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いらっしゃいませ。
死後の世界 の巻 7 で、
「もしかすると、あなたや僕には前世が無いのかも知れませんね。」
と曖昧な書き方をしましたが、これにはワケがあります。
と言うのも、人間としてこの世に生まれて来る霊には2種類ありまして、
古い霊の生まれ変わりと、動物から人間へ進化した霊です。
なので、「人間としての前世が無いのかも知れませんね。」が正しいですね。
霊のこの世での活動は、
特殊な場合を除いて単細胞生物のような下等な状態に宿ることから始まり、
植物、昆虫、魚、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類と色んな形態で物質界の経験を重ね、
進化成長しながら最後に人間霊としての歩みをスタートする様です。
進化があるレベルまで進むと、自我意識、理性が芽生えて知性が発達し、
動物霊の段階から人間霊の段階へとステージアップするスタイルです。
動物霊の時は、同じ種類の動物には二度とは生まれ変わらないのですが、
人間霊は必要に応じて何度も人間として生まれるという違いがあります。
つまり、「ご新規さん40%」とは、前世が動物霊だった割合ということです。
さて、いつか霊性が進化向上して、この世での修行を卒業する日がやって来ます。
もうこの世に生まれて来る必要性が無くなり、
霊界で次のステップの生活が始まるのですが、
こういった具合に霊の成長状態によって、
その活動場所のステージがステップアップ式で変わり、
それが永遠に続く様です。
で、そろそろお気付きの方もおられると思いますが、
要するに、この物質界の地球に生まれて来る人間霊というのは、
霊としてはまだ始まったばかりでヨチヨチ歩きの幼児的存在なんですね。
この地球には、様々な霊性の段階の霊が同居しているのですが、
それを霊界全体から眺めたとしたなら、まるでドングリの背比べでして、
霊性には殆んど大きな違いはありません。
つまり、この物質界の地球とは、『幼い霊の幼稚園』の様な存在であって、
この世に生まれて来た僕やあなたは、
残念ながら(?)まだまだ相当霊性の低い「お子チャマな霊」という証です(笑)
ですから、間違いをいっぱい犯しますし、他人に迷惑を掛けたり掛けられたり、
そんなことの繰り返しや連続の真っ只中で、日々様々な経験を重ねています。
幼い霊は、こういった経験の中で悪戦苦闘しながら霊性を磨いて行くワケですが、
何が善いことで何が善くないことなのかを手探りしながら、
本当の幸せとは何かを(半ば自動的に、半強制的に)見つけて行くことになります。
「因果律」の法則の中では、善くないことをすれば辛い代償を支払い、
善いことをすればその分の実りを受け取ります。
このアメとムチ的な経験から、人(霊)は多くを学んでいくシステムということなんですが、
この善悪の基準を身をもって探り当て、善に生きることが出来るように努力することが、
この世に生まれて来た理由であると同時に義務でもあります。
幼いが故に、また物質界という特殊な世界故に、完璧に出来きる人なんて存在しませんが、
求められているのは「努力」です。
出来なくてもいいから努力することが何より大切なんですね。
こうした仕組みが解ってくると、恨み、憎しみ、悲しみなどで心を荒らすことが減って、
どうでもいいことで自分をすり減らすことがなくなって行きます。
憎しみや、そこから生まれる報復、そういった連鎖がどれ程人の霊性を下げることなのか。
「目には目を、歯には歯を」 これはイエス・キリストが言った言葉ではありません。
改ざんされた聖書には書かれているようですが。。(笑)
ひとりカフェ 店長。。☆
コラボブログ 『詩人ノ、ひとりカフェ』 → http://blog.goo.ne.jp/omanjyu_xyz