始めたのはいいですが、めんどくさいことめんどくさいこと。
「始めっと決めたら、究めるまで引くことは許さねえ、覚悟はいいな!」
前回クライマックスでの覚馬の言葉が耳に痛い…
~プロローグ 安政四年(1857)春~
・会津、日新館西洋砲術指南所
→「ではこれから、ゲベール銃の弾込めの仕方を教える」と無人の部屋にて
張り切って授業準備をする覚馬。火薬と実弾を紙に包んだ「バトロン」
の紹介も行っております。
物陰からその様子を怪訝そうに見つめる若者三人、ひとりは山川与七郎
(1845~98、玉山鉄二)、こちらも子役からチェンジ。
彼は「武士の本文は弓、槍、刀だ」と主張、仲間もそれに同意。
そんな藩士たちに対して、覚馬の砲術教育は果たして受け入れられるに
でしょうか?
~オープニング~
・山本家にて
→前回の経緯から、堂々と砲術指南書を読みふける八重、桜の季節です。
母から針のお稽古の時間であると急かされます。
・高木家にて
→お師匠様から針仕事を習う八重と、同年代の娘たち。中には成人した
時尾(貫地谷しおり)の姿も。八重は足袋を縫いますが、大きさが揃わず
お師匠様から注意されます。時間終了後、さらに八重に指導を加えようと
しますが、すでに八重は飛び去った後…砲術に心を奪われている様子が
ありありです。
→帰路、ぶつかりそうになった相手が山川二葉(1844~1909、市川実日子)
二葉と一緒にいた女性から「女が供もつれねえで」と言われておりましたが
これが当時の常識だったのでしょう。
・町はずれ、桜の木の上で
→木の上で砲術書を読みふける八重。虫に驚き書を落とした所、川崎尚之助が
通りかかります。将来の夫婦となる、運命の出会いがここに設定されました。
・山本家にて
→尚之助を歓待する一家、その中でお客さんの来訪で砲術を習えずにむくれる八重。
接待の手伝いにまわされたばかりか、母からも「高木のおばさまから~」と
前述の件での説教。「針がおろそかになるのなら、砲術もやめるよう兄様に
言わななければな」とかるく脅されます。「そんなあ」と八重。
21世紀の日本でも、各家庭で似た風景がありそうです。
→象山から預かってきた手紙を尚之助から受け取る覚馬。嬉しそうです。
先生の近況を尋ねる覚馬に、尚之助は語り始めます。
・尚之助の回想シーン 松代・聚遠楼(しゅうえんろう)
→謹慎中を利して学問に打ち込む松代の象山。背後には塾同様ナポレオンの肖像画が…
天下の形成が自身の描いた未来図の通りであることを語りつつ、
「世人、何ぞ知らん、英雄の志を、かのボナパルテも流罪の憂き目にあっておる
いずれ、必ず天下が私を呼び戻すときが来る」と自身たっぷりです。
そして覚馬へのメッセージ
「何かを始めようとすれば、何もしないやつらが必ず邪魔をする。蹴散らして前へ進め!」
※象山さん。セリフのひとつひとつがかっこいいのですが、ひとつ。
ボナパルテ、すなわちナポレオンさんも一回エルバ島に流された後、確かに天下に
呼び戻され復活しましたが、ワーテルローの痛恨の敗北で絶海の孤島セントレヘナに
流され、死ぬまで戻ってこれなかったのを含めておっしゃっているのでしょうか?
もしかして、これは象山さんの末路を皮肉っていたりして。
そういえば「燕雀安んぞ…」と似たようなことを言っていた紀元前中国の陳勝さんも
時代を作ったとはいえ、末路は無残。
あまり自賛するとロクなことにならないようです。
・再び覚馬・尚之助
→象山のメッセージに喜ぶ覚馬。次いで尚之助に対していつまでいられるか問うたところ
なんと「出石藩にはお暇をいただきました」と、つまり脱藩ってこと!?
「いいのかそんな事をして!」「戻る場所がねえぞ!」と心配する覚馬に対して、
「覚馬さんができるというなら、蘭学所はできるに違いない」とキッパリの尚之助。
どこか飄々としてながら、思い切りのいいキャラクターとして描かれてます。
以後、尚之助は山本家の居候へ。
・翌朝、山本家にて
→覚馬について砲術修行中の八重。空砲とはいえ、大きな爆発音に目をつぶる
癖が抜けないようです。
・一瞬、日新館、「火術方」の横に「蘭学所」の表札、作業する覚馬
→ナレーションにて、蘭学所開設の許可が下りたこと、しかし尚之助の教授方就任は
認められなかったことが語られます。
すべてが思い通り、というわけにはいかないようです。
・山本家にて、重臣・林権助と権八夫妻
→覚馬の砲術・学問の熟達ぶりを褒めちぎる権助、かしこまる権八。
しかし権助の本題はこれから。
権助は、覚馬が性急に事を進めすぎることについて、藩上層部は「天狗になった云々」と
よく思わないであろうから、権八に「手綱さ引いてやれ」とブレーキ役を助言します。
すでに内々では覚馬に対する批判が渦巻いていたのでしょう。
覚馬を買っているが故の、権助の配慮が見られるシーンです。
権八自身、まさに心配していたことでもあり「よく言って聞かせやす」と返答。
突然、にわか雨。物語も急展開の予感です。
・急展開その1 路地の八重と尚之助
→雨宿りする八重と尚之助。八重は砲術を修行する自分のことを尚之助が認めて
くれていたことが分かり、打ち解けていきます。そこに稽古へ向かう山川与七郎登場。
与七郎は八重のことを意識しているらしく、尚之助に礼を尽くしながらも心配で
ならない様子。それでも彼らのために自分の傘を置いて去っていくところ
なかなかのナイスガイです。
・急展開その2 憤懣やる方なく路地を行く覚馬
→尚之助就任をどうしても認めてくれない上層部に対して「わからずやどもが!」と
一人ぶんむくれ状態。そしてお決まりのパターンか、すれ違う二人組の武士と肩衝突!
虫の居所の悪い覚馬は「謝れ」「傘拾え」と文句をつけますが、二人組は二人組で、
砲術を推進する覚馬のことをそもそも気に入らなかった様で「足軽風情が!」
「腰抜けが」と毒吐きまくり。覚馬は飛びかかり、ついに互いに抜刀寸前!
・黒河内道場にて、西郷頼母もいます。
→黒河内伝五郎(1803~68、六平直政)は会津藩の武芸師範。先の与七郎たちが修行中で
西郷頼母も稽古に参加しています。そこに殺気みなぎった覚馬たち三人が登場。
どうやら稽古場でカタをつけることとなったようです。一人上半身をはだける覚馬。
西島秀俊、マッチョ!以前からこうだったのでしょうか。カメラも必要以上に
その鍛え上げられた上半身を前から後ろから捉え続けます。
勝負は一方的、与七郎をして「鬼神だ」と言わしめる覚馬の強さでした。
・試合後、人が去った道場にて
→頼母と覚馬2人きり。いきり立ち興奮冷めやらぬ覚馬を、頼母が諭します。
「聞く耳を持て、声高に鉄砲が強い~と言ってたんでは、敵が増えるばっかりだぞ」
いかにも風格有る上司、という感じで見ていましたが、実はこの2人、
家柄こそ頼母の方がたしかに上ですが、実際の年齢は1857年時点で、覚馬30歳に対し
頼母はまだ28歳。覚馬はともかく、西田頼母は50過ぎにしか見えない・・・
・下田
→ハリス(1804~78)と幕府役人の会見のシーン。
ナレーションにてハリスが通商条約を求めている情勢が語られます。
・品川砲台
→巡検する容保と会津藩主たち。神妙な様子であった彼らの会話から、一昨年の地震※で
倒壊した砲台の修復がなされたこと、その時の犠牲者たちを偲び、改めて防備の決意を
強めたことがわかります。このドラマの企画意義もあわせ、まさに「一昨年の」東日本
大震災を意識したものと思われました。
※安政江戸地震(1855年11月11日)のこと。ドラマでも当時江戸にいたはずの覚馬や
尚之助はいったいどうしていたのでしょう?
砲台の向こうの風景、CG感あふれていました。
・会津藩江戸屋敷
→犬(狆)と戯れる敏姫、ナレーションにて容保の正室となったことが明かされます。
部屋には照姫も、犬は彼女が連れてきた様子。そこに入ってきた容保。
敏姫の語りかけに微笑みを浮かべながらもイマイチ表情の固い容保ですが、和歌の
話題を振る照姫との間では何か通じ合っている様子に、不審な思いの敏姫。
この話も次回以降に続きそうです。
・会津藩庁にて
→「容保が国入りして間もなく~」覚馬が招集されます。老臣の簗瀬三左衛門
(生没年不詳、山野史人)と萱野権兵衛(1830~69、柳沢慎吾)が主に応対し、
覚馬が上申していた西洋砲術を導入した軍制改革その他の意見書を尽く却下し、
「弓・槍・刀」による保守的な軍制を維持していく意向を伝えます。
それでも食い下がろうとする覚馬ですが、「砲術師範風情が」と、前に喧嘩と
なった武士たち同様、にべのない反応。ついには火のついた覚馬
「あなた方は世界を知らぬ、まるで井の中の蛙だ!」と言い放ってしまいます。
同席していた頼母の「控えろ!」の声にはっと我にかえる覚馬でしたが、もう遅い。
結局、上司批判の咎として、無期限の禁足処分が下ってしまいました。
・山本家にて
→うちわを片手にごろ寝する覚馬。季節は夏~秋あたりでしょうか?父権八と母佐久の
会話から、処分が下ってから2週間経過しているようです。いつ解けるともわからぬ
処分に対して、権八は「これからは三郎をきびしく仕込まねばなんね」「家をつぶす
わけにはいかぬ」と冷たく言い放ちます(覚馬に直接言ったわけではありませんが)。
数年前に話題となった『武士の家計簿』中の幕末の加賀藩御算用者猪山家なんかでも
後継の男子に対し厳しい算術教育を行う父の姿が描かれていましたが、当時の武士、
とりわけ特殊技能をなりわいとする家にとって、家業を継承すべき男子の存在だけで
なく、その男子がきちんと技能を習得していることが不可欠であったのでしょう。
単なる世襲ではない厳しさがそこにはあります。
→そんな覚馬(と尚之助)の苦境を嘆く八重、それに対して「頑固ですからねえ、会津は」
と意味ありげに言いながら、黙々と火薬の調合作業を続ける尚之助。バトロンを
作っていることがわかります。そんな姿に自らの進むべき道を見出したのか、
八重もそれに加わります。
→尚之助の手ほどきを受けて作成したバトロンを覚馬に見せ、試射を依頼する八重。
覇気を失っている覚馬は「また今度」と断りますが、八重は決意を固めていたのか、
では私が、と試射場に向かいます。それを生返事で一度は送った覚馬ですが、
寝ていること約20秒、「いけね!」と跳ね起き後を追います。
→「私はあきらめねえ、鉄砲を究めるまで、一人でも続けやす!」強い決意でもって
覚馬と尚之助を背に、的を見据え射撃する八重。その意思が通じたのか、目を
つぶることなく、実弾初射撃にして見事に命中。そんな妹の姿に、兄も自分を
取り戻したのか、笑いながら八重と尚之助に語ります。
「よし、蹴散らして前へ進むか!」
・江戸城内
→将軍家定(1824~58)に謁見するハリス。この年(1857)の秋であることが、ナレーションに
よって語られます。(実際の謁見も安政4年(1857)10月21日)
家定は上半身を後ろに仰け反りながら、足をどんどん踏み鳴らし、「遠路の所、
使節を以て書簡を指し越したこと、満足である・・・」と続けます。
この辺の描写はハリスの日記の記述をそのまま取り入れているようです。
2008年の『篤姫』で堺雅人がメインキャラクターとして演じていた家定は「実は
馬鹿ではない」将軍でしたが、今回はあくまで暗愚そのものといった扱いです。
・江戸一橋邸?
→弓術を修行する一橋慶喜(1837~1913、小泉孝太郎)、ナレーションにて
優秀な後継候補として語られます。
今回の小泉慶喜は、本木雅弘や平岳大(『篤姫』)の系譜を引くイケメンタイプの
ようです。
・山本家にて
→砲術修行に熱中する覚馬・尚之助・八重。それに対しナレーションにて
幕末の動乱が幕を開けていることが語られます。
~次回予告編~
→覚馬が復帰し抜擢された様子。婚礼も挙げてます。
~『八重の桜』紀行 会津若松市~
→今回は藩校・日新館が舞台。当時の姿が復元され、現在に残されています。
日本初のプールとされる水練水場池、天文台跡もそなえた日本有数の
教育施設だったことが紹介されました。
「始めっと決めたら、究めるまで引くことは許さねえ、覚悟はいいな!」
前回クライマックスでの覚馬の言葉が耳に痛い…
~プロローグ 安政四年(1857)春~
・会津、日新館西洋砲術指南所
→「ではこれから、ゲベール銃の弾込めの仕方を教える」と無人の部屋にて
張り切って授業準備をする覚馬。火薬と実弾を紙に包んだ「バトロン」
の紹介も行っております。
物陰からその様子を怪訝そうに見つめる若者三人、ひとりは山川与七郎
(1845~98、玉山鉄二)、こちらも子役からチェンジ。
彼は「武士の本文は弓、槍、刀だ」と主張、仲間もそれに同意。
そんな藩士たちに対して、覚馬の砲術教育は果たして受け入れられるに
でしょうか?
~オープニング~
・山本家にて
→前回の経緯から、堂々と砲術指南書を読みふける八重、桜の季節です。
母から針のお稽古の時間であると急かされます。
・高木家にて
→お師匠様から針仕事を習う八重と、同年代の娘たち。中には成人した
時尾(貫地谷しおり)の姿も。八重は足袋を縫いますが、大きさが揃わず
お師匠様から注意されます。時間終了後、さらに八重に指導を加えようと
しますが、すでに八重は飛び去った後…砲術に心を奪われている様子が
ありありです。
→帰路、ぶつかりそうになった相手が山川二葉(1844~1909、市川実日子)
二葉と一緒にいた女性から「女が供もつれねえで」と言われておりましたが
これが当時の常識だったのでしょう。
・町はずれ、桜の木の上で
→木の上で砲術書を読みふける八重。虫に驚き書を落とした所、川崎尚之助が
通りかかります。将来の夫婦となる、運命の出会いがここに設定されました。
・山本家にて
→尚之助を歓待する一家、その中でお客さんの来訪で砲術を習えずにむくれる八重。
接待の手伝いにまわされたばかりか、母からも「高木のおばさまから~」と
前述の件での説教。「針がおろそかになるのなら、砲術もやめるよう兄様に
言わななければな」とかるく脅されます。「そんなあ」と八重。
21世紀の日本でも、各家庭で似た風景がありそうです。
→象山から預かってきた手紙を尚之助から受け取る覚馬。嬉しそうです。
先生の近況を尋ねる覚馬に、尚之助は語り始めます。
・尚之助の回想シーン 松代・聚遠楼(しゅうえんろう)
→謹慎中を利して学問に打ち込む松代の象山。背後には塾同様ナポレオンの肖像画が…
天下の形成が自身の描いた未来図の通りであることを語りつつ、
「世人、何ぞ知らん、英雄の志を、かのボナパルテも流罪の憂き目にあっておる
いずれ、必ず天下が私を呼び戻すときが来る」と自身たっぷりです。
そして覚馬へのメッセージ
「何かを始めようとすれば、何もしないやつらが必ず邪魔をする。蹴散らして前へ進め!」
※象山さん。セリフのひとつひとつがかっこいいのですが、ひとつ。
ボナパルテ、すなわちナポレオンさんも一回エルバ島に流された後、確かに天下に
呼び戻され復活しましたが、ワーテルローの痛恨の敗北で絶海の孤島セントレヘナに
流され、死ぬまで戻ってこれなかったのを含めておっしゃっているのでしょうか?
もしかして、これは象山さんの末路を皮肉っていたりして。
そういえば「燕雀安んぞ…」と似たようなことを言っていた紀元前中国の陳勝さんも
時代を作ったとはいえ、末路は無残。
あまり自賛するとロクなことにならないようです。
・再び覚馬・尚之助
→象山のメッセージに喜ぶ覚馬。次いで尚之助に対していつまでいられるか問うたところ
なんと「出石藩にはお暇をいただきました」と、つまり脱藩ってこと!?
「いいのかそんな事をして!」「戻る場所がねえぞ!」と心配する覚馬に対して、
「覚馬さんができるというなら、蘭学所はできるに違いない」とキッパリの尚之助。
どこか飄々としてながら、思い切りのいいキャラクターとして描かれてます。
以後、尚之助は山本家の居候へ。
・翌朝、山本家にて
→覚馬について砲術修行中の八重。空砲とはいえ、大きな爆発音に目をつぶる
癖が抜けないようです。
・一瞬、日新館、「火術方」の横に「蘭学所」の表札、作業する覚馬
→ナレーションにて、蘭学所開設の許可が下りたこと、しかし尚之助の教授方就任は
認められなかったことが語られます。
すべてが思い通り、というわけにはいかないようです。
・山本家にて、重臣・林権助と権八夫妻
→覚馬の砲術・学問の熟達ぶりを褒めちぎる権助、かしこまる権八。
しかし権助の本題はこれから。
権助は、覚馬が性急に事を進めすぎることについて、藩上層部は「天狗になった云々」と
よく思わないであろうから、権八に「手綱さ引いてやれ」とブレーキ役を助言します。
すでに内々では覚馬に対する批判が渦巻いていたのでしょう。
覚馬を買っているが故の、権助の配慮が見られるシーンです。
権八自身、まさに心配していたことでもあり「よく言って聞かせやす」と返答。
突然、にわか雨。物語も急展開の予感です。
・急展開その1 路地の八重と尚之助
→雨宿りする八重と尚之助。八重は砲術を修行する自分のことを尚之助が認めて
くれていたことが分かり、打ち解けていきます。そこに稽古へ向かう山川与七郎登場。
与七郎は八重のことを意識しているらしく、尚之助に礼を尽くしながらも心配で
ならない様子。それでも彼らのために自分の傘を置いて去っていくところ
なかなかのナイスガイです。
・急展開その2 憤懣やる方なく路地を行く覚馬
→尚之助就任をどうしても認めてくれない上層部に対して「わからずやどもが!」と
一人ぶんむくれ状態。そしてお決まりのパターンか、すれ違う二人組の武士と肩衝突!
虫の居所の悪い覚馬は「謝れ」「傘拾え」と文句をつけますが、二人組は二人組で、
砲術を推進する覚馬のことをそもそも気に入らなかった様で「足軽風情が!」
「腰抜けが」と毒吐きまくり。覚馬は飛びかかり、ついに互いに抜刀寸前!
・黒河内道場にて、西郷頼母もいます。
→黒河内伝五郎(1803~68、六平直政)は会津藩の武芸師範。先の与七郎たちが修行中で
西郷頼母も稽古に参加しています。そこに殺気みなぎった覚馬たち三人が登場。
どうやら稽古場でカタをつけることとなったようです。一人上半身をはだける覚馬。
西島秀俊、マッチョ!以前からこうだったのでしょうか。カメラも必要以上に
その鍛え上げられた上半身を前から後ろから捉え続けます。
勝負は一方的、与七郎をして「鬼神だ」と言わしめる覚馬の強さでした。
・試合後、人が去った道場にて
→頼母と覚馬2人きり。いきり立ち興奮冷めやらぬ覚馬を、頼母が諭します。
「聞く耳を持て、声高に鉄砲が強い~と言ってたんでは、敵が増えるばっかりだぞ」
いかにも風格有る上司、という感じで見ていましたが、実はこの2人、
家柄こそ頼母の方がたしかに上ですが、実際の年齢は1857年時点で、覚馬30歳に対し
頼母はまだ28歳。覚馬はともかく、西田頼母は50過ぎにしか見えない・・・
・下田
→ハリス(1804~78)と幕府役人の会見のシーン。
ナレーションにてハリスが通商条約を求めている情勢が語られます。
・品川砲台
→巡検する容保と会津藩主たち。神妙な様子であった彼らの会話から、一昨年の地震※で
倒壊した砲台の修復がなされたこと、その時の犠牲者たちを偲び、改めて防備の決意を
強めたことがわかります。このドラマの企画意義もあわせ、まさに「一昨年の」東日本
大震災を意識したものと思われました。
※安政江戸地震(1855年11月11日)のこと。ドラマでも当時江戸にいたはずの覚馬や
尚之助はいったいどうしていたのでしょう?
砲台の向こうの風景、CG感あふれていました。
・会津藩江戸屋敷
→犬(狆)と戯れる敏姫、ナレーションにて容保の正室となったことが明かされます。
部屋には照姫も、犬は彼女が連れてきた様子。そこに入ってきた容保。
敏姫の語りかけに微笑みを浮かべながらもイマイチ表情の固い容保ですが、和歌の
話題を振る照姫との間では何か通じ合っている様子に、不審な思いの敏姫。
この話も次回以降に続きそうです。
・会津藩庁にて
→「容保が国入りして間もなく~」覚馬が招集されます。老臣の簗瀬三左衛門
(生没年不詳、山野史人)と萱野権兵衛(1830~69、柳沢慎吾)が主に応対し、
覚馬が上申していた西洋砲術を導入した軍制改革その他の意見書を尽く却下し、
「弓・槍・刀」による保守的な軍制を維持していく意向を伝えます。
それでも食い下がろうとする覚馬ですが、「砲術師範風情が」と、前に喧嘩と
なった武士たち同様、にべのない反応。ついには火のついた覚馬
「あなた方は世界を知らぬ、まるで井の中の蛙だ!」と言い放ってしまいます。
同席していた頼母の「控えろ!」の声にはっと我にかえる覚馬でしたが、もう遅い。
結局、上司批判の咎として、無期限の禁足処分が下ってしまいました。
・山本家にて
→うちわを片手にごろ寝する覚馬。季節は夏~秋あたりでしょうか?父権八と母佐久の
会話から、処分が下ってから2週間経過しているようです。いつ解けるともわからぬ
処分に対して、権八は「これからは三郎をきびしく仕込まねばなんね」「家をつぶす
わけにはいかぬ」と冷たく言い放ちます(覚馬に直接言ったわけではありませんが)。
数年前に話題となった『武士の家計簿』中の幕末の加賀藩御算用者猪山家なんかでも
後継の男子に対し厳しい算術教育を行う父の姿が描かれていましたが、当時の武士、
とりわけ特殊技能をなりわいとする家にとって、家業を継承すべき男子の存在だけで
なく、その男子がきちんと技能を習得していることが不可欠であったのでしょう。
単なる世襲ではない厳しさがそこにはあります。
→そんな覚馬(と尚之助)の苦境を嘆く八重、それに対して「頑固ですからねえ、会津は」
と意味ありげに言いながら、黙々と火薬の調合作業を続ける尚之助。バトロンを
作っていることがわかります。そんな姿に自らの進むべき道を見出したのか、
八重もそれに加わります。
→尚之助の手ほどきを受けて作成したバトロンを覚馬に見せ、試射を依頼する八重。
覇気を失っている覚馬は「また今度」と断りますが、八重は決意を固めていたのか、
では私が、と試射場に向かいます。それを生返事で一度は送った覚馬ですが、
寝ていること約20秒、「いけね!」と跳ね起き後を追います。
→「私はあきらめねえ、鉄砲を究めるまで、一人でも続けやす!」強い決意でもって
覚馬と尚之助を背に、的を見据え射撃する八重。その意思が通じたのか、目を
つぶることなく、実弾初射撃にして見事に命中。そんな妹の姿に、兄も自分を
取り戻したのか、笑いながら八重と尚之助に語ります。
「よし、蹴散らして前へ進むか!」
・江戸城内
→将軍家定(1824~58)に謁見するハリス。この年(1857)の秋であることが、ナレーションに
よって語られます。(実際の謁見も安政4年(1857)10月21日)
家定は上半身を後ろに仰け反りながら、足をどんどん踏み鳴らし、「遠路の所、
使節を以て書簡を指し越したこと、満足である・・・」と続けます。
この辺の描写はハリスの日記の記述をそのまま取り入れているようです。
2008年の『篤姫』で堺雅人がメインキャラクターとして演じていた家定は「実は
馬鹿ではない」将軍でしたが、今回はあくまで暗愚そのものといった扱いです。
・江戸一橋邸?
→弓術を修行する一橋慶喜(1837~1913、小泉孝太郎)、ナレーションにて
優秀な後継候補として語られます。
今回の小泉慶喜は、本木雅弘や平岳大(『篤姫』)の系譜を引くイケメンタイプの
ようです。
・山本家にて
→砲術修行に熱中する覚馬・尚之助・八重。それに対しナレーションにて
幕末の動乱が幕を開けていることが語られます。
~次回予告編~
→覚馬が復帰し抜擢された様子。婚礼も挙げてます。
~『八重の桜』紀行 会津若松市~
→今回は藩校・日新館が舞台。当時の姿が復元され、現在に残されています。
日本初のプールとされる水練水場池、天文台跡もそなえた日本有数の
教育施設だったことが紹介されました。
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