ある日の気づき

読書ノート:「なぜ経済予測は間違えるのか? 科学で問い直す経済学」(5)

節へのリンク
はじめに
1. 第4章の概要
2. 「パスカルの賭け」
更新履歴とシリーズ記事

はじめに

「第4章 「パスカルの三角形」で読む価格変動----リスクモデルのリスクを知る」の大半は、
先に「読書ノート:「なぜ経済予測は間違えるのか? 科学で問い直す経済学」(3)」の 1.
で述べた (B)-(ii) の誤りの指摘である。「パスカルの三角形」は「二項分布は、試行回数 n が
十分大きくなれば、正規分布に近付く事」(中心極限定理の一例)を通して、正規分布を導入する
意味と、「偶数と奇数を色分けすると、n→∞でシェルピンスキー・ガスケットに近付く事」を
通して、「スケールフリー」という概念と密接に関係する「自己相似性」と「フラクタル」の
概念を紹介し、「べき分布」に話をもっていくための「マクラ」であって、それ自体は、論点に
直接関係しない。ただし、偶数と奇数を色分けしたときに表れる三角形について、「指定された
長さの辺を持つ三角形の数」と「指定された(辺の)長さ」の関係が、やはり「べき乗則」に従う
という例にもなっているほか「フラクタル」の概念は「富の分布」にも当てはまる (パレートの
80-20則) ので、第7章での不平等についての議論への「伏線」にもなっている。

結論として、「正規分布を仮定した誤ったモデル」が助長している「金融システムを不安定に
する恐れのある金融機関の短期的利益追求を、(現在は「規制緩和」で「野放し」にされている
新金融商品開発の事前審査などにより)規制して、より「安定性」を重視した金融システムを、
構築していくべきだとしている。

ところで、下記記事からの孫引きだが、「読書の目標は、(中略)最終的には書かれた文章と
無関係な思考に到達するところにあるのだ」ということで、表題書籍の論旨からは離れるが、
本記事では、一つ前の記事でも触れた、「西欧と非西欧の「倫理」思想の「発想の違い」」に
ついて引き続き考察する。「表題書籍の論旨からは離れる」とは書いたが、一応、第4章で言及
されている事に関係して考えた事ではある。話の都合もあるので、とりあえず、第4章の概要を
次節で紹介する。
https://cruel.org/chuko/chuko2008q1.html
文明を築いた「読書脳」
ウルフ『プルーストとイカ』(インターシフト)
# 上のURLは複数の書評記事からなる。引用(孫引き)した文章は、最後の方に出てくる。

1. 第4章の概要^

以下では、論旨に直接関係する部分を抜粋している。(飛ばした部分に、興味深いエピソードが
多々あるので、下記は原文に比べて「味も素気もない」ものになっている)。
「エコノミストは、確立した科学的手法を使えば、経済のリスクは管理できるとも教わる。 ...
本当に例外的なことが起きないかぎり。問題は ... そのようないわゆる極端な事象」が、
理論で言われるほど例外的ではないことだ。... 本章は、銀行などの金融機関が用いるリスク
モデルの裏側を見て、それが危険な前提 ---- 安定、独立した投資家など ---- に基づいていて
それが私たちの預金、年金、事業を危険に陥れることを見る。」(p.81)

パスカルの賭け (p.85)
「ブレーズ・パスカルは、今日では確率論よりも ... *パスカルの賭け*の方が知られている。」
# 「パスカルの賭け」は、表題書籍中では「パスカルという人物の紹介」という意味しかない。
# ∴表題書籍の著者は「パスカルの賭けの論理」に疑問を呈していない。だが、本ブログ筆者は
# *次節*で述べるように「突っ込みどころが多過ぎて、賭けが成立するのか疑問」という意見。

不合理の最高法規 (p.91)
効率的市場仮説によれば、市場は常に、売り手と書い手がほぼ完璧な均衡状態にある。
...
1960年代および70年代のエコノミストは、リスクを測定し制御するための複雑な公式を工夫する
ようになった。... こうした手法はどれも要となる経済神話をいくつか想定している。投資家は
合理的で独立しているとか、市場は自由で偏りがないとか、市場は安定していて価値とリスクを
正しく映し出しているとか、そうしたことの結果、価格の変化はランダムで正規分布に従うとか
そのたぐいのことだ。... 今日でも、正規分布はリスク計算の標準になっている。... 
1987年10月19日 ... ブラックマンデー ... ダウジョーンズ工業株価指数が、不意に 29.2% も
下落した。... 実は、正統的なリスク手法は、この 2,30年の金融危機のどれについても、その
リスクを現実に合う形で評価できていない。その理由は、... 価格変動が実際には正規分布に
従っていないことだ。
...
怪しい根拠 (p.94-100)
...
たとえば、金融破綻はよく地震になぞらえられている。これはいいかげんなたとえではない。
... どちらの現象も同類の数学的法則で記述できるのだ。地震の大きさが二倍になると、頻度は
四分の一になる。これはべき乗則と呼ばれる。確率が大きさの二乗に連動するからだ ...
...
数々の研究から、主要な国際的指標について、価格変動の分布はべき乗則に従う事が明らかに
なっている。この場合のべき乗は三乗となる。
...
フラクタルな市場 (p.100-104)
...
シェルピンスキーのガスケットは、数学者のブノワ・マンデルブロがフラクタルと呼んだものの
早い時期の例だ。フラクタル図形とは、自己相似という性質をもった幾何学的対象のことを言う
--- どれほど深くズームインしても、どこまでも細かいちいさな形を見せ、どのスケールでも
相似の外見をしている。... 
金融世界のデータも自己相似的だ ---- 年ごと、月ごと、週ごと、日ごと、さらには1秒ごとに
見ても、グラフの形がどの時間のスケールで見たものか、区別できない。
... このガスケット模様は、株式市場の暴落の歴史を目に見えるかたちにしたものに近いことも
わかった。... 白い三角形がそれぞれ、価格の変動に相当し、辺の長さがパーセントで表した
一日の価格変動に等しいと考えてみよう。... 価格変動の規模が半分になると、回数は3倍 ...
この関係はべき乗則 ... パレートの80-20則は、富がフラクタルに並ぶことを言う ....
... フラクタルは平衡から遠いところで動いている有機的な複雑系があることのしるしのような
もの ... そういう系は、自己組織化臨界現象と呼ばれる状態に向かって進む傾向はある。

臨界に達する (p.104-107)
自己組織化現象の典型例は、何の変哲もない砂山だ。... 砂粒を加えていくと、そのう砂山は、
ある臨界状態に収束、あるいは自己組織化する。... ところがこれはあまり堅牢ではない。...
砂粒を加えれば、大小様々な規模の崩落が生じる。大きさはべき乗則に従い、スケールフリーの
分布をしている。この系はカオス的でも安定でもなく両者の境目にある。
... フラクタル統計は、各変動の分布のみ ... 教えてくれる ... いつどうなるかとか、集中の
度合いについては教えてくれない。...
... VaR は危ない橋を渡る行動の背中を押し、事態がまずくなったときの言い訳を提供する ...
... 非正規分布では標準偏差にはほとんど意味はないのに、リスクはやはり標準偏差で表される
傾向がある。」
# ここまで、価格変動が「べき分布」に従う事実と、その含意の紹介。以下は、金融業界への
# 「現状より広範かつ厳重な規制」が、金融システムの安定性実現には必要不可欠との指摘。

「ノーマルになる (p.107-110)
複雑性の理論にある、役に立つ見解の一つは、複雑で有機的な系においては、効率と堅牢性が
相反する関係にあるということだ。カオス的な体制では、系は制御できないほどゆらぐ。安定
した体制では変化は小さく、正規分布に従う。系は、進むままに任せられれば、カオスと秩序の
境にある臨界状態に向かって進むことが多い。
ここではゆらぎがべき乗則、つまりスケールフリー分布に従う ... 極端なゆらぎを生じやすい
ので堅牢ではない。
... 自分は全体が破綻する前に手早く利益を上げられると思っている投資家が、巨大な砂山に
砂粒を落とすように、頂上から次から次へとお金をつぎ込む。この状態では、極端な事象は異例
ではない。....
... 安定と効率のバランスを改善する ... 短期的にはそれほど利益は出ないが、有害な破綻
も起きにくいような金融システムを生み出す... 砂山とは違い、私たちは少なくともその行方に
影響力を発揮できる。
最初は新しい金融商品の販売をもっときちんと規制することだ。... 
... 欠陥があるとわかるまでは認められるという姿勢から、他の選択肢よりも相当の改善を
もたらし、危険な副作用がないことが示せないかぎり、認めないとする(他の医薬品や原子力
では当然の姿勢へ変えることだ。....
... 
危ない橋の上 (p.110-112)
第二の方法は、短期的な儲けを出す確率が高く、途轍もないボーナスを生み出しはしても、
いずれは破綻するに決まっているような賭けを、銀行がしたくなる誘因を減らすことだ。....
...
第三案としては、... 信用の創出とレバレッジを抑制すべきではないか。2008年の経済システム
での負債総額は、GDP比で見ると、1980年代のほぼ三倍になっている。
... 予想外の出来事があれば、すぐに負債は増幅され、波及効果が生まれる。規制は銀行だけで
なく、デリバティブ市場をはじめ、信用を創出するどんな機関にもかけられるべきだろう。
... 金融機関が用いるリスクモデルを修正して、市場がフラクタルで極端な事象の可能性がある
ことを、もっとよく反映するようにすべきだろう。... ただし、どんなものでも数理モデルには
限界がある。....
...モデルを信頼しすぎると、奥底に潜んでいる危険が見えなくなる。工学者や生物システムは、
安全性の余裕を得るために冗長性を用い、造船業者は船を ... 大幅な余裕をもたせて設計する
... 同じように、経済システムを、予想外の衝撃に備えて保護する必要がある。
要するに、複雑系では効率と堅牢性は相反する関係にあり ... 短期的効率の水準を下げる気に
なれば、経済のリスク水準は下げられるのではないか。....」

2. 「パスカルの賭け」^|*

まず、これは「パンセ」に出てくる話なので、意味を考えるにあたって「パンセ」という著作の
性質を考慮する必要性は明らか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/パンセ
「晩年のブレーズ・パスカルが自らの書籍の出版に向けて、その準備段階で、思いついた事を
書き留めた数多くの断片的な記述を、彼の死後に遺族などが編纂し刊行した遺著である。」
# つまり、パスカル本人の「真意」に不明な部分があるのは、やむを得ない。
参考:「パンセ」の仏文英訳和訳

DuckDuckGoGoogle の表題語句検索で上位に来る記事を眺めると、大別して次の2種類。
(1)信仰と倫理の問題としての側面を重視
(2)確率や期待値との関連を重視
素直に「パンセ」を読む限り、(1) が妥当な解釈で、(2) はパスカルとフェルマーの往復書簡
近代確率論の嚆矢とされていること*だけ*に拘泥した議論。
Wikipedia では両方の観点に言及がある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/パスカルの賭け
「パスカルの賭け(パスカルのかけ、フランス語: Pari de Pascal, 英: Pascal's Wager, 
Pascal's Gambit)は、フランスの哲学者ブレーズ・パスカルが提案したもので、理性によって
神の実在を決定できないとしても、神が実在することに賭けても失うものは何もないし、むしろ
生きることの意味が増す、という考え方である。『パンセ』の233節にある。」
# http://james.3zoku.com/kojintekina.com/pascal/pascal233.html
「『パンセ』は、パスカルが晩年にキリスト教弁証学についての書物を構想して書き綴った
断片的ノートを死後にまとめたものである。」
# ここまではは妥当な「内容紹介」。
「歴史的には、パスカルの賭けは確率論の新たな領域を描き出したという点で画期的であり、
無限という概念を使った初期の1例であり、決定理論の形式的応用の最初の例であり、
プラグマティズムや主意主義といったその後の哲学の先取りでもあった。」
# うがち過ぎ。パスカルは*非常に熱心なキリスト教徒*だったので、少なくとも自分自身の
# 信仰と関係付けた議論を「期待値」を関係付けるはずはない。∴「確率論の新たな領域」
# 云々は、この「パンセ」の記述とは、大して関係ないだろう。むしろ、手塚治虫の作品
# 「ブラックジャック」の主人公が、難手術についての「まあ賭けでしょう」という発言を
# 咎められて、「では、あなた方は賭けてはいないのか?」と反問した時と似た意味合い、
# つまり、単に「*賭けるしかない*状況にある」と言っているだけのように思える。
# すると (1) の観点だけが問題だが、論理的には下記*キリスト教徒の立場からの反論*で
# 話は終っているし、そもそもパスカル本人が「賭けている」つもりだったわけでもない。
https://www.gotquestions.org/Japanese/Japanese-pascal-wager.html
「さて、何年にもわたって、様々なグループから、この批判が出てきました。例えば、矛盾
した啓示からの議論があります。この議論は、選択をキリスト教の神だけに限定する理由は
ないというもとに、パスカルの賭けを批判します。人間の歴史を通して多くの宗教が出てきて
いるので、可能性を含めた多くの神々があってもよいというのです。別の批判は無神論者の
グループから来ます。 リチャード.ドウキンは正直な不信を報い、盲目の、又は見せかけの
信仰に罰を与える神の存在の可能性を仮定しました。
それはそうかもしれませんが、私たちが関心を持つべきことは、パスカルの賭けが聖書と一致
しているか否かです。賭けは多くの論点で役に立ちません。....」
# なお、パスカルはカトリックからは異端扱いの「ジャンセニスト」の論客だったので、異なる
# 「啓示」だけなく解釈の問題も理解し、ユダヤ教やイスラムの事も、当然知っていたはず。
# ∵(1) モンテーニュは知っていた。(2) パンセにはモンテーニュの死生観への反発を表明した
# 下記記述があり、その文言↓はパスカルがエセーを通読していることを意味している。
# 「(モンテーニュは)*全編を通じて*、だらしなくふんわり死ぬことしか考えない」。
# モンテーニュの宗教観については下記などを参照。
# https://oshiete.goo.ne.jp/qa/6731040.html
# エセーの和訳は、下記にある(関根秀雄訳「モンテーニュ随想録」)。
# https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1849.html#sakuhin_list_1
# 英訳は、例えば下記。
# https://gutenberg.org/files/3600/
# https://en.wikipedia.org/wiki/Essays_(Montaigne) の "Externa Links"
# 仏文テキストは、例えば下記。
# https://fr.wikipedia.org/wiki/Essais_(Montaigne) の "Liens_externes"

本ブログ筆者の論点は、そもそも「「神の存在」が「倫理」を規定する」という発想自体が、
*西欧キリスト教世界に固有の特異な観念*に過ぎないということだ。
儒教と仏教では、「世界のありよう」の観察に基づいて「すべきこと」を議論する、つまり
*「よく分からないこと、確かめようのないこと」は「何をすべきか」に影響しない*という
考え方が、孔子の「怪力乱神を語らず」、仏教の「無記」といった言葉で、明示されている。
なお、仏教にも「確率」のような話はあるが、「今、ここに人として存在し、仏教を知る機会が
ある」ことが、「あり得た他の可能性」を考え合わせると稀なこと」という内容。手塚治虫の
「火の鳥」鳳凰編での茜丸の運命は、この話が下敷きになっている
https://www.bukkyouoshie.com/rinne/sankiemon.html
あと、キリスト教の理不尽な神より、慈悲深い阿弥陀仏を信じる方が楽そうな気もする(笑)。

他の一神教であるユダヤ教とイスラム教では「「預言者(たち)」が示した「生活規範」」が
重視されるのに対し、キリスト教では、*「神であるイエス・キリスト(の復活/奇跡)」という、
特異な観念*が重視される事が、「キリスト教世界における「反ユダヤ主義」の起源について
という記事で述べたように、キリスト教世界のありように大きく影響している。
不合理なるがゆえに我信ず」といった発想は、キリスト教世界に固有である。パンセにおける
「賭けの必要性について」という「パスカルの賭け」の出典にも「不合理なるがゆえに我信ず」
と類似した感触の「無限についての形而上学的表現」が頻出する。


主流経済学という宗教/イデオロギーの信奉者の態度にも、「不合理なるがゆえに我信ず」を
連想させるところが多い(ここに持ってきたかった)。

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