今の自分に根本的な考え方の変革をもたらした永井均という有名な哲学者がいる。
この思考様式になってから苦しんでもいるので、嫌いなのだが、専門的で古めかしい哲学用語を使わずに哲学する姿には感銘を受けた。
その、永井均、アニメやラノベといったオタク的なものを嫌悪している(大概の哲学者は浮世離れしているのでサブカル嫌いな哲学者は多いだろう)のかと思いきや、涼宮ハルヒのシリーズを評価していた(気がする)。
あれは自分の好き嫌いはどうあれ、「セカイ系」の流行の端緒となった作品らしい。
「セカイ系」の一般的な定義はどうあれ、自分が今まで読んだ小説・観たアニメ・やったゲームから自分なりに定義すれば、
人間の認識の基礎に疑いをかけるもの。客観的(≒物理的実在としての)世界の構造・成り立ちの転覆を図るもの。
になる
。
量子力学の(俗世的)理解と普及も相まって、一定量の作品群が今ではある。だが、もう出尽くした感も否めず、最近では割と飽きてしまった。
(セカイ系と並行して、または独自のものとして時間ものがあり、それも好きだが飽きが来ている)
時間ものとしては、
・タイムリープ
・タイムワープ
・タイムループ(或いは循環史、或いは輪廻転生)
が主で、これらと併せる形で、又は単独の「セカイ系」として、
・多世界解釈(パラレルワールド)
・疑似現実(シミュレーション)
・人工現実
・夢
などがある。
大体はタイトルか作品紹介で明記されていて、もう多くは予想の範囲内にあるので驚きも面白みも無い(ミステリーとして出来が良ければ別)。
だから、問題は、「セカイ系」又は「時間もの」を標榜していないもの。
評判も情報も得ることなく、このジャンルの良い作品に巡り会うには時間とコストが無駄に感じてしまう。
まあ、当たり前なのだ。認識についての認識(メタ認知)を揺さぶられると分かっていて、身構えてしまえば、およそほとんどの作品には動じなくなる。
このジャンルでオタク業界をさまようのはやめにしようと思う今日この頃であった。
この思考様式になってから苦しんでもいるので、嫌いなのだが、専門的で古めかしい哲学用語を使わずに哲学する姿には感銘を受けた。
その、永井均、アニメやラノベといったオタク的なものを嫌悪している(大概の哲学者は浮世離れしているのでサブカル嫌いな哲学者は多いだろう)のかと思いきや、涼宮ハルヒのシリーズを評価していた(気がする)。
あれは自分の好き嫌いはどうあれ、「セカイ系」の流行の端緒となった作品らしい。
「セカイ系」の一般的な定義はどうあれ、自分が今まで読んだ小説・観たアニメ・やったゲームから自分なりに定義すれば、
人間の認識の基礎に疑いをかけるもの。客観的(≒物理的実在としての)世界の構造・成り立ちの転覆を図るもの。
になる
。
量子力学の(俗世的)理解と普及も相まって、一定量の作品群が今ではある。だが、もう出尽くした感も否めず、最近では割と飽きてしまった。
(セカイ系と並行して、または独自のものとして時間ものがあり、それも好きだが飽きが来ている)
時間ものとしては、
・タイムリープ
・タイムワープ
・タイムループ(或いは循環史、或いは輪廻転生)
が主で、これらと併せる形で、又は単独の「セカイ系」として、
・多世界解釈(パラレルワールド)
・疑似現実(シミュレーション)
・人工現実
・夢
などがある。
大体はタイトルか作品紹介で明記されていて、もう多くは予想の範囲内にあるので驚きも面白みも無い(ミステリーとして出来が良ければ別)。
だから、問題は、「セカイ系」又は「時間もの」を標榜していないもの。
評判も情報も得ることなく、このジャンルの良い作品に巡り会うには時間とコストが無駄に感じてしまう。
まあ、当たり前なのだ。認識についての認識(メタ認知)を揺さぶられると分かっていて、身構えてしまえば、およそほとんどの作品には動じなくなる。
このジャンルでオタク業界をさまようのはやめにしようと思う今日この頃であった。