結婚は当人同士の問題なんて思い込んでいませんか?現代人の考え方
古来結婚とは家の繁栄と子孫を残す為にしていたもの。
ですから家の格式とか家柄などがうるさいのです。
特に何代も続いた家とか旧華族など名門の家は、兎に角ややこしい、うるさい。
どのように長くりっぱな鎖でも、一つの輪が壊れれば役に立たない
夫婦とは鎖のようなもの一つ一つの輪がシッカリ繋がってこそ鎖なのです。
女性の「結婚生活の悩み」
「時間がない」非常に多いらしい。仕事と家事に追われて
「自分の時間が減ってつらい」「疲れが取れない」
「夫との時間」も合わない、「コミュニケーション、会話が出来ない」
子どもができると夫とのすれ違いや二人の時間がとれない現状
「家計のやりくり」も常に悩みの種、「旦那の収入が低い」「お金が貯まらない」
「老後の資金」や「子どもにかかるお金」
将来に対する経済的不安を抱えている人も多い、子どもを諦めたという人も。
何も手伝わずにゴロゴロしたり、無駄遣いの多い夫に
「夫にときめかなくなった」「夜の夫婦生活がない」夫との関係に悩む人も、
夫に問題はないものの、夫の「両親や親戚」との付き合いにストレスを感じる。。
「窮屈なのでもう二度と結婚したくない」「幸せがない」
「食事のメニュー」「布団が狭い」「子どもができない」
妻として母親として一人の女性として、何役もこなす既婚女性の悩みは尽きない。
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結婚して女性はこれらを作り出す。
女を計るのに三つの物差しがある。料理、服装、夫。この三つは彼女がつくるものである。
結婚してこの三つができない女性は離婚する。
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激しく恋をしているときは、自分に恋をしているのか、
相手に恋をしているのか、よく考えなさい
情熱のために結婚しても、情熱は結婚ほど長続きしない
恋愛中は後先考えられないもの、結婚式は次の人生のスタートラインに立つ事
残りの人生を一緒に添い遂げられるかもう一度考えなさいと言っているんですよ。
人を嫌うということは、痒いところを掻くようなものである。
痒いところを掻けばもっと痒くなり、嫌いな人のことを考えればもっと嫌いになる
ご近所付き合い、親戚、叔父、叔母との付き合い、相性が悪いなどと言って居られない。
自分の欠点が直せないといっても、自己を向上させる努力を諦めてはならない。
相手の性格は直せなくても、自分の性格を直す努力を惜しまないことです。
自分の欠点をさがすのに熱中している者は、他人の欠点が見えない。
他人の欠点をさがすのに熱中している者は、自分の欠点が見えない
お金を愛するだけでは金持ちになれない。お金があなたを愛さなければ。
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瓶の中に金貨を一つ入れるとうるさい音がするが、満ちていれば音がしない。
女性とは瓶の中に硬貨を一枚入れ瓶を振ったようなもの。
収入が少ない、たまには手伝って、あれして、これして、と言われると
もう女房抱く気にならなくなるんですよ。
挙げ句の果てにうるさいババアになっちゃうんです。
女性の方、主婦の方、旦那に言いたい事山のように有るでしょうが
小言は控えめに、男を動かすには子供をあやすように褒める、褒める、褒める
上手くおだてるに限ります。
馬を働かすにはムチで叩くより、人参ぶら下げろ、といいます。
男性諸君
女は収入が少なくても夜の営みに満足出来れば生活が苦しくても我慢できる。
女性よりも先に終わらせては行けません。
女性を喜ばせる、、努力、、、惜しんではいけません、身の破滅です。
家の中に金があれば、家の中に平和がある
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幸福に恵まれるために知恵はいらない。しかし、この幸福を活かすためには知恵がいる
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バンドウ太郎の論語解釈
論語は難しいと思っていませんか?
自分に相応しい人や将来をたくせる人を孔子は教えてくれています。
バンドウ太郎が解りやすく解説しました。ご参考にして頂ければ幸いです。
人を見る 知る事に孔子はこのような言葉を残しております。
巧言令色鮮(すく)なし仁
媚びへつらう人という意味ですが、もう一つの意味が
言った事と行動が一致しない者は信用できない。
全てを行動に移せる人は居ないでしょうが、余りにも喰い違うようなら信用は出来ないでしょうね。
公冶長第五 11
我、人ひとのこれを我われに加くわうることを欲ほっせざるや、吾もまた諸これを人ひとに加くわうること無なからんと欲ほっす。子曰いわく、賜しや、爾なんじの及およぶ所ところに非あらざるなり。
子曰。可與共學。未可與適道。可與適道。未可與立。可與立。未可與權。
「先師がいわれた。ともに学ぶことのできる人はあろう。しかし、その人たちがともに道に精進することのできる人であるとは限らない。ともに道に精進することのできる人はあろう。しかし、その人たちが、いざという時に確乎たる信念に立って行動をともにしうる人であるとは限らない。確乎たる信念に立って行動をともにしうる人はあろう。しかし、その人たちが、複雑な現実の諸問題に当面して、なお事を誤らないでともに進みうる人であるとは限らない」
この解釈は難しいのでようやくすると
出会って立ち話ぐらいは出来るでしょう、一緒にベンチに座り話は出来るでしょう、
ベンチに座りながら手を取り合う事は出来るでしょう、
ベンチに座り熱く語り会う事は出来るでしょう、
ベンチから手を取り合い二人で困難が有っても手をたずさえ立ち向かえるかどうかは
二人の心がけ次第。
結婚後、手をたずさえ立ち向かう互いの心の意志がどれだけ硬いかは不明という事ですね。
今日日の恋愛感情はベンチに座りながら熱く語り会う、まででしょうね。
子貢問曰。有一言而可以終身行之者乎。子曰。其恕乎。己所不欲。勿施於人。
子貢、問いて曰わく、一言にして以もって終身之を行こなう可べき者もの有ありや。
子曰わく、其れ恕か。己の欲ざる所は、人に施こと勿なかれ。
「子貢がたずねた。ただ一言で生涯の行為を律すべき言葉がございましょうか。先師がこたえられた。それは恕だろうかな。自分にされたくないことは人に対して行なわない、」
夫婦に取って最も大切なモノそれは 如 、相手を思いやる心
常日頃心がけていれば夫婦喧嘩は起こらないでしょう。
子曰。道之以政。齊之以刑。民免而無恥。道之以徳。齊之以禮。有恥且格。
子曰く、之を道びくに政ごとを以てし、之を斉のうるに刑を以もってすれば、民免まぬがれて恥無し。之これを道びくに徳を以てし、之れを斉のうるに礼を以てすれば、恥有ありて且つ格し。
「先師がいわれた。法律制度だけで民を導き、刑罰だけで秩序を維持しようとすると、民はただそれらの法網をくぐることだけに心を用い、幸にして免れさえすれば、それで少しも恥じるところがない。これに反して、徳をもって民を導き、礼によって秩序を保つようにすれば、民は恥を知り、みずから進んで善を行なうようになるものである」
要約しますと
間違いを起こして罰を与えても恥も外聞も無い人には無意味で
今度はバレ無いようにしようとするから、
叱ったりする前に何故そんな事をしたのか原因を聞き教え諭すように
周りの人にどれ程迷惑が掛かるかを教えさとし、
人に迷惑をかけて頭を下げる事は恥ずかしい事、人に褒められるようになりなさいと教え諭す。
小さい子供には特にすぐ怒りぽくなりがちですが、小さな時から繰り返し教え諭す事が
理解できる年頃になった時に良い行いを進んでするようになります。
親の愛情の 徳 と 人に対し礼儀 が身についてこそ人としての行いができると孔子は教えております。
為政第二 7
子游問孝。子曰。今之孝者。是謂能養。至於犬馬。皆能有養。不敬何以別乎。
「子游しゆうが孝の道を先師にたずねた。先師がこたえられた。現今では、親に衣食の不自由をさせなければ、それが孝行だとされているようだが、それだけのことなら、犬や馬を飼う場合にもやることだ。もし敬うということがなかったら、両者になんの区別があろう」と訳している
要約しますと
養うこととは犬、猫などペットを飼う事と同じ、しかし親を養うという事は、親に対して 敬 う気持ちが無ければ成らない。犬猫に敬いながら飼う人はいないが、親には今まで育てて頂いたお礼を込めて尊敬する気持ちを忘れてはならない。嫁姑のいさかいも嫁が姑に敬う心を持って接すれば争いは起こらないでしょう。
為政第二 22
「先師がいわれた。人間に信がなくては、どうにもならない。大車に牛をつなぐながえの横木がなく、小車に馬をつなぐながえの横木がなくては、どうして前進ができよう。人間における信もそのとおりだ」
要約しますと
夫婦の間に 信 の一字が無ければどうにもならない。
例えば車でも前輪後輪を繋げる車軸のようなもので、車軸が無ければ車は走れない。
信頼 絆 がしっかりしていればどんな困難も乗り切れます。
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