日本全国、3連休ですね。っていうか、でしたね。
皆様、しっかりリフレッシュできましたか?私はですね、・・・まあ、いいや。
さっそくですが、本日のお題はアノ!いろいろな方面を騒然とさせた問題作(?)「天智と天武─新説・日本書紀」でございます。
このほど最新にして最終の10巻および11巻が刊行されました。

↑第10巻です。スキンヘッドが天武はんでっせ

↑はい、完結の第11巻です。最後は美しく、ね(^^)
ところでこの作品、ちっさくサブのタイトルが付いております。「新説・日本書紀」ってやつですね。
ワタクシ今までコレをスルーして、ただ「天智と天武」とだけタイトルを表記してまいりました。だっていちいちメンドーくさくってさ!・・・げふげふ
しかし!なんということでしょう!実は、こっちこそがメインだったのです
「そ、そういうことだったんか!だから第1巻で、わっざわざ梅原猛氏との対談記事を載っけてたわけね(大汗)、でもって梅原さんに『いまだにワイの説(隠された十字架・法隆寺論)を超えるような大胆な新説、出てこんやんけ(笑)』って言わせてたわけね。すべては伏線だったんかい!」
梅原さん、ちょっとは感服してくれましたかね?
なんのことかわかりませんね、サ~セン
でも、詳しく書くとソーゼツなネタバレになっちゃいますのでね。ぜひ単行本を読んでね。
はい、おしまい─では、ミもフタもなさすぎるので、ちくーっとな。
最近、歴史関係で「聖徳太子はいなかった」というテーマの本がいろいろ出版されています。あの(爆)「ムー」誌でも特集していたことがありました。(ググってみると、いろいろ書籍が出てきます)
実はワタクシ、歴史好きとはいいつつも幕末専科(佐幕派)なもんですから、古代史とか、ちょっとぉ・・・なので、「聖徳太子がいなかったから、どうだっちゅーねん!ってゆか、またトンデモ本かいな」くらいにしか思わず(サ~センサ~セン)、内容をよく存じ上げませんでした。
この「天智と天武─新説・日本書紀」は、聖徳太子はいなかった説を縦糸にして、横糸には互いを思慕し、魂で求め合いつつも戦うことしかできなかった運命の人々という濃厚な人間ドラマを構築してみせた作品なのです。
・・・え?「だから、天智と天武なのに、なんで聖徳太子なのか」って?
そこが、ですね。ソーゼツネタバレになるので、ちょっと書けないんでございますよ、サ~センね
ひとつだけ。第1巻すなわち作品の冒頭、明治17年(1884年)に岡倉天心とフェノロサが法隆寺の秘仏・救世観音像を開扉するシーンがあります。ところが、光背(後光)が仏像の後頭部に直接ぶっ刺してあることに驚愕します。これは尋常じゃない、と。
それを解明することこそが、この作品の真の─というかウラのテーマなのです。
とはいえ、最後は実に美しいシーンで締めくくられており、しみじみと泣けます。
ほんとうです。
まだ読んでいない皆様、全11巻を一気読みしましょう
~ウラ感想~
歴史は常に「勝てば官軍」、勝者が正史をつくるものです。つまり、勝者にとって都合のいい事を書き連ね、美辞麗句で粉飾します。まさに日本書紀も、こんなふうにつくられたんだろうなあと、ものすごく納得できました。
そして、こんにちの歴史教科書も(以下自粛)
皆様、しっかりリフレッシュできましたか?私はですね、・・・まあ、いいや。
さっそくですが、本日のお題はアノ!いろいろな方面を騒然とさせた問題作(?)「天智と天武─新説・日本書紀」でございます。
このほど最新にして最終の10巻および11巻が刊行されました。

↑第10巻です。スキンヘッドが天武はんでっせ

↑はい、完結の第11巻です。最後は美しく、ね(^^)
ところでこの作品、ちっさくサブのタイトルが付いております。「新説・日本書紀」ってやつですね。
ワタクシ今までコレをスルーして、ただ「天智と天武」とだけタイトルを表記してまいりました。だっていちいちメンドーくさくってさ!・・・げふげふ
しかし!なんということでしょう!実は、こっちこそがメインだったのです

「そ、そういうことだったんか!だから第1巻で、わっざわざ梅原猛氏との対談記事を載っけてたわけね(大汗)、でもって梅原さんに『いまだにワイの説(隠された十字架・法隆寺論)を超えるような大胆な新説、出てこんやんけ(笑)』って言わせてたわけね。すべては伏線だったんかい!」
梅原さん、ちょっとは感服してくれましたかね?
なんのことかわかりませんね、サ~セン

でも、詳しく書くとソーゼツなネタバレになっちゃいますのでね。ぜひ単行本を読んでね。
はい、おしまい─では、ミもフタもなさすぎるので、ちくーっとな。
最近、歴史関係で「聖徳太子はいなかった」というテーマの本がいろいろ出版されています。あの(爆)「ムー」誌でも特集していたことがありました。(ググってみると、いろいろ書籍が出てきます)
実はワタクシ、歴史好きとはいいつつも幕末専科(佐幕派)なもんですから、古代史とか、ちょっとぉ・・・なので、「聖徳太子がいなかったから、どうだっちゅーねん!ってゆか、またトンデモ本かいな」くらいにしか思わず(サ~センサ~セン)、内容をよく存じ上げませんでした。
この「天智と天武─新説・日本書紀」は、聖徳太子はいなかった説を縦糸にして、横糸には互いを思慕し、魂で求め合いつつも戦うことしかできなかった運命の人々という濃厚な人間ドラマを構築してみせた作品なのです。
・・・え?「だから、天智と天武なのに、なんで聖徳太子なのか」って?
そこが、ですね。ソーゼツネタバレになるので、ちょっと書けないんでございますよ、サ~センね

ひとつだけ。第1巻すなわち作品の冒頭、明治17年(1884年)に岡倉天心とフェノロサが法隆寺の秘仏・救世観音像を開扉するシーンがあります。ところが、光背(後光)が仏像の後頭部に直接ぶっ刺してあることに驚愕します。これは尋常じゃない、と。
それを解明することこそが、この作品の真の─というかウラのテーマなのです。
とはいえ、最後は実に美しいシーンで締めくくられており、しみじみと泣けます。
ほんとうです。
まだ読んでいない皆様、全11巻を一気読みしましょう

~ウラ感想~
歴史は常に「勝てば官軍」、勝者が正史をつくるものです。つまり、勝者にとって都合のいい事を書き連ね、美辞麗句で粉飾します。まさに日本書紀も、こんなふうにつくられたんだろうなあと、ものすごく納得できました。
そして、こんにちの歴史教科書も(以下自粛)
「天智と天武」・・・無事終わりましたね。楽しみが一つ減りました。どうなるか、打ち切りか~、と思ってたらきれいに終わりました。
どうでもいいんですが、私、二年前に法隆寺に行きまして、「救世観音」を拝観しました。現物が見たくなって・・・。その後、地元の法隆寺展も行きました。
それまで一度も行った事が無かった(修学旅行は京都・奈良じゃなかったので)のに、懐かしい気がする奈良・・・。古代史好きにはたまらない場所で、古事記ブーム以降、何度も行ってます。実は、奈良まで安彦良和さんの講演会の古代史トークを聴きに行きました。
私は古代と戦国好きです(笑)。特に古代は「古事記」にハマってから泥沼・・・。(日本書紀とかヤマトタケルとかも。すっかり詳しくなりました。)
PS:私信です。よーやくブログ復活して今度の「009」ネタを書きました。(予告映像見たら、どうしても書きたくなり・・・(大爆))。
なかなか続巻が出ないから、どーなったのかと思ってましたが、たしかにこれは2巻同時発売で正解ですな。たたみかけるように、怒涛の結論へと─。
いや、ビックリしましたヮ
>懐かしい気がする奈良
私はですね、高校の修学旅行で奈良公園や大仏殿や唐招提寺に行きました。その時は、別にこれといった感慨もなし(苦)
十数年前、和歌山に行ったついでにレンタカーで奈良方面をドライブしました。最大の目的は石舞台古墳です。水田があって、なだらかな丘陵があって、民家がパラパラとあって・・・たぶん、奈良時代からこんな光景だったんだろうなあと、このときは実に感慨深い旅でしたね。やっぱりガキんちょには、この風情は無理か
この話を関西出身の人にしたら、「そうそう、そんな感じ」と言ってましたから、誰もが感じる日本の原風景、みたいな?DNAに刻まれた記憶、みたいなものでしょうか。
009ネタ、楽しみに読ませていただきます
石舞台古墳は私も行きました。古代史ツアーで行ってます(笑)。
が、観光用に色々整備されてしまい、小ギレイな公園と化してました。発掘されたばかりの頃の方が良かったと聞いてます。恐らく、一人虫さんが行かれた頃は、まだ自然な原風景だったのでは。
余談ですが、「鉄人28号」連載時の完全版が、復刊ドットコムから出るそうです。相変わらず、高額ですけど・・・。
私も「009」の後、石ノ森作品完全版シリーズ(「キカイダー」他)は買ってません。
「009」以外で、買ったのは「少年同盟」だけ。と、今度出る先生以外の「009」は買いますが。
PS:早速、ブログに来て下さってありがとうございました。(私信)
それに先駆けて、24日に「山岸涼子画集(河出書房新社)」も発売。
9月25日、アニマックスで「サイボーグ009VSデビルマン」放送。21時~
以上です。では
完全版とか画集とか・・・いま断捨離モードのワタクシ、グラグラッとな。
うううう~むぅ。
>アニマックスで「サイボーグ009VSデビルマン」
はい、1週間前から録画予約完了です!
ありがたやありがたや(^^)
>石舞台古墳
私が行ったのは、もう20年くらい前ですね。既に小ぎれいな公園化してました(苦)
どう考えても墓じゃないよな~儀式をするような場所だよな~と、そう感じました。
また行ってみたいです・・・・・