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タコカレ海を渡る

2010年6月より青年海外協力隊として活動中。10ヶ月のブルキナファソ生活、5カ月の日本待避生活を経て今度はマラウイへ!

としのせ

2011-12-28 05:39:58 | @MALAWI
てりやきバーガーはまたも好評で、ついでにザンギ(鶏のから揚げ)も好評のうちに終わった。



ついにマラウイ人からBest cook賞を頂くに至る。ありがたく受け取っておこう。





病院には時々いくという生活の中、先日病院でしばらく休暇をとっていた整形外科医に久々にお会いした。

向こうも私に気付いたようで「あぁフィジオの人みーっけた!」的な陽気な感じで接近してきた。



マンゴーの木から落ちて四肢麻痺という少年を診て欲しいというのがその陽気さの原因だったわけだが、理由はどうあれ院内でこのアジア人がフィジオ科で働いてるメンバーの一人だということを認識してもらえるのはありがたい。(ちなみにそのマンゴーツリーの少年は不思議な症状でただいま経過観察中といったところ)



日本はもう大晦日に入っていて年越し間近、我々22-1隊も帰国まで半年を切った。

一足先に3月に変える現職参加の小学校の先生の中にはすでに「帰国届」なる申請書類を提出した人もいる。

もうすぐ「今年帰る」ことになるわけで。





早いっちゃ早い。




日本は賑やかな季節だけど、私の周りはとても静か。

去年は日本人が集まって賑やかに年越しだったけど、今年はまったり静かに過ごすことになりそうだ。

たまにはこんな年末もいい。







カメ

2011-12-27 15:30:44 | @MALAWI


「ちょっと早くきて!!」


ざーざーぶりの雨の日に突然ゲストハウスの職員さんに呼ばれる。




一体なにー?と思って呼ばれるままに部屋をでてみると。













カメが歩いてた。









職員さんが捕獲して近くに連れてくる。













雨季のマラウイでは珍しくないんだそうで。。。



持ってみたけど、カメってなんでこう密度が高いというか、重いんだろう・・・・。

そして、カメの顔はなぜか常に悲しげだ。





さて、これから何匹のカメに遭遇するのか・・・。





一仕事終え。

2011-12-25 16:02:38 | @MALAWI
JOCVに唯一義務付けられていること、それは報告書の提出。


2年間のうちに5つの報告書を書くことになっていて、それぞれ1号報告書~5号報告書と呼ばれている(そのまんま)。

1号は赴任して3カ月目、2号は6カ月目、3号が1年、4号が1年半、そして帰国直前に5号を提出するというのがルール。


ブルキナで2号まで提出し、ぼちぼち3号を用意しないとなぁという頃に撤退。

本来3号を提出するはずに時期、私は福島でボランティア活動をしていたわけで、そんな報告書が提出できるわけもない。



残り任期9か月というタイミングでマラウイに着任。

着任早々、報告書をどうしたらよいか確認したところ、3カ月で(2度目の)1号、6か月で2号、帰国直前(9ヶ月目)に5号報告書を出せばよいとのことだった。



というわけで、このクリスマスがまさに1号報告書の提出時期。

事務所へのクリスマスプレゼントのごとく、つい先ほど提出して何となく気持ちもスッキリ。

やはりやるべきことはサクサクやっておかないと、精神衛生上よろしくない。



ところで、曇り空のクリスマスには英語の勉強あたりが似合うんじゃないかしら・・・。

一仕事終えてスッキリしたところで、少々勉強するとしよう。





ちもじもじ

2011-12-23 02:09:17 | @MALAWI
先日の日本人ボランティア全員集合時に起きた珍事件。

マラウイでは同期にあたる23-2の友達と服装がまったく一緒!

なんと時計まで一緒だから驚く。




そして、その2日後くらいに起こった珍事件②。

その日、私のところに訪問客がある予定になっていた。

最近知り合った、私のマラウイでの叔母さん(愛称タンティ)がその訪問者。

いろいろあって私のマンゴーを預かってもらっていたので、それを届けてくれることになっていた。


同日、一緒に写真に写ってる友達が私の部屋に遊びにくることになっていた。

私のステイしているゲストハウスからほど近い、隊員のためのドミトリーから我が家に向かう途中。

誰かが車を止めて「タコカレ!タコカレ!」と彼女に向かって呼びかけたらしい。

怪しみつつも、どう考えても私のことを指してると理解した私の友達。

タンティの車に乗って我が家にやってきた。



後から判明したところによると、タンティが友達を私だと思って呼び止めたらしい。


その理由が「白い時計をしてたから」。


タンティ、細かいところのチェックが抜かりない。笑


今度その友達が上京してきた折には、一緒にタンティのところに遊びに行こうということになっています。




ちなみにそのタンティ、日本で言うニチギンにあたる銀行で働きながら、今修士をとるために大学生もしているという頑張り屋さん。

タンティ公認、ちもじもじの我らなのでした。




1年振り返り。

2011-12-23 02:09:17 | @MALAWI
同期のブルキナ隊の何人かのブログで、今年を振り返るというのをやっていたので真似してみようと思う。




【1月】

バンフォラはニャンソゴニツアーから始まった2011年。

ブルキナ同期の半数がバンフォラという街に集合して一緒に年越しした。

同期っていいなぁと思いながらの2011年幕開け。


【2月】

ブルキナでは学生によるデモが始まった。

まさかこれが国外退避にまで発展するとはだれも思っていなかったころ。


【3月】

日本では今年の10大ニュース間違いなくトップでしょう。

東日本大震災の発生。

国外にいることのもどかしさを感じつつ、ただひたすら祈ることしかできなかった。


【4月】

ブルキナの国内情勢が徐々に悪化。

そして月末にはまさかの国外待避。待避だけのはずが、本当に退避になってしまうとは。


【5月】

このころはまだブルキナに帰れるつもりでいて、震災ボランティアのことなども考えながら北海道で過ごしていた。

先が見えない日々。


【6月】

丸一カ月、福島県にあるJICA二本松訓練所でボランティアとして活動する。

避難者の方々、JICAの職員さん、福島県庁の方、他のボランティア達など、たくさんの大切な人と出逢った1カ月でもあった。


【7月】

まさかの2nd駒ヶ根訓練所生活。

22-1なのに23-2という状況、立ち位置探しに若干苦労しながらも英語の訓練を一生懸命頑張った。

下旬に次なる任国が決定、マラウイ隊員になることに。

【8月】

駒ヶ根生活後半戦。

本来マラウイ隊員の訓練は二本松訓練所で行われるのだが、震災の影響で駒ヶ根で一緒に訓練を受けられた。

つくづくラッキーだと実感しながらの訓練。


【9月】

駒ヶ根訓練所を卒業したあと、福島県を再訪。

月末にはいよいよマラウイに向けて日本を出発。

【10月】

二度目のアフリカ生活。今度は首都の大病院での勤務。

言葉の壁に苦戦しつつも、周りのマラウイアンに助けられながらマラウイ探索を楽しむ。


【11月】

仕事も大分波に乗ってくる。

配属先の病院が自宅を見つけることになっているのが、なかなか見つからずゲストハウス暮らしが続く。

しかし、むしろそれが功を奏してマラウイ人の友人が激増!


【12月】

季節柄、マンゴーを存分に楽しみつつマラウイライフを満喫中!





こうして振り返るとブルキナ⇒日本(北海道、福島、駒ヶ根)⇒マラウイと本当に激動の1年だった。

きっと、2011年は私の人生の中でも、かなり刺激的な1年なのだろう。

日本では今年の一文字が「絆」だときいたが、私としては「激」といったところか?

とにもかくにも、今こうしてまたアフリカで充実した生活を遅れていることには、ただただ感謝するのみである。



アフリカ生活も残り半年。

一つでもいいから、何か足跡を残して帰れるように。

来年もまた激動の1年にできるように。




今日もアフリカの日差しは暑い。






世間は狭い。

2011-12-16 12:48:59 | @MALAWI
総会などのタイミングで、似たような職種の隊員が集まる「分科会」なるものも開催された。

医療分科会なんていう仰々しい名前のそれに参加。

分科会の内容の詳しいことには触れないが、個人的にはなかなか充実した時間にできたかなと思う。




そして、そこで判明した事実。

私と同じように、安全上の理由でニジェールから撤退しマラウイに振替派遣になった隊員がいたのだが、その彼がなんと大学の後輩だった。

いやー世の中狭いね。同じ建物の中で勉強してたことがあるってこと。



彼が働いていた病院も私が勤めてた病院から患者さんを送ったりしていた病院で、私の書いた添書を彼が読んだりしたこともあるかもしれない。


彼は理学療法士ではないし、JOCVとしてはまた違う職種で働いているのだけど、いろいろ話ができたのは収穫だったと思う。



人脈なんて、どこでどんなふうに繋がってるか、全く見当つかないもんですね。

悪いことはできません。



JOCV&SV集合

2011-12-15 13:08:26 | @MALAWI
1カ月前くらいに分かれた23-2メンバー達もふくめ、全日本人ボランティアが首都に集結する。

安全対策協議会、そして隊員総会という会議のため。

23-2メンバーはこのタイミングで予防接種があったりもするようだが、私はブルキナで済ませているので関係ない。



私がずっと泊まっているゲストハウスは完全に日本人だけとなり、なんだか不思議な感じがする。

23-2メンバーに関していえば、全員と話したわけではないが、みんなの表情はなんとなく前と違っているように思う。

それぞれの任地で過ごしてきた1カ月がもたらした変化。



案の定、男性隊員は痩せる傾向にあるようだ。

激太りしたような人はいなかったように思う。



日曜日まではしばらく日常生活の中に日本語が飛び交う。

やっぱり不思議な感じ。

それだけ自分もマラウイ生活になじんだってことなんだろうか。

母@マラウイ

2011-12-13 02:17:49 | @MALAWI
私の母はもちろん日本にいるわけだが、実はもう一人マラウイではこの人が母だろうと思える人がいる。


職場で一緒に働いている看護師さん。

マラウイでは一般的な名字のピリさんという人だ。
 日本でいえば高橋さんかしら


ピリさんは早くに旦那さんをなくしているのだが、子供が3人いてお孫さんもいる。

私のことをいつも気にかけてくれていて、なんでも相談しやすい雰囲気で、本当に頼りになるお母さんといった感じだ。

何か疑問があると、とりあえず一番先に質問しにいくのがピリさん。



病院の近くにすんでいて、一度昼休みにお家にお昼ご飯をよばれにいったことも。
 食べたのはもちろんシマ


仕事以外にも、日本の話だったり、日常の他愛ない話をしょっちゅうしていて、すっかり仲良くさせてもらっている。


そのピリさんが先週・先々週と休みをとっていたのが、今日久々に再会!

いや~ピリさんがいるとなんかほっとする!と気がついて、この人がマラウイでの母だなと思った次第。



今日の帰り際、何人かの職員が化粧直しをしてから帰宅するのを見たピリさんと化粧の話になった。

日本人が使うファンデーションは白いのか?とか言う話から、何かスペシャルクリーム的なものは日本にはあるのか?とか、そんな話。笑



マラウイでは顔用の化粧クリームはすごく高級品なんだそうだ。

もちろんピリさんはそんなもの使ってない。「体と顔に同じもの使うのよ」とピリさん。

でも、まだ旦那さんが健在だった頃、その旦那さんがアメリカにいったときにピリさんに化粧クリームを買ってきてくれたんだそうだ。そんなに高級なものではなかったそうだが、それがすごく良かったんだとか。また使ってみたいわ~、と笑うピリさん。


日本に帰ったら私がいつも使ってるもの(そんなに高級なものではない)をピリさんに送ってあげようと、そう思ったのはいうまでもない。






職場に母的存在の女性がいるのは、本当に心強い。

ピリさんが休暇からかえってきてくれて、私のマラウイライフは快適さを増す予定だ。





日本大使館主催、天皇誕生日レセプション

2011-12-08 04:42:26 | @MALAWI
ついさきほど、↑表題のとおりのレセプションに参加して帰ってきました。

首都近郊に住んでいる隊員で参加できる人は・・・という感じの案内だったのですが、これがまた有意義な時間となりました!!



一番有意義だったのはJICAマラウイ所長との話だったのですが、その前に思ったことが一つ。

大使のあいさつのなかには当然のように3月の東日本大震災の話もでてきたわけですが、やはり日本を離れているからこそ余計に日本を近くに感じるというのは間違いでないように思います。

駒ヶ根訓練所以来に聞く君が代も、なんだか良かったなぁ。



で、所長との話しは非常に個人的な話となり、私の活動のことがメインでした。

寡黙ない印象の所長なのですが、私の話を食い入るように聞いてくださり、いろいろアドバイスをしていただきました。

ありがたし!!!



おいしいてんぷらと海苔巻きをたくさん食べて帰ってきたんですけど、帰るなり「シマあるよ~」と声がかかり・・・・

はい、食べすぎました。



こうして女子は体重を増していくのです。

困ったものですね。。。。



ともあれ、よい時間をすごせました。

残りの活動も頑張ろう!






シマと南瓜葉と地鶏

2011-12-08 04:42:26 | @MALAWI
何度か登場している四肢麻痺の患者さんの家に、仲良くなった看護師さんたちと一緒に行ってきました。



11月末頃に交通事故で四肢麻痺になった20代の女性。

重度の四肢麻痺で、生活全般に相当量の介助が必要です。

入院中は機能訓練云々というよりも、離床をすすめることと、話し相手になったり床ずれの予防に関する指導を家族にしたりといった関わりが主でした。

というのも、予後についての説明などは一切されてなく、本人は時間がたてば元通りの体になると思っているのです。

そして、看護の学生さんたちも病態を理解しているのかいないのか、「歩けるようになって見せて」などと声掛けしているわけでして、生活動作獲得のための機能訓練などなど、微塵も手に付けられない状態。。。



今焦っていろいろやるのはデメリットが大きいと思い、私はひたすら脇役に徹していました(現在進行中)。

帰国する頃にどんな関わりができるようになっているかは、私にも皆目見当がつきません。



敬虔なクリスチャンの彼女は、神への祈りを心の支えに生きています。

体が元通りになったら・・・と、今は中断してしまっている婚約者との縁談を進めることをとても楽しみにしている彼女。

そんな彼女は、もはや患者さんというよりすっかり気の合う友達といった感じなのです。



その彼女の家(事故前に住んでた家でなく今は祖母宅)を訪問。


二人姉妹の彼女ですが、事故当時同乗していた妹さんは亡くなっています。

自宅(とはいっても祖母宅)に帰ってから妹さんの死を告げられ、かなりショックを受けていましたが、それを差し引いても病院で見せる表情とは全然違う、リラックスした様子をみることができました。

やっぱり家が落ち着くよね~ってことですね。



その日、看護師さん達と私がいくということを告げてあったので、彼女は家族に頼んでシマを用意してくれていました。

こっちではパンプキンリーフと呼ばれる野菜(本当に南瓜の葉っぱかどうかは未確認)とローカルチキンを一緒に。




理学療法士としては複雑な心境を抱えつつも、友達と一緒に食べるシマはとってもおいしかったです。



患者さんと密に関わっていくと、医療者的な視点だけではわかりにくいこの国の障害者事情が少しずつ見えてきます。

いろいろ考え出すと、どこから手をつけていいんだか全然わからなくなってしまうこともありますが、できることを少しずつ、着実にやっていこうと気持を新たにした日となりました。




最近の食事情。

2011-12-06 12:53:41 | @MALAWI
ブルキナ時代に、とある友達とのスカイプの会話をブログに引用したことがありました。

日本食に恋焦がれる我々の悲痛な叫び。笑

マラウイでも当然そんな感じになるんだろうと思ってました。



が。



以外に食生活が充実していて、あまり不満がありません。

首都で生活してるせいもあるのでしょう。

おおきなスーパーで肉も牛乳もチーズも買える。


ブルキナ時代には考えられない。。。



マンゴーもあるし、バナナもめちゃくちゃ甘いのが食べられます。

マラウイ産のドリップコーヒーが淹れられて、普通の食パンや菓子パンやケーキもすぐに買える。
 ブルキナには食パンなかった。

もちろん菓子パンやケーキは安いとはいえないけど、手が届かないレベルではありません。




そしてこちらの人がデイリーに食べているのはシマだけでなく、チップス。

ようするにフライドポテトです。

さすがフィッシュ&チップスのイギリスが旧宗主国。

チキン&チップス、ビーフ&チップス。


インド人がたくさんいるせいもあるのか、カレーも特別な料理ではありません。

その辺で食べられる。



恋しい日本食と言えば、お刺身?

妙に栗と柿が食べたい気もします。

あと、かまぼこだな。




ところで。前に挑戦したシマ、今では少しずつ一人で作ってみるようになりましたよ。

帰国したら皆に振る舞いますね~。






結局

2011-12-04 20:50:43 | @MALAWI
今日は決戦再開どころか、結局上司が現れず話しもできませんでした。


しかも、金曜日、話題の渦中にいた患者さんが明日退院予定とのこと。

退院推進派の私とそこに疑問を投じた上司との決戦は、私の勝利と言う結果に終わりそうです。



その患者さんとは年齢が近いこともあって、本当に友達になってしまいました。
 医療関係者と患者はあえて距離をおくべきだという意見があることは承知のうえ。


よく舗装された道路でも車いすを自分で操ることは難しいレベルの四肢麻痺の患者さんです。

前にもちらっとココで書いたことがある患者さん。



今年のクリスマスに結婚する予定だったそうですが、交通事故のあと結婚に向けての話が進んでいるかどうかは聞いていません。


彼女が日本にいたとしたら。

もちろん介助者は必要だけれど、電動車いすやリフトやいくつかの環境整備をすることで、それなりに自立した生活を送れると思います。


ここマラウイでの生活はどうなるのでしょうか?

家族の手厚いサポートは間違いなく得られると思いますが、1年後・5年後・10年後は?

彼らも歳をとっていくし、本当にどうなるんだろうか?



マラウイで電動車いすの例を知ってるか、同僚にきいたら何人かはいるということだったが、自費購入なため相当金持ちでないと無理だということだった。

うーん。。。



なんとかできないもんだろうか。。

悩。






決戦は金曜日。

2011-12-03 19:58:38 | @MALAWI
先週の金曜日はぐちゃぐちゃした感じで一日を終えた。

とある患者さんへの対応をめぐって上司と意見が合わず、ほぼほぼ決裂状態。。

英語がイマイチなせいで、自分の考えをしっかり言えないことにも嫌気がさして何だか不愉快なまま帰宅した次第。

結局決着はついてなくて、月曜日にどうやって決戦再開するんだか・・・。

もたもた英語ではありつつも、納得いかないことには「どういうことですか?」と聞き返し、意見をぶつけられるようになったのは自分なりに成長したなぁと思えるところだ。



私がその上司と話しこんでいたのは終業間近の時間だった。

病棟にもう一人どうしても見に行きたい患者さんがいたので、とりあえず上司に電話がかかってきたタイミングでその場から抜け出し病棟に行こうとしたそのとき。

フィジオ科で働いているが技師ではなく掃除や帳簿類の管理をしている人達が「こんな時間にどこいくの?」と不思議そうな顔で聞いてくる。

上司と話をしてるんだが彼の意図がよくわからなくて時間がかかってるんだ、という話をしたら「この人(上司)の話は聞かなくていい」と彼ら。




どうもウチの上司は着任当初からフィジオ科の人々とうまくいってないらしい。

一緒に働いている看護師さんも「彼が来て色々かき回された」とか言っていたし、薄々感じてはいたけど、その時完全に彼のアウェイぶりを実感したところ。

どこの世界にも人間関係のごたごたは存在するってことですな。

人は荒波にもまれて育つってもんです。

いいところは見習い、悪いところは反面教師にして頑張っていきたいと思います。

Wold AIDS Day

2011-12-03 01:31:26 | @MALAWI
遅くなったが、12月1日は国際エイズデーだった。

例のKCH妊婦にガソリン要求の日の新聞(12月1日付)にはたくさんのエイズ関連記事が載っていた。



日本では国際エイズデーはあまり大きくは取り上げられないような気がするが、コチラではエイズは国を挙げた一大問題なので当然大きく取り上げられていた。

JOCVマラウイ隊員の先輩にあたる山田耕平氏が関わって出来たエイズ啓発ソング(マラウイヒットチャート1位獲得曲)Ndimakukonda(ディマクコンダ=I love you)もTVでオンエアされていた。



実際に目の前にエイズで苦しむ患者さんを目にする今の環境。

JOCVの仲間にもエイズ関連の仕事に従事する友達がいる。

すぐには難しくても、いつかエイズ撲滅の日が来ることを願う。


今日の新聞一面記事から思うこと。

2011-12-02 01:23:57 | @MALAWI
朝、道端には新聞売りの兄ちゃん達がいて新聞を売っている。

出勤途中の車の中から、いつものように兄ちゃん達を見ていたら、、、あれれ?

今日の一面見出し

<KCH ASKS PREGNANT WOMEN TO BUY FUEL>
 カムズ中央病院、妊婦にガソリンを要求


えー!なんだそらー!


車を降りて、いつもならすぐさま院内に入るところ、今日はメインエントランス前まで戻って新聞買ってから仕事開始。



今マラウイは深刻なガソリン不足。

そんななか、これから出産しようという妊婦さんにガソリン5Lを持ってくるように病院スタッフが言い放ったというゴシップ記事。

ガソリンは緊急時の発電機を回すように要求されたとか何とか。



あれあれ。困ったもんだね。。


残念だが、院内にはいろんな問題が散見される。



今4A病棟というところに何人か患者さんがいるのだけど、今日4Aの看護師さんがフィジオ科を通りすがった。

前に新患の依頼状を持ってきた看護師さんで、お互い顔を覚えていたので「やぁどうですか~?」ってな感じで会話が始まった。



その看護師さんの嘆き。

「毎日毎日患者さんからは『いつになったら○○をしてもらえるのか?○○はわかるのか?△△は私を診にきてくれるのか?』という不満ばかりが聞こえてくる。時にそんな患者さんたちをただなだめるために、嘘をつかなければならないこともある。この間産科に診察依頼をしたのだが、彼らはまだこない。一体どうなっているのか。」



その産科への依頼と私が彼から新患を受け取ったのは同日らしく、「フィジオ科の人はちゃんと対応してくれているのに」というオチだったのだが、まったく本当に物事が進まなくてイライラさせられることが多い。



給料が安いから、とかいうのでなく、仕事そのものにもっと誇りをもってやったらいいのに…といつも思う。


待遇がどうだとか、忙しいとか、グダグダ言う前に、やれることを全力でやれよ!

彼らを反面教師にして自分に言い聞かせる今日この頃。