
最後に、OVA作品についてちょいと語ります。
最初の方でOVA作品の時系列について述べましたが、なんといいますか。ボトムズ世界は、とことんキリコが主人公なのですな。この点が、サンライズの主たるドル箱・ガンダムシリーズと違うところです。
となると、必然的に、本編の隙間を埋めることでしか物語を構築できません。すなわち、「本編の前」「本編の後」「本編で時間差のある部分」です。
具体的には、前=「レッドショルダードキュメント 野望のルーツ」(88年)「ペールゼンファイルズ」(06年)、後=「赫奕たる異端」(94年)、その他が本編の時間差を埋めるエピソードです。
こう見ていきますと、もう完全に隙間は埋まってますな。キリコシリーズはもう打ち止めでしょう。
これ以上やるとなると、「キリコ赤ん坊編」とか、「ガキんちょ編」とか。あんまり面白くなさそうだな

あるいは、小説「孤影再び」のさらに後の時代とか。これもねえ。また同じドンパチ繰り返すってのもねえ。
だいたい、その後物語の「赫奕たる異端」に関しては、「なんでこんなモン作ったんだ!」という声がかなりあったらしいですね。
32年後、キリコとフィアナの眠るカプセルが回収業者の手に渡った。
二人は覚醒させられるが、しかしフィアナはそもそも寿命がわずかだったため、眠りから覚めることは「死」を意味した。意識のないまま、フィアナは危篤状態が続く。キリコだけが、完全に目覚めてしまったのである。
異能生存体キリコが覚醒した─その事実は、アストラギウス銀河全域に普及した巨大宗教結社マーティアルの本部にもたらされる。教団内では、折しも時期教皇選出レースが起きていた。
教皇の最有力候補、モンテウェルズ枢機卿は、自分の娘・テイタニアを「次世代PS・ネクスタント」に改造し、手駒として使っていた。そのテイタニアに、キリコ抹殺の指令が下された・・・。
っていうのが、「赫奕たる異端」の、ほんのあらすじなんですが。
まあ、私は面白いと思うんですけどね

ですが、テイタニアの存在がビミョーです。「由美ちゃんを差し置いてしゃしゃり出てきたユキちゃん」的匂いがビシバシとしますぞ。
たぶん、本編のロマンチックな最後に夢を見たファンは、テイタニアの登場で「チョーむかつく」状態じゃないかと。
う~ん、高橋監督はじめスタッフの皆さん、「うっ、やっちゃったかも?」じゃないですか?ラストシーンは、「またまた続編をシリーズで続けまぅっす!」という空気に満ちてるんですが、ファンの反発が大きかったんじゃないですか?
ようするに「赫奕たる異端」は、ボトムズシリーズにおける「バビル2世・北海道編」だと思ってよろしいかと

実は高橋監督、「ほんとは作りたくなかった」と語っていらっしゃるようです。そういうところもまさに(以下自粛)。
というわけで、未来編は打ち止め。
それから12年のブランクを経て、過去編「ペールゼン・ファイルズ」を製作、という運びになりました。
ですが、過去編も問題というか、矛盾を抱えてます。というのは、すでに「異能生存体」という言葉が出てきちゃうんですよ。
つまり、レッドショルダー隊創設者にしてボスのヨラン・ペールゼン閣下(声はヨミ様)は、とっくにキリコの正体を知っています。時間的にはずっと後の本編において「キリコはもしかしてPS?」なんて皆さんが騒いでいるのに、なんとも違和感アリアリです。
ほかにも、以前述べました「ロッチナ問題」(爆)がありますしね。
ですが、説明としては「ペールゼン閣下が情報をひた隠した」ということになるんでしょう。だとしても、やっぱりしっくりこないんだよなあ・・・。
まあ、後付け物語だから当然なんですけどね。最初から壮大なサーガを想定していたわけじゃないので、こうなるんですな。
逆に言えば、テレビシリーズの本編が実によく出来た物語であり、付け足す余地があまりないということでしょう。
さて、いよいよ隙間がなくなったボトムズ。
ホビージャパン誌で連載中の新シリーズ「装甲騎兵ボトムズ・コマンドフォークト」は、ついにキリコなしの物語です。
とてもじゃないけど小説を読む気はしないので(失礼)、映像化を熱烈希望します。
しょーもないことを語ってきましたが、ボトムズ本編シリーズはこれにて終わります。
ですが、スピンオフ作品「機甲猟兵メロウリンク」につきましては、また日を改めて語りたいと思ってます。
これ、私はものすごく好きなんですよ、実はね

ovaの存在は後で知りました。とりあえず全部見ていますが、一つ一つはそれなりなんですけど、tv本編との整合性はどうなのかというところが辛いです。特に、キリコが異能生存体として殺しても死なない人間であるということと、彼がそれを知っていたということは、本編を覆すほど痛いです。
フィアナとのコールドスリープも、本編では戦争のない世界を目指すという、おとぎ話的ではありますが思想性を示していましたが、カクヤクではなんだかんだいって寿命が二年しかないフィアナを失うという現実を受け入れられないキリコが彼女と永遠に生きることを望んだという話に矮小化してしまった。キリコの気持ちもわかりますけど…
戦争に疲れた絶望した男キリコに生きる希望と安息の地を与えてほしい。彼に、プラモデルやゲームの販促のための戦いをこれ以上続けてもらいたくないのです。
私なんぞは、高橋監督作品といえば「ガサラキ」が最高!なもんですから(マジで好きなんですヮ)、ボトムズは生ぬるい見方になってしまいまして、恐縮です。
OVAといえば、「レッドショルダードキュメント」でしたっけ、心臓を打ち抜かれて即死なのに、生き返っちゃうというトンデモ展開は
後付け設定がとことんトホホなんですが、単体として見れば、「ペールゼンファイルズ」なんかは結構いい出来だというところもアレですし
ところで。
>戦争に疲れた絶望した男キリコに生きる希望と安息の地を与えてほしい。彼に、プラモデルやゲームの販促のための戦いをこれ以上続けてもらいたくないのです。
このお言葉にぐっときました。
ここまでひとりのヒーローを愛しているyokomamaさんの心情が、私にはよく理解できます。
感動しました
今の新しいアニメについては語れるほど見ていませんが、ボトムズの持つ追い詰められていうような刹那さみたいな人間関係を表現しているものは今あるのでしょうか。ないとすれば、それもあの時代の産物かと思います。キリコ・フィアナ・イプシロンの関係にしても、単なる恋の三角関係とは言い難いものがあり、「振られたんだからいい加減にすれば、イプシロン」とはいえない切なさがあります。彼らにとって互いの存在を失うことは自分の存在理由すら揺るがしかねません。Aさんにふられたら、もちろん傷つくけど時間がたてばBさん、というのが普通の世の中で、それが健全であるのだけど、それが想定できない(と、少なくとも当事者は思っている)ような人間関係の持つ、ある意味不健全な刹那さを、扱っているようなアニメは今あるのでしょうか?というか、この感覚は若い人と共有できるものなのでしょうか?
作品は残りますが、鑑賞する人間は変わっていく。同じものを見ても、感じ方は様々。求めるものも違う。そういうことなのだろうと思うので、勝手に思い入れを人に語ってもしょうがないのかもしれませんね。
それでも若い方がボトムズに対してどのように感じられるか非常に興味があります。
また長くなりました。すみません。
・・・う~ん、マクロス
その後、ちょっとテレビアニメからは遠ざかりましたね。「不思議の海のナディア」とか、ジブリの劇場用アニメとか、夢中になる作品もたまにありましたが。
しかし、エヴァには「おおお!」と思いまして、またむくむくと復活(?)。
そして「ガサラキ」です。以下略
中高生頃に確立した嗜好ってのは、たぶん一生ものだと思います。yokomamaさんの場合もそうではないでしょうか。私が、いまだにバビル2世君─や、それっぽい孤高のヒーロー─が好きなのもそうです。
とはいえ、感性やら嗜好やらは、やはり時代の空気にも深く連動していると思われますので、若い世代は若い世代で、ボトムズにはまったく別な見方をしているような気がしますね。
もっとも、ボトムズはオールドファンが圧倒的だと思います。「ペールゼン・ファイルズ劇場版」でも、観客は中高年ばっかりでした。学生っぽい人が一人いたかな、という感じです。
若年層はあえて狙わないというのは、商売としてはひとつの方法だとは思いますが。
しかし、サンライズさんは、キリコ抜きの「コマンドフォークト」で若い層を狙っているようにも見えますね。
さらに戦いは続く!・・・じゃなくて、ボトムズ商法(失礼)は続く、かな?
エヴァは、実は年上の友人から以前勧められたのですが、「いまさらアニメはね…」と思い、見ていません。お勧めの「ガサラキ」とともに、今後見てみたいと思います。どうもありがとうございました。
こういうやり取りになれていないので、御迷惑をおかけしていたらごめんなさい。このコメントにはわざわざお返事なさらないでね。