富士と女優

美しいものを見て感性を潤いたいな。

今日の富士山

2023-11-01 17:55:32 | Weblog

今日の庭先に咲いた河津サクラ

もう一輪花開く

 

富士山検定
  模擬問題(歴史編)

   第5問 女性の登山が解禁された時代は?

     ①室町時代 ②江戸時代 ③明治時代 ④昭和時代

    




   ……………………………………………………………………………………


    正解 ③の明治時代


    明治時代以降
    1868(明治元)年からの明治時代以降、富士山は修験山から
    観光登山の山へと徐々に変化していく。明治維新によって
    さまざまな改革が行われる中、新政府は廃仏毀釈(ハイブツキシャク)の
    運動を進めた。そのため修験道者は激減し、富士山中の仏像や仏具
    は取り払われ、「釈迦ヶ岳」「文殊ヶ岳」などといった仏教的な地名
    も変更となった。1872(明治5)年には女性の富士登山解禁、
    1889(明治22)年に東海道線の東京~神戸間が開通し、
    御殿場口が開かれた。富士山周辺の開墾も行われ、浪曲や時代劇で
    お馴染みの清水次郎長(山本長五郎)も開墾者のひとりとなった。
    明治末期頃からは別荘地の開発も進み、富士山麓電気鉄道(現・富士急行)
    が山中湖などを開発したほか、御殿場市二の岡地区には、欧米人の
    実業家や学者、宣教師たちが別荘を構えたことから避暑地として
    知られ、「アメリカ村」と呼ばれた。
    第二次世界大戦後は富士山の観光開発が加速し、1964(昭和39)
    年には富士スバルラインが5合目まで開通すると、富士山は性別や国境を
    問わない多くの登山者でにぎわう山となった。
    1960年代には、麓から山頂までを15分弱で結ぶ「トンネルケーブル
    カー」の計画が具体的に持ち上がったが、環境保全の観点から問題が多い
    とされ、計画は取り下げられた。一方、観光登山客が急速に増加すると
    同時に、周辺地域の産業も発展。それにより、森林伐採や産業廃棄物の
    投棄などの問題が発生しはじめ、自然保護と開発のバランス、不法投棄
    への対応などといった多くの課題が現在も残されている。


 〔富士山検定公式テキスト〕富士山検定協会著2006年発行から


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