした割には、像自体は
勝家像の背後に設置されています。
福井城址(県庁)にある結城秀康(1574~1607)像。
前来た時はなかったはずなので、新しい像です。
佇まいが異彩を放っております。
市街中央公園の岡田啓介(1868~1952)像。
海軍出身で首相までのぼりつめた一方で、
二二六事件の苦難に遭ったり、終戦に努めたりした人物らしく、
軍服姿ではありません。
岡倉天心(1863~1913)像。
彼自身は横浜出身ですが、父が福井藩士という
縁があるそうです。
由利公正(1829~1909)像。
当日は祭りの準備で、正面で設営作業がなされていたため
このアングルになってしまいました。
しかし、こうやって見ていくと、なかなかに一筋縄でいかない人物ばかり。
新田義貞終焉の地であり、蓮如や道元の活動の地でもあったわけで、
なんだか得体の知れないエネルギーを秘めた土地柄なのかもしれません。
この日は福井県の城を巡りました。
まずは丸岡城へ。
1576年、柴田勝家の甥にあたる勝豊が築いた城で、
昭和23年の地震で倒壊するまでそのまま残っていた
重要文化財に指定されている天守を持つ御城です。
天守は二層三階の小ぶりなもので、
内部は城の歴史などについてのアナウンスが流れている以外は
展示もほとんどないシンプルな造りです。
丸岡の後は、いつかは行きたいと思っていた永平寺へ。
曹洞宗の総本山です。
広い構内を1時間ほどかけて巡りましたが、
多くの修行僧が活動しておりました。
あれだけ観光客がいるなかで落ち着かないことと思いますが、
その中で動じないのは流石です。
その後、福井市街へ戻り、
福井城址へ。
現在は堀と石垣に囲まれた郭内に県庁が建っているという
ちょっとシュールな構図をなしております。
しかも石垣は地震などの影響で崩れかかっている部分があり、
ちょっと危険。
昼食は市街地にあるヨーロッパ軒にて。
日本におけるソースカツ丼発祥の店とのこと。
自分が考えていた味とは一風変わっていて美味でした。
その後、一乗谷へ。
戦国大名朝倉氏の城下町で、現在は整備がなされています。
福井駅から電車で17分程度なのですが、本数が2時間に1本・・・
復元町並み。
当時の武家屋敷などの様子が発掘調査をもとに復元されています。
朝倉氏館跡。
下は入口にあたる唐門です。
付:福井には、著名人の像が数多くあります。
市街南西方面の足羽山にある継体天皇(450~531)像。
全体的に頭と手が大きめに作られていますが、
何か意図があるのでしょうか。
足羽山から市街方面に行ったところにある左内公園内の
橋本左内(1834~59)像。
強い意志が窺える表情です。
中心街の駅南西部には北の庄城址があり、
8年ほど前に来た時と比べ、ずいぶんと発掘調査が進んだようです。
柴田勝家(1522~83)像。
夜間にはライトアップされ、勇猛で憤怒を内に秘めた様子が
さらに強調されるかのようでした。
お市の方(1547~83)像。
最期を勝家と共にした割には、像自体は
勝家像の背後に設置されています。
福井城址(県庁)にある結城秀康(1574~1607)像。
前来た時はなかったはずなので、新しい像です。
佇まいが異彩を放っております。
市街中央公園の岡田啓介(1868~1952)像。
海軍出身で首相までのぼりつめた一方で、
二二六事件の苦難に遭ったり、終戦に努めたりした人物らしく、
軍服姿ではありません。
岡倉天心(1863~1913)像。
彼自身は横浜出身ですが、父が福井藩士という
縁があるそうです。
由利公正(1829~1909)像。
当日は祭りの準備で、正面で設営作業がなされていたため
このアングルになってしまいました。
しかし、こうやって見ていくと、なかなかに一筋縄でいかない人物ばかり。
新田義貞終焉の地であり、蓮如や道元の活動の地でもあったわけで、
なんだか得体の知れないエネルギーを秘めた土地柄なのかもしれません。