過去をふりかえり、未来へ

思い出せるだけのことを思い出し、書き綴る場所

沖縄3日目~南部戦跡めぐり~

2008-12-27 23:50:00 | Weblog
この日も現地バスツアーを申し込み
南部戦跡めぐりへ

(1)海軍壕公園

  ここには1945(昭和23)年の沖縄戦で大日本帝国海軍司令部として使用されていた防空壕があり、
  現在は旧海軍司令部壕として保存されています。

 
  

  
  壕構内は坑道がめぐらされ、その数か所に作戦室や指令官室などのスペースが確保されていました。
  しかしどの場所も広いわけではなく、兵士は立って眠らなければならないほど過酷を極めるほどで
  あったとのこと。
  
  司令官室↓

  


(2)ひめゆりの塔

  「塔」という名称からのイメージと違い、実物は小さな石碑でした。
  この裏側にある穴は、ひめゆり学徒隊が攻撃を受け多くの犠牲者を出した第三外科壕跡であり、
  その後方にあるひめゆり平和祈念資料館で当時の壕内の様子が再現されておりました。


 ・ひめゆりの塔

  
  
 ・第三外科壕跡 

  

 ・ひめゆり平和祈念資料館

  


(3)沖縄平和祈念公園

  摩文仁の丘と呼ばれる場所にあり、最後の組織戦が行われた地とされています。
  敷地は広く、沖縄平和祈念堂や沖縄県平和祈念資料館などの諸施設などがあります。


 ・摩文仁の海岸

  


 ・沖縄平和祈念堂

  


 ・沖縄県平和祈念資料館
  この前方のスペースには沖縄戦で亡くなった20万以上の戦没者の氏名を記した「平和の礎」がありました。

  


(4)玉泉洞
  
  沖縄県最大の鍾乳洞で、総延長5キロ以上あるそうですが、公開部分は800m余とのこと。
  それでも十分な広さでしたが。
  内部各所には奇岩が見られ、おどろおどろしくライトアップされていました。

 ・玉泉洞入口

  


 ・洞内部 

  

沖縄2日目~万座毛、沖縄海洋博公園、今帰仁城~

2008-12-26 23:50:00 | Weblog
百城巡りが主目的である私にとって、
残された場所は今帰仁城。
個人的に行く方が見学時間の融通は利きますが、そこだけ行くのも
味気ないので、今帰仁も含まれている日帰りバスツアーに
参加することにしました。

まずは万座毛。
18世紀前半にこの地を訪れた琉球国王尚敬が「万人を座らせるに足る」
と賞賛したことからこの名前が付けられたとのこと。
象の鼻形が特徴的です。



次に海洋博公園へ。
昭和50年に開催された沖縄海洋博覧会の跡地に
設置された公園です。

公園内の沖縄美ら海(ちゅらうみ)水族館。
世界有数の規模を誇る水族館です。
様々なコーナーがありましたが、
一見ユニークな魚に目がいきました。



メガネモチノウオ



サザナミフグ



ニセゴイシウツボ



水族館の他に、園内ではイルカショーも開催されておりました。




公園を後にして、今帰仁城へ。
見事な石垣カーブが特徴的な城跡です。

大隅の石垣。



平郎門。
城の主要な門で、復元されたものです。



大庭跡の石碑。
大庭を取り囲むように今帰仁城の中心となる主殿などが建てられていたと
考えられており、庭は重要な儀式の場所であったとのこと。



城の中央から見た石垣。




最後に名護のパイナップル園に寄り、那覇に戻りました。


付:夕食の沖縄そば


沖縄初日~中城から首里城へ~

2008-12-25 23:50:00 | Weblog
城巡りをはじめた事が弾みになりましたが、
いつか行きたいと思っていた沖縄に訪れることを決意。
年末のこの時期、三泊四日で行ってきました。

朝8時過ぎのJALに乗り、11時過ぎに那覇着。
その足でまず普天間の中城城へ。
14世紀後半~15世紀にかけて築かれ、世界文化遺産にも
登録された城跡です。

現状は修復作業中ですが、ペリー艦隊も評価したとされる
石灰岩質の高石垣で囲まれた連郭が見事でした。

三ノ郭外側より。



三の郭の石垣は相方積み(亀甲乱れ積み)に
よって築かれています。



裏門。



北の郭。
日本よりもむしろヨーロッパの遺跡に近い印象を受けました。



一の郭外壁方面(ニの郭より)。
一の郭内では修復工事が行われており、
重機が入り込んでおりました。



ニの郭外壁。



一の郭外壁。
外壁からの海岸線の眺めはなかなかのものでした。





中城を見学した後は再び那覇に戻り、首里城へ。

城を見学する前に、琉球歴代国王とその一族が葬られている
玉陵(たまうどぅん ※発音がしずらい・・・・)へ。
自然の断崖を削り、宮殿を模して造られています。

3つの石室からなり、中室に遺体を一時的に安置し、
東に国王・王妃の遺骨、西に王族の遺骨を葬るそうです。




玉陵から徒歩ですぐに首里城へ。
沖縄戦で戦災にあったものの、のちに復元され、
九州・沖縄サミットの会場の1つとなった場所です。

守礼門。



瑞泉門。



正殿。
正面の御庭の紅白縞は整列用とのこと。
この区域は入場料800円です。
右側の南殿から正殿、北殿と琉球関係の展示などや
王宮内部の復元などがなされておりました。



正殿内部。
中央に国王が座る「御差床」があります。



見学していたら6時を過ぎ、流石に暗くなりましたので
本日はここまで。


ゆいレール。
4年前に開通し、那覇空港から首里城までを結んでいます。
(初乗り200円、最大290円)
地元の人は思ったほど使用しないと聞きました。



名護そば。
太麺でした。



和歌山城~千早城~大阪城

2008-12-14 23:50:00 | Weblog
関西に訪れる機会を得たついでに
巡ってきました。

まず和歌山城。
豊臣秀長、浅野幸長、徳川頼宣と引き継がれ
そのまま紀伊徳川家の居城となった城です。



天守閣は太平洋戦争の戦災にあったため、現在はコンクリート製で
復興されていますが、小天守、乾櫓、ニノ門などが結び付けられた
連立天守が特徴的です。



なお、城はその姿から別名「虎伏城」と呼ばれているためか、
各所に虎の像が置かれていました。





和歌山からJRと南海を乗り継ぎ、
河内長野駅からバスで約30分。
千早城跡へ。
私の携帯は圏外と化しました・・・



上記の画像はニノ丸の千早神社跡に建つ碑ですが、
ここまで訪れるために、約20分、かなりきつい
石段を登らされる羽目になりました。

また、途中々々に怪しげな武者人形が配置されております。







最後に大阪城へ。
自身10年ぶりの登城でした。
コンクリート復興ながら豪華な天守閣と、
巨石が配された壮大な石垣を特徴とする、
とにかくスケールの大きなお城です。



本丸石垣



内部には大阪城や安土桃山時代~江戸時代に関する
諸々の展示がなされておりました。