月に一度の運転士ミーティングでは、バスの事故や運行ミスなどのドライブレコーダー映像を見せてもらっているのだが… とてもショッキングである。近年は“衝撃映像”と名の付いたテレビ番組や、インターネットの動画サイトなどで見ることもあるのだが… やはり身近な映像は衝撃度が違うような気がする。
それは、これまでに自分が何度も走ってきた&今後も走り続ける道路… 見慣れた風景の中で起こっているので、本当に“他人事とは思えない”“明日は我が身”と感じるからかもしれない。また、それが自転車や歩行者の絡んだ事故となると… 言葉も出ない。
そして、それらの映像を見ながら“どうしたら防げたか?(たまに防げない事故もあるけれど…)”“どういう点に注意して運転したら良いか?”“どんなに美しい女性が歩いていても、わき見運転をしてはいけない(?)”などを確認しているのである。
後になってみれば、誰もが“あんなことしなければ”“こうしていれば”と言えるのだが、その時は… なかなか… ねぇ… みんなはそれを分かっているので、比較的軽度の事故映像を見ながら「あぁ、分かる分かる!」「そうそう! やっちゃうよねぇ…」と声があがることもある。
しかし… あの私の後退接触事故は… みんな「アホか!」と思ったに違いない。後退しながら、後ろではなく、女の人を見ていたんだから… ある上司から「男の性だな」と冗談っぽく言われたけれど、違いますからね! その女の人が好みのタイプだったとか、そういうんじゃありませんから!
どっちへ向かって歩いて行くのか分からない… その妙な動きに気を取られたんだからね! だから、あれが男性でも同じことに… って、言えば言うほど「だったら止まっとけよ!」って、後になって思うんだよねぇ… あぁ、思い出し笑ぃ… 否、反省!
朝6時半に目覚める。
ぐっすり眠れたおかげで気分もいい
今日は午前中にメテオラの見学、昼食の後はバスでデルフィまで移動というスケジュール。
山の朝の空気がピリッと肌に痛い。気温も0℃とかなり低めだ。
カランパカ地方は6000万年前は湖底だったと言われている。
それがおそらく地震によって隆起し、風雨の浸食を受けて現在のような奇岩群になった。
この地に人が住みはじめたのは11世紀ころ。迫害されたキリスト教徒が奇岩に穿たれた穴(エレミットと呼ばれる)にこもって修行を始めたのが修道院の始まりとなった。
一時期は23もの修道院があったが、現在人が住んでいる修道院は5つしかない。
私たちが見学したのはメガロ・メテオロンという修道院で5つの中で一番大きな修道院だ。
入口こそ狭く天井も低いが中に入ると倉庫や食堂、どれも広々として明るいのに驚く。
聖堂や回廊の古いフレスコ画も思ったよりは色鮮やかだ。
倉庫には農作業の道具やワインを貯蔵する樽、防寒用の羊毛のマントに杖や武器のようなものが置かれている。
キリスト教徒にとって聖なる食べ物である小麦、葡萄、オリーブは完全に自給自足であったようだ。
食堂の近くにはタランドンと呼ばれる樫の木の大きい板があり、それが鐘のかわりとなって毎朝4時の起床時間を告げる。
びっくりしたのは人の頭がい骨がずらっと並んでいる部屋があったこと。
聖人たちのものであるということだが、一番古いものはどれくらい前のものなのだろう?
メガロ・メテオロン修道院を見学後、5つの修道院が一度に見渡せるというポイントに案内してもらう。
どの修道院も今にも崩れそうな奇岩のてっぺんに建っている。
どうやったらあそこまで辿り着けるのだろう?と思うような修道院もある。
実際20世紀はじめまではどの修道院も石段や道を持たず、ロープによるリフトで移動していたそうだ。
修道士たちが住む修道院と修道尼たちが住む修道院が向かいあっていたが、その間には絶壁による奈落があり、どう考えてもロマンスは生まれそうになかった
メテオラ観光のあとは近くの町(カランパカではない)のレストランで食事。
今はシーズンオフで静かだが、夏には観光客できっとにぎわうのだろう。
感じのいいタベルナ(食堂)やかわいらしい民宿の看板があちこちに見える。
ここで頂いたのは野菜のポタージュにギリシャ風サラダ、ギリシャの代表的な料理のひとつであるスブラキ(いろいろな肉の串焼き)、そしてデザートは生クリームを添えた焼きりんごりんご
白ワインに松脂の香りをつけたレツィーナという飲み物も試してみた
そしてデルフィまでの225kmのドライブ。
この日はまだ明るいうちにホテルに着き、夕食まで部屋で一休み。
この日のホテルはいかにも田舎にありそうな、でもあたたかい感じのホテル。
ギリシャというとなんとなく大理石のイメージがあったけれど、昨日のホテルも今日のホテルも家具はもちろん床や天井にも木で出来ていて、それがどうやらあたたかさを醸し出している、ということに気づく。
部屋は2ベッドルームだったが私とKIRARAの部屋などは天井が斜めでどことなく屋根裏部屋風
そしてその屋根裏部屋から見た夕焼は神々の宴を見ているように美しかった。
それは、これまでに自分が何度も走ってきた&今後も走り続ける道路… 見慣れた風景の中で起こっているので、本当に“他人事とは思えない”“明日は我が身”と感じるからかもしれない。また、それが自転車や歩行者の絡んだ事故となると… 言葉も出ない。
そして、それらの映像を見ながら“どうしたら防げたか?(たまに防げない事故もあるけれど…)”“どういう点に注意して運転したら良いか?”“どんなに美しい女性が歩いていても、わき見運転をしてはいけない(?)”などを確認しているのである。
後になってみれば、誰もが“あんなことしなければ”“こうしていれば”と言えるのだが、その時は… なかなか… ねぇ… みんなはそれを分かっているので、比較的軽度の事故映像を見ながら「あぁ、分かる分かる!」「そうそう! やっちゃうよねぇ…」と声があがることもある。
しかし… あの私の後退接触事故は… みんな「アホか!」と思ったに違いない。後退しながら、後ろではなく、女の人を見ていたんだから… ある上司から「男の性だな」と冗談っぽく言われたけれど、違いますからね! その女の人が好みのタイプだったとか、そういうんじゃありませんから!
どっちへ向かって歩いて行くのか分からない… その妙な動きに気を取られたんだからね! だから、あれが男性でも同じことに… って、言えば言うほど「だったら止まっとけよ!」って、後になって思うんだよねぇ… あぁ、思い出し笑ぃ… 否、反省!
朝6時半に目覚める。
ぐっすり眠れたおかげで気分もいい
今日は午前中にメテオラの見学、昼食の後はバスでデルフィまで移動というスケジュール。
山の朝の空気がピリッと肌に痛い。気温も0℃とかなり低めだ。
カランパカ地方は6000万年前は湖底だったと言われている。
それがおそらく地震によって隆起し、風雨の浸食を受けて現在のような奇岩群になった。
この地に人が住みはじめたのは11世紀ころ。迫害されたキリスト教徒が奇岩に穿たれた穴(エレミットと呼ばれる)にこもって修行を始めたのが修道院の始まりとなった。
一時期は23もの修道院があったが、現在人が住んでいる修道院は5つしかない。
私たちが見学したのはメガロ・メテオロンという修道院で5つの中で一番大きな修道院だ。
入口こそ狭く天井も低いが中に入ると倉庫や食堂、どれも広々として明るいのに驚く。
聖堂や回廊の古いフレスコ画も思ったよりは色鮮やかだ。
倉庫には農作業の道具やワインを貯蔵する樽、防寒用の羊毛のマントに杖や武器のようなものが置かれている。
キリスト教徒にとって聖なる食べ物である小麦、葡萄、オリーブは完全に自給自足であったようだ。
食堂の近くにはタランドンと呼ばれる樫の木の大きい板があり、それが鐘のかわりとなって毎朝4時の起床時間を告げる。
びっくりしたのは人の頭がい骨がずらっと並んでいる部屋があったこと。
聖人たちのものであるということだが、一番古いものはどれくらい前のものなのだろう?
メガロ・メテオロン修道院を見学後、5つの修道院が一度に見渡せるというポイントに案内してもらう。
どの修道院も今にも崩れそうな奇岩のてっぺんに建っている。
どうやったらあそこまで辿り着けるのだろう?と思うような修道院もある。
実際20世紀はじめまではどの修道院も石段や道を持たず、ロープによるリフトで移動していたそうだ。
修道士たちが住む修道院と修道尼たちが住む修道院が向かいあっていたが、その間には絶壁による奈落があり、どう考えてもロマンスは生まれそうになかった
メテオラ観光のあとは近くの町(カランパカではない)のレストランで食事。
今はシーズンオフで静かだが、夏には観光客できっとにぎわうのだろう。
感じのいいタベルナ(食堂)やかわいらしい民宿の看板があちこちに見える。
ここで頂いたのは野菜のポタージュにギリシャ風サラダ、ギリシャの代表的な料理のひとつであるスブラキ(いろいろな肉の串焼き)、そしてデザートは生クリームを添えた焼きりんごりんご
白ワインに松脂の香りをつけたレツィーナという飲み物も試してみた
そしてデルフィまでの225kmのドライブ。
この日はまだ明るいうちにホテルに着き、夕食まで部屋で一休み。
この日のホテルはいかにも田舎にありそうな、でもあたたかい感じのホテル。
ギリシャというとなんとなく大理石のイメージがあったけれど、昨日のホテルも今日のホテルも家具はもちろん床や天井にも木で出来ていて、それがどうやらあたたかさを醸し出している、ということに気づく。
部屋は2ベッドルームだったが私とKIRARAの部屋などは天井が斜めでどことなく屋根裏部屋風
そしてその屋根裏部屋から見た夕焼は神々の宴を見ているように美しかった。