どこまでも独り

四度目の引っ越し。さがさないでください。

2016/11/28

2016-11-28 12:30:47 | 日乗
私にはもう、こんなことにかかずらわっている時間はないのだわ、と思う半面、いろいろなことも思い出されて、書くことで救われてきた半生を思い、どうせ誰も見ていないことだし、思いのまま書かせてもらうか。

私がコメントアレルギーになったのは、なにも「書き込まれる立場」のときだけではなかった。

大昔は、これぞと思うときには、恭しく礼を尽くして書き込むこともあった。

とりあえず公開ブログだから、実名は避けたほうが賢明か?ならば、某H女史とでもしておこう。

日本俳壇に名を誇る、女流俳人。夫君もまた、大御所などと書くと特定されるかしら?

その女流俳人の俳句をとても好んでいた時期があり、いろいろ調べたり、ま、人並みな楽しみかたをしていた。

で、ある日、ネットを徘徊していると、なんの偶然か、その俳人のご子息というかたのHPにたどり着いた。

ご子息は俳句とは無縁の世界のかたで、本業は医師、でも、親の莫大な遺産のおかげで、ほとんど道楽のような暮らしをされていた。趣味が昂じて、珈琲屋さんの真似事みたいな?そんな店の開店準備中とか、もう随分昔のことなので、詳しいことは忘れたが、そんな悠々自適の暮らしぶりで、年齢は、たぶん50代くらいかとお見受けした。

HPのメインはその珈琲屋さんのことだが、俳人であった親の作品のカテゴリもあり、そこには、私がよく目にした数々の俳句も並んでいた。

私がバカだったのか、うぶだったのか、テキトーにネットサーフィンをしていてたまたま見つけたのが、なにかのご縁のような嬉しさで、そのコメント欄に、バカ丁寧な挨拶つきのコメントを書き込んだ。


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偶然、そちらさまのHPを拝見しましたところ、俳人○○様のご子息と知りました。お母様の俳句のコーナーもあり、とても嬉しく拝見いたしました。
私はお母様の俳句の中では、「□□□□□ □□□□□□□ □□□□□」という句が最も好きでございます。本当に素晴らしい句をお作りになる方でした。本日、ご縁あってご子息様のHPを拝見できましたこと、嬉しく思っております。ますますのご活躍をお祈り申し上げます。


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たしか、こんな手紙みたいな、およそネットのコメント欄に書くようなものではない、古くさい文体のコメントを書き込んだ。それは、私が本当にその女流俳人の俳句が好きであり、尊敬していたからであり、まさか、そのご家族が、今新たにネットの中で、活動されていたとは知らず、そこにたどり着けた幸運を感謝して送った言葉だった。


のだが、


そのコメントに対しての返事が次のようなものだった。

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あなたは『著作権』というものを知らないのか。法律に触れている。『著作権』について、どの程度の知識をもって書き込んでいるつもりだ‼

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という、叱責の言葉だった。要するに、私が好きだと挙げた1句のことを、言っているのだった。5・7・5の17文字で、1句全部を書いたことが著作権侵害にあたり、そういうわきまえのないヤツは懲らしめてやらないといけない。おまえは自分の非礼、無知を恥じろとの仰せであった。


思わず目が点、とはこのことで、あちら様が『著作権侵害』と、あまりに激昂されているので、5・7・5をそのまま書いた私の書き込みは、そのかたの言うとおりならば、訴えられるかも知れないから、

たまたま、そのコメント欄は、書き込んだ人が後で、修正や削除できる仕様になっていたので、私は早速、最初に書き込んだコメントを削除し、次いで、


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『著作権』についての正確な知識を持たず、ご迷惑をおかけしました。つきましては、最初のコメントは削除しましたので、ご了承くださいませ。

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と、あらためて丁重に謝罪した。


すると、これに対して、またすごい反応が返ってきた。


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一度書き込んで、都合が悪くなるとすぐに消す。これはアラシがやることた。失礼だとは思わないのか?

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もう、なんと反応してよいのかわからず、まさにほうほうのていで、そのHPから逃げ出した。著作権侵害と言われたから、その部分は謝罪して削除したのだか、削除したらアラシだと罵倒されて、では、どうすればよかったの?


まあ、答えは簡単だろう。そんなところに書き込まねばよかったのだ。

仮に、5・7・5ではなく、最初の5字だけ書き込めば、『著作権侵害』には相当しなかったのかも知れない。

例えば、芭蕉の句の、

「夏草や つはものどもが 夢のあと」が好きです、と書くとアウトで、

「夏草や」の句が好きです、と書けばセーフということだ。

このような意味のことを、そのご子息は罵詈雑言の表現で書いていたから。

はあ、申し訳ございませんでした。まさか、俳句のような短い作品の場合、全部言っちゃうと、違法で訴えられるのね。遺産として著作権を受け継いだ遺族の権利を侵害して、無礼者と罵られるのねー

と、その時初めて、『著作権』のおそろしさを知った。

でもなー、私が遺族なら、母の俳句を愛してくださってありがとうございます。と、思うし、亡くなっても、母親の残した作品が広く長く愛されたら嬉しいなーと、私は思うけど。

でも、そのご子息は『著作権』でガーガー喚いておられたし、母親の作品はカネの生る木だったのかもね、と、思わざるをえなかった。


このすぐ後くらいに、もっと偶然なのだが、このご子息と知己だという人と話す機会があり、これもまたスゴイ巡り合わせなのだが。

その人に、私の体験した顛末を話して、もうびっくりの連続で、私はそんなに悪いことをしたのでしょうか?と聞いてみた。

すると、その方いわく、「気にしちゃだめよ。あのご子息、かなり変わってるから」とのこと。

両親が俳壇の大御所だったせいか、自宅はお弟子さんやら取り巻きがいっぱいいたのだそう。

ご子息は、女流俳人の遅くの時に生まれた一人っ子ということもあって、その弟子や取り巻きから「お坊っちゃま」として、それはそれは若殿みたいなあつかいで育った人らしい。

家のなかにいつも、大勢のひれ伏す人がいて、その人たちにかしずかれて育ったから、ちょっと人格的には問題があるのよね、だから、気にしないほうがいいわよ。

と、なぐさめられたのだが、(たぶん)初の書き込みがこういうものだったせいか、それ以来、きわめて慎重になったことは言うまでもない。


たまたま著名人の関係者であったから、風変わりな人に出逢ってしまったのかもしれないが、その後、10数年もネットの中を逍遙していると、ごく普通の人でも、じつにいろいろな人がいて、千差万別の言葉通りである。

貴重な出会いもあるだろうが、(私が悲観的過ぎるかもしれないが)とかく、この世は善意にはほど遠い。まして、ネットのようなところは、人がリアルでは見せない、ダークな部分が全開になるので、よくよく心しないと。


で、得た結論が、

かかわらぬが吉

今日もこうつぶやいている。