一月往ぬる二月逃げる三月去る
とはよく言ったもので、ついこのあいだお正月だったのに・・・と、これまた毎年テンプレのフレーズ。
だが、ちがうのは今年の冬は格別に寒いということ。暖冬に慣れてひさしく、また地球温暖化とやらで氷点下になることも当地ではめずらしくなった。「今年も暖冬」が定着し、氷が張るとか、ましてや『しもやけ』なども幾久しく拝んだこともなかった。
それが、今年は格別に寒い。古い記憶をたどれば昭和の頃(40年代)は、この程度の寒さは当たり前だった。いつのまにやら暖冬に慣れ、かつては当たり前だった寒さがことのほか身にしみる。もっとも年をとったという理由も加味されている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そんな冬もまもなく終わろうとしている。
昨年の11月にblogに関して不本意な出来事?に巻き込まれて怒り爆発。怒涛の勢いでそれまで続けていたblogの過去ログをすべて移動させて閉鎖、他の膨大な過去ログが放置してあったblogも同様に。blogの生前整理が瞬く間に終わった。
今にして思うと、あの行動力はどこから来たのだろうかと不思議になる。ほんとうに短期間にあっという間の移動作業。それまで「いつかはやらないと」と先延ばしにしていた前blogの整理も、あっというまに終えていた。おそるべし「怒りのパワー」。
もう40年来の持論だが、人間がもっともエネルギ―を発揮できるのは「怒りの感情」ではないかと思う。一般にモチベーションの有無を言われるが、私の場合はずっと「怒りの感情」が怒涛の行動力を生み出してきた。
怒りから発する「やる気」は、ある種カタルシスも生み、気がつけば行動し終えていた、というくらいスイッチが入った状態になる。
というわけで、なにごともスラスラ運びたいなら、私の場合は常に「怒りの感情」に支配されていないとならないわけで、それはそれで疲れるな・・・と、老化した現在ではしんどくもある。と、文句の多いこと。
それにしても、こんなふうにくだらない、とりとめのない、どーでもいいことをつらつら書くのも楽しいな。これまではテーマを決めて、正誤、適不適を考えてかなりの推敲をして書いていたので、こんなテキトーな文章を書けるなんて楽ちんだこと。
これでいいのだ。
とはよく言ったもので、ついこのあいだお正月だったのに・・・と、これまた毎年テンプレのフレーズ。
だが、ちがうのは今年の冬は格別に寒いということ。暖冬に慣れてひさしく、また地球温暖化とやらで氷点下になることも当地ではめずらしくなった。「今年も暖冬」が定着し、氷が張るとか、ましてや『しもやけ』なども幾久しく拝んだこともなかった。
それが、今年は格別に寒い。古い記憶をたどれば昭和の頃(40年代)は、この程度の寒さは当たり前だった。いつのまにやら暖冬に慣れ、かつては当たり前だった寒さがことのほか身にしみる。もっとも年をとったという理由も加味されている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そんな冬もまもなく終わろうとしている。
昨年の11月にblogに関して不本意な出来事?に巻き込まれて怒り爆発。怒涛の勢いでそれまで続けていたblogの過去ログをすべて移動させて閉鎖、他の膨大な過去ログが放置してあったblogも同様に。blogの生前整理が瞬く間に終わった。
今にして思うと、あの行動力はどこから来たのだろうかと不思議になる。ほんとうに短期間にあっという間の移動作業。それまで「いつかはやらないと」と先延ばしにしていた前blogの整理も、あっというまに終えていた。おそるべし「怒りのパワー」。
もう40年来の持論だが、人間がもっともエネルギ―を発揮できるのは「怒りの感情」ではないかと思う。一般にモチベーションの有無を言われるが、私の場合はずっと「怒りの感情」が怒涛の行動力を生み出してきた。
怒りから発する「やる気」は、ある種カタルシスも生み、気がつけば行動し終えていた、というくらいスイッチが入った状態になる。
というわけで、なにごともスラスラ運びたいなら、私の場合は常に「怒りの感情」に支配されていないとならないわけで、それはそれで疲れるな・・・と、老化した現在ではしんどくもある。と、文句の多いこと。
それにしても、こんなふうにくだらない、とりとめのない、どーでもいいことをつらつら書くのも楽しいな。これまではテーマを決めて、正誤、適不適を考えてかなりの推敲をして書いていたので、こんなテキトーな文章を書けるなんて楽ちんだこと。
これでいいのだ。