Looking for a little hope

日々のこと。

想いごと。

2006-07-31 23:48:47 | DIARY
きょうで7月が終わっちゃうのか、と思うとすこし切ない。
特に、今年は、
「いつまでもいられるわけじゃない、というかもうここを去る確率のほうが高そうな京都の夏なんだよね・・だから、この暑い、というより熱いよね?って言われるような京の暑さも、こころなしか恋しく思えちゃう・・ってことも本当はないけど(暑いのはやっぱり苦手!)でも、もう日常としてこの風景は最後なのだから・・」という気持ちがあって、切ないのも三割り増しだ。
(と書いていながら、来年もわたしがここにいても、どうか責めないでください)

何でもそうだけど、そこに終わりがあると思うと、その日々はキラキラと輝いてみえる、そして切ない気持ちになる。
このひとつひとつの切ない気持ちが、人生に色をつけるんだと思う。
だからいつか、痛いくらい切なくなれるように、この風景をうんと味わって、目に焼き付けていたい、そしてそれぞれに生まれた感情を大切にしたい。
もちろん、人に対しても。
大切にしていれば、たとえそれが消えていくとしても、いいかんじで風化風葬されると思うから。


明日は、バイトがないー!
うれしい!
どこに行こうかなあ。

でも、そのまえに。
何より、楽しみにしていることは「ほぼ日」の
LOVE T販売!
11時になったらすぐに申し込みをしよう。

なんでもないけど、素晴らしい瞬間。

2006-07-30 23:39:59 | DIARY
帰り道、三日月がとてもきれいに輝いてた。
空はまだほんのすこし明るくて、風は優しく夏の匂いがした。

バイトのあと、偶然にも映画館(八チクロを観た)で会ったTさんに、ラーメンをおごってもらった。
なんとなくラーメンを食べながら話す、この感じがいいな、と思った。
おなかがいっぱいになって、幸せ。
人と一緒にごはんを食べれてうれしい。
おいしい。

イヤホンからは懐かしいメロディが聞こえる。
MIKIちゃんが唄っていたのさ。
“ALL NEED IS SUMMER”て。(by Supercar summer tune)

「なんだかんだいっても、幸せだ。」

連日バイトと暑さで体はくたくた、将来に対する漠然とした不安や焦燥感。
だけど、こんな自分も、きっと大丈夫。
大丈夫なのだ。



おてがみ、どうぞ。

2006-07-28 21:27:05 | DIARY
やっぱり手紙はいいな、と思う。

このメール全盛時代に、敢えて手紙を書いてポストへ投函する「わざわざ」感がすてきだよ。
お手紙受けに手紙や葉書を発見したときの、あの小さな興奮といったら!!
にんまり、にこにこ、るんるん、ただいま。

ということで、日ごろお世話になっている方々への御礼の気持ちもかねて、住所を知っている友人、知人などに暑中見舞いはがきを出しました。
まだ、出していない人には、8月の終わりごろに残暑見舞いはがきを出したいと思います。

葉書は好きな写真をカラーコピーでプチコラージュしたもので、それをいつかの年賀葉書の余りにはっつた、オリジナル(っていえるのか?)なものです。
4つのパターンで、なかなか可愛い。
(写真のです)

年賀葉書なので、ちょっと滑稽だけど、リサイクルくるなので許してください。
どうか、この葉書たちがみなさんに、ささやかな幸せをもたらしますように。
そしたら、わたしも幸せなのです。




風鈴の音

2006-07-27 14:15:28 | DIARY
「決まりごとのなかに閉じ込められて生きてきて、小さな自由さえ思いつけなくなってしまった世代にこそ言いたい。絶対に人はゆずることのできない、自分だけものすごい、でっかい、たくさんの、かけがえなのない、びっくりするような、お墓に入るときににんまりしちゃうような・・・・思い出を作ろう!と」

これは今夢中で読んでいるよしもとばななの最新エッセイ「人生の旅をゆく」からの一文。
ばななさんは、このなかで、何度も何度も強くこの想いを訴えていて、そうかーそうだよね!って妙に納得している今日このごろ。

そしたら、先日いただいたコメントにも、そのようなことが書かれていた。

「これは何か、ちょっと今のわたしに必要なメッセージなのでは!。
だから、面倒くさがりで、暑さに弱くて、バイトと家に閉じこもりがちな夏だけど、今年は意識して、いろいろな場所に出かけてみたり、人と会ってみたりしよう!!」とひとり思いました。

今年はひとりがちにならず、またひとつに留まらずに、ちょいと勇気を振り絞って、外に出たり、数は少くてもとりどりの光を放つすてきな友達を誘ったりして、きっと思い出が残る夏にして、夏が終わるころには、昔みたいにちょっと切ない気分になれたらすてきだな!


ところで
8月19日、20日に
滋賀県の米原市、奥伊吹で
みちひらきまつり
というイベントがあります。
ゆるりんミュージックとスローフード、そして自然!!
すっごく魅力的なんですけど!!ここなら星を見ることもできそうだ。

詳しくはこちらへ
もし、一緒に行ってくれる友達がいたら連絡くださいな。(と個人的な告知になってしまったけど)

それにしても、夏本番です。
空が青くて、すっごく爽快!
が、暑いから、体はだるだるだけどね。

きょうは7月最後の一日休み。
もうすこししたら、おそとに出てみようと思います。
だけど、この暑さだし、一体いつになることやら。


Those melody makes me cry

2006-07-26 00:01:47 | MUSIC
ちょっと久しぶりにリクルートスーツを着て、大阪は梅田へ。
説明会のあと、茶屋町NUのタワーレコードへ行ってみた。

ここ半年くらいは、新しいCDを買っていなくて(正確には買えなくて)、タワレコに行く回数も前より断然減りました。
今日は、だけど、たくさん試聴してきて、いちいち感動して、やっぱり私は音楽がどうしようもなく好きなんだよな!ってことを改めて感じた日。

まず、Jポップのフロアへ。今はやっぱりこの二つがお勧め。
くるりのベストアルバム「TOWERS OF MUSIC LOVER」
夜の京都タワーがジャケットに使われていたけど、そうそう京都タワーって夜に見るとすごくきれいなんだよね。高速バスで京都駅に帰ってきたときなんか、光った京都タワーを見ると、なんだかすごく安心しちゃうのだ。
そのなかで「春風」という曲を試聴したら、それが期待以上によくって、試聴しながら涙目になってしまうので、必死でこらていた。
こちらで全曲試聴できます。オープニングにはきれいな京都タワー!

フルカワミキ「Mirros」
キラキラ光るすてきなジャケットはなんとなく不思議の国のアリス的。
一曲目の「OVER YOU」から胸にくーっときたよ。
スーパーカーの、切ない、けだるいかんじが感じられた。
夏の終わりに海にいったら、ちょっと涼しくて、もう夏も終わりなんだって感じたときの切なさ。
シングル曲「coffee and singing girl」は、可愛いしポップだし、楽しいし。

そしてこのアルバムを聴きながら、突然とひとつの想いがはっきりとして、わたしはそれを受け入れた気がした。

その想いとは
「もうあの場所から、随分と遠くの場所に来てしまった、そこにはもう戻れない、それぞれは別の人生を歩みはじめている、もちろんわたしも」

高校生のころに聞いてたくるりは、ベストアルバムを作るまでになって、そこにはあの時にあの場所で聞いていた曲と、こっちに来てからひとりで聞いた曲、そのどちらもが収められていた。
同じようにだんだんと好きになっていたスーパーカーは、やはり解散をし、今こうしてミキちゃんがソロで唄っている、ということ。
月日は、こうして、粉雪のように軽く、音も立てずに、しかし確実に積もっていくのだ。だけど、わたしたちは往々にして、それに気がつかないでいる。
ううん、本当はちゃんと気がついているのかもしれない。
それは、朝になって窓を開けると、「いつのまに、こんなに積もってしまったの?」と驚く、だけど心のどこかではそうなることを知っていた、というときのようだ。

次に、洋楽フロアに行った。
・トム・ヨークの「Eraser」をようやく試聴。
全体的にradioheadの時よりも、トムの内面世界がより濃く伝わってきた。
それは、冷たくて、暗くて、深くて、荒涼の砂漠のような静かさの世界で、これまでなんとなく母性的だなと思っていたトムが、これを聞いて、彼のの芯まで突き止めようとするところは、やっぱり男の人なんだよな、ということを感じた。(ばななさんの小説の影響かな)
しんと心を静かにして、その世界にひたっていると、ぼんやりと「細胞分裂」という文字が頭に浮かんだ。
創造と破壊。誕生と消滅。それが永遠にループしていくかんじ。
いつかの友達のブログで「僕たちはあらゆる瞬間に死んでいる」という下りがあったけど、ちょうどそんな感じだった。
蒸し暑い夏の夜に、窓を開けてひっそりと聞いていたい。
冷たくて、深い、闇の世界まで、ちょっと近づけるような気がするから。
そして、それは昼の光の世界には似合わないと思う。
どうして、人は、時に、こんなに冷たくて暗い世界に、自ら突き進んでいくのだろう。

まだCoccoも買っていないし、今度大人買い(ってどのくらいのことを言うの?)しにいこうかなと思う。






サマーサマー!

2006-07-24 22:39:50 | DIARY
この夏をどうしようかなーって考え中。

8月
・宇治川の花火大会
・サマーソニック06(日曜日only)
・宇治(平等院と甘味)奈良(鹿と大仏)、和歌山県(海)に行きたい。
・フェスで環境ボランティア(予定)
・カキ氷食べる!誰か一緒に!
・キャンプに行きたい!誰か!
・海遊館に行くついでにスヌーピー展にも行く、あくまで水族館メイン。
・暑中見舞いを書く
・夜のピクニックしたいのだけど、誰か!
・ちゃんミニ作業
とにかく、忙しく楽しくして、淋しくならないこと。

9月
・北海道へ一人旅?
・青森の弘前で開催されているA to Z nara+rglafへボランティアスタッフとして参加(これから応募する!)


あすは久しぶりにスーツ・・暑い。
そしてバイト漬けな日々へ・・!


ホットケーキミックス。

2006-07-23 19:35:01 | DIARY
お金を節約するために、最近はよくホットケーキを作っています。
簡単なのに、とってもおいしい。
ホットケーキミックス200グラムがあれば、いろんなもの作れるのですよ。

きょうのお昼は、クレープ
中にはバナナとメープルシロップ。
ブエノ!
苦めの珈琲を片手に、甘いしあわせ。
(ホットケーキミックス50グラム使用)

夕方には明日からの朝ごはんとして、バナナマフィンをつくった。
上出来。
(ホットケーキミックス120グラム使用)

ホットケーキミックス、ラブリー!
って思いながらレポートの作成・・・。

なんとかレポートがまとまってきた午後4時ごろにうずうずしてきたので、家から近所にあるself so アートギャラリーへ行って鈴木コージさんの個展を見てきた。
コラージュ作品が多かったけど、どれも彼の子供のままの心がうわーって伝わってきて、細かいところまでいちいち見たくなる。
けっこう作品数も多かったし、まだまだ見ていたい!って思ったので、また暇なときに立ちよろう。


ふたたび、御手洗

2006-07-23 18:47:46 | DIARY
御手洗祭、懲りずに昨日も行ってきた。
さすがに土曜日、混んでいたけど、夜はやっぱりろうそくがきれい!
下鴨から出町柳に歩いてるつもりが、高野に着いて、びっくりだったけど、偶然見つけた菜食居酒屋さんが居心地よくて、最後のお別れがしんみりならずによかった。

この週末が今年最後の来京となるgumiiち
ゃん。
次いつ会うことになるのかわかんない。
「御手洗祭、来年も来れるといいなー」と思うと同時に、
来年、果たして私はどこにいるのか?という気持ちが頭をかすめた。




ゆれる

2006-07-23 13:15:50 | FILMS
祇園祭の巡行の17日、外がどしゃぶりの雨だったのでバイトのあと、ゆれるを観に行きました。

この映画は、兄弟をテーマにしているけど、観たあとに、一番感じたのは
「過去と記憶」についてだった。
わたしたちが過去について思い起こすとき(回想するとき)、それは「物語」(フィクション)であらざるを得ない・・。

事件か事故か、それは猛と稔、それぞれにとっての過去を見つめ直すことによって決定される。そして、その過去とは、自己それぞれにとっての「物語」である。


社会学者のアンソニーギテンズは現代社会のひとつの特徴として「再帰性」を挙げている。
つまり、現代社会とは、常に別の選択の可能性が提示され、絶えざる自己吟味とそれに基づく修正により、再帰的に書き換えを要求する。またこれは他者との関係も同様であり、相互に選択的で流動的な関係である、ということだ。
またピーター・バーガーは次のように言う。
「われわれが過去を想いだす時、何が重要で何が重要でないかという現在の考えによって、過去を再構築する。・・・過去は柔軟性に富み、柔軟性に満ちている。すでに起こった出来事を回想し、再解釈し、説明し直すたびに、過去は絶えず変化していく。」

結局、事件か事故か、真実が何だったのか、わからない。(ラストシーンは一見その真実を暗示させているように感じるものの)
だけど、わたしたちは、時に真実ではないもうひとつの記憶をつくりだす生き物である。そして、それは危険なことであると同時に、時に人を絶望の底から救う。

イメージとしてではなく、鋭いかたちで、現代の様々な問題を提示した映画だった。(田舎と都会の関係とかも)

映画は、ふたりの未来を観客に委ねる形で終わる。
わたしは信じたい。
穴だらけになってしまった兄弟ふたりの「過去の記憶」を、
ふたりが「未来への記憶」という糸で再び紡ぎだし、いつか一つの布となったときに、そこらじゅうにあった穴が、消えてなくなっていることを。
たとえきれいでなくてもいい。
わたしたちには、パッチワークをすることもできるのだから。







御手洗祭

2006-07-22 12:23:00 | DIARY
北からgumiiちゃんが来京しました。

午前中にざーざー降っていた雨は止んで、午後には空に青空をのぞくことができた。ひさしぶりにみる青に、ずっと灰色の空が続いていたうえ、いろいろあって、でも楽しくすごせていた、今年の梅雨がよかった、と思う。

明倫小学校跡地にある前田珈琲明倫店で、ひとまず休憩したあと、下鴨神社までチャリをこいで行った。
その途中で、aguraで雑貨を見たり、hohoemiでパンを買ったり。
そういえばhohoemiのパンって少しずつしか作っていなくて、きっと余りとか出ないようにしてるんだな、ということに気がついた。またhohoemiが好きになった。

出町柳では、ふたばの豆餅を買って、そのまま鴨川沿いで食べた。
ちょうど一週間前にイベントをしようとした中州が目の前に見えて、そこでは造園の人が芝生をきれいに刈っているところだった。
一週間ははやい。

下鴨神社に着いて、初めての御手洗祭へ!
雨上がりなこともあって、境内に続く林を歩きいてみると・・
鳥居までの、屋台が立ち並ぶ道に霧がかかっていて、それはまるで別世界に続いるようだ!と感じてしまう幻想的な光景でした。
自然の作る美しくも妖気な現象と、人の賑やかな世界の、ふたつの空気が触れて、懐かしいかんじがした。
こうゆう風に自然と人が重なって生きていた、そんな時代に。
ふたりで、すごいすごい!って変な興奮をして、歩いてた。
近づくと、もうなんてことないんだけど、あの光景に出会えてよかったと思う。

御手洗祭の全貌を知らないふたりは、この後ささやかな興奮の渦に包まれる。

進んでいくと、うむむ?何?足を清めるの?
「靴を脱いでください」
「ろうそくをどうぞ」
「スカートをひざまでまくって・・・」

以下、会話の一部。

「ひょー!!」
「冷たい!端っこのほうは浅いっておじいちゃん言ってたよ。」
「ろうそくに火をつけて・・・あ!消えた?大丈夫?」

「ふー、すごいね!めっちゃおもしろいね。」
「絶対夜に来たら、もっときれいだよ。」
「足だけ、ちょっと感覚が違う、すごい」

まだ行ったことのない人のためいに、詳細は教えないけど、
とっても、エキサイティングなお祭でした。
日曜日までやっているそうなので、お近くの方は是非。

そのあと、みたらし団子発祥の地と言われる甘味屋さんでみたらし団子を食べた。
たれが濃厚で、ひとつひとつが小ぶりでやわらかく、おいしかった。

最後はSARASA かもがわで夜ごはん。
ちょっとアルコールも飲みながら、最近思っていること、ずっと心のなかに溜め込んできたいろいろを言えた気がした・・・かな?

gumiiちゃんの瞳はきらっとしてて、強くて、意志があった。
わたしも、こんな風に、人を見つめることができているのだろうか。
時折訪れる沈黙を、大きな窓から入り込む夏の風が、優しくなでていく。

薄く広がる雲や、都会の光に隠れて見えない、しかしちゃんと存在している星たちに祈りをこめるように、人の持つ小さくて儚い光の輝きをすこしでも見つめていたい。