西海岸旅行記2014夏(15):6月8日:ポートランド、豊かなスーパーマーケット

2014-08-17 00:30:00 | 西海岸旅行記
 今夜テキサスへ戻るソルティは、飛行機の時間があるので僕達より先に店を出て行った。僕とクミコも少ししてから店を出た。ウエスト・バーンサイド通りまで歩くと、かの有名な書店「パウエルズ」の看板が見えて、そこには「営業中」のサインが出ている。なんだ。さっきここを通りがかったとき、一見すると如何にも営業していないように見えたので休みなのかと思ったのだが、どうやら外側を工事しているだけで営業はしているようだった。

 ソルティによれば「ジュンク堂とかの方が大きいし、別に普通の本屋」ということだったけれど、一度入って確かめたかった。大体が僕はかなり本屋が好きなタイプの人間だし、なんといっても店は今目の前にあるのだ。そうして入ったパウエルズだったが、クミコの蕁麻疹が再発して来たのでいそいそと後にする。どうせ明日はエースホテルに泊まるのだから、また見に来ればいい。

 宿というか、ケリーの家へ戻る前にスーパーにだけ寄りたいとクミコが言うので、近くにあったホールフーズへ入った。ホールフーズはアメリカの大きな自然食品スーパーマーケットチェーンで、先程ソルティの帰っていったテキサス州オースティンを発祥とする店だ。
 アメリカですごいなと思うのは、スーパーマーケットだった。選択肢がとても豊富で、ここは豊かな国だと実感する。そして自然食に強いスーパーマーケットでは「本当にこのどれもがオーガニックなのか?」と思うくらい沢山のオーガニック食品が手に入る。

 僕は子供の頃、「汚い気がして給食を食べるのが非常に苦痛」という程度に潔癖症だった。その片鱗は今でも残っていて、パン屋やスーパーのお惣菜コーナーで食べ物を買うときには一種の割り切りが必要だ。「もしかしたらこのエビ天の前で誰かが咳とかクシャミをしてここにはその人の唾液が付着しているかもしれない、いや、おしゃべりな人が居て喋っただけでも唾は飛ぶし、もしかしたら子供が触ったかもしれないしその子供はさっきまで公園の砂場で猫のウンコとか投げてたかもしれないし鼻をほじってたかもしれない、誰かが頭をかいてその人のフケが降りかかったかもしれない、あー、無理だこれは食べれない、けれどそんなこと言ってたら生きていくのは大変だしなんかダサい気もするし、細かいことは気にしないようにしよう、冷静に考えてみれば誰かの体液とか排泄物とか何か汚いものがここに付着している可能性はそんなには高くないはずだし、付いていても微量だし、そんな微量の誰かの体液は普段からいつのまにか口に入っているものなのだ、だから風邪が伝染るわけで、僕達哺乳類の社会というのはそういうものなんだ、免疫系もあるからよもや誰かの何かが口に入ったとしても大丈夫だ自分の免疫を信じればいい、ここにたまたま誰かの何かが付着していてそれが免疫を打ち負かして病をもたらす可能性はほとんどゼロだ、いやそういう問題じゃない、人の唾液の付いたものを口に入れるのがなんか嫌だというそれだけの感覚的なものなんだ感染症とかそういうことじゃない、でも口って自分の”中”か本当に、トポロジー的には”外”だ、一休宗純だって酒は私の中を通って出て行くだけですとか言って酒飲んでたじゃないか、それに世の色々な生き物を見てみれば犬だって地面に落ちたエサ食べてるし哺乳類の食べるという行為はそういうものなのだ、よし買う」
 そうしてようやくエビ天をトングで取り上げてパックに入れることができるのだけど、アメリカでは基本的にあらゆるお惣菜に透明のプラスチックの蓋が付いているのでそこまで考える必要がない。
 お惣菜の種類も、色々な味付けのオリーブが並んでるオリーブバーから大きなクッキーまで豊富にある。こういうのは僕みたいに潔癖で料理の嫌いな人間にはありがたい。

 ホールフーズを出て、手近な駅でMAXに乗りウィラメッテ川を渡ってサウスイースト・ポートランドへ戻った。ノース・イースト82番通りの暗くなってきた寂しい車しか通らないバス停でバスを待ちながら、途中のバス停で一度下りてドラッグストアへ寄るか、それともそのままケリーの家までダイレクトに行くか考える。ドラッグストアへ行くのは、もしかしたら蕁麻疹に効く薬が売っているかもしれないと思ったからだけど、特に調べもしないで「そんな都合いい薬売ってないよね」という判断をして、疲れもあって早く帰りたかったのでドラッグストアには寄らないことにした。
 この判断は、数時間後に大間違いだったと判明する。
 ネットで少し調べると、アレルギー用の抗ヒスタミン飲み薬は蕁麻疹に絶大な効果があるとのことで、さらにそういった薬は薬局に普通に売っているようだった。この時ドラッグストアに寄るのを怠った為に、クミコはもう一晩蕁麻疹に苦しむこととなってしまった。

 家に着くと、今日はケリーが居て1階に下りてきてくれた。写真で見るよりもずっと若くてキレイな女の子だった。ピアスと全身に入っているタトゥーが如何にもポートランドの若者っぽい。
「はじめまして、お世話になっています。今日は携帯まで取りに行ってもらって」
「そんなのなんてことないの車で10分のことだし、忘れないうちに渡しておくわね」
 ケリーの手には、今日の昼間から行方不明になっていた黒のノキアが確かにあった。状況は把握していたけれど、知らない街でいつの間にかなくなったものが、こうして泊めてくれている人の家で戻ってくるのは魔法みたいな気がした。
「本当にありがとう。本当に助かりました。」

 彼女は翌朝7時から仕事だということで、僕達はほんの短い時間話をしただけだった。ケリーは日本が好きで、「行きたい国は、それはもちろん沢山あるわ、でも、行きたいじゃなくて、絶対にどうしても行かなくてはならない国は日本だけなの、AirBnBで貰ったお金は全部日本旅行の資金として貯金してるのよ」と言った。僕達の払ったお金が彼女の日本旅行の足しになるというのは悪くない話だ。僕達がアメリカに泊まったお金で、彼女が日本に泊まる。それは新しい形態の物々交換みたいで小気味良い。

恋人のシェア;街で声をかけた女の子が彼女のフェイスブック友達である確率

2014-08-14 17:53:19 | Weblog
 ものすごく大雑把な計算を寝ながら夢の中でしました。

 京都市の人口:約150万人

 年齢別人口割合を無視して全ての年齢層が同じ割合で存在する、と仮定。年齢の変域を0から100歳として、20代の人口は、
 150万÷10=15万人

 男女比が同じと仮定して、20代の女性は、
 15万÷2=75000人 ----------(A)

 次に、フェイスブックの「友達」が大体みんな平均200人位と仮定して、ある男性の彼女の「友達」の「友達」の数は、
 200 x 200=4万人

 8割が同年代(ここでは20代)と仮定して、その数は、
 4万 x 0.8 = 3万2千人 ≒ 3万人

 ここでも男女比同じとすれば、女性の数は、
 3万 ÷ 2 =1万5千人 -----------(B)

 (A),(B)を比較してみると、両方ともかなりの概算値なので細かいことは取っ払って、「京都のある男性が京都でふらっと20代の女性をナンパしたとき、その女性が彼女のフェイスブック友達のフェイスブック友達である可能性が2割」ということが分かります。

 何度も言いますが、これは超適当な計算で、どれくらい意味があるか分かりません。別に京都の街角にいる女の子が全員京都の住人なわけではないとか、いくらでも補正項目はあります。

 ただ、確実に世界は狭くなりました。

 本題です。
 シェアハウス、シェアオフィス、カーシェアをはじめとした、「所有からシェアへ」という動きが昨今加速的な傾向を見せています。
 たぶん、このまま行くと「恋人」もシェアする時代が来るんじゃないかなと思っています(それに近いことは、キャバクラ等の形態で先に起こっていますが)。

 恋人のシェアというのは、フリーセックスみたいに多少物騒な言葉かもしれません。どうしてそんな物騒なことをいうのかと言うと、情報化社会が発展して個人のプライバシーがめっきり小さくなったからです。 これから間違いなく、全ての人がどこで何をしているのか、お互いに把握できる時代がやってきます。「そんなの嫌だ」という声は大きいでしょうが、それとは関係なしに、みんながみんなの状態を24時間把握している時代はやってきます。なぜなら人類のテクノロジーはそれが可能なレベルに発達したからです。「せっかくできるようになった」ことをしないのは人類の歴史を振り返ってみても、大変難しいことです。

 別にプライバシーなんてなくても、恋人は1人で変わりない、元々何の隠し事もやましいことも変な気持ちもない、という人もいます。
 たぶん、そういう性質の持ち主と、「可能であればこっそり浮気したい」という性質の持ち主の間の二極分化が進むと思います。
 前者と後者の人口割合を僕は知りませんが、ここでは後者に焦点を当てます。

 バレないならこっそり浮気したい、という性質の持ち主は、情報化の発達で「絶対バレる」となったときに、「じゃあ、やめる」の他に、「じゃあ、許してくれる相手を探す」という選択を行います。つまりお互いに束縛しない関係を築く。1対1の関係ではなく、多対多の関係が立ち上がる。
 ひいては現在ドミナントで、まだ如何にも常識だという顔をしている核家族は解体され、ファジーで裾野の広いネットワークのような家族形態が発生します。ここでは子供を「誰が育てなければならないのか」という問題も、母親一人に押し付けられることなくネットワークに包摂される。というか、誰の子供であるかということがそれ程重要ではなくなります。別の言い方をすれば「子供もシェア」され、「親もシェア」される。

 こういう試みは、情報化社会の発達を待つまでもなく、例のフラワーチルドレン達もすでに行ったことかもしれません。もちろん僕達個々の持つ嫉妬や所有欲というのは強力だし、物事は簡単に進まなかったわけですが。日本ではヒッピー達より半世紀も昔、大杉栄が日影茶屋で神近市子に刺されています。

 ただ、今度は社会状況がかつてと大きく異なっていて、近い将来、僕達はプライバシーという隠れ家を失います。これはSNSの普及だけの話ではありません。たとえばAmazonで超小型の蚊にしか見えないようなロボットカメラが簡単に買えて、そういうものが自分の部屋の中にもトイレにも飛んでいて、そこからの映像がジオタグ付きで世界中に流れるような世界が来ます。隠し事が不可能な世界に押されて、「オープンな関係」という選択は、かつてないほど大量に発生します。完全にクリアな人は兎に角、これまで「こっそり」という戦略を採用していた人は「オープン」という新たな選択を迫られる。
 それが果たして良いことか悪いことかは分からないし、僕は嫉妬も所有欲もある人間なので、そうして現れた新しい社会に対してウェルカムと言えるかどうかも分かりません。けれど、近い将来、フリーセックスだかフリーラブだかが強く試みられる時期がもう一度やって来ることは確実です。なぜなら、テクノロジーは世界を変えるし、どうしてか僕達のテクノロジーは「全てをオープンに。統一」というベクトルで動いているからです。

西海岸旅行記2014夏(14):6月8日:ポートランド、アソシエーションがない、携帯電話もない!

2014-08-10 10:23:54 | 西海岸旅行記
 コーヒーショップを出た僕達は、ダウンタウンへ向かった。MAXを降りると小さなレンガ作りの広場があって、矢鱈滅多と鉢植えの花が並べられており、それらにまとめてスプリンクラーで水が撒かれていた。クミコが「パイオニア・コートハウス・スクウェアだよ、ここ」と言うので少し驚く。パイオニア・コートハウス・スクウェアはポートランドの紹介をする時によく出てくる広場で、これももっと広いものかと思っていたら結構小さいし、なんてことない。そんな風にブツブツ言いながら、スプリンクラーの水を避けてちゃちゃっと広場を抜け、そして僕はあることに気が付いた。
 ノキアのスマートフォンがない。
「あれっ、ノキアないんだけど、クミコが持ってたっけ?」
「そうだっけ、うーん、私も持ってないみたい」
 クミコがポケットとカバンを探る。
「じゃあ、やっぱり僕が持ってるのかな」
 僕は、持っていたものをどこかに置き忘れたりしたことがほとんどない。携帯電話をなくしたことも一度もない。だから最初はカバンのどこか奥底にでも入れてしまったのだろうと思っていた。けれど、いくら探してもノキアは見当たらない。ポケットには確実にない。カバンにも確実にない。ということは本当になくしたらしい。
「旅のトラブルが発生してしまったかもしれない。本当にない」
 ソルティがiPhoneを取り出して、ノキアに電話をしてくれた。電話は繋がった。
「そうです、友達が落としたみたいで、あー、電車にありましたか、今私達はパイオニア・コートハウス・スクウェアにいますけど、あなたはエースホテルの近くにいるんですね、ちょっと持ち主に代わります」
 ソルティはiPhoneをクミコに渡した。
「もしもし、ありがとうございます、ええ、ええ、それでしたら、私達どうせ明日エースホテルに泊まるので、エースホテルに預けておいて頂いたりできますか? あっ、そうなんですね、ケリーは私達が泊めてもらっている家の人です、まだ会ってないんですけれど、そうですかケリーに連絡済みでケリーが電話取りに行ってくれるんですか、それは恐縮ですけれどお願いします、本当に助かりました」
 どうやらノキアを拾った人は、中を調べ、ケリーに電話をしてくれていて、しかもケリーはその人のところまでノキアを受け取りに行くと言ってくれたらしい。まだ顔も見ていないというのに、とんだ迷惑を掛けることとなった。もう話は付いているみたいなので、ここはもう任せることにする。

 ウィラメッテ川の方まで行くと、なにやら賑やかで、お祭りのようなものが開催されていた。映画にときどき出てくるああいうやつだ。メリーゴーランドがあったりするような。それが夕方の川沿いの公園にずーっと広がっている。
 「こういうのってさ、子供の時から行ってたら、ああ夏祭りだー、みたいに思うんだろうけど、そういうアソシエーションがなかったら楽しめないよね」とソルティが言った。
 「そうだよな、まったく」僕は奇妙に納得してしまった。そして「アソシエーションがある、ない」という言葉の使い方が自分の中にストンとインストールされた。アソシエーションというのは「結びつき」というような意味合いの言葉で、たとえばPTAのAはアソシエーションのAだ(ちなみにPはparent,Tはteacherで、親と教師が一緒に活動する団体を表している。PTAという言葉を聞くと筒井康隆の「クタバレPTA」が真っ先に頭に浮かぶ。「クタバレPTA」を検索してみると「クタバレPTA」は片仮名で「クタバレPTA」はなくて、平仮名で「くたばれPTA」と書くみたいだ。確かに「クタバレPTA」よりも「くたばれPTA」の方が自然ではあるから「くたばれPTA」と書いたほうがいい)。

 僕は日本で育っているので、基本的にはアメリカの物事にアソシエーションがない。映画やドラマの中で見たものにいくらかあるだけだ。こういう街にやってきた遊園地みたいなお祭にアソシエーションがあるのはどんな気分だろうかと思う。僕達が地元の夏祭りや花火大会に感じるあの感覚を、こういった全く異なる形態の祭に対して抱くというのは。
 ポートランドの後、僕達は一旦シアトルに戻って、サンフランシスコへ行った。サンフランシスコからヨセミテ国立公園、LAと移動したのだが、昼間はこれでもかと明るくて暑かったのに「夏だ!」という感覚はあまりなかった。それはsummerだったのだろうけれど夏ではなかった。僕の知っている春夏秋冬という4つの季節とは異なる第5の季節を体験しているようで、気候が違うのだから当然だったのだろう。summerは素敵ではあるものの、アソシエーションがない。結局、「ああ夏だな」と感じたのは日本に帰ってきてからだ。ジメジメした京都盆地から山の向こうへ沸き上がる巨大な入道雲を望むとき。7月がやってきて街中がコンチキチンと鳴り出すとき。なにより僕の場合は、本屋に入って夏っぽい本が平積みにされているのや、「ナツイチ」キャンペーンが目に入ると強烈に夏だと思う。子供の頃、夏休みにはほとんど毎日本屋で立ち読みしていたから強いアソシエーションがある。

 アソシエーションの有無は、僕達個々の世界の見方を方向付ける。見方どころではなく、個々の住む「世界」そのものを特徴付けている。ネガティブには偏見という言葉を持ち出すこともできるかもしれない。
 目の前で繰り広げられているお祭りにアソシエーションがないことを、もう絶対にそれが手に入らないことを少し寂しく思う。僕は日本人なのだ。日本で生まれ、日本で育ち、日本にアソシエーションを持つ人間なのだ。それは良くも悪くも僕を限定し特徴付ける。

 そんなことを思いながら歩いていると、日本語が目に飛び込んできた。短歌だった。川沿いにたくさん石が埋め込まれていて、日本語と英語で歌が彫られている。どうしてこんなものが置いてあるのだろうかと思えば、ここは「ジャパニーズ・アメリカン・ヒストリカル・プラザ」という所だった。前にも書いたように、この街は日本との関わりが深い。

 ウィラメッテ川に軍艦の様なものが停泊していて、特別内覧時間が終わりつつあるようだった。僕は大きな船が好きなので、「乗ろう!」と言ったのだが、もう入場は締め切られていた。ゲートの兵士に「明日もあるのか」と聞くと、「もう今日で終わり」ということだ。

 そしてまた例によって行く宛なく歩いていると、なんとエースホテルが目の前にあった。この日は初日で全く土地勘がなかったのだが、今から思えばパイオニア・コートハウス・スクウェアとエースホテルはそんなに遠くないので、自分達でエースホテル近辺までノキアを取りに行くのも簡単なことだった。
 「ちょっと入ってみようか」とエースホテルのロビーに入り、そのまま隣のClyde Commonというレストランで軽食を取ることにした。ホテルやレストランの仕事もしているクミコが「悔しいけれどいいお店だ」と言い、ソルティは掛かってきた人生相談というか、それよりややドロドロした相談の電話に出て、僕はIDをチェックされて良く分からないカクテルを飲んだ。

西海岸旅行記2014夏(13):6月8日:ポートランド、日本人街、中国人街、ハイテックはどこだ?

2014-08-08 09:53:13 | 西海岸旅行記



 文句ばかり書いたようだが、それでもポートランドへ行ってみようと思ったのは、「再開発が成功したコンパクトでクリーンな都市」「今もっともクリエイティブな若者に人気の街」というフレーズから「もしかしたらハイテク都市なんじゃないか」と思ったからだった。
 ハイテクな人々と、前述した職人さん的な人々、オーガニックな人々、多様な人々が楽しく暮らしている街というのは魅力的だった。僕は個人的には職人さんの手作りグッズを好まないけれど、それは「そういうのものを好む人を好まない」ということではない。色々な人がいるほうがいい。
 ハイテクじゃないかと思ったのには別の理由もある。ポートランドにはインテルをはじめとした多くのテック企業があって、一応「シリコン・フォレスト」なる異名も付いている。
 豊かな(非常に豊かな)自然に囲まれたハイテク都市で多種多様な人々が自由に色々なものを作りながら暮らしているというイメージはとても心地良い。

 さて、ノースウェスト・ディストリクトで路面電車を下りた僕達は"GOORIN BROS"という帽子屋へ向かった。ソルティが帽子を買いたがったからで、彼女はその時着ていた薄手のコートとほとんど同じ色の帽子を買った。帽子屋を出て少し歩くと、歩道に人々が長い行列を作っていて、クミコが「あっ、ここSalt&Strawだ!」と言う。日本にいるときから来たがっていたアイスクリーム屋だけど、僕は何か食べるのに並ぶのは御免なので、「また後で来て、すいてたら買おう」とやり過ごす。

 公共交通機関が発達していて便利だと書いたにも関わらず、この日僕達はとことんポートランドを歩きまわった。「次どうしようか」と行き先が決まらないうちに兎に角歩いていたので、半分は無駄に歩きまわった。僕は特定の店だとか観光施設ではなく街自体がどんな雰囲気なのかを知りたかったので結果的には良かったと思う。
 ポートランドを歩きまわって感じたのは、「意外に活気がない」ということだった。あくまでたった3日間の表面的な印象でしかないけれど、人も少ないし、なんだか静かで退屈な街だと思った。これなら京都の方がよっぽどいいじゃないか。
 もちろん、これは僕が下調べしたり、あるいは街の人と積極的に交流したりしなかったせいだとも言える。だが、僕が知りたかったのは思いっきりざっくりとした街の温度だった。積極的にどこかの店や人々と交流を持てば、基本的には大抵の街は面白い。街だけではなく田舎でもどこでも。

 チャイナタウンへ移動して、小さな店を覗いた後、そろそろお茶でもしようとソルティがiPhoneを取り出してYelpを検索した。ここにしようと向かった一軒目の店は、行ってみると有料のチャイニーズガーデンの中にあったのでやめにする。
 ちなみにポートランドにはチャイニーズガーデンとジャパニーズガーデンがあり、ジャパニーズガーデンの方は日本国外にあるものの中で最高のできだと言われている。僕は日本の伝統的石工の仕事を手伝わせて頂いたことがあるので、なんとなくポートランドに行ったらこの日本庭園も訪ねてみようかと思っていたのだが、実際にポートランドへ行くと「なんで京都からポートランドへ来てわざわざ日本庭園なんて見なきゃならないんだ」という気分になり、結局は行かなかった。

 もしかしたら、ポートランドの日本庭園は本当に素晴らしいのかもしれない。
 ポートランドはオレゴン州にあり、オレゴンには、明治から1900年代前半までの間に沢山の日本人が移住しているし、ポートランドにも日本人街があったという話だ。1900年代前半に日本人差別が酷くなり移民は禁止され、日本とアメリカが戦争をはじめると12万人の日本人(日系アメリカ人)は強制収容所に送られた。
 僕が行った時は閉まっていて入れなかったのだが、ポートランドには"Oregon Nikkei Legacy Center"というミュージアムがあり、そこでは上記の歴史が展示されている。日本とオレゴン州ポートランドは、そのように無関係ではなく、ポートランドにある日本庭園が素晴らしくても不思議はない。

 ただ、僕はポートランドを歩きまわってしばらくして、なんとなくこの街は偽物くさいなと思ったので、日本庭園もそういう表面だけのものではないかと勝手に推測してしまった。
 このチャイニーズガーデンも胡散臭く見えたし、チャイナタウンもどうしてか中国人がほとんどいなかった。大自然に囲まれたオーガニック愛好家の多い街のはずが、僕は大地という存在から遠く切り離された気がして、アスファルトをひっぺがしてやりたいような息苦しさを感じていた。このクリーンなイメージの表面の下には何があるんだ。そういうことを考えると、ポートランドに到着した夜、暗い通りのあちこちから声を掛けてきたゴロツキ達のことを思い出す。闇を響く彼らの声の方が、もっと生々しい大地から溢れる何かに近いような気がした。

 チャイニーズガーデンに入ってお茶することを諦めた僕達は、そのまま炎天下のサウス・ウエスト3番通りを下り"Stumptown"という店でコーヒーを飲んだ。僕はよく知らないけれど、東京にも店があるんだかないんだか有名なコーヒー店の本店らしい。やたらとガランとした店で、こんな内装でいいのかと思う。

 「そういえば、最近アマゾンのアプリがカメラで画像認識して商品みつけてくれるらしんだけど、日本ではまだで、アメリカでしかできないみたい」
 僕が気になっていたアマゾンアプリの新機能の話をすると、ソルティが早速アマゾンアプリを起動し、クミコが鞄から村上龍の本を取り出した。iPhoneのカメラが本の表紙を捉えると、アプリは的確にこの本が村上龍の「五分後の世界」であると認識した。

 ひとしきり休憩し、アイスコーヒーもなくなって、次はどこへ行こうかと話す。僕が「なんかハイテクな感じの物が見たい」と言うと、「それだったら、もう日本帰った方がいいんじゃない」とソルティは例の意地悪な笑みを浮かべた。

西海岸旅行記2014夏(12):6月8日:ポートランドの魅力的ではないところ

2014-08-05 22:10:14 | 西海岸旅行記
 ランチを終えて、さてどこへ行こうかという段になると、実は僕達にはそれ程行きたいところがない。とりあえず店を出て、目の前にあるさっきと同じMAXの駅で路面電車に飛び乗った。
 ポートランドの電車も、いちいち改札を通るのではなく、乗客が切符を持っているかどうかはたまに抜き打ち検査で調べるだけのシステムなので乗り降りがとても楽だ。

 「特に行きたいところがない」なら、「どうしてポートランドへ来たのか」という話だと思うので、ここで僕達がポートランドへやって来た理由を書いておきたい。
 まず、今回の西海岸旅行の大きな目的は、この連載旅行記2つ目の記事にも書いたように、「漠然と憧れていたアメリカに本当に住みたいのかどうかを見極める」というものだった。もちろん、そこが本当に住み良い街であるかどうかは実際に住んでみないと分からない。けれど、「住みたい!」というパッションが起動するかどうかは、もっと時間スパンの短い直感的な話で、その起動があれば十分だ。去年の夏、横浜や鎌倉、湘南辺りを訪ねて「住みたい!」という気持ちが喚起されたけれど、それは今も続いているし、ソウルでも香港でも同様の気持ちになった。

 ポートランドが居住地としての候補に上がったのは、実をいうとどうしてなのか分からない。日本でのトレンドに乗せられてのことだろうか。なんとなく、もうニューヨークとかLAとかは古くなりつつあって、さらに生活費が高くなる一方でお金持ちでないとまともなところに住めない、という噂が流れていた。ニューヨークやLAといった、ハイを目指す消費社会のシンボルから下りて、新しい生活を探す若者たちがたくさんポートランドに住み始めているということも聞いていた。

 しかしながら、僕はそういうオルタナティブな生活にはそれほど興味が無い。
 「ポートランドへ行く」と人に言うと、言われた人は僕が「そういう人」だと勘違いするかもしれない。もしかしたらこの旅行記を読んでくれる人もそういう風に誤解するかもしれない。
 つまり、僕が「焙煎も自家製でゆっくり丁寧に入れたコーヒー(俗にいうサード・ウェーブ・コーヒー等)を好み、作家さんだか職人さんだかが手作りで丁寧に作ってくれた革製の鞄を好み、移動はなるべく自転車で行い、エコにオーガニックに生活している」のではないかと。
 実際には、僕はその逆の趣味趣向を持っている。コーヒーなんてどの豆でも焙煎具合でも構わないし、コーヒーっぽい飲み物だったらなんでもいい。今は夏で魔法瓶に氷を水とインスタントコーヒーを適当に入れて蓋を閉めてシェイクして飲んでいるし、缶コーヒーだって平気で飲む。「缶コーヒーはコーヒーではない」とかそういう話には一切耳を傾けない。
 作家さんだか職人さんだかの手作りグッズにも完全に興味が無い。僕が好むのはバッキバッキの精度でハイテックな工場の機械により作られたギンギンのプロダクトだ。大抵のものは人間の手なんかより、機械の方が上手く作る。機械には「職人さんの2週間」なんかより圧倒的なコスト、原始時代からの無数のエンジニアや科学者達の築いてきた叡智が詰まっている。
 自転車もオモチャとしては魅力的だけど、移動するならこれも圧倒的にバイクか車がいい。動力がついてないなんて!

 こうして書くと、現時点における「ポートランドの魅力」とされている物事の大半に僕は興味が無いのが分かる。さらに僕はこの街が自分自身で自分達を「ヘンテコリン」と位置づけているのが気に食わなかった。”KEEP PORTLAND WEIRD(ポートランドをヘンテコなままに)”と、でかでか書かれた壁があるらしいけれど、自分で自分を「変でしょ!」という人が僕はとても苦手だ。そういう人は大抵「変」なのではなくて、「変であることに憧れている」だけで、自分が変であるという宣言の裏側に、歪な虚栄心と「変」に縋りたいという弱さを垣間見てしまう。「友達が変わっている」と矢鱈に自慢する人も同じだ。「変」と「面白い」というのは別の話だし、さらに「いい!」とも全く関係のない話なので、変かどうかなんて本当にどうでもいい。

 なんだかポートランドの悪口みたいになってきてしまったけれど、悪口ついでに、あるイベントのことも書いておこうと思う。
 2014年の3月頃に、ポートランドを紹介するイベントが京都で開催された。既にポートランドはクリエイティブ系の人達の間で流行っていたので、かなり気恥ずかしいとは思いながら僕はそのイベントに行ってみた。イベントに行ってみて、これは失敗したなとか、時間の無駄だったなとか思うことはしばしばあるものの、「金返せ」と思うくらいに酷いイベントはこれがはじめてだったかもしれない。
 イベントは、あるポートランドに関するガイドブックの出版に併せて企画されたもので、スピーカーは取材や出版に関わった人達だった。基本的には取材にまつわる与太話をダラダラと聞かさせただけで、僕は2時間と2000円と何かプライドのようなものの一部を失った。
 その与太話のポイントは言うまでもなく「どう、変でしょ!(私達の知っているポートランドの人達、と私達)」だ。

 スピーカーにポートランドの大学に留学していたという日本人の女の子がいて、彼女がポートランドのホームレス事情について話していたとき僕はイライラしていたのだけど、今回ポートランドへ行ってみて、そのイライラの理由が明確になったと思う。
 まず、彼女がどういうことを言っていたかというと、ポートランドにも結構ホームレスはいるけれど、この街ではホームレスもそれなりに尊厳を持つことができて生活し易い、ということだった。
 言うまでもなく、これは嘘だ。ポートランドという街は素晴らしいと言い切りたいが、ホームレスがいるという事実も無視できないのででっちあげた言い訳に過ぎない。「ええ、ホームレスもいますけれど、ここではホームレスだって楽しく暮らせるんです。そういう素晴らしい街なんです」

 人が他人に受け入れられるには、貧乏か金持ちかとか、あるいは家があるかないかはポイントではない。つまりホームレスかどうかというのは本質ではない。人々が気にするのは清潔さだ。一定以上の清潔さが社会生活には必要で、それが欠如していると楽しく幸福な社会生活を営むことはできないし、尊厳を持つことも難しい。そして当たり前のことだが、ポートランドだろうがどこの街であろうが風呂にも入らず道端で眠っていれば人間は清潔ではなくなる。再開発に成功した都市でも、クリエイティブな若者に人気の街でも、別に魔法の世界ではないのだ。

西海岸旅行記2014夏(11):6月8日:ポートランド、それ程は大きくない橋を渡る

2014-08-05 00:41:45 | 西海岸旅行記



 6月8日のはじまりは、まだ外も真っ暗な早朝で、一体何時だったのかは分からない。クミコが「痒い」と言って僕を起こした。旅先のベッドで痒いとなると一番に浮かぶのはダニだかノミだか、そういう類の虫だけど、僕はなんともなかったし、何かに刺されたようにも見えない。
「そういえば私、軽い猫アレルギーみたいなのあるけれど、でもそれは引っかかれたり噛まれたりしないとなんともないし、こんな風になったことない」
 体のあちこちに広がっている盛り上がった赤みに、僕は見覚えがあった。これは蕁麻疹だ。

 高校生の一時期、僕は蕁麻疹に苛まれていた。朝方やお風呂あがりに、体の柔らかい部分、内ももだとかお腹にひどい蕁麻疹が出ていた。今から思えばあれはヤブ医者だった気もするけれど、医者は塗り薬をくれるだけで、そんなものは気休め程度にしかならない。当時はネットもなくて、困った僕は自分でお灸を試みて、そして蕁麻疹は治った。
 この蕁麻疹をお灸で治した話は、自分でも良く出来過ぎていて記憶の捏造ではないかと疑うくらいだけど、なんとお灸一発で治った。お灸を据えると、直後にひどい蕁麻疹が出て、「なんかヤバいことをしてしまったかもしれない」と思っていたら、その夜から蕁麻疹は出なくなったのだ。

 本当にそんな上手く治ったのかどうかは兎に角、蕁麻疹にはいくらかの経験があった。
「これは蕁麻疹だと思うから、朝になったらきっときれいに治ってるよ」
 こればかりはどうしようもないので抗ヒスタミン成分の入っているムヒEXを塗ってなんとか耐えてもらう。
 そうこうしているうちに、玄関で音がして、ケリーが誰かと一緒に帰ってきた。僕達が寝ていると思っているのだろう、とても静かに話しながら、とても慎重に階段を登って二階へ上がって行く。

 翌日はソルティとお昼に待ち合わせていたので、支度をして昼前に家を出る。僕達が出る時、二階にはケリーがいる模様だった。呼んで挨拶しておいたほうがいいのか、それとも迷惑になるかと迷い、時間もそれほどなかったので何も言わずに家を出た。
 空気は涼しいものの、スキっと晴れた日差しは強い。バス停で日焼け止めを塗っているとバスがすぐに来て、僕達はお金を払い乗り込む。今日はバスに少し乗った後、電車に乗換えだ。
 バスを下りて、券売機で電車のチケットを買おうとしていると、やけに深刻な顔をしたビル・ゲイツみたいなおじさんが「君達、今バスに乗ってたよね。そのチケットで電車も乗れるから買わなくていいよ」と教えてくれる。

 ポートランドの公共交通機関は確かに発達している。バスとTriMet MAX, Portland StreetCarという二種類の電車を乗り継いで1日5ドルで簡単にどこでも行ける。電車はとてもきれいだし、本数も路線も結構多い。路線は番号ではなく色分けされていてレッドライン、グリーンラインなどの名前で呼ばれるので分かりやすい。車社会のアメリカにあって、車がなくても快適に生活できる街だというのは本当だ。

 電車に乗ると、大きなシェパードを連れたおじさんが乗っていて、子連れの乗客と話をしていた。快晴の明るい昼前を走る電車は快適そのものだ。ウィラメット川を渡る橋に差し掛かると、小さな都市ながら少し展望が開ける。
 ウィラメット川は、ポートランドを南北に流れる川で、そこに掛かる10本の橋は、この街に「ブリッジタウン」というニックネームをもたらしたシンボルでもある。映像で見ているときは、もっと大きな川に見えたけれど、実際にはそれ程大きな川でもないので、少しがっかりする。

 電車は、交通量の少ない道路を走る路面電車で、駅で下りるとすぐに待ち合わせの店が見え、表でソルティが椅子に座って待っているのも見えた。路面電車だと道路とのレベル差がなくて実にシームレスだ。店はBroderというスウェーデン料理で有名なところらしい。それが果たしてスウェーデン料理なのかどうか分からないけれど、僕はラムのハンバーガーとビールを注文した。ビールは何種類かあって、選ぶのが面倒なのでウェイターが好きだというやつにした。
 ポートランドにはビールの醸造所が52(2013年時点)あり、世界最多だという。つまりそれだけビールの種類が豊富であり、ビアバーナなるニックネームも付いている。しかし、僕は食べ物にあまり興味が無い。どちらかといえばエールビールが好きだが、別に”金麦”でも”淡麗”でも構わない。

 ランチを摂りながら、僕達より早くポートランド入りしているソルティに街の印象を聞くと、「たいしたことないし、一通り見たけど既に退屈」という感じだった。
 そうなのか、退屈なところなのか。
 諸事情により日本でソルティの代わりに受け取った銀色の日傘を、クミコがソルティに渡した。

西海岸旅行記2014夏(10):6月7日:ポートランド、はじめてのAirbnb

2014-07-27 19:44:27 | 西海岸旅行記
 知らない街の外れに真夜中に到着し、人通りのない暗い道を少し奥に入ると何軒かの家が並んでいた。この家のどれかが今夜僕達の泊まる家だ。
 まだそれ程名前が轟いているわけでもないので、ここでAirbnbの説明をしておきたいと思う。
 Airbnbというのはウェブサービスの名前で、説明的にもっとちゃんと書くと" Air B and B"となる。"B and B"というのは"Bed and Breakfast"のことで、民宿みたいな意味合いだ。Airbnbのサイト上では、職業的に宿を運営している人でなく、普通の人が「余っている部屋」とか「出張中で誰もいない家」とかを貸し出すことができる。サービスは日本を含む多くの国に普及しているので、大抵どこの国へ行くにしてもこのサービスは使える。

 Airbnbを使う理由は人それぞれで、安い宿を探している人もいれば、ホストとのふれあいを求めている人も、単にホテルには飽きたという人もいると思う。
 僕達が今回Airbnbを利用したのは、このシステムに多少興味があったというのと、あとは適度に安い宿泊先が見つかったからだ。

 どうしてかは分からないけれど、ポートランドはホテルが高い。僕は旅行中にわざわざ知らない宿主との触れ合いを求めていないので、サラッとホテルに泊まり、プライバシーと快適さをビジネスライクにお金で手に入れたかった。けれどポートランドには、ちょうどいい値段のホテルがあまりない。というか値段とクオリティが釣り合っていないようなところが多い。

 後にソルティという、高校から大学院までカナダやアメリカで過ごしている日本人の女の子が登場する。彼女は今テキサスに住んでいて、当初の予定では僕達がテキサスまで彼女を訪ねる予定だったけれど、西海岸旅行の日程にテキサスを組み込むとかなり無理のあるスケジュールになるのでやめにして、代わりに彼女がポートランドまで遊びに来てくれた。ソルティは僕達より一日早くポートランドに来ていて、Red Lionというホテルに泊まっていて、「あのホテルで一泊百何十ドルってありえない」と文句を言っていた。

 ケリーの家はきれいで快適そうだったし、値段も手頃だったので2泊の予約。彼女はこの家に住んでいるのだが、僕達が到着する時には多分いないだろうということでドアを開ける暗証番号をメールで教えてくれた。
 「あっ、ここだ」
 暗い中、目を凝らしてクミコがケリーの家を見つけた。iPhoneを引っ張り出してメールに書かれた暗証番号と鍵の開け方をチェックする。よその国の知らない街の知らない人の家の前で、真夜中に玄関の開け方を調べるのは妙な気分だった。さらにドアが開いて中に足を踏み入れるともっと奇妙な気分がする。僕達は今夜、この誰も迎えてくれない他人の家に泊まるのだ。
 「電気どこかな?」
 「ちょっと待って」
 僕はiPhoneのライトを付けて玄関ドアの周囲を照らし、スイッチを見つけて電気を点けた。灯りの点いたその空間は、玄関を入ってすぐに設けられた20畳程度の部屋で、大きなテレビとソファ、本棚、猫が登ったりして遊ぶ木のようなものが置いてあった。
 「それで私達の部屋はどれなんだろう?」
 少し奥に進むとキッチンとダイニングがあって、電気を点けると冷蔵庫のホワイトボードに書き置きがあった。
 「冷蔵庫は自由に使ってね。テーブルにスナックとフルーツも用意してあるから自由に食べて!」
 それからケリー本人だと思われる人物の写真も冷蔵庫に貼られていた。どんな人なのだろう。ダイニングを抜けるとバスルームで、そこへ行く途中に部屋が1つあるけれどドアを勝手に開けるのも憚られる。二階ってことはなさそうだしなと、もう一度玄関の部屋に戻ると何の事はない入って左にドアがあって、そこに張り紙がしてあった。

『 ようこそ!
  この部屋を自由に使ってね!
  くつろいで下さい! 
  Wi-Fiのパスワードはxxxxxxxxxxxxxxx
  家には猫が二匹いて、1匹は警戒心が強いけれど、もう1匹は好奇心旺盛だからお邪魔するかもしれません。人懐っこいから悪さはしないわ 』

 僕達はドアを開いて中へ入り、電気を点けた。大きなベッドの上には二人分のバスタオルとフェイスタオル、それからペットボトルの水とエナジーバーまで用意してあった。壁には日本の侍みたいなのが描かれている古い絵や中国の書、置物などが飾られていて、東洋が好きなのが伺える。
 荷物を置いて一息付き、ケリーに「着いた」と一応メールを送っておく。あれ?っと思って視線を動かすと、きれいな毛並みの三毛猫が開けたままのドアからこちらを見ていた。

西海岸旅行記2014夏(09):6月7日:ポートランドの暗い夜

2014-07-27 14:43:48 | 西海岸旅行記
 ポートランド・ユニオン駅に着いたのは夜10時だった。駅は暗くて、ほとんど人はいない。アムトラックからパラパラと下りてきた人達もパラパラとどこかへ消えて行く。
 ガランとした待合室の奥にトイレがあって、そこで用を足して待合室に戻ろうと廊下を歩いていると、窓の外に黒人の男がいて僕に向かって何かをいいながら窓をドンドンと叩いた。なんだこの荒廃した空気は、クミコを一人で待たせて来て大丈夫だったろうか。
 待合室ではクミコが今夜の宿までのルートを調べていた。駅から少し歩いたところのバス停でバスに乗り、一度バスを乗り換える必要があるようだ。バスの待ち時間などを入れると、宿に着くまではまだ1時間くらい掛かる。

 駅前のノースウエスト6番通りはポツポツと街灯があるだけでとても暗い。そしてほとんど全てのブロックにゴロツキがたむろしていて必ず声を掛けてくる。
 ポートランドは、最近日本で結構流行っていると思うし、イメージとしては「大都市に疲れた人達が、再開発されたやや小振りのきれいな都市で丁寧にオーガニックにクリエイティブに生活している」というものだと思う。
 けれど、今回僕が訪ねた街で一番治安が悪そうだったのはポートランドだった。もちろんLAの行ってはならないような地域には足を踏み入れてないので、そういう所は除いての話だけど、一番たくさんゴロツキに声を掛けられて、一番たくさんホームレスを見たのは間違いなくポートランドだ。
 ポートランドの紹介をするメディアが必ず載せている"Portland Oregon, old town"という大きなネオンサイン(シカのシルエットが付いたやつだ)も、それを掲げているビルの前にはたくさんのホームレスが寝ていて、僕達が通った時には隣のビルにパトカーが2台来ていた。少なくとも平和でどうにも退屈だから文化的な活動でもするか、というような街ではない。

 そんなわけで、バス停のあるウエスト・バーンサイド通りまで辿り着いた時、僕達はそこはかとない不安に包まれていた。
「なんか、思ってた所と全然違うかもね」
 一度不安を感じると、バス停でバスを待つ人々も怪しく見えてくる。真っ白いセーラー服に身を包んだ2人の水兵が通りを歩いていく。
 バスが来たのは結構な時間が経過してからだ、15分くらいは待ったと思う。やってきたバスには人がたくさん乗っていて、お金を払って乗り込むとバスの運転手が「そこの手すりは触っちゃダメだ、すごい病気の奴が触ったから」と言う。僕は最初聞き取れなくて危うく触るところだった。バスの運転手がわざわざ「病気の奴が触ったから触るな」と断るとは、一体どんな種類のどのような症状を持つ病人がこのバスに乗っていたのだろうか。何かの感染症だろうか。その病人は手すりのこの部分しか触らなかったのか?こんなバスに乗っても大丈夫なのだろうか。

 前の方に1つだけ開いていた座席にクミコが座り、僕はその前に立つことにした。向かい側は座席を3個くらい跳ね上げて車椅子が入るようになっているスペースで、そこに車椅子を付けていたホームレス然としたおじいさんが、「どこまで行くんだ?」と言いながら車椅子をスペースぎりぎりまで寄せ、座席を1つ水平に戻してくれた。お礼を言って僕がそこに座り、向かい合わせでクミコと話していると、今度はクミコの隣に座っていた杖を付いているおじさんが「君達一緒なんだったら、席代わるよ」と言って、僕と席を交代してくれた。

 さっきまで暗い通りをゴロツキにYo,Hey menと言われながら歩いていたので、ここへ来て小さな親切が心を解してくれる。見渡せばバスの中は多様な人々がおしゃべりしていて賑やかだ。
 アメリカで電車やバスのような公共交通機関を利用したのは、ここポートランドとシアトルでだけなので、この2つの街しか比較できないのだけど、シアトルに比べてポートランドの公共交通機関の方がずっとおしゃべりだったと思う。特にこの最初に乗ったバスは運転手が乗客の顔と名前と降りるバス停を覚えていて、「次はサウス・イースト18だよ、ジムとマギー降りるでしょ、じゃあな、おやすみ」という風にしじゅう話していた。乗客もパンクの若者から仕事帰りのおじさん、ホームレスみたいな人までバラエティが一番強かったように思う。ネイキッド・バイク・ライドの夜だったからだろうか。

 サウス・イースト82番通りは郊外と田舎の間を走る国道という風情だ。基本的に目に入ってくるのは中古車の店で、たまにデニーズみたいなチェーンのファミレスがある。暗くて、ただ車だけはビュンビュンと走っている。
 僕達はさっきのバスを下りて、82番通りのバス停で別のバスに乗り換えた。もう10分もしないうちに目的のバス停に着く。アメリカのバスは車内に黄色い紐が張り巡らされていて、それの端が「次止まります」のスイッチに接続されている。乗客はそれを引っ張って「次止まって」のサインを出すことができる。これは極めて合理的なシステムで、日本のバスみたいに何個も何個もスイッチボタンを用意しなくてもいいし、紐は大抵のところを通っているのでどの位置からも”止まってサイン”を出すことができる。「点」のどれかを狙って押すのではなく、「線」のどこかを適当に引けばいい。

 目的のバス停で下りると、やっぱりそこにも中古車の店があった。暗くて人は一人も歩いていない。ケリーのメールによると、今夜の宿はバス停から徒歩1分の場所にあるらしい。ケリーというのは今夜の宿というか、家の持ち主の女の子で、僕達とは赤の他人でしかない。そう今夜の宿はホテルでもゲストハウスでもなく、Airbnbで予約した知らない女の子の家だった。

西海岸旅行記2014夏(08):6月6日:いったんさらばシアトル

2014-07-26 13:42:44 | 西海岸旅行記
 ウォーター・フロント・パークを後にした僕達はノッキー夫妻に案内してもらい、夜のシアトルを散歩することにした。海からビル群を抜けて坂を上がって行く。神戸みたいな街だと思う。実際に僕はまだ自分がアメリカにいるのだと、はっきりは感じていなかった。本当に神戸かどこか日本のあまり行かない街にいるような気がしていた。
 この「日本の知らない街にいるような気分」というのは、旅のかなりの期間感じていたものだ。もう先進国はどこへ行っても同じかもしれないなと思う。

 街の規模も別に日本とそんなに変わらない。なんとなくアメリカの都市は日本の都市よりも巨大なんじゃないかという先入観があったけれど、都市の規模と国土の規模は単純に比例しないのは考えてみれば当然だ。都市の規模はどちらかというと経済規模とヒューマンスケールで決定される。東京とか大阪は世界最大規模の都市で、それらを知っていれば特にどこの国の都市を見ても驚くことはないのかもしれない。なんだかんだ日本は先進国で、なんだかんだ僕はそこの住人なのだ。

 パイク・ストリートを上り、途中で1つ北のパイン・ストリートへ移る。流石に日没は過ぎ、夜らしい暗さが街を優しく包み始める。坂を登るにつれて建築物の規模が段々と小さくなり、飲食店が目立つようになってくる。どこの店もセンスがいいし、人が溢れていて賑やかだ。パラマウント・シアターの外に長い列ができている。海岸部から、観光地、高層都市、文化的郊外という大雑把なグラデーションを感じる。そして、あちこちの店先に掲げられるはレインボー・フラッグだ。

「ちょうど今ゲイ・プライドのイベント色々して盛り上がってるから、うちの近所のクラブみたいなところも夜うるさくて寝れない」とノッキーが言い、「ちょっとその膝上の短パンはヤバいかも」とシュウイチ君が言った。
 僕は思想としては「自由なセックス」なので、勘違いされても別に構わない、というか肌が白くて細いせいか元々良く勘違いされる。クミコも最初は僕のことをゲイだと思っていたらしい。クミコとはじめて会ったのは京都のクラブで、その時僕はフィンランド人の男友達と一緒だったのだけど、その友達と僕がゲイのカップルだと思っていたという話だ。

 ノッキー夫妻と別れた後、コンビニで水を買ってグリーン・トータス・ホステルへ戻り眠る。

 朝7時頃、トイレに行きたくて目が覚める。フロアに4つあるバスルームはあいにく全部使用中で、旅行者の朝は早いのだなと思う。トイレを済ませた後、もう一度眠り、起きると10時だった。シャワーを浴びて身支度を整え、11時にチェック・アウト。疲れた旅行者達がアンニュイな空気を作り上げるダイニングで、そのままになっていたノキアのセットアップを済ませて、一日の予定を立てる。つまり、この場にいる旅行者の8割と同じように僕達もラップトップに向かう。

 この日は夕方5時半にキング・ストリート駅を出る長距離列車AMTRAKで次の目的地ポートランドまで移動するので、それほど時間があるわけではなかった。それから、前回の記事に書いた時差ボケがこの日の昼下がりピークに達して観光する集中力もほとんどなかった。さらに、シアトルにはもう一度戻ってくる予定だ。
 なので、この日のことは手短にまとめたいと思う。

 ホステルを出た僕達はまずスペース・ニードル目指して歩いた。途中でスタバ1号店があったので一応写真だけ撮る。スターバックスはシアトルの本当に至る所にある。スペース・ニードルは登るのに随分な列ができていたので、見た目にも低いし見るだけで済ませる。そのままフランク・ゲーリー設計のEMPミュージアム、ビル&メリンダ・ゲイツ財団をさっと見る。ビル・ゲイツの活動はそれはそれでいいと思うけれど、途上国の問題は先進国というか、戦勝国のデザインした経済システムに拠るところが大きいと思うので、それをプロダクトでなんとかというのには違和感がある。ただの新しい市場じゃないか。
 僕は時差ボケで胃が気持ち悪かったので、この日は夕方まで何も食べれなかったのだけど、クミコが空腹だったのでシアトル・センターARMORYの中でフィリピン・フェスティバルを眺めながらご飯にする。僕はオレンジジュースのみ。
 帰りは、こちらも大阪と同じ万博の名残、今は一駅しかないモノレールで街中へ戻る。モノレールを下りたビルにはダイソーが入っていて思わず入る。街中では結構保守的なシアトルの建築の中で飛び抜けて有名な先進建築、シアトル中央図書館を見る。

 キング・ストリート駅についたのは4時半くらいで、ちょっと早すぎたけれど周囲には特に何もないので待合室にずっといる。駅にある唯一の自動販売機が故障していて水を買えないので、駅員に他に水を買えるところがないかと聞くと「ない」とのこと。日本のコンビニと自動販売機は異常だがちょっと恋しい。水は電車の中でやっと買えた。
 近くに座った良く喋るビジネス専攻修士過程の女の子の自慢気な話をBGMにして4時間弱の電車の旅が始まった。電車が動き始めると、僕達の隣の席では太った東洋人のおばさんがでかいラップトップをガチャガチャしながら誰かと電話で話し、電話が済むとナッツが入ったこれも巨大なタッパーを取り出してムシャムシャとかじり始めた。

西海岸旅行記2014夏(07):6月6日:シアトル;時差ボケのウォーター・フロント・パーク

2014-07-23 17:01:08 | 西海岸旅行記
 グリーン・トータス・ホステルの前で無事に落ち合った僕達4人の日本人は、パイク・プレイス・マーケットを抜け、坂を下り海へ向かって歩く。
 6月のシアトルは日没が9時半くらいなので、夕方6時はまだまだ明るかった。目指しているウォーター・フロント・パークは、シアトル水族館や観覧車、レストランなどの並ぶ観光地で人もたくさん歩いている。にも関わらず、僕は頭のどこかがボーっとしていた。つまりとても眠かった。つまり時差ボケが起こりつつあった。日本を出たのは日本時間の6月6日13時で、こっちについたのも6月6日の13時だから調子が狂わないわけない。
 実は僕は睡眠時間がとても長く、眠いのがものすごく大嫌いだ。8時間以上眠らないと頭のどこかが機能してないのをはっきり感じるし、その感覚があると何をしても楽しくなくて極めて機嫌が悪い。せっかく旅行に来ているんだから、と言って睡眠時間を削って行動することはできないし、みんなで旅行して夜中まで飲んだのに翌朝7時起きだったりすると絶望的に機嫌が悪い。

 話が大きく逸れるけれど、僕は野口整体という整体が好きだ。これは一般的なイメージの整体とは随分違っていて、誤解を前提として書けば宗教のように怪しく面白い。僕は実践しているのではなく、ただ何冊か本を読んでいいなと思っている程度だが、病気や不調を「健康」と対峙させて考えない野口整体の理論がかなり気にいっている。「風邪の効用」とかタイトルだけでも素敵だし、「多くの人は山の自然、海の自然を自然のつもりになっている。しかし人間の自然は自分の体の構造に従って、全力を尽して生くることである」とか格好いいことがそこここに書かれている。

 野口整体を作った野口晴哉という人は、子供の頃からパッと手を当てるだけで不調を治すことができたらしく、この辺の話をどう捉えるかは難しいところだけど、僕は一度だけ野口晴哉の施術を受けたという人に会ったことがある。そのおじいさんは「野口先生はもう本当にすごかった、なんや知らんけどパッとやったらパッと治るんやもん」と関西弁で嬉しそうに話してくれた。

 野口整体には「体癖」という分類があり、僕は自分は上下型1種だろうなと漠然と思っていた。"漠然と"というのは、まず野口整体の本できれいに理論を整理して書かれたものがないのと(人体は漠然としたものなのでカチッとした理論はないのかもしれない)、あと僕は実践者ではなく本を読んだことがあるだけなので、実際に体重の偏りなどを測ったことがないからだ。
 ある日、「体癖」というそのものズバリなタイトルの本を読んでいると、「上下型1種の人はとにかく睡眠時間を大事にするし、それを邪魔すると怒る」と書かれていて、僕はこれだと確信した。この一点だけで確信するのは十分だった。それくらい僕にとって睡眠は重大なものだ。
 だから時差ボケというのは本当に苦しい。翌日の昼過ぎまで僕は圧倒的な睡魔の中にいて、シアトル観光どころではなかった。クミコは僕が眠さに特別弱いことを知っているけれど、ノッキー夫妻は知らないので断っておくことにした、そうでないと僕はただの不機嫌でイヤなヤツでしかない。
 
 桟橋にある"Elliott's Oyster House"という有名なレストランをノッキー夫妻が予約してくれていた。店は大繁盛していて、ウェイターが日本のレストランの2倍くらいのスピードでてきぱき動いている。僕達のテーブルは小太りのレオナルド・ディカプリオみたいな男が担当してくれた。オイスター・ハウスというだけあって、生牡蠣だけでも40種類くらいの選択肢がある。
 食事中、シュウイチ君にシアトルで手掛けた仕事のことなどを聞いて、結構すごい仕事をしているので内心グググと刺激を受ける。ちなみにシュウイチというのは適当に付けさせてもらった偽名で、彼は誰が聞いても知っているようなクライアントと大きな仕事をしている。
 ディナーの窓から見える外はまだ早い夕方のように明るく、着飾った中学生の集団が桟橋に並んで観覧船に乗り込んで行くのがよく見えた。卒業パーティーか何かだろうと、僕達は初々しく着こなされたスーツやドレスの批評をしたりする。

 レストランを出た後、桟橋を歩いて先端で海と観覧車を望んだ。正面に夕日が僕達を照らし夜という概念が海へ溶けていく。振り返ると背後は高層ビルが平面的で艶やかなな景色を構成している。きれいな街だ。世界は美しい。

風邪の効用 (ちくま文庫)
野口晴哉
筑摩書房


整体入門 (ちくま文庫)
野口晴哉
筑摩書房