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タコカレ海を渡る

2010年6月より青年海外協力隊として活動中。10ヶ月のブルキナファソ生活、5カ月の日本待避生活を経て今度はマラウイへ!

初秋の夜長に長い記事②

2009-09-17 03:55:45 | タコカレって?協力隊員になった経緯とか。
大きな問題。それは時間のやりくりです。
普段の勉強時間はいいとしましょう。自分で都合をつけてどうにでもできましょう。
ネックは本州で行われる面接授業でした。

基本通信でも科目によっては直接授業を受けなければなりません。
3日間出席しなければ単位がもらえず、年に5回程実施され、その会場が東京・大阪・名古屋のいずれかなのです。
この休みを確保するのは、病院勤務では難しいことは明らかでした。

学校にいくならば、職場を変えなければならない。
今の職場で働くならば、学校には行かれない。
勝ったのは、学校にいきたいという気持ちでした。

それで、病院よりは比較的時間に融通のきく老人ホームへ転職。
もともと、病院ではなく生活の場で仕事をしてみたい気持ちもあったので好都合でした。

新たな職場は学生である私に最大限配慮をしてくださり、学校生活も順調でしたが、新しい職場環境の中で私にはいろいろな葛藤が生じてきました。

医療から介護の世界への転職、かつ理学療法士一人の職場となったせいもあるのかもしれません。
理学療法って、介護ってなんなんだ?
医療保険や介護保険の制度間で揺れる解釈の違い、それにもまして会社とPTとしての考え方の違い、、、
色んなギャップの中で、悩む日々。

目的が見えず「とりあえず、コレしていてください」という仕事は楽だけれど単調でつまらない。

目的地のない旅は段取りが出来ないのと似ているかもしれません。
私の目的地と会社の目的地が異なれば、損益をこうむるのは利用者さんですから、自分勝手に目的地を決めるわけには行きません。

会社の目的地はどこなのか?
直属上司とも会社トップとも話し合いましたが、結局私には目的地がわかりませんでした。
いや、会社の目的地はPTとしての自分の信念に反しなければ行くことができないところにあった、というほうが正しいかもしれない。

そして結局は、後任に道を譲るのが適切なのだろうと判断したのです。

上司達とアレコレ議論をしている最中、目にしたのが青年海外協力隊の募集要項。
日本の制度の枠組みを越えて、違う社会にいったら見えてくるものがあるかもしれない・・・
そう思うといてもたってもいられなくなり、とりあえずの気持ちで応募してみたのです。

会社を辞めて1週間後、JICAから合格の知らせがありました。
なんというか、もう、これは神様が仕組んだことなのか??
そんな心境でした

両親をはじめ周囲の理解があり、派遣予定者として過ごせている次第です。

こんなちっさい自分に何ができるのかわかりません。
アフリカに行ってまでも「自分がココにいる意味はあるんだろうか?」なんて考え出すかもしれません。
でも、行ってみなけりゃなにもわからないし、始まらない。
人には、明日の自分を信じて暗中模索する権利があるんじゃないか、、
そう思ってしまう私は、ブルキナファソに行かないわけにはいかないのです

ブルキナ行きのことを話すと「すごいね」と言ってくれる人がたくさんいます。
「なかなかできないことだよ」と。
でも、私にとってはある意味現実逃避の一手段なのかもしれません。
とはいえ、逃げてばかりもいられないので、真正面から向き合うためのツールとしてココを作ったりもしたわけですが。
細々ながらもブログを訪問してくださる方が増えているのは、本当にありがたいことです
もちろんブルキナに行って、現地の様子もバリバリUPしていくつもりですよ。
と同時に、素っ裸のタコカレの様子も時折UPさせていただきます。
今回のミッションは、タコカレの人生における3度目の革命になりそうな予感がしています。

あぁ本当に長い記事だった。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございます




初秋の夜長に長い記事

2009-09-17 03:24:34 | タコカレって?協力隊員になった経緯とか。
早起きは三文の得、とはいうものの、何も2時代に起きる必要はない、、、
でも冴えちゃったので仕方なく起きてみました。
体は寝たがっているけど、私の脳みそがそれを許さないようで・・・

いまさらになって気づいたのですが・・・私は現在無職であることを記すのを忘れていました。
7月で退職し、今は単なる学生となっています。
だから、昼間っから模型に精出したりできるわけですね

アフリカにいくことと、退職したことは直接の関係はありません。
たまたま、時期が重なりましたけどね。

私の職遍歴を簡単に述べますと、
学校を出てすぐに大規模な総合病院へ勤務。
入職当初はそりゃーもう自他ともに認める使えない新人で、先輩達をえらく心配させておりました。
それでも徐々に適応して、結構バリバリやっていましたね(多分)

診療、カンファレンス、学会発表、学生指導etc
やさしく厳しい先輩スタッフと、日々成長していく頼もしい後輩スタッフ、
それに一生懸命生と向き合う患者さん達に囲まれ、なかなか充実した毎日を送っていました。

そんな中、、もともと生活の場の環境などに興味があったので
福祉住環境コーディネーターという資格にチャレンジしてみることにしました。

いや、、正確にいうと、本当は呼吸療法認定士という資格にチャレンジしようと応募書類をだしたものの、講習定員をオーバーして返却されてきたので乗り換えたというのが正しいのですけどね。
呼吸リハビリテーションという分野がありまして、学生時代のゼミでかじっていたのです。
その縁で術前後の呼吸指導など、やらせてもらっていたんですね。

しっかし・・・応募開始日の朝投函したのに定員オーバーはないだろう!!
その前年度も定員オーバーで受験できなかったので、
今年こそ!と意気込んで応募したのにその調子なわけですよ。。

すっかり拍子抜けして、それならばとチャレンジしたのが福住コーディネーターだったわけです。
これが、私の運命を変えてしまうのですね~

難関といわれる1級試験を超ギリギリの低空飛行ながらもパスし、住環境に俄然興味がわいてきたのは言うまでもありません。
もっと、勉強したい!!
そして夜間の工業高校だとか、民間の通信教育だとかいろいろ調べていきついたのが、現在在籍している通信大学なのです。

諸条件をみて、3年次編入できること、学費が私のお財布でもまかなえそうなこと、説明会で疑問に十分対応してもらえたことなどが決めてで入学を決意。
が、そこには一番大きな問題が潜んでいたのです。

長いので次行きますか、、



タコカレの由来

2009-08-24 19:48:32 | タコカレって?協力隊員になった経緯とか。
私、タコカレと申しますが、
ネット用につけたものではなくもともとタコカレと呼ばれておりました!
で、「タコカレです」と名乗ると、だいたいの方が
「え?なに?なにかれ?」と聞き返すんですね
なかには「え?たこかの?」なんて方も・・・笑
こっちも慣れてて「た・こ・か・れ、です」と繰り返します

タコカレと名がついてもう何年かたちますけど、
一度覚えていただけると忘れられないというメリットがあるのと
慣れると意外と響きも耳障りよくなってきて、愛用させてもらっています

もともとは旅先でタコ入りカレーを作ったことが始まり・・
知ってる人は知っている、礼文島のユースホステルが舞台です。
(日本サンバカユースとかなんとか・・他の二つがどこかは知りません)
そこは宿泊客も宿を手伝っているヘルパーと呼ばれる方もニックネームで呼び合います

ユースホステルを知らない方もいると思いますが、
基本的に相部屋の低価格な宿泊施設です。
普通に家族連れだったり、バックパッカーだったり、貧乏学生だったり
いろんな人が利用しています。
談話室などが充実していて、初めて同士の客が仲良く語ったり、という光景も日常で、
私は結構好きなんですよね。

そう、それで礼文のユースで私にもニックネームを!という話になりました。
とあるヘルパーさんが「今日自炊してたでしょ?何つくったの?」・・・と。
それで、見事タコカレーと名がついたのでした。

ちなみに自炊とは、宿泊客の中の有志でユース前の海岸でご飯を作ることです。
宿で食事を頼むよりもかなり安い上、自炊仲間の友達が増えるのでとても楽しい!
そうやって出来たお友達と今でもやり取りしたりしているんですよー

最初タコカレーだった私の名は、そのうち「-」がとれてタコカレに進化しました

なんだか、礼文でのひと時を思い出してしまいました。
久しぶりに連絡してみようかな・・・