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南部戦跡めぐりへ
(1)海軍壕公園
ここには1945(昭和23)年の沖縄戦で大日本帝国海軍司令部として使用されていた防空壕があり、
現在は旧海軍司令部壕として保存されています。
壕構内は坑道がめぐらされ、その数か所に作戦室や指令官室などのスペースが確保されていました。
しかしどの場所も広いわけではなく、兵士は立って眠らなければならないほど過酷を極めるほどで
あったとのこと。
司令官室↓
(2)ひめゆりの塔
「塔」という名称からのイメージと違い、実物は小さな石碑でした。
この裏側にある穴は、ひめゆり学徒隊が攻撃を受け多くの犠牲者を出した第三外科壕跡であり、
その後方にあるひめゆり平和祈念資料館で当時の壕内の様子が再現されておりました。
・ひめゆりの塔
・第三外科壕跡
・ひめゆり平和祈念資料館
(3)沖縄平和祈念公園
摩文仁の丘と呼ばれる場所にあり、最後の組織戦が行われた地とされています。
敷地は広く、沖縄平和祈念堂や沖縄県平和祈念資料館などの諸施設などがあります。
・摩文仁の海岸
・沖縄平和祈念堂
・沖縄県平和祈念資料館
この前方のスペースには沖縄戦で亡くなった20万以上の戦没者の氏名を記した「平和の礎」がありました。
(4)玉泉洞
沖縄県最大の鍾乳洞で、総延長5キロ以上あるそうですが、公開部分は800m余とのこと。
それでも十分な広さでしたが。
内部各所には奇岩が見られ、おどろおどろしくライトアップされていました。
・玉泉洞入口
・洞内部
南部戦跡めぐりへ
(1)海軍壕公園
ここには1945(昭和23)年の沖縄戦で大日本帝国海軍司令部として使用されていた防空壕があり、
現在は旧海軍司令部壕として保存されています。
壕構内は坑道がめぐらされ、その数か所に作戦室や指令官室などのスペースが確保されていました。
しかしどの場所も広いわけではなく、兵士は立って眠らなければならないほど過酷を極めるほどで
あったとのこと。
司令官室↓
(2)ひめゆりの塔
「塔」という名称からのイメージと違い、実物は小さな石碑でした。
この裏側にある穴は、ひめゆり学徒隊が攻撃を受け多くの犠牲者を出した第三外科壕跡であり、
その後方にあるひめゆり平和祈念資料館で当時の壕内の様子が再現されておりました。
・ひめゆりの塔
・第三外科壕跡
・ひめゆり平和祈念資料館
(3)沖縄平和祈念公園
摩文仁の丘と呼ばれる場所にあり、最後の組織戦が行われた地とされています。
敷地は広く、沖縄平和祈念堂や沖縄県平和祈念資料館などの諸施設などがあります。
・摩文仁の海岸
・沖縄平和祈念堂
・沖縄県平和祈念資料館
この前方のスペースには沖縄戦で亡くなった20万以上の戦没者の氏名を記した「平和の礎」がありました。
(4)玉泉洞
沖縄県最大の鍾乳洞で、総延長5キロ以上あるそうですが、公開部分は800m余とのこと。
それでも十分な広さでしたが。
内部各所には奇岩が見られ、おどろおどろしくライトアップされていました。
・玉泉洞入口
・洞内部