西海岸旅行記2014夏(07):6月6日:シアトル;時差ボケのウォーター・フロント・パーク

2014-07-23 17:01:08 | 西海岸旅行記
 グリーン・トータス・ホステルの前で無事に落ち合った僕達4人の日本人は、パイク・プレイス・マーケットを抜け、坂を下り海へ向かって歩く。
 6月のシアトルは日没が9時半くらいなので、夕方6時はまだまだ明るかった。目指しているウォーター・フロント・パークは、シアトル水族館や観覧車、レストランなどの並ぶ観光地で人もたくさん歩いている。にも関わらず、僕は頭のどこかがボーっとしていた。つまりとても眠かった。つまり時差ボケが起こりつつあった。日本を出たのは日本時間の6月6日13時で、こっちについたのも6月6日の13時だから調子が狂わないわけない。
 実は僕は睡眠時間がとても長く、眠いのがものすごく大嫌いだ。8時間以上眠らないと頭のどこかが機能してないのをはっきり感じるし、その感覚があると何をしても楽しくなくて極めて機嫌が悪い。せっかく旅行に来ているんだから、と言って睡眠時間を削って行動することはできないし、みんなで旅行して夜中まで飲んだのに翌朝7時起きだったりすると絶望的に機嫌が悪い。

 話が大きく逸れるけれど、僕は野口整体という整体が好きだ。これは一般的なイメージの整体とは随分違っていて、誤解を前提として書けば宗教のように怪しく面白い。僕は実践しているのではなく、ただ何冊か本を読んでいいなと思っている程度だが、病気や不調を「健康」と対峙させて考えない野口整体の理論がかなり気にいっている。「風邪の効用」とかタイトルだけでも素敵だし、「多くの人は山の自然、海の自然を自然のつもりになっている。しかし人間の自然は自分の体の構造に従って、全力を尽して生くることである」とか格好いいことがそこここに書かれている。

 野口整体を作った野口晴哉という人は、子供の頃からパッと手を当てるだけで不調を治すことができたらしく、この辺の話をどう捉えるかは難しいところだけど、僕は一度だけ野口晴哉の施術を受けたという人に会ったことがある。そのおじいさんは「野口先生はもう本当にすごかった、なんや知らんけどパッとやったらパッと治るんやもん」と関西弁で嬉しそうに話してくれた。

 野口整体には「体癖」という分類があり、僕は自分は上下型1種だろうなと漠然と思っていた。"漠然と"というのは、まず野口整体の本できれいに理論を整理して書かれたものがないのと(人体は漠然としたものなのでカチッとした理論はないのかもしれない)、あと僕は実践者ではなく本を読んだことがあるだけなので、実際に体重の偏りなどを測ったことがないからだ。
 ある日、「体癖」というそのものズバリなタイトルの本を読んでいると、「上下型1種の人はとにかく睡眠時間を大事にするし、それを邪魔すると怒る」と書かれていて、僕はこれだと確信した。この一点だけで確信するのは十分だった。それくらい僕にとって睡眠は重大なものだ。
 だから時差ボケというのは本当に苦しい。翌日の昼過ぎまで僕は圧倒的な睡魔の中にいて、シアトル観光どころではなかった。クミコは僕が眠さに特別弱いことを知っているけれど、ノッキー夫妻は知らないので断っておくことにした、そうでないと僕はただの不機嫌でイヤなヤツでしかない。
 
 桟橋にある"Elliott's Oyster House"という有名なレストランをノッキー夫妻が予約してくれていた。店は大繁盛していて、ウェイターが日本のレストランの2倍くらいのスピードでてきぱき動いている。僕達のテーブルは小太りのレオナルド・ディカプリオみたいな男が担当してくれた。オイスター・ハウスというだけあって、生牡蠣だけでも40種類くらいの選択肢がある。
 食事中、シュウイチ君にシアトルで手掛けた仕事のことなどを聞いて、結構すごい仕事をしているので内心グググと刺激を受ける。ちなみにシュウイチというのは適当に付けさせてもらった偽名で、彼は誰が聞いても知っているようなクライアントと大きな仕事をしている。
 ディナーの窓から見える外はまだ早い夕方のように明るく、着飾った中学生の集団が桟橋に並んで観覧船に乗り込んで行くのがよく見えた。卒業パーティーか何かだろうと、僕達は初々しく着こなされたスーツやドレスの批評をしたりする。

 レストランを出た後、桟橋を歩いて先端で海と観覧車を望んだ。正面に夕日が僕達を照らし夜という概念が海へ溶けていく。振り返ると背後は高層ビルが平面的で艶やかなな景色を構成している。きれいな街だ。世界は美しい。

風邪の効用 (ちくま文庫)
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整体入門 (ちくま文庫)
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西海岸旅行記2014夏(06):6月6日:シアトル;ターゲットでGoPhone

2014-07-22 21:48:41 | 西海岸旅行記
 グリーン・トータス・ホステルは、シアトル観光を考える上でかなりの好立地ではないかと思う。パイク・ストリート、ファースト・アベニューに建つホステルの目の前はパイク・プレイス・マーケットという活気溢れる市場で、まあなんというかスターバックスの一号店などもここにある。別に市場で何か買いたいというようなことが無くても、海と都市の間の賑やかな市場というのは気持ちのいいものだと思う。

 ホステルの入り口は少し分かり難く、入ると塗りたてのペンキの匂いがした。受付にいた2人が忙しいのかただ気が向かないだけなのか、僕達を無視して取りあわない。そういうものだと思っていたので特に腹も立たず、「すみません」としつこく言っていると、奥からタトゥーとかピアスとかがしっかり目の男が出てきて、こちらは親切に対応してくれた。奥の部屋に目をやると、スターバックスのでかいプラスチックカップがある。受付のカウンターにも2つ。つまり1人1つ。ハロー、シアトル。

 さて、チェックインを済ませた僕達が最初にしなくてはならないことは、携帯を手に入れることだった。
 僕もクミコも日本からiPhoneを持ってきているが、それらはSIMロックが掛かっているのでこっちのLTEは使えない。デザリングの出来るスマートフォンかモバイルWi-Fiと、それに挿して使えるプリペイドのSIMカードをこっちで買って、それにiPhoneをWi-Fiで繋いで使うつもりだった。
 ホステルの周りにある電気屋RadioShack、電話会社AT&T、それからアメリカの西友みたいな量販店targetを周り、結果的にはtargetでNokiaのスマートフォンLumia520とAT&TのプリペイドSIMカードを買った。AT&Tのプリペイド携帯はGoPhoneというブランド名で展開しているようで、スマートフォンにもSIMカードにもGoPhoneのロゴが付いている。Lumia520はWindowOSのスマートフォンで65ドル。SIMカードは60ドルで通話とSMS無制限、LTEで2.5ギガまでのデータが使える。旅行中にネットが繋がらないのは考えられないし、これくらいの値段なら十分にリーズナブルだ。
 人ごとであるうちは誰も彼も口を揃えて「アメリカはどこでもWi-Fi飛んでるから大丈夫だよ」というけれど、そんなわけないのを僕は知っていた(実際にそんなことなかった)。なによりiPhoneのグーグルマップをカーナビの代わりに使う予定だったし、ど田舎の延々と同じ風景が広がるような荒涼地でもWi-Fiが繋がると考えるほどお目出度くもない。LTEですら怪しいものだ。

 レジを打ってくれた店員はルー大柴がちょいワルオヤジになったような、どことなく危なっかしいおじさんだった。
「どこから来たんだ?」
 と彼はバーコードをスキャンしながら聞き、僕は日本だと答えた。
「おお、日本か。日本、いいね。東京に1回行ってみたいんだよね。だってほら、東京は東京だから、ハッハッハ。タトゥーも、日本のあれ何だっけ?日本のあれみたいなタトゥー入れたいんだよね」
「ヤクザのこと? 日本のマフィア」
「そうそう、ヤクザ、ヤクザ。ヤクザみたいなタトゥー入れたいんだ」
 まあこの人が東京へ行ってヤクザみたいな刺青を入れたいと言っても、全然驚かないしどこかものすごく納得がいくなと思いながら、僕がクレジットカードのサインを書いていると、クミコが「電話のセットアップまでやってもらえますか」とちょいワルのルー大柴に言った。
「もちろんだよ」

 が、ことはそう簡単には行かない。
 まず、ちょいワルのルー大柴はGoPhoneのパッケージを開けることができなかった。手では開けられないとなると、今度はハサミを使って開けようとするのだが、少し肉厚なのか、透明のプラスチックでできたパッケージは全然切れない。パッケージなんてどうでもいいといえばどうでもいいわけだけど、これは一応僕達が買った商品であり、それなりの丁寧さがあっても良さそうなものだ。しかし彼はなりふり構わずハサミでパッケージに襲いかかる。
 そのハサミを持つ手つきで、僕はもうルー大柴さんに任せるのはやめようと判断すべきだったのかもしれない。とはいっても彼はここのGoPhoneの係だし、パッケージが開いてしまえばさっとセットアップしてくれるだろう。
 僕はポケットからレザーマンを取り出し、ナイフブレードを開いて彼に渡した。
「ハサミじゃ無理そうだから、これ使って下さい」
「えっ!あっ、ありがとう。これ開けるの大変なんだよね、ハッハッハ」

 ナイフを持ったちょいワルのルー大柴は、ハサミの時とは比べ物にならないくらいに危なっかしい。突き刺そうとしたナイフが何度も何度もパッケージの表面を滑る。そういえば、このナイフにはロックが付いていないけれど、ルー大柴はそういうの分かってるだろうか。手どころか勢い余って自分のお腹とか、近くを通った客を切り付けてしまって大変な惨事にならないだろうか。どうして僕達はこんな危ない橋を渡っているんだ。
「もうやっぱり自分でやるので大丈夫です」と言おうとした頃、ナイフは無事にパッケージに突き刺さり、力任せでそれはやっと開いた。
「あとはもう簡単。これってこの固いパッケージ開けるのが一番難しいところだから、ハッハッハ」

 もう予想はついていたが、その後も簡単には終わらなかった。手際が良さそうだったのはSIMカードの挿入だけだ。もしかしたらルー大柴のせいではなくて、他に原因があったのかもしれない。どちらにしてもセットアップはなかなか終わらず、当のルーもややイライラして見えた。店の中がすこし混んできたのもあって、僕は「忙しいと思うから、あとはもう自分でできると思うし大丈夫です、ありがとう」とNokiaを返してもらった。
「そうか、うん、あとはもう簡単だから、じゃあな」

 時計はそろそろ6時前を指していた。僕達は6時にノッキー夫妻とホステルの前で待ち合わせている。
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西海岸旅行記2014夏(05):6月6日:シアトル都市部到着

2014-07-19 20:08:37 | 西海岸旅行記
 アメリカの第一印象は「人がいない」というものだった。この印象も、旅行を通じて変わらなかった。入国審査を出て、キャリーバッグを受け取り歩き始めると、すぐに人が少ないと思う。まだ日差しの強い真っ昼間の1時なのに、大きな空港の中も人が少なくてガランとしているし、外に出ると大きな立体駐車場に大きな車がたくさん留まっている割りに、やっぱり歩いている人が全然いない。

 人口密度を都市単位ではなく、国単位で見るのは多少乱暴かもしれないけれど、ざっと国単位では日本とアメリカの人口密度は10倍も違う。2013年のデータでは、日本の人口密度は世界19位で1平方キロメートル当たり337人、アメリカは138位で32人。さらにアメリカは車社会で人々は車に乗って移動するので、外で人に会うことが少ないと感じるのは当然なのだろう。

 僕はこれまでに韓国、香港、中国にしか行ったことがなくて、韓国の人口密度は日本より高い世界10位の1平方キロメートル当たり504人、香港はいうまでもない世界2位の高人口密度で6562人、中国は52位だが都市部にしか行っていないので人はたくさんいた。アメリカみたいに人口密度の低い国を訪ねるのははじめてで、すっきりしていて良いんじゃないかと思っていたら、かなり寂しい。

「アメリカで電車に乗るなんて、なんか新鮮、アメリカっぽくない」
 空港からレンタカーセンターを越えてすぐの駅で切符を買いながらクミコが言った。ここからユニバーシティ・ストリート駅まで30分程度電車に乗る。券売機の表記も時刻表も路線図も何もかもが分かりにくい。標識や説明図の類が分かりにくいというのは、この他にも色々あった。僕が日本の過剰なサイン計画に慣れ親しんでいるせいでも、コンタクトを入れても視力が1.0ないせいでもあるのだろうけれど、アメリカのサインは小さくて分かりにくい。少し前に話題になっていた、佐藤可士和がデザインしたセブンイレブンのコーヒー販売機の話を思い出す。シンプルな英語だけの表示が分かりにくくて、各店舗がそれぞれテプラなどを貼って対応しているということだ。聞いてはいたけれど、トイレのサインも男女で色分けがされていたりしない。両方とも黒なら黒で、例の男女ピクトグラムが付いている。

 車窓から眺める風景は、ただ車や建物の形が少し違うだけで、日本の中途半端な田舎の国道沿いとそんなに変わらない。庭にガラクタが散乱した家や廃業した何かの小さな事務所、やってるんだか潰れたんだかよく分からない飲食店が断続的に並んでいる。線路に並行して走る道路を走る自動車も、心なしかくたびれて埃っぽいように見えた。
 電車は最初ガラガラだった。シアトル都市部に近づくに連れて乗客の数も増え、それに比例して街並みの都市度も増加していく。畑や空き地がちらほらする田舎から、ペラペラであれど小奇麗な建売住宅の並ぶ郊外へ。郊外から高層建築物の並ぶ都市部へ。
 都市部に入るとシアトル・マリナーズの本拠地「セーフコ・フィールド」が見えて、シアトルに来たのだなとぼんやり思う。僕はほとんど野球に興味がないけれど、それでもイチローがマリナーズで活躍していたことは印象的で、今でもやっぱりシアトルといえばマリナーズを連想する。

 シアトルに来たのは、マリナーズを見るためでもスペースニードルを見るためでもない。昔見ていた「グレイズ・アナトミー」というシアトルが舞台のドラマがあるのだけど、その撮影も別にシアトルで行なわれていたのではないし、ロケ地巡りのようなミーハーなこともできない。その他シアトルに何があるのかはまったく知らなかった。ただ雨が多い街らしいということだけ知っていた。
 僕達がシアトルに来たのは、シアトルに友達が住んでいたからだ。友達とは言っても、もともとクミコの友達で僕は一度しか会ったことがない。それも酔っ払って挨拶を交わした程度。彼女はノッキーという名前でつい1年前まで京都に住んでいた。もう長い間付き合っている彼氏がシアトルで建築家をしていて、結婚を機にシアトルに移り住んだのだ。 その彼氏というか夫になった建築家はシュウイチ君という名前で、大学院からはアメリカだけど、学部は僕とクミコと同じ京都の大学だったらしい。三人共、学生時代は顔を合わせたことのない赤の他人だった。他人が知り合うと他人でなくなるというのは不思議なことだなといつも思う。
 2人とはシアトルに着いてすぐの夕方に待ち合わせていた。
 
 ユニバーシティ・ストリート駅で電車を下り、短い地下道を抜けてセカンド・アベニューで地上に出る。近代的な都市の向こう、大きな通りから坂を見下ろしたすぐ眼と鼻の先に、昼下がりの太陽で光る静かな海が見えていた。このブロックの向こう側はシアトル美術館で、僕達が泊まるグリーン・トータス・ホステルはその隣のブロックにあった。
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西海岸旅行記2014夏(04):6月6日:シアトル、タコマ富士とアメリカの匂い

2014-07-16 17:00:20 | 西海岸旅行記
 富士が見える、と思った。2度目の機内食のあと、僕はいつの間にか眠っていて、「そろそろ着くよ」と起こされた時には既に北米大陸の上を飛んでいた。窓の外、遠くに見える富士山のような山はレーニア山という4392メートルの山だった。昔、「富士山が有名なのは日本で一番高いからというだけではなく、独立峰として他にはない珍しい形をしているから」という話をまことしやかに聞いたことがあるけれど、別にここにも似たような形の山があるじゃないか、と思う。実際にレーニア山は、周辺に移住して来た日系人に「タコマ富士」と呼ばれていたという。富士山ほど滑らかではないし、違うと云えば違う形だけど、似たような山はこのあと何度か目撃した。

 空港が近づき、飛行機が高度を下げる。眼下にシアトルの郊外が広がり、それは僕がはじめて目にする現実のアメリカだった。アジアの国々とは違う、いかにも西洋といった風情で整然とした低密度で住宅が並んでいる。このとき心の片隅に起こった、微かな寂しさのような感情は、良いも悪いもなしに今回の旅の根底を伏流するものになった。静かに地面へ潜り込んだ流れの出口には、近代の崩壊と隈研吾という建築家が待っていたのだが、それはまだまだ先の話だ。

 飛行機を降りるとアメリカの匂いがした。
 正確に言うと、これがアメリカの匂いなのだろうという匂いがした。村上龍の「ヒュウガ・ウィルス」という作品には"アメリカ合衆国の匂い"という表現が出てくる。

 """それは取材で長く外国にいるコウリーにしかわからないアメリカ合衆国の匂いだ。アフリカや中東や南米での長期の取材を終えて、アトランタに戻るとそこら中に立ち込めている匂い。ハンバーガーのケチャップとマスタードの匂い、ポップコーンのバターの匂い、プリッツェルの匂い、高校生のオールドスパイスの匂い、チューインガムの匂い、パーコレーターから漂うコーヒーの匂い。そういう匂いを発して死体は目を大きく開けたまま横たわっていた。わたしはアメリカ人なのだ。多勢のアメリカ人が目の前で死んでいくのを仕事のために黙って見ているわけにはいかない。"""
 (村上龍『ヒュウガ・ウィルス』)

 空港でしたこの匂いが果たして"アメリカ合衆国の匂い"なのかどうかは分からないが、あとでターゲットというアメリカの西友みたいな店のエレベーターに乗った時にも似たような匂いがして、UCLAに通っていたクミコが「アメリカの匂いがする!」と言ったので、たぶん空港で嗅いだのもアメリカの匂いだったのだと思う。
 やっとアメリカに着いた。
 いや、まだか。まだ入国審査を通過していない。

 「アメリカ国籍の人、永住権のある人はこっち、それ以外はあっち」
 アジア系の髪をポニーテールにした女の子が通路に立って、ぶっきらぼうに案内をしている。
 入国審査の列に並んでいる間、アメリカの入国審査は特に横柄に見えると思っていた。「どうだ、世界一豊かなこの国へ入りたいか。世界のディズニーランドに」とでも言うかの如く。様々な国籍、人種の人間が長時間のフライトで疲れた顔をして並んでいる。まるで食品に回しても大丈夫かどうか疫病のチェックをされている家畜の様だと思う。まったく国境というやつは。英語の全く話せない中国人らしきおじさんに手を焼いた審査官が、さっきのぶっきらぼうな女の子を呼び、彼女が通訳をはじめた。
 僕の審査官は結構気さくなエジソンに似たおじさんだ。
 「アメリカのどこへ行くの?」
 「シアトルとポートランドとサンフランシスコとロサンゼルス」
 「ポートランド? ポートランドへ何しに行く」
 「日本でポートランドが話題なんです。再開発が成功したクリエイティブ・シティだって。ちょっと見てみようと思って」
 写真と指紋を取られた後、ゲートを抜けた。つまり、完全にようやく本当にアメリカへやって来た。ワォ、僕はアメリカへやってきた!

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西海岸旅行記2014夏(03):6月6日:出発

2014-07-11 23:32:57 | 西海岸旅行記
 起きるとまだ6時半で、窓の外は曇天だった。薄い雨が降っているかもしれない。クミコはまだ眠っている。昨日、仕事から帰ってきて、遅くまでパッキングをしていたのだろう。既にパッキングを終えていた僕は先に寝てしまった。僕の荷物は普段使っている25リットルのバックパック1つだけだ。BURTONの「DUCT LINE」というシルバーのスケートバッグで、ホルダーにスケートボードを付けて行こうか随分迷ってやめた。飛行機に乗るとき面倒かもしれないし、一人旅ではないのでスケボーに乗って移動する機会も少ないだろう。

 2週間の海外旅行に25リットルの鞄1つは少ないのかもしれないけれど、僕はバックパック以外の荷物を持つのが大嫌いだし、ウルトラライト・パッキングの精神が大好きなので、これ1つに収めることは決めていた。考えてみると普段持ち歩いている物の他に、特別持って行くものはだいたい着替えと洗面道具だけで、夏の服装はほとんどTシャツで事足りるから大してかさ張るものでもない。

 具体的には、旅行用に加えた荷物は以下のようになる。
 レンジャーロールにしたTシャツ5枚、コットンのショートパンツ1枚、水陸両用のサーフパンツ2枚、ナイロンジャケット1枚、パンツ5枚、靴下6セット、タオル2枚、ビーチサンダル、洗面道具のポーチ、10メートルの細いロープ、7800mAhのANKERモバイルバッテリー、飛行機用の枕、LIGHT MY FIREのスポーク2本、ポンチョ、SOLの超小型エマージェンシー寝袋Bivvy。

 これにいつも持ち歩いているラップトップやKindle paperwhite、ペンとノート、iPhone、LEATHERMANのツールセットSQURTps4、snowpeakのヘッドライトゆきほたる、軍手など細々した物を合わせれば、多少のことでは不自由しない。そもそも僕達は物に溢れかえった大量消費社会のシンボルみたいな国へ行くのだ。クレジットカードが一枚あれば大抵の問題は解決される国へ。

 クミコが起きたのは7時半だった。僕達のフライトは12時50分のアシアナ航空。関西国際空港までは、家から2時間の距離なので7時半に起きれば十分間に合う。僕が6時半に起きたのはもしかしたら心のどこかが高ぶっていた為かもしれない。でも、自覚としては朝起きてもアメリカへ行くのだという感じは全くしなかった。それはただの早い夏の、早い朝だった。

 僕達はシアトルからアメリカに入るつもりだった。
 京都駅から関空特急「はるか」に乗って関空まで行き、仁川国際空港で乗り継いでシアトル・タコマ国際空港という経路だ。
 その後はAmtrakの電車でポートランドへ行き、またAmtrakでシアトルへ戻ってタコマからサンフランシスコまでフライト。
 サンフランシスコ国際空港のAVISでレンタカーを借りて、そのまま10日間ほど車でウロウロした後ロサンゼルス国際空港で車を乗り捨て、仁川経由で関空へ戻る。
 シアトル、ポートランド、サンフランシスコ、ロサンゼルスへ行くのにはそれぞれ理由があるのだが、それについてはおいおい書くことにしたい。

 雨はほんの微かで、駅までは歩いて10分程度。歩いて行くこともできたが、先も長いのでタクシーで京都駅まで移動した。クミコはWILD THINGSの小振りなナップサックの他に、NORTH FACEの黒いキャリーバッグも持っている。運転手がタクシーのトランクから降ろしてくれたキャリーバッグに僕が手を掛けると、「いいよ、嫌でしょ、持つの」とクミコは言った。でもまあ、渋々でもなんでも協力するにはするさ、もちろん。
 灰色の空を背景にした京都タワーをチラリを見上げ、しばらく京都とはお別れだなと思う。キャリーバッグを引いて中央口から駅に入り、ドーナツとコーヒーを買って「はるか」に乗った。コーヒーは変な味で、僕は一口しか飲まずに捨ててしまった。「はるか」は特急という割には遅いし、線路もいつも大阪とか神戸へ行くときと同じ所を通るので、やっぱりアメリカへ行く気がしない。神戸まで買い物にでも行くような気分がする。
 「神戸へ行くんじゃないんだ」という気持ちになるのは、電車が大阪湾に差し掛かり、海に掛かった橋を渡りはじめる頃だ。橋の向こう側は関西国際空港。そうだ、僕達はアメリカへ行くのだ。

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西海岸旅行記2014夏(02):いまさら憧れのアメリカ

2014-07-10 21:29:45 | 西海岸旅行記
 こんな風に書くとまるっきり古臭いのだけど、アメリカという国に子供の頃から憧れていた。僕は1979年生まれで、子供時代というのは随分昔の話だから、2014年の今となっては古臭くて当然なのかもしれない。子供の頃テレビでは「ナイトライダー」が地上波のゴールデンタイムで放送されていて、NHKでは「アルフ」が所ジョージの吹き替えで放映されていた。日曜洋画劇場でハリウッド映画を見るのはドキドキする至福の時間だった。「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を見て、翌日スケートボードを買って貰った。「グーニーズ」を見て"冒険"に出掛けた。ビデオに録画した「スタンド・バイ・ミー」はセリフを覚えてしまうくらい何度も見た。
 世界とはアメリカのことだった。

 憧れとしてのアメリカ合衆国は、年齢を重ねると共に崩壊し、20代の僕は世界中を力でねじ伏せ富を慾るこの国のことを軽蔑するようになっていった。ハリウッドの映画は馬鹿が見るものだと嘲笑し、ヌーベルバーグのフランス映画を見て何か本当らしいものに一歩近付いたような気分になっていた。
「アメリカには歴史がないよ、つまり文化がない」
 アメリカという国は、過去へ消え去りつつあった。実際に出会う人々もヨーロッパやアジアからやって来た人が多かったし、友人達が留学やビジネスで飛んで行く先もドイツやフランスが多かった。
 やっぱりアメリカはもう終わったんだ。
 アイスクリームとハンバーガーの食べ過ぎでブクブク太った人達の情緒なき荒廃した大陸。大量消費社会の成れの果て。病気になっても怪我をしても大金がなきゃ死ぬしかない国。

 アメリカへの憧憬が蘇ってきたのは30歳になってからだろうか。特にきっかけのようなものは思い出せない。気付いたらやっぱり僕はアメリカが好きだなと思うようになっていた。なんだかんだアメリカのドラマは結構見ているせいかもしれない。
 そして、2013年11月17日、「アメリカに本当に住もう。それを視野に入れて動こう」と思った。僕はもう34歳になっていた。
 子供の頃、自分は大人になったらアメリカに住んでいるのだろう、アメリカの大学で研究しているだろうと自然に思っていたけれど、34歳になっても僕は京都に住んでいて、アメリカには足を踏み入れたことすらなかった。ついでに云えば博士課程も途中でやめてしまったので、Ph.Dすら持っていない。それが現実であり、その現実は振り返ってみれば極々当然の納得する他ないものだ。僕は実は一度も本気になって「アメリカの大学で研究する」ということを考えて動いたことがなかったし、自分が本気で考えていないということにも、長い間気付かなかった。

 僕は単に全てが自然に起こると思っていたのだ。
 告白してしまうと、自分は祝福された人間であり全ては勝手に思い通りになると思っていた。僕はそういう子供だった。自分は天才だから努力はいらないと思っていた。
 これは二重に間違っている。
 第一に、残念ながら僕は天才ではない。本をパラっと読んだだけで新しい数学的手法がマスターできたりはしないし、英語だって随分長い間使っているけれど、なかなか上達しない。
 第二に、天才に努力が必要ないとは限らない。

 こうして健康に、恵まれた環境で生き延びていることを、祝福されていると言っても構わないとは思う。けれど、全てが勝手に思い通りになるというのは、放っておいても自分だけは成功すると思うのは、「自分だけは交通事故に合わない」と人々が思い込むのと同種の幻想だ。
 僕はこの幻想を長い間抱いていた。それも自転車で一度、バイクで二度の事故を経験するまで。3回事故を経験して、やっと気づくというのは天才どころか随分なバカ、マヌケの類だと言わざるを得ない。
 交通事故のようにあからさまではないものの、注意して見てみれば人生にも大小様々なサインが出ていた。それらは失敗とか敗北とか後悔とか呼ばれるものだ。運転の仕方を改めなくてはならない。カーブを曲がり損ねてガードレールの外側へ放り出される前に。
 注意深く、意識的に。
 幸いにも、僕はまだ生き延びていて、しかも健康で、若さも残っている。ギリギリかもしれないけれど、まだいくつかの可能性を吟味して試すことはできる。もしもアメリカに住みたいのであれば、意識的にそのように行動した方がいい。それも今すぐに。どれだけ注意深く安全運転をしていても、ガソリンはやがて尽きるのだ。「いつか」は「いつか」である限り永遠に「今」へはやって来ない。とりあえずアメリカを見に行こう。幻想でしか知らない大国の姿を確かめよう。
 そうして、僕はようやく、アメリカへ行くことを決めた。
 本当にようやく。
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西海岸旅行記2014夏(01):前書き

2014-07-09 19:19:08 | 西海岸旅行記
 この短い旅の記録をどういう軸でまとめようか、随分と考えた。アメリカと日本の対比。旅行中にシンクロしてきたスティーブン・キングの小説。個人的なアメリカに対する想い。文化の異なり強さと韓国。大量消費社会の病理。コミュニティのサイズ。社会設計とヒューマンスケール。日本で話題になっているポートランドという街について。
 「ああ、そういうことなのかもな」と旅行中に何度か、色々な切り口が頭に浮かんだ。全てを章に分けて、1つ1つ丁寧に書いていこうかとも思ったけれど、それではあまりに分析的で読み物として(あるいは書物として)面白くないものになりそうだったので、結局は時間軸に沿った旅行記を書こうと思う。

 この前書きを、僕はトランジットの仁川国際空港で書いている。まだ朝の6時半で人はそんなにいない。ロサンゼルスから12時間飛んできて、ここで4時間待ったら、次は関西国際空港まで1時間のフライトだ。日本に帰ったら、関西国際空港から関空特急はるかで京都まで2時間弱。旅はそろそろ終わる。この旅は。人生を旅に喩えるのはあまりに陳腐だが、実際に人生は旅なので、ここではその喩えを使おう。この旅はそろそろ終わるが、僕の旅はまだまだ終わらない。今回の旅行について文章を書くことも、僕の旅の一部である。
 それでは、時間軸を過去へ遡ろう。
 今回の旅がはじまる前へ。
 旅はこれからだ。
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goodbye:掃除機,hello:お掃除ロボ.

2014-07-08 10:28:20 | Weblog
 子供の頃、部屋にテレビがあって、それにはリモコンが付いていなかった。電源をオン・オフするとき、あるいはチャンネルを変える時、僕は手元に置いてあるグロック18のエアガンでスイッチを射っていた。ものぐさだから、というのは実は理由になっていないのかもしれない。一発で狙ったスイッチに命中するとは限らないし、命中してもそのスイッチが砕け散ったりするし、BB弾も部屋に散乱する。後片付けやテレビの受けるダメージなどを考えると、立ち上がって3メートル先まで移動、手でスイッチを操作、という方が安易だ。
 でも、僕は立ち上がらなかった。意地でも立ち上がらなかった。なかなか8チャンネルに命中しなくても、BB弾が8チャンネルを叩くまで何度でもグロックを撃った。
 それは手元のエアガンでテレビのチャンネルを変えるという行為が魅力的だったからなのだろう。端的に。

 昨日、お掃除ロボットが床や畳の上を動きまわるのを見ながら、エアガンでテレビを操作していたことを思い出した。お掃除ロボは届いて充電が完了したばかり。つまり僕の部屋をお掃除ロボが掃除するのははじめてのことで、そして僕は感動した。

 感動というのは随分大袈裟に聞こえると思う。ここで僕が感動していることには、チェンネルをエアガンで変えるのに似た愚かさも含有されている。掃除という目的を第一に考えるのであれば、人間が掃除機を掛けたりクイックルワイパーを掛けたりする方がきれいになる。

 さらに、僕が買ったお掃除ロボはあの「ルンバ」ではなく、「LAQULITO CZ-860」というアマゾンで6980円のいかにもダメそうなお安い製品で、届いたパッケージに書かれたintelligentの文字が悲しいくらいの物だ。
 実際の動作もintelligentではなく、昔の子供が電子工作入門としてよく作っていた「壁にぶつかると物理的スイッチングで進行方向を変える壁伝いマウスロボ」と大差ない。今時、この程度の物を「ロボット」と呼ぶことには強い抵抗すら感じる。

 それでも僕は、いくぶん不覚にも、感動した。
 まず、このお掃除ロボは6980円にも関わらず、アマゾンの評価通り役に立つ。ロボットというものが、実際に自分の生活を助けてくれるという体験は僕にとってはじめてのことだ。もちろん、広義のロボットは既に僕たちの生活を助けてくれている。全自動洗濯機をロボットと呼ぶなら、全自動洗濯機は間違いなく「お洗濯ロボ」で、エアコンをロボットと呼ぶなら、エアコンは間違いなく「エアー・コンディショニング・ロボ」だ。
 でも、こういう「ロボット」達は、その場に留まっていて地味だ。お掃除ロボのように、自分で動きまわってくれないといまいちロボ感が出ない。

 その点、このお掃除ロボはロボ感が抜群だといえる。あちこち動きまわってゴミを吸い込んでくれる。
 けしてintelligentではないものの、意思すら感じそうになる。
 昔、群知能か何かの実験で、「ぶつかったら90度右に回って進む」という機能しか持たない小さなロボットをたくさん箱に入れると、コロニーの中の昆虫と見分けが付かないくらい複雑な動きが発現するというのがあったけれど、それに似ているのかもしれない。
 加えて、自分の為に動いてくれているという勝手な負い目がある。それ程的確な仕事でなくても、自分の為にロボットが何か目に見えて動いてくれているというのは、チューリングテストをぶっ飛ばして意識の創発を認めさせるような錯覚を生む。

 僕達はロボットの時代を迎えようとしている。
 昨今次々とニュースに搭乗する「自動運転の車」はその象徴だし、僕にとってはこのチープなお掃除ロボがそうなのかもしれない。6980円の中国製お掃除ロボは革命だ。これは誇張ではなく革命で、なぜなら僕は今後「自分で掃除機を掛ける」という行為の頻度を極端に減らすことができるからだ。もう自分でしなくても、お掃除ロボをポンと床に置いてスイッチを入れれば、多少お馬鹿ロボットでもなんでも(部屋の真ん中にはあまり行ってくれない。。)あとは勝手に掃除をしてくれる。

 たぶん、ここには乗り越えがたい精神的な障壁が存在している。
 僕はハイテクが好きだし、「このお掃除ロボ程度のものはハイテクでもなんでもない」と頭では理解している。もう21世紀だし、掃除くらい、せめて掃除機掛けるくらいはロボがしたらいいじゃん、と頭では思っている。
 だけど、悲しいことに「掃除は人間がするもの」という固定観念が自分を捉えているのも認めざるを得ない。家庭用のお掃除ロボが存在しない時代を生きてきた人間の悲しい習性が自分の中にあることを認めざるを得ない。
 急に「6980円で明日から掃除機掛けしなくて良くなります。かわりにロボットがします」と言われても、なんだか信じられないような気分になってしまう。でもお掃除ロボの背中を開けるとゴミはしっかり取れている。このintelligentではないロボの場合、これまで存在しなかったのは主にバッテリーの問題か、単に市場がなかっただけだと思うけれど、それでも時代が、テクノロジーが新しいフェーズを迎えつつあるのを意識しないわけにはいかない。
 僕はもう掃除機を掛けない。

(20147月22日追記;掃除機よさらばと言ったものの、、もうバッテリーの持ちが半分以下になりました。。2週間で)

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物語における時間軸方向の振動

2014-04-17 22:15:20 | Weblog
 僕が子供の頃、「マンガは絵がついているから駄目で、字の本を読むと場面を想像するから想像力がついて良い」という言説がまかり通っていました。
 今もその片鱗はあると思いますし、部分的には真実なのかもしれません。

 しかし、「字の本を読むと場面を想像する」というのは間違いなのではないかと思っています。
 僕たちが小説や物語を読んでいるときに起こっていることは、「文章で説明された場面をイメージに置き換える」というような作業ではないと思うのです。

 僕はいわゆる「本好きの子供」だったので、よく本を読んでいました。土曜日の夜に本を持ってベッドに入る時が一番幸せ、という感じです。
 暗い部屋の中、スタンドの灯りに柔らかく照らされた文章がどこかの世界へ僕たちを放り込んでくれるわけですが、あるとき「その世界とはどこか?」ということを考えてみました。

 「どこか?」というより、「何か?」ということかも知れません。
 物語を読んでいるとき、僕たちの中では一体なにが起きているのでしょうか。
 最初は素直に「イメージしてる」と思っていたのですが、「読書している自分を観察」すると、どうやら事はそんなに単純ではありません。
 自分が読書している状況を注意して観察するのは、とても難しいことです。「読書している自分」に意識が向いた瞬間、「読書の世界」からは締め出されてしまうので、「読書」という状態は破れてしまいます。

 ちょうど、観測すると破れてしまう量子状態のように。

 なんてチンケな比喩を使うつもりはありません。
 比喩というのは、物事をより分かりやすくする為に使うものなので、一般的な事象を使わないと意味がないからです。
 開かれた文章中の比喩で量子力学を持ち出すのは、たぶん多くの人には意味がわからないかもしれないけれど、僕はあなた達の知らない量子力学を知っているんです、エヘン、という自慢がしたいときに限られるわけですが、僕はそういうことはあまり好みません。

 だから、僕はけしてそんな品のない比喩の使い方はしません。
 いや、それとも「既にした」のでしょうか。
 本文中には、既にその比喩が書かれているので、僕は比喩を使ったと言われるかもしれません。でも、僕はその表現を「そんなことはしない」と言う為に記述したので、やっぱり「そんなことしてない」はずです。ちゃんと比喩を記述した後にそれを「取り消し」しているわけです。

 けれど、そんな取り消しは無効だというのが本当のところでしょうか。
 例えば、人をぶん殴っておいて「というようなことは僕はけしてしないんだ」と言ったって、殴られた方では既に痛いし怪我だってしています。取り消しの文句がいくつ並べられたって、怪我は治りません。それと同様に、取り消しの言葉がいくつ並んだところで、既に書かれた言葉は既に読まれています。

 困難で不正確な自己観察ですが、「読書」には、このような「取り消し」に近い不自然さが存在しているようにみえました。
 少し、例を引いて見てみましょう。


 「わが友よ」
 彼は涙をふりはらって、おごそかに石の肝臓を指した。
                          』

 坂口安吾の「肝臓先生」にある一文です。
 短いですし、この文が特別だから挙げたわけでもありません。小説なら大抵はどの小説のどのページでも同じような構造が見受けられます。

 この場面には、2人の人間「私」と「彼」が登場しています。
 僕たちは文章を前から順に読んで行くので、最初に頭へ入ってくる情報は、

 「わが友よ」

 というセリフです。
 が、ここまで読んだ時点では誰がどのようにこのセリフを口にしたのかは分かりません。
 ちなみに、この場面の直前は「彼」が涙を流し、「私」が驚くというもので、来るセリフ「わが友よ」がどちらのものであるかを示唆する記述はありません。直後に書かれている「彼は涙をふりはらって、」を読んではじめて、誰がどのように言ったのか分かります。

 それでは、「わが友よ」を読んだ瞬間、僕たちが頭に「イメージ」しているものは何でしょうか。誰が言っているのかも分からない純粋なセリフだけを、まるでチェシャ猫の笑いのようにイメージすることは可能でしょうか。それとも、量子力学のシュレディンガー猫のように、「彼」が発話している状態と、「私」が発話している状態の重ねあわせ状態をイメージしているのでしょうか。おっと。

 無論、それは極々短い、一瞬のことです。ほぼ同時かもしれません。もしかしたら文章を前から順に読んでいるというのは間違いで、結構ジグザグと読んでいるのかもしれません。
 それでも、いずれにせよ僕たちは情報を一つづつであろうが、複数づつであろうが、断片的に頭に入力していくので、どこも欠けていないイメージを頭に描く為には「情報が揃うまで入ってきた情報を保留する」か「勝手に想像して後で遡及的に訂正する」必要があります。

 情報が揃っているのかチェックする時も、勝手な想像を訂正するときも、僕たちの頭の中に立ち上がっているのは通常の3次元空間的イメージ、つまり「場面」ではありません。
 先に「取り消し」の気持ち悪さについて言及しましたが、取り消しと置き換えが細かく起こっている高周波の「読書空間」としか呼びようのないものが、頭の中に立ち上がっているはずです。
 これはやっぱり非常に気持ちの悪い空間だと思うのですが、その気持ち悪さを安々と飛び越えて、読書というものが、物語というものが成立しているのが不思議でなりません。
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カーシェアリングとラブホテル

2014-03-25 21:25:52 | Weblog
 友達の知り合いがラブホテルを経営しているというので、ここ2、3年の売り上げの増減を聞いてみたのですが、友達はそこまでは知らないということでした。
 売り上げのことを聞いてみたのは、ひょっとしてカーシェアリングの増加はラブホテルの収益を減少させているのではないかと思ったからです。

 少し前に読んだ記事によれば、カーシェアリングを利用する人が急増しているらしく、そういえば2、3年前まで近所に停まっているカーシェアリングの車が動いているのを見たことがありませんでしたが、最近では出払っていることも多いので、僕の実感としても利用者は増えているのだと思います。

 たしかにこれは便利です。
 僕は京都に住んでいますが、神戸まで電車で出て買い物をしている途中で六甲山に行きたくなったら、iPhoneで近くにあるシェアの車を探して、会員カードをかざして解錠、その車で六甲まで行く、というようなことができます。
 料金が安くなり、乗り捨てなどのオプションができると、利用者は爆発的に増えるだろうし、従来のレンタカーが駆逐されるのも時間の問題ではあると思います。

 カーシェアリングの普及は、社会の様々なところに影響を及ぼすに違いありません。僕は特にデートのあり方が結構大きく変わるのではないかと思っています。
これまでのデートでは、「自分のを乗ってきた」であろうが「レンタカー予約した」であろうが、とにかく車の準備がないとドライブはできませんでした。つまり、ドライブは「わざわざ」行くものでした。

 でも、これからは違います。
街で「ちょっとお茶」の途中に「天気いいね、こんな日に琵琶湖でもドライブしたら気持ちいいだろうな」でという話になれば、「また今度」ではなく、「じゃあ、今から行こう」です。
 インスタントカップルよ永遠なれ。

 さて、カーシェアとラブホテルの相関関係と書きましたが、ラブホテルを持ち出したのは、それだけが書きたかったからではありません。
 実は、僕はラブホテルこそがシェアハウスだと思っています。
 現行の流行のシェアハウスは3年から5年くらい掛けてますます流行し、その後ゆっくりと減少に向かうと思います。
 代わりに、別形態のシェアハウスが誕生します。その別形態というのは、カーシェアに近い形の形態、つまり空間をシェアするのではなく、時間でシェアするという形態、ラブホテル方式のことです。
 別にラブホテルでなくても、普通のホテルでもいいんじゃないのか、という話で、それはそうなんですが、普通のホテルはサービスが過剰です。もちろんそれがホテルの良い点ですが、今の文脈では余計です。
 加えて、ラブホテルは普通のホテルよりいつも未来的でした。
 予約も何もなしに立ち寄って、誰にも会わずに勝手に部屋に入ってすごし、出る時にお金を払う。それも現金をカプセルに入れて壁のパイプにセットするとエアーでフロントに運ばれて、お釣りがまたカプセルで返ってくる、みたいなシステムを使っていたところまであります。
 将来的に、今は隠れて人がやっている作業も機械に置き換わるでしょう。完全無人のホテルに入って過ごし、スマホか何かで決済して外に出てくるのは、好き嫌いを別にして、やっぱり未来的です。

 今、社会で起こっていることは「短期少量分割化」です。
 音楽をCDアルバムというパッケージで買う人はほとんどいなくなりました。代わりに気に入った1曲をダウンロードします。流通の関係上、普通は300ページくらいだった書籍が、電子書籍では数十ページで出ています。雑誌という単位は滅びつつあり、人々が読むのは個別の記事です。
 会社の平均寿命も1980年頃には30年と言われていたのが、今では5年。つまり普通はもう30年ローンで家なんて買えません。そもそも30年も一箇所に住むライフスタイルは滅びつつあります。

 30年住む家→2年更新の賃貸→マンスリー(ウィークリー)マンション→Airbnb(ホテル形式、予約必要)→住みたいときにさっと入って使った分だけ支払う家(ラブホテル形式、予約不要)

 という流れになるのではないでしょうか。
 「ここが私の家である」という心の拠り所がなくなると困る、という人はずっと同じ場所に住めば良いですし、バンバン移動したい人は毎日のように違う土地で違う家に住みます。

 また京都ー神戸の喩え話をしますと、神戸で夜ご飯でも食べてしまって、さらにお酒でも飲んでしまえば、「もう今日は神戸で泊まりたい」と思うのですが、色々考えて大抵は頑張って京都まで帰ります。
 でも、このラブホテル形式の新しいシェアハウスが至る所にあれば、「今日は神戸で泊まろう」どころか、「今日から神戸に住もう」です。夜ご飯を食べていたレストランの近所に空いている家がないかiPhoneで検索して、そこへ行ってネット経由で解錠、引越し完了となります。2,3日して飽きたら、2、3日分の家賃を払って、さて次はどこへ行きましょうか。

 そんなの素敵でもなんでもないと思う人がいることも理解できます。
 でも、きっとこういう未来がやって来る。
 そもそも定住というのは、人類の長い歴史において、高々1万年しか歴史のない、どちらかと云えば特殊なことですし、それは食料備蓄の必要に迫られてはじまったとも言われています。
 テクノロジーがこれだけ発展した今、実は定住を続けている方がおかしいのかもしれません。


 
  
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