color tv

2012-05-16 16:30:21 | Weblog
 あるテレビについての話をしようと思う。あるいは彼女が僕の部屋から盗んでいったカラーテレビ、についての話ということもできるかもしれない。実は僕はそのカラーテレビを今も探している。もうそんなテレビは役に立たない、という人もいる。それは古いブラウン管のテレビだ。ブラウン管の。地上デジタル放送に対応していないだけでなく、液晶の薄型ですらない。重く嵩張り、部屋のコーナーに置く以外にやり場のないテレビ。ついでに言っておくと、僕はテレビを全く見ないので、そのテレビを探していると言うと、どうせテレビを見ないくせに、という意見を賜ることもある。だけど、僕がテレビを見なくなったのはそのテレビがなくなったからなのだ。
 経緯について詳しい説明は省くけれど、ある日彼女は「ごめんなさい」と電話を掛けて来て、そして僕の部屋から出て行った。部屋に帰ってみると、メモ用紙がテーブルの上に置かれており、そこにはまた、ごめんなさいと書かれていた。メモの上には文鎮のようにチョコレートバーが載せられている。それは手紙ではなく、ただ端的に書き置きだった、ごめんなさいと名前以外には何も書かれていない。"シンプル イズ ベスト"とは一体どこの誰が言った言葉だろうか。そして、テレビが消えていた。テレビがないと、ことに大きなブラウン管のテレビがテレビ台の上から消えていると、部屋はまるでハンドルを取り付ける前の自動車のように不完全だった。彼女が持って行ってしまったのか? 書き置きをもう一度確かめてみたが、やっぱり「ごめんなさい」の他には何も書かれていない。テレビのテの字もない。しかし、どう考えてもテレビは彼女が持ち去ったと考えるのが自然だった。まさか彼女がいなくなったのと同じ日にたまたま泥棒が入って古いブラウン管テレビを盗んでいったとは、あまりにも考え難い。それでは踏んだり蹴ったりじゃないだろうか。いや、踏んだり蹴ったりとはこういう時の為の言葉で、そのような言葉が用意されているということはこういうことも起こり得るということかもしれない。泣きっ面にハチという言葉だってあるし、弱り目に祟り目というのもある。しかしまあ、テレビは彼女が持ち去ったのだ。確率の問題としても、部屋の雰囲気からしても。テレビ台の上の、テレビが元あった空間にはそうとしか解釈できない雰囲気が残されていた。
 そのようにして、僕はカラーテレビを失った。どこかの観光地の様子とか、リゾート地の様子とか、そういうものは一切目に入らなくなった。新しいお店がオープンしようが、新しい映画が封切られて紹介されようが、そういうものはもう別の世界の話だったし、完全完璧にどうでもいいことにしか思えなかった。新しいテレビを買えばいいという、至極もっともなアドバイスにも耳を貸さなかった。彼らは口を揃えて、新型の薄型の液晶のデジタルのテレビがいかに綺麗に映るかを説いてくれた。でも僕の欲しいのはそういうものではなかった。薄くて軽くて便利なテレビではなく、嵩張って重くて不便なテレビが欲しかったのだ。というよりも、僕は元のテレビそのものを取り戻したかった。3人目の友達と3回目の、このような同じような会話をしている途中、僕はあることに気付いた。そういえばあんなに嵩張って重たいテレビを、彼女一人で運び出すことは可能だったのだろうか? ああいったものを運ぶときは普通男手が必要になるのではないだろうか。
 会話を恙無く終えた後、僕達は店を出てバイバイを言い、それから僕は一人で別の店に入ってクラブサンドとクラブソーダを注文した。黙ってまずクラブサンドを食べ、次に黙ってクラブソーダを飲んだ後、店を出て、今度は15分黙って歩きクラブへ入った。有名なイギリス人のDJが来ていて入場料は3500円だった。朝まで誰とも話さずに、ただクタクタになるまで一人で踊った。胸腔に響く切れのいい低音が、正しい鼓動の周期を心臓から洗い流してしまいそうだ。昔、毎週土曜日にクラブへ一人でやって来て、そして一人で左側のスピーカーの前に陣取りただ踊って帰って行く女の子がいた。彼女とは一度だけ一緒に帰ったことがあって、そのとき彼女は「これは私にとっては必要な行為なの、クラブで楽しく騒ぎたいとかそういうんじゃないの」と言って、抱えている問題のことを説明してくれた。朝の太陽はだんだんと高さを稼ぎ始めていて、鴨川から見上げた橋の上を出勤時間の早い人達が歩きはじめる。僕達は一晩中踊り明かしたタバコの粒子が溶け込んだ汗に覆われている。崩れたメイクが朝の太陽に照らされて、もう何も隠し事はなかった。
 一人で部屋へ向かいながら、あの朝の彼女にとっての僕のように、今の僕には誰か話を聞いてくれる人が必要なのだろうかと考えみたが、とても人に何かを話す気分ではなかった。映画であればここにやや強引な性格の、そしてきれいな女の子でも登場するのだろうけれど、今はそういうこともすべて御免被って、ただ帰って朝のワイドショーでもつけっぱなしにして一人でシャワーを浴びて眠りたかった。あっ、テレビないんだった。

光を浴びて元気をますます発揮する鳥たちが、地面をつついて回る。彼らが生き延びているという事実が僕にはとても不思議だった。あの小さな裸の体で。ひとかけらの食べ物から得るエネルギーよりも、それを探すために地面をつつきまわる労力の方が上回っているようにしか見えなかった。
 問題;あの子の崩れ落ちたマスカラをこのスズメがつついた確率は何%か?

 静かな部屋で、静かにシャワーを浴びて、それから歯を磨いて水をコップに半分だけ飲んで、ベッドに潜り込んだ。一晩中大音量の音楽の中にいたせいでキーンと微かな耳鳴りがしている。やはり正常な鼓動を見失った心臓は、血液を過剰に脳に供給して、そのせいで目が冴え眠気はまったくなかった。それに部屋の中はもうすっかり明るい。
  中将と鬼の娘の話を知っているだろうか。中将はある日、扇子に描かれた女に一目惚れする。本気の本気で惚れてしまって、でも会えないので寝こんで死にそうになる。医者がやってきて「このままでは死んでしまいます」というくらいに本格的に寝込んでしまう。その時、彼はこう思っていた。せめて夢でも見てみよう、と。


 カラーテレビの画面に写っているのは伊豆にオープンした小さなケーキ屋だ国産小麦しか使いませんようちは果物も全部国産なんです脱サラしてケーキ屋をはじめたという40歳くらいの男がしっとりとそう言いアイドルの女の子がそれは素敵ですねと答えた隣にいたお笑い芸人がまだ店主の話している最中に桃のタルトをかすめ取って食べたそして大声でうっまーいと言ったなにこの人ほんとに大げさねめんどくさいこういう人と彼女は言い僕もこういう人は苦手だよでもこのケーキ屋は結構悪くないねスポンジケーキはあまりだけどタルトは好きなんだと言っていると場面は海岸の名所に移っていた僕達は伊豆ってそういや行ったことないし2泊くらいで行けたらいいねといいながらそういえば再来週行けなくもないんじゃないのという話をして計画を立て始めた

 道路ではしゃぐ子供たちの声で目が覚めた。時計は昼下がりの気だるさを体現するかのようにだらしない角度で針を動かしていた。テーブルの上に乾いたバケットがあって、僕は水を飲みながらそれを齧った。
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野口晴哉

2012-05-14 15:14:43 | Weblog
 夏、が呼ぶのかもしれない。
 彼はまあ、控え目に言っても随分と怪しい男だ。

 彼というのは野口晴哉のことで、この一風変わった人のことは、昔本を読んだきり、去年の夏まで完全に忘れていた。去年の夏、友人の個展で受付をしていると、足を痛めた様子の年配の方がいらして「野口先生がいたらなあ」というような話をされていたので、僕は思わず「野口先生って、野口晴哉のことですか?」と会話に割って入った。
 野口先生は、まさに野口晴哉のことだった。
 彼は1976年に死んでいて、僕にとっては本を2冊読んだだけの遠く遠く、そしてやや怪しい存在でしかなかった。でも、目の前に現れたその男の人は、かつて実際に野口晴哉の治療や指導を受けた人だった。

「なに、野口先生のこと知ってるの、君! へー、そうか、この子、野口先生知ってるってさ!」

「いえ、知ってるって言っても本読んだだけですよ」

 そうして、僕は野口晴哉という人が実際にどのような人だったのか、貴重な話を聞くことができた。それはもうすごかったらしい。なんだか良く分からないのだけどすごかったらしい。関西人らしく、主に擬音語を使って、パッとなんやしゃはったらギャイっと、という感じで受けた説明には、良く分からないけれど説得力があった。死後30年以上が経過して、医学も発達したはずなのに、それでもまだ彼に診てもらいたいと思うのだから、きっと本当に良かったのだろう。

 野口晴哉という人の存在を知ったのは、文庫化されていた彼の『整体入門』を読んでのことだ。僕は父の影響で子供の頃からかなり怪しい東洋医学っぽい本を読んでいたのだけど、野口整体はその中でも異質だった。当然だけど、一冊の本を読んだくらいでは何も分からなくて、これも文庫で出ていた『風邪の効用』を次いで買った。この本によれば、僕達が風邪をひくのは体のメンテナンスの為であるから風邪を敵視して無理矢理治すな、適切な経過を通じて風邪を体験すれば、体はひく前より良くなる、ということだった。
 僕は基本的にこういう大風呂敷の広げ方が大好きで、そして、この考え方は出鱈目だったとしても、できれば是非採用したいスキッとした嬉しいものの見方だった。

 先日、ツイッターで僕のタイムラインに、野口晴哉ボットのツイートが流れてきた。そこでまた、野口晴哉の言葉をいくつか読んだのだけど、それはやっぱり凄まじいようなものだった。

「晴れあり、曇りあり。 病気になろうとなるまいと、人間は本来健康である。 健康をいつまでも、病気と対立させておく必要はない。 私は健康も疫病も、生命現象の一つとして悠々眺めて行きたいと思う。」

 この言葉を、病で愛する人を失いつつある人の前で言えるかというと、それは難しい。でも、この次元を一つ繰り上げた視点のとり方はきっと人を溌剌とさせるのではないかと思う。




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新しい生活。

2012-04-20 19:17:14 | 土間ハウス
 坪庭の上に設けた、手すりも柵もない開放的な通路に腰掛け、背後の土壁にもたれた僕達は、その庭向こうで談笑する友人達の様子を眺めていた。古く古く薄暗い日本家屋の二階に、彼らの部屋から笑い声と白熱電灯の光が届く。光景は古い梁と引き戸をフレームとしていて、その中で話す彼らを、高く暗い場所から見るのはなんだか不思議な気持ちがした。
「まるで死んでしまった後に、幽霊になって友達を見ている気分だよ」と僕が言うと、「友達というのはこういうことだよな。みんなが楽しそうにしてるのを見ているだけで本当に幸せな気分になる」と、いつもおどけてばかりの男が呟いた。酔いと、誰もが母国語ではない言葉で話していたせいだろう。
 そして、僕はホームという言葉の意味を思う。

 物事の記録を残さない、という悪い癖が僕にはある。いや、別に悪いことではないんじゃないの?という、良し悪しのより丁寧な判断を求める人がいるかもしれないけれど、僕がいつも後になって記録を残しておけば良かったな、と後悔するにも関わらず、という一文を加えておけば”悪い”ということにしておいてもらえるだろうか。
 とにかく、僕にはそういう悪い癖があって、あの時の事も、この時の事も、記録に残っていない。写真も動画もほとんどないし、日記もあまり付けていない。それはそれで構わない、という態度は、これまで僕がずっと取ってきたもので、それはそれで良く理解できるのだけど、これからはもう少し記録を残していこうと思う。写真はやっぱりあまり撮らないままになるかもしれない。せめて、自分が体験したことと、その上で思ったことを、公開できる範囲で書き留めておきたいと思う。

 その記録としてのブログ記事の一つ目がこの文章ということになる。
 僕はこの4月から西陣にある「土間ハウス」という家に住み、ハンガリー人、ドイツ人、日本人の計6人で暮らし始めた。この3週間の間に、本当に様々なことが起こった。3週間がまるで3ヶ月かのように感じられる。
 6人でシェア生活なんてしているのだから、僕の性格を、それなりにオープンで屈託のないものなのだろうと思われるかもしれない。でも、僕はどちらかというとそれほどオープンマインデッドでもないし、人との間に壁を作り易い性格をしている。なのにどうしてここに住み始めたのか、という説明は別の機会に回すとして、ここには「実は昨日やっと、ここはホームだ、という気持ちになった」ということを書き留めておきたい。そして、これに関しても、詳細は別の機会に回すとして、今日はトイレのことを書いて終わりたいと思う。記録的性質を帯びた、土間ハウス生活を開始してから第一回目の記事がトイレの話というのはなんとも間の抜けたことに違いないけれど、この3週間で結構トイレのことを考えたので書きたいと思う。

 さて、これもまた、なんとも間の抜けた話ではあるけれど、僕達の都市にはトイレが必要だ。現代人の生活には、人生には、トイレが必要であり、それは都市部に限らず結構な田舎へ行ったって同じことだ。
 僕はトイレにそれなりの快適さを要求するので、これまでトイレが共用のアパートや住居に住んだことはなかった。それが、今回は共同のトイレで、しかもいかにも古い家らしく、トイレは裏庭の小屋として存在している。ドアはペラペラの若干朽ちた木の板で、足元も上部も空いている。天気の良い日には、その前にテーブルを出してご飯を食べている人もいる。そんな時に平気でトイレを済ませる逞しさを、僕は(今のところまだ)持ち合わせていない。
 もちろん、いつも庭に誰かがいるわけではないのだけど、通常のトイレに比べて、比較的、開放的なそのトイレのお陰で、最初の4,5日間は排泄のリズムが完全に狂ったままだった。加えて、僕は今特定の場所に毎日通うという生活をしていないので、自宅のではない第二のトイレというものも持ちあわせてはいない。
 というわけで、公衆トイレの重要さをその数日の間に思い知った。これも軟弱なことに、用がたせればどんなトイレでも良い、というわけではないので、綺麗な公衆トイレがいかにありがたい存在かを思い知り、そして僕は旅の途上におけるトイレという問題に初めて思い至った。僕はこれまで長期的な旅に出たことがなくて、長期的な旅をいうものを空想しても、長いから疲れが溜まるだろうなとぼんやり思うだけだった。でも実際のところ、特に異国の地で、必要に応じて必要なタイミングでトイレを見つけながら移動するのは随分面倒なことに違いない。

 人間という生き物は、ある時間が経過すると排泄せねばならないというタイマーと共に生きている。タイマーの長さは時と場合によって変化するし、各自がそれぞれのタイミングでトイレに行くのが最も自然なはずだけど、僕達が社会生活をはじめる、本当にその始まりである小学校において、すでに僕達はトイレに行く時間を管理される。基本的には授業中はトイレに行かず、排泄は休み時間に済ませておくことになっている。冷静に考えてみると、何百人、千人という子供が集められている空間で、授業の時間帯には誰一人トイレに行かないというのは驚くべき不自然さではないだろうか。確かに、好き勝手にいつでもトイレに行かれては授業も何もあったものではないのかもしれないし、善悪のことを言うわけではないのだけど、1000人くらいの子供が集められた空間において誰もトイレに行かない時間帯が大部分を占めていて、さらにそういった学校が日本中にたくさんあるのだと思うと、なんだかとても奇妙な気分になる。
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FBI

2012-03-04 14:40:25 | Weblog
「FBI!」と男は叫んで、小走りに、何か手帳のようなものを掲げた。レストランの店員は戸惑ってカクンと一つお辞儀をして、男を走るに任せた。そんなわけがないと思い、僕は男の足を引っ掛けて転ばしてやった。男は素早く立ち上がると「オレはFBIだぞ、何をする。犯人が逃げるだろ」と、また素早く駆け出そうとしたので、僕はこちらも負けじと素早く腕を取り、合気道の三教を決め地面に倒して抑えつけてやった。「ただの食い逃げだろ」と僕は言った。男は「FBI、FBI、日本語良くできない、捜査中、ヘルプ、日本の皆さんヘルプ、プリーズ、私はトモダチです」と喚きながらジタバタした。誰かが僕の脇腹を強く蹴った。と、日本の皆さんがどんどんと集まってきて、僕の周囲を取り囲み殴る蹴るの暴行を加え始めた。
「さあ、FBIさん、どうぞ犯人を追いかけて下さい、こいつは我々に任せてください」
 男は逃げ出し、僕は日本の皆さんに捕らえられた。日本の皆さんは「オレは今あのFBIに協力している。あのアメリカのFBIに」という喜びに輝いていた。僕は「ちょっと待って下さい、FBIなわけないじゃないですか、だいたいあの変な手帳なんですか、あなた達は本当のFBIかどうか分かるんですか」と言ったが、彼らはアメリカのFBIに協力しているという歓喜に満たされていて聞く耳を持たなかった。
「FBIさんをそんなに疑う前に、じゃあお前は自分のこと証明できるのか、だいたい、身分証明書見せてみろよ」
「いや、FBIかどうかを疑うのと、僕が身分を証明することは別の話じゃないですか」
「そんなことはない、人を疑うなら自分のことは証明してからだ」
「それは理屈にも何にもなっていない」
 それは理屈にも何にもなっていないが、しかし理屈になっている必要もなかった。あれば良いのは大義名分であり、あとでこれがただの食い逃げであったと綺麗に判明しても、彼らは「あの時はそうはとても思えなかった。私はただ正義感から行動したまでなのです。私は偽物のFBIをFBIと分からない馬鹿でした、阿呆でした。私の出すぎた正義感と無能を、裁くとおっしゃるならどうぞお裁き下さい、時に正義と無能は罪です。罪ならば、罰は、受けて、また然り」とでも言って、しおらしく頭を垂れれば良いとわかっているのだ。今はただ、FBIを助ける勇敢な民衆という役割を演じ、その言い訳のもとで一人の人間を取り囲み凶弾していればそれで良かった。

ギルデンスターン
「幸せにも幸せすぎないというところで。幸運の女神の肩におぶさってというわけにはまいりませぬ」

ハムレット
「といって、その踵に踏みにじられるというほどのこともあるまい」

ローゼンクランツ
「まさか、そのようなことも」

ハムレット
「それなら、女神の、ちょうど腰のあたりにしがみついて、ご利益の半分くらいで、ちょうど、ほどよく満足しているというわけだな」

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チョコレート;展示と配送

2012-02-20 14:16:53 | 小説
「この手袋いいなー」
「うん、いいね、買っちゃえば」
「そうね、外も寒いし」
「そろそろ手袋いるなって思ってたんだよ、僕も買おっかな、自転車乗る時とか手やばいしさ」
「じゃあ、コウスケはこれ良くない? 色もいいし、内側は全部、伝熱繊維だって、バッテリーは一回充電で1200時間も持つらしいわよ」
「1200時間はすごいな、ちょっと高いけど」
「でも、これくらいするんじゃないの電熱線じゃなくて伝熱繊維使ってるし」
「そうだね、買うか」
 僕はその手袋にケータイをかざして「購入」ボタンを押した。ユウコもさっきの手袋に自分のケータイをかざしていた。

 ”お届け先を選んで下さい
  1、自宅
  2、現在地
  3、その他
 ”

「ユウコ、受け取りどうする? 今日はもうここ出たいし、自宅でいいよね、追加料金も掛かるしさ」
「そうねー、今すぐ手袋欲しいところだけど、うーん、現在地特急配送料350円は手袋に払えないしなー。うん、自宅受け取りでいいや」
「それに、ここで1時間半も待ってられないし今日は」
「あっ、でもチョコレートどうするの?食べたいって言ってたじゃん」
「そうだ、忘れてた、どうしよっかな。ユウコ待てる?」
「うん、いいよ」
「じゃあ、ついでに手袋も現在地配送にするか」
「うん」
「じゃあ手袋は現在地配送にして、チョコ買いに行こう」

 僕はお届け先に「1、現在地」を選択した。

”現在地特急配送料金350円がかかりますがよろしいですか?”

 イエス。

”注文を確定しました。それでは、90分以内にお客様のいらっしゃる場所まで商品をお届けします。お届けはお客様の携帯電話GPS情報を元に行いますので携帯電話の電源を切ったり、携帯電話から離れたりしないようご注意ください。”

 僕とユウコは1階の食品展示場へと降りて行き、チョコレートの展示品をいくつか眺めた。そして、いつもどおり普通のガーナミルクチョコレートを買うことにした。ガーナミルクチョコレートにケータイをかざして、購入ボタンを押す。今食べたいので、もちろん現在地お届けでオプションの「1時間以内お届け」も付ける。これで配送料金が450円になるけれど仕方ない。

「もうさ、商品展示場って、なんかおかしな気がするときあるの私」
「どういうこと?」
「だって、わざわざ配達とかじゃなくて、もうここにあるものがそのまま買えれば良くない?」
「あー、それは、なんか40年くらい前まではそうだったらしいよ」
「えっ、そうなの?」
「うん、昔は展示場じゃなくて”お店”って呼んでたらしいんだけど、まだネットが発達してなくて、現在地配達網もなかったから、そのお店という展示場に在庫というストックを無駄にたくさん置いてたんだって、だから、展示場でそのまま目の前にあるものが買えたらしい。まだ紙幣とか硬貨とかあって、人間が手で数えてた時代の話だよ。紙をお金と思い込んで、しかもそれを手で数えてたって、昔の人まじ笑えるよね。展示場にムダに大量に商品を置いて、それを紙と交換してたってわけわかんない」
「それは確かにナンセンス。昔って変なことばっかりね、ほんと。じゃあ仕方ないわ。今の展示場の方が合理的だし、チョコレートも1時間たったら届くわけだし」
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睡眠の温度

2012-02-20 02:22:56 | 小説
「じゃ、時間の無駄だから帰る、俺」
 高田がそう言って帰り支度するのを見ながら、杉浦はどこか寂しい気分がした。
 帰って、寝るんだろうな。

 オーストラリアの生物学者エドワード・ロバーツが自身を実験台にしてコールドスリープに入ったのは2019年の秋だった。2020年秋、コールドスリープから目覚めた彼は一躍時の人となる。エドワードはスリープに入った時と完全に同じ状態で冬眠から出てきて、損傷は一切なかった。パーフェクトな成功だった。
「普通に眠っているのよりも、もっと深く意識がなかったように思いますよ。一瞬でした本当に。あっという間。スリープカプセルに入ったと思ったら、次の瞬間もう出されていたんです。1年経ったなんて到底まったく信じられませんよ。一瞬です、一瞬」
 完璧な1年間のコールドスリープ。
 いわば未来へのタイムトラベル。
 もともと、コールドスリープは一部の人々が長らく切望していた技術だった。現代の医学で治せない病を抱えた人は、コールドスリープで医学が十分に発達するまで保存してもらい、未来の医学で治癒してもらうことを望んでいた。宇宙開発においても、膨大な時間のかかる惑星間有人飛行を成し遂げるためにスリープは必要だった。
 エドワードの成功をきっかけに、莫大な予算が投入されコールドスリープの研究は一気に加速した。わずか4年後の2022年に実用化され、アメリカの病院が、現代医学では治せないものの、数年後には治療の目処が立ちそうだという病気の患者向けにサービスを提供しはじめた。1ヶ月のスリープが9200ドルという高額なものだったが、すぐにその病院のシステムは満員になり予約も15年先まで一杯になった。
 スリープに入りたい人は何も病人だけではない。「孫が20歳になるのを無事に見届けたい」「ただ未来を見てみたい」「失恋したので違う時代へ行って忘れたい」「今は特にしたいことがないけれど未来には何かあるかもしれない」
 スリープの技術は、人々の"不老不死"に対する欲望に火を付けるものだった。時間をコントロールしたいという欲求を部分的に満たすものだった。

 技術は日々進歩して、2046年の今では誰もがコールドスリープを安価で利用できる。最短15分、最長100年の全自動スリープ可能なマシンが、たいていどこの電気屋ででも売られていて、人口の63%がスリープマシンを所有している。街中に安いスリープルームも増えたので、人々は空き時間があるといつでも気軽にスリープすることができるようになった。時間潰しという言葉は死語になり、カフェで本を読んだり、ただ散歩したりする人が街から激減した。代わりに彼らはスリープして人生の時間そのものをセーブした。気が付くと世界中の多くの人々が「必要なことをしている」か「したいことをしている」か「スリープしている」かのどれかの状態になっていた。すこしでも暇があれば人々はスリープする。ボーッと漫然たる時間を過ごしている人は、人生を無駄にしているバカだと笑われたり、なんと勿体ないことをしているのかと叱られたりした。
 何かの用件が終わると、次の用件まで人々はスリープするので、ある社会学者の計算では世界人口102億人のうち常時約52%がスリープ状態にあるということだ。なんと世界の半分以上の人々がスリープしている。ここには「睡眠中」の人々はカウントされていない。「睡眠」と「スリープ」は全く違う現象で、睡眠中の人間は夢を見たり疲労を回復させたり細胞を分裂させて成長したりするが、スリープ中の人間にはそういったことは一切起こらない。スリープ中は全ての生体活動が停止する。だから、もしも眠くなって疲労を回復する必要があれば、人はスリープするのではなく睡眠という"活動"をしなくてはならない。仮に人がスリープしていない時間の3分の1を睡眠に当てるのだとしたら、地球上の人間のうち起きて動いている人間は全人口の3分の1程度だということになる。
 3年前の統計ではスリープ人口は19%だった。それがたったの3年で52%だ。何か具体的な予定を選択するよりもスリープして判断を保留する方が簡単なのでスリープする人が急激に増えたのだ、と分析されている。さらに親しい人間がスリープ状態にあるなら起きていても仕方ないので自分もスリープに入るという人も多いようだった。「スリープから覚めて活動することに何の意味があるのか分からなくなってきた」という理由で長期のスリープに入る人も少しずつ増えていた。

 杉浦は今年で36歳だが、実はスリープをしたことが一度もない。なんだか気味が悪いと思っているからだ。両親は、スリープを使わず無駄な時間を過ごして年老いていく杉浦のことを心配していた。実際の年齢は父親が64歳、母親が60歳だったが、両親とも15年強スリープしているのでまだ肉体的には40代後半の若さだった。杉浦の同級生もだいだい肉体的には杉浦より10歳以上若かった。特に高田はこまめにスリープするので20歳前の若者にしか見えない。
 もちろん、スリープしている間は学習もしないし経験も積まないので、高田は頭の中も実際に20歳だと考えたほうがいい。だが、彼は起きている間、非常に効率的に勉強していて、現に杉浦と同じ電力会社で同じ仕事をしている。システムエンジニアとしては多分高田の方が優秀だろう。
「杉浦もスリープすりゃいいのに。無為に年老いていくお前を見てられないよ。起きてるのって本当に楽しいことしてる間と仕事とかの時間だけで良くない? 他の時間って無駄じゃん。起きてられる時間ってせいぜい100年なんだからさ。しかもこの100年に普通の眠りの時間も含まれてるんだから実際意識を持って活動できる時間ってせいぜい70年くらいでしょ」と高田にときどき言われる。
 高田の言うことは正論かもしれないが、どこかに違和感があった。
 どこかが狂っているような気がしていた。
 たとえば、杉浦の近所に住んでいる村井夫妻だが、二人とも仕事が忙しくて今は子育ての時間がないとかで、1歳半の息子をもう7年もスリープさせたままにしている。スリープは乳幼児でも安全性が保証されているし、法的にも問題はないのだが、杉浦は気持ち悪くて村井家には近寄ることができなかった。彼らは一体いつ自分の子供をスリープから解くつもりなのだろう。これはもしかしたら「殺人」ではないのだろうか。
 中学の同級生、安川は科学がとても好きで科学者になると言っていたのだが、未来の科学を見たいと100年のスリープに入ってしまった。だから杉浦はもう二度と安川に会うことがないだろう。杉浦は安川がもう死んでしまったような気がしていた。なんだよ未来の科学を見たいって、なんでそんなに人任せなんだよ、お前が今ここで未来の科学に繋がる貢献をするんじゃないのかよ。

 予定がないと人々はスリープする。
 すこしでも今していることに価値がないと思うとやめてスリープする。
 すこしでも今していることが楽しくないと思うとスリープする。
 人生を節約したいとみんなが必死だった。

 「俺は取り残されているのだろうか」
 曇った夜空を眺めながら、杉浦は家路を歩いた。
 お腹がペコペコだ。
 帰ったら麻希子のスリープを解除して、それからビーフシチューを解凍して二人で食べよう。麻紀子は起きてくれるだろうか。食べ終えたら、またすぐにスリープに戻るのだろうか。俺はまた一人で「無駄な」時間を過ごすのだろうか。
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宇宙人にさらわれた記憶を消された私はさらわれることを恐れる必要があったのか?

2012-02-15 12:52:43 | Weblog
 僕が最初に「記憶」を「結構なんだか謎なものだ」と思うようになったのがいつからかは、結構はっきりしています。
 小学生の時に、テレビでUFOの特番を見た時からです。
 ええ「矢追純一スペシャル」とか「緊急特番!エリア55で宇宙人の解剖が行われていた!」とか、そういう牧歌的な時代の話です。

 すこし話はそれますが、先日、偶然YouTubeで昔の特番を見ました。
 これも良くあった「NG大賞」とかそういうやつです。何年頃の番組かは覚えていないのですが、たぶん20年くらい前のもので、服装などは兎も角、驚いたのはレポーターの話し方と、NG映像のあまりに露骨なヤラセっぷりです。
 レポーターの話し方は聞いて頂く他ないのですが、なんというか実に昔のアニメ的な喋り方で、例えるなら「美味しんぼ」の栗田さんが「今日は東西新聞社の社員旅行で軽井沢に来ています」的なナレーションを入れているのに似ていました。
 これには、話し方や発声にもトレンドがあるのだな、と感心するだけでしたが、NGのヤラセっぷりは本当にひどくて、僕はこんな程度の低いものを見て育ったのかと愕然とする他なかった。今の子供には通用しないでしょうね。

 閑話休題。
 UFOと宇宙人、もとい「記憶」に話を戻すと、子供だった僕は「寝ているときにUFOが庭に現れて、宇宙人にさらわれて謎の手術をされる」という話にすっかりビビってしまいました。もう、寝るのか怖くて怖くて仕方ない。ベッドに入って布団を頭まで被って「宇宙人が来たらどうしよう」と怯えに怯えていたのです。
 ところが、そうして恐怖に耐えているうちに、ある事に思い至りました。
 宇宙人は地球人をさらって手術したあと、どうやら「その記憶を消す」らしいのです。秘密隠匿の為だかなんだか、宇宙人は記憶を消して、さらわれた人達は後から催眠術なんかを使って宇宙人のことを思い出すようでした。
 であるならば、たとえ今夜宇宙人が来ても、明日の朝、僕は何事もなかったかのうように普通に起きるわけで、じゃあ、これから宇宙人が来ることを恐れる必要なんて、もしかしたらないんじゃないか?というのが話の起点です。

 どうせその体験をきれいさっぱりと忘れてしまうのであれば、それは「体験しない」というのに等しいのではないか、と僕はその時から考え始めました。
 とはいえ、「明日の朝」にはそれを忘れているとしても、夜ベッドに入ったばかりの僕にとっては、それは「これから起こること」であり「これから体験することになること」なわけです。寝る前の僕はそれを「体験する」と言い、明日の朝の僕は「体験していない」と言う。さらに、体験している最中の僕はそれを「体験して」いる。これは一体どういうことでしょうか。

 思考を進めるに当たり、時間軸を縮めて考えることにしました。
 今、これから食べようとしているチョコレートを、食べると、食べ終えた瞬間に食べた記憶がなくなる、とします。
 その場合、僕はチョコレートを食べるのでしょうか。
 食べる前の僕が、チョコレートを食べたいと思い、食べるという行為をこれから行うであろうことは予測されますが、食べたからといって食べ終えたときには食べたことにはならないのです。
 これは一体何なのでしょうか。別にどこにも不思議なことはないじゃないか、と言われればそうなのですが、なんだか僕には腑に落ちないのです。

 そして、今度は逆に時間軸をうんと伸ばしてやれば、僕達はどのような人生を生きたとしても、死んだ瞬間にその記憶はすべて失われてしまいます(死で記憶がなくなるのと生きて忘れるのは別の話かもしれませんね)。
 どうせ全ての記憶が消えるのであれば生きても仕方ないなんて、陳腐なことをいうつもりは毛頭ありませんが、ただ、そこにもなんとも不思議な気持ちを持たざるを得ないのです。
 今の「私」が予期し、未来の「私」が体験し、さらに未来の「私」が忘却するという世界を、僕はあまり手馴れた感じで扱うことができません。




転校生とブラックジャック――独在性をめぐるセミナー (岩波現代文庫)
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私があの人ではなく私であるという不可思議

2012-02-14 01:45:21 | Weblog
 今まで2冊しか本を読んだことがないのですが、それでも一番好きな哲学者だと断言している永井均さんの本を久々に読んでいます。「転校生とブラック・ジャック」という本で、副題が「独在性をめぐるセミナー」と書かれている通り、先生と生徒たちが語り合うという平易な形式で書かれた本ですが、非常に考えることが多くてなかなか読み進めることができません。でも、まあ少しづつ進めていこうと思う。
 先に、永井さんが好きだと書きましたが、好きだというよりは、こういう人がいてくれて本当に良かったなと思っています。なぜなら、たった2冊しか読んでいないのにこういうことを書いて良いのか分かりませんが、僕の印象では永井さんが子供の時から取り組んでいらっしゃる問題というのは、僕が子供ときから考えている事と、かなり似ているからです。それが、副題にも書かれている「独在性」というものです。あと、これも独在性に含めてよいのかもしれませんが、「記憶」。

 独在性というのは「自分が、あの人ではなく、自分であること」なのですが、僕はこれが昔から不思議で、考えてもなんだか良く分からなくて、ただ途中から「うーん」と唸って終わる、ということを何度も繰り返してきました。
 それは哲学的な素養や、徹底した思考の足りない僕の限界で、そこから先へ進むには永井さんのような先人が必要でした。だから本当に永井さんの存在をありがたく思います。

 自分が自分であることは、当たり前のようでいて当たり前ではないように思います。
 僕は「僕」であり、「今」「ここ」から「僕」を中心に開いた世界を見ていますが、僕が「あの人」であり、「あの時」「あの場所」から「あの人」を中心に開いた世界を見ていた可能性だってあったはずです。
 僕の代わりに、僕として、全く同じ両親から、全く同じタイミングで生まれて、全く同じ遺伝子を持っていて、全く同じ出来事を生きて来て、全く同じ記憶を持ち、全く同じ性格を持っている、「しかし僕ではない」僕という存在だって在り得たはずです。

 ただ、端的にそういうことは起こらず、僕は今ここに僕として存在し、僕から開けた世界を見ています。それが、「以前」からそうであり、「以後」もそうであるのかは分かりませんが「今」はそういうことになっています。
 もしかしたら、さっきまで僕はあの人だったかもしれません。

 なんというか、ときどき映画やなんかで「体が入れ替わる」話ってありますよね。
 あれで、入れ替わるのが体だけでなく「記憶(あるいは性格なども含めて)」も入れ替わるとしたらどうでしょうか。
 体が入れ替わっただけなら、本人達は入れ替わったことに気付きますが、「記憶」まで一緒に入れ替わったら、本人達は入れ替わったことに気付くのでしょうか。たぶん気付かないですよね。それどころか、他の人達から見ても、彼らが入れ替わったなんて思う人は一人もいないに違いありません。
 「うん、それはだって、外側も内側も全部入れ替わるのなら、それは入れ替わりじゃないじゃん」という人もいると思います。
 だけど、断じてここでは入れ替わりは発生しているわけです。
 なぜなら、先ほどまで、それぞれの世界はそれぞれから開かれていて、その視座は移動していないからです。この視座は記憶のことではありません。もしも記憶が変更されたり消されてしまっても、その人がそこから世界を見ているという視座は変化しません。この視座というものの本質が何なのかというのが独在性のポイントでもあると思います。

 話がややこしいので、もう一度同じようなことを書きますが、僕達は多分他の人と「体」「記憶」を共に交換しても気付かないでしょう。だから、僕には僕がずっと本当に僕であって、さっきまであの人であったわけではない、という確信があまりないのです。
 あまりない、とは言っても、普段は確信して日常生活を送っていますが、もちろん。

 「記憶」については次回書きたいと思います。

転校生とブラックジャック――独在性をめぐるセミナー (岩波現代文庫)
クリエーター情報なし
岩波書店


翔太と猫のインサイトの夏休み―哲学的諸問題へのいざない (ちくま学芸文庫)
クリエーター情報なし
筑摩書房
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環世界を誤解していたこと

2012-01-21 02:02:17 | Weblog
 「暇と退屈の倫理学」という國分功一郎さんの本を、去年の暮れに友達が貸してくれて、面白く読みました。
 その本の途中に「環世界」の話が出てきます。
 文脈としては、ハイデッカーの退屈論は「人間は環世界を持たない(閉じ込められていない)」ことに依存しているが、それは間違っている、人は環世界を持っている、ただ、ある環世界から他の環世界への移動能力が高いのだ、故にハイデッカーの退屈論はこう批判される、という感じだったと思います。

 ここで、僕は「環世界」という言葉の取り扱いに悩まされました。

 「環世界」という言葉は元々知っていて、馴染みのあるものだったのですが、どうやら僕はこの言葉を誤解していたようなのです。
 この言葉は、それぞれの生き物が世界(周囲の環境)を認識するときの、それぞれ固有の認識の仕方(世界観の組み立て方)を表しています。最初に環世界という言葉を使い出したのはユクスキュルというドイツ人の生物学者で、彼は例としてある種のダニを取り上げます。

 そのダニは、じっと木の枝なんかにぶら下がっていて、それで人やイヌなんかの動物が下を通りかかると落ちて取り付いて、そして吸血するわけです。枝で待って、落ちて、吸血。至ってシンプルに。
 ところが、これを「ダニが枝から人に落ちて血を吸った」と表現するのは、あくまで人間のすることであって、ダニ本人にとってはそういうことは起こっていない。
 なぜなら、そのダニには目も耳もないからだ。
 ただ、ダニは嗅覚と温度感覚、触覚だけを持っている。
 したがって、僕達が「視覚」を頼りに創り上げた「空間」も「木」も「人」も「イヌ」も、そういうものは何にもダニの世界にはない。ダニは枝にしがみついているとか、人の上に落ちたとか、そういうことを一切「思わない」し「思えない」。
 彼らはただ「臭がしたので手を離し」「皮膚の温度を感じたので血を吸う」だけだ。
 彼らはそういう世界を生きている。僕達には想像すらできないような世界を。

 それをダニの「環世界」というのだ、と長らく思っていたのだけど、どうやら僕の勘違いかもしれません。

 僕がはじめて環世界という言葉を聞いたのは、たぶん日高敏隆さんの本の中でだと思います。
 日高さんは日本の動物行動学の草分け的な方で、ユクスキュルが環世界を紹介した『生物から見た世界』の翻訳もされていますし、本もたくさん書かれました。
 僕が一番良く覚えているのは、「モンシロチョウはどうやってオスメスを見分けているのか」という話です。
 当時、モンシロチョウも昆虫だし、まあ雌雄はフェロモンで見分けてるんでしょ、みたいな感じで理解されていたらしいのですが、日高さんの観察によれば「それにしてはかなり遠くからでも見分けてるけどなあ?」ということでした。
 そこで、日高さんはモンシロチョウの雌雄を「紫外線にも感度のある写真」で撮ってみます。
 結果は「メスはそのまま白いけれど、オスは真っ黒」でした。
 真っ黒というのは、つまり紫外線が感光したということで謂わば「紫外線色」です。
 僕たち人間には紫外線は見えませんが、モンシロチョウには紫外線は見えます。
 だから、モンシロチョウが雌雄を見分けるのは、モンシロチョウにとっては明々白々に簡単なことで、オスとメスは色が全然違うわけです。フェロモンも何にも持ち出すまでもなく。
 モンシロチョウは紫外線が構成要素に含まれる「環世界」を生きていて、人間はそうではない。
 チョウと人は全く別の環世界を生きている。

 僕の「環世界」という概念の理解は、チョウの例のように、あくまで「その種固有の知覚器官に依存したもの」でした。  
 紫外線を見るチョウの環世界、超音波で”見る”コウモリの環世界、光のない洞窟の中にだけいる昆虫の世界。
 環世界は種別にあるもので、同種であれば、同等の知覚器官を持つ者同士であれば、環世界は同じだと思っていたのです。

 ところが、『暇と退屈の倫理学』における環世界の取り扱いを読んで見るに、そこでは「宇宙物理学を学ぶ前後」「タバコを吸う前後」などで「環世界は異なる」とされていたのです。
 つまり、持っている知識や置かれている状況によって「環世界は異なる」と。
 
 僕はここで「えっ?そんな勝手な解釈許されるのか?」となってしまい、そのあとは國分さんの主張を恐る恐る読む感じになったのですが、先日読んだある記事に日高さんが「木こりが木を見るのと、女の子が木を見るのでは、同じ木を見ても見え方が違う」みたいな話を書いていらしたので、どうやら環世界をいう言葉はそういうものらしいのです。

 持てる知識、経験、状況なんかで「世界の見え方、感じ方」が変わることは良く解ります。
 どうやら、それも「環世界」だということです。
 僕が勝手に狭義の解釈をしていただけなのですが、なんとなく「知覚依存」と「知識経験依存」を両方一括りで環世界と呼んでいいのかどうか府に落ちません。
 包含関係が、「知覚依存」⊂「知識経験依存」なので、一括りにするのは全く問題ないわけですが、両方を一緒にするのであれば話は「各自が各自で刻一刻と変化するそれぞれの世界を生きている」という、なんともざっくりした当然で扱いに困る帰結だけが導かれるように思います。

 そうか、だからここで國分さんは「環世界移動自由度」というパラメータを導入するのか。

 もしかしたら、本の批判が成立するのではないかという予感と共にこれを書きだしたのですが、逆に納得する形になりました。

暇と退屈の倫理学
クリエーター情報なし
朝日出版社


生物から見た世界 (岩波文庫)
クリエーター情報なし
岩波書店
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ことわざが嫌いなんです

2012-01-15 13:53:52 | Weblog
 漢字の成り立ちを説明し、そして何か人生訓のようなことを唱える人がいますが、僕にはまったく意味が分かりません。「人」という字は二本の棒が支え合うことでできている、人というのは支え合って生きていくのだ、みたいなやつです。
 そもそも、人という漢字の源は左向に立っている人間を表したものだといわれていて、この例ではハナッから話になっていないのですが、もしも本当にそうだとしても、漢字の成り立ちがそうだからって、だから何?という風にしか僕には思えません。

 という話を友達にしていて、ついでに「ことわざも嫌い」ということを説明すると、やけに納得してもらえたので、ことわざの悪口を書こうと思います。
 実は同じ事を昔書いたことがあるのですが、改めて。

 ことわざ嫌い、の発端は佐藤雅彦さんの「毎月新聞」という本です。
 毎月新聞という本は、月に一度の連載エッセイを集めたような本だったと思いますが、その中に「じゃないですか禁止令」というタイトルの文章がありました。
 じゃないですか、というのは「イチゴっておいしいじゃないですか〜」とか「今日って寒いじゃないですか〜」とか「これって重たいじゃないですか〜」の「じゃないですか〜」です。
 イチゴが好きなんだったらイチゴが好きだと言えばいいのに、イチゴが好きであることが相手にとっても人々一般にとっても当然であるかのように「じゃないですか〜」と言うのが気に食わない、というわけです。
 寒いから外に出たくないなら、「寒いので私は外に出たくない」ということを表現するべきなのに、「寒いから誰だって外に出たくないですよね、あなただってそうですよね、だから私外に出ないですけれど、当然のことですよね」という風に誤魔化した表現として「寒いじゃないですか〜」になっているわけです。

 当時、僕はこれを読んで、なるほどなと思いました。
 嫌なら嫌だと言えばいいのに、「それって結構嫌じゃないですか〜」みたいに言われたら、確かに少しカチンと来るかもしれない。「自分を出発点として」自分がそう思う。ではなく、「世間を出発点として」それが当然なのだから自分は当然そう思うのが当然、みたいに責任の所在をぼやかして「世間」に拡散させてしまう巧妙な表現手段。

 なるほどな、と思いながら、良く似たものが他にもあることに思い至った。
 それが「ことわざ」です。
 ことわざというのは別に真理でも経験則でも先人の知恵でもなんでもなく、ただの「責任曖昧化装置」です。

 たとえば、早川君という友人がいたとして、早川君が転職の相談を持ちかけてきたとします。
 話を聞く限り、さっさと転職すればいいように思えたとします。
 僕は言います「そっか、じゃあ早く転職しちゃえばいいと思うよ」。
 これだけならば良いのですが、なんだか心がモヤモヤするので、次の言葉を付け加えてしまうかもしれません。
 「ほら、善は急げって言うじゃん」

 最後の「ことわざ」が何の為に付け加えられたのかというと、それは一つには自分の発言を「ことわざ」という権威で強化する為ですが、残念ながら事はそれに留まりません。ここでは、巧妙に「急げ」という自分の意見を、それが自分一人の意見ではなく、さも「誰に聞いたってそう答えるに決まっている、これは間違っていたとしても自分の間違いではなく世間の誰でも間違うこと、そういう当然の意見」という体を装っているのです。責任の所在を拡散させているわけです。

 もともと、ことわざというのは沢山用意されていて、僕達は「善は急げ」の代わりに「急いては事を仕損じる」とか「石の上にも3年」とか「石橋は叩いて渡れ」などの「転職、ちょっと考えなおしたら」に属するであろうことわざを選ぶことだってできたのです。
 つまり、「転職、それ考えなおしたら、石の上にも3年っていうじゃん」と言うことだってできたのです。その場合、どうしてそういうことを言ったのかというと、「自分がちょっとそれは早急に思うと感じた」からです。意見の起こりには「ことわざの介入なんてありません」。つまり、ことわざは「ことわざ故になんとか」ではなく、常に事後的に「後付として」使われているだけなのです。それも、責任曖昧化装置として。
 だから、僕はことわざを真剣な会話に混ぜてくる人が信用できません。

毎月新聞 (中公文庫)
クリエーター情報なし
中央公論新社


三島由紀夫レター教室 (ちくま文庫)
クリエーター情報なし
筑摩書房

 
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