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ただ ひたすら

不器用だけど 自分を信じて(自神♪) 歩もうと思います。

これができなくってね~  もう 最後は明るく思いっきりはじけたいのです♪ 死にたい 

2013-06-30 13:14:59 | 日記
自分の良心に沿って生きれば、すべての善悪がアノ世では良い思い出に変わります。
もっと明るく思いっ切り生きなかったことが、唯一の自分の後悔と成ります。



本日のブログ「伊勢白山道」も心にしみます。

ぜひ ご縁のある方はアクセスしてください。






昭和天皇!! たくさんの戦没者を救うために・・・  お気に入りブログで検索してちょ!!

中島みゆきさんは イセハクサンダー!!??? なのかもしれない♪

「千と千尋の神隠し」の白。

千尋が川でおぼれた時の龍神でしたよね











他にも「命の別名」 などもおすすめ。

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大事なこと・・・・ それは やはり先祖供養ですね。自分が死んでしまっら供養してほしくないですか???

2013-06-30 11:53:07 | 日記
死んでしまっても「生きている子孫」から お願い事されても・・・・・

死んでしまったら新しい世界になれるために大変なのに、もっと生きていたかったのに

死にたくなかったけど死んでしまったら、ご先祖様が迎えに来てくれるそうです。

しかし、生きているときにしっかりと思いやりの心で先祖供養していないと迎えに来てくれるご先祖に逢えないそうです。

さぁー 大変。

迷うことになります。

さまよってしまいます。 それなのに 生きている子孫から あれして これしてとお願いされたってそれどころじゃーない。

そんなことより 私に思いやりの供養してくれないかい!!!

魂だけになった故人の気持ちは生きているときと同じ・・・・

ちよっとー 頼むよ~ 死んだ人のことほっとかないでよー ついこの間まで 私もそっちにいたのよ。

あっ そうか・・・ 私も全然 亡くなった人のこと考えてなかった。 死んだら人はそれでおしまいだと思っていたんだ。

違うのね。
体から魂が抜けただけなのね。
コップの中の水がなくなっただけと同じなのね。その水は人に飲まれたら体の中に入るし、植木にあげたら土に染み渡るし、
そのうち 蒸発して気体になる。

在り方が変わるだけ・・・・

私は「ここにいる」 「いるのよー」といくら伝えたくても伝わらない。

そういうご先祖様が一人でもいなくなるようにしてあげましょう。
多い場合は霊線のつまりと称していろんな形でつたえてこられます。

詳しくは私のお気に入りブログで勉強してください。

私はいいと思うことはお伝えしたいだけ。

伝え方が不器用でも誤解があるかもしれないけど お金も集金もかからない、個人でできるの伊勢式で確実に自分自身の心の在り方が変わりました。

人の気持ちで自分を左右していたあの頃。
自信がなくて私なんていない方がいいんだと卑下していたあの頃。

まだまだ あります。

今でも 悩んだりしますが すべて「生きているが故」のこととして 
以前のようにクヨクヨしなくなりました。

当たり前の日常がおくれるだけまだましです。

二年前のあの出来事や世界各地での出来事、自分にだっていつ降りかかるかわからないことだらけです。

自分には関係のないことだなんて少しも思いません。

自分があの状況になったら本当にどうしようと考えてます。

だから そうじゃない「今」に感謝するのみです。

みんなが 元気にいてくれることに感謝です。





老子が先祖供養を絶賛する
2012-12-02 11:07:43 | 老子の言葉

老子の言葉 第五十四章

(独自の超訳)

しっかりと建てられた家は倒れず、しっかりと管理された財産は失うことがありません。
この御蔭で子孫は、先祖代々長く先祖供養をすることが出来ます。
先祖供養を個人で実践しますと、その者の孝徳は現実のものと成ります。
もし先祖供養を一家全員で行いますと、その孝徳は溢れるほどのものに成ります。
もし先祖供養を住む村の全体で行いますと、その恩恵は長く継続するものと成ります。
もし先祖供養を国家で行いますと、その恩恵は豊かさをもたらします。
つまり先祖供養を天下社会の全体で行うことは、その恩恵が社会の隅々まで行き渡ることに成ります。

だから、私は他人が先祖供養を実践しているか否かを見て、その人間を判断します。
その家が先祖供養をしているか否かを見て、その家のことが分かります。
その村の全体が先祖供養をしているか否かを見て、その村のことが分かります。
その国が先祖供養をしているか否かを見て、その国のことが分かります。
天下社会の全体が先祖供養をしているか否かを見て、その社会全体のことが分かります

どうして私が天下社会のことに精通することが出来るかの秘密は、先祖を敬う気持ちが有るか否かを見れば、そのすべての事の成り行きが分かってしまうのです。

原文
「善建者不抜、善抱者不脱。子孫以祭祀不輟。
修之於身、其徳乃眞。修之於家、其徳乃餘。
修之於郷、其徳乃長。修之於邦、其徳乃豐。
修之於天下、其徳乃普。
故以身觀身、以家觀家、以郷觀郷、以邦觀邦、以天下觀天下。
吾何以知天下然哉。以此。」

(感想)
「“子孫”以“祭祀”不輟」=子孫が継続する祭祀=先祖供養、です。
驚くべきことに、老子が「先祖供養」の重要性を徹底的に書き表しています。
しかも、先祖供養の効果・恩恵・作用の大きさを、個人だけではなく国家を左右するほどの巨大なものであると明記しています。

その相手を知りたければ、先祖供養を自主的にする人間か否かを見れば分かる。
その町のことを知りたければ、多くの住民が先祖供養をしているか否かを見れば治安状態が分かる。
その国家のことを知りたければ、先祖供養の浸透具合を見れば富裕さも含めて、その国の未来まで知ることが出来る。
老子が、先祖供養の重要性を強調しています。

どうして老子は、先祖供養の実践を見れば、そのすべてが分かると言うのでしょうか?
それは、先祖供養=継続性への賛歌、「継続力を大切に出来るか否か」の問題なのです。
裕福に成るのも、幸福に成るのも、一日にしては成らないのです。
(1)そこには地味な継続力が有ることが必須条件なのです。

また、先祖供養とは、すでに亡くなった人間、忘れ去られた人間、供養しなくても他者から怒られない存在、・・・・つまり、「弱者への思いやり」の行為なのです。
弱者への思いやりが無い人間、町、国家が繁栄することは無いのです。
(2)先祖供養の継続は、「思いやりの心」が有るか否かを見る試金石なのです。

私がよく言うことに、
「結婚する場合、相手の親に対する態度を見れば、それは将来の自分に対する態度が分かる」
があります。
つまり、自分の親を大切にしない人間と結婚しますと、それは必ず将来の伴侶への態度に成るということです。
親孝行な相手と結婚しますと、自分も大切にされるということです。

先祖供養を宗教から切り離して、
「自分の家族は責任を持って自分で食わせる。自分の先祖は自分で供養する」
という生活の一部として先祖供養は存在するべきことなのです。
私は仕事上で多くの経営者を視て来ましたが、何代も安定して継続する会社のオーナーに共通することは、熱心な先祖供養の実践でした。
新興宗教では無くて、地域の伝統仏教にもとづいて、日々家族で先祖を供養する人たちが多かったです。
跡継ぎが集金宗教に熱中したり、先祖供養をしない経営者は、一時が良くても栄華が「継続せずに」没落して行きました。

宇宙の森羅万象を知る老子が、先祖供養を絶賛する意味は大きくて深いです。
釈尊は先祖供養を、その生きること自体が困難な「時代性のために」言いませんでした。
しかし、日本の仏教ほど先祖供養が中心で、一辺倒に熱心な先祖供養の仏教は世界にありません。
日本神道の祖霊信仰と仏教が融合して、日本独自の先祖供養仏教が花開きました。

日本が、世界の経済大国に成るほどの富裕さが得られた陰には、先祖供養の伝統がありました。
これは、上記で老子が、「先祖供養を実践する国家は、富裕に成る」と言っていることを証明したと私は思います。

今日も淡々と、自分の手で先祖供養をしたいと思います。
先祖供養=遺伝子へのケア、でもあります。
子孫繁栄、健康、色んな幸運、にダイレクトに影響しているのは間違い無いと私も日々体験しています。
しかし、自分のためにでは無くて、「先祖のために」供養したい気持ちが一番に大切なのです。

防災 耐寒温度-25度 hasky 寝袋(http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d.html?a=B008CLIF3I&at=isehakusandou-22)参考に。

生かして頂いて ありがとう御座位ます

マツコ デラックス  そうなのね~   有吉さんとの番組面白いですよね~  村上君とやってるのも♪

2013-06-28 23:43:58 | 日記

Unknown (伊勢白山道“先祖供養は自己責任・自主判断ですることです”)
2013-06-28 14:01:42
質問です (桜佳)2013-06-28 09:53:15毎日のブログの更新ありがとうございます。最近思うのですが、マツコ・デラックスさんの話す内容が時々神髄をついていると感じます。マツコ・デラックスさんはリーマンさんから

。。。過去生に僧兵の経験があります。
天台宗です。
京都は、色んな思いが浮かぶことでしょう。

矢作先生 登山家 ←で検索した一番上のブログのコピー♪

2013-06-26 16:12:06 | 日記
2009年11月9日
「生きているという実感」――東京大学医学部附属病院救急部部長 矢作直樹先生~前編~

矢作先生

常に優しい笑顔で、頷きながら話を聞いてくださる、穏やかな先生。背筋が伸びていて、「達観(=物事に超然として、悟りの心境に達すること)」という言葉がぴったり。
そんな印象の矢作先生ですが、実は、日本を代表する東京大学医学部附属病院の救急部部長として日夜、まさに人の命と向き合っている先生です。各科では対応困難なショックや重症感染症、意識障害、薬物中毒、外傷などに対応し、「自分たちが診るしかない」という気概のもと、日々、患者さんの命と対峙していらっしゃいます。

その日、東大病院の1階に現れた矢作先生は、「こんにちは」とにこやかに、まっすぐな視線と優しい笑顔であいさつしてくださいました。そしてまず案内してくださったのが、ほぼ「住んでいる」に等しいという研究室。読書家とはうかがっていたものの、驚きました。本棚には到底入りきらない本が山のように積まれていました。「ここらへんはここ3ヶ月以内に読んだもの」とさらりとおっしゃって、指差した先には本の山。1日1冊以上、読むそうです。あとからお聞きしたところ、半年間で積み重なった本は750冊にも至るとのこと。ほとんどはノンフィクションで、タイトルを覗くと、政治、経済、外交、軍事、歴史、宗教・思想ものなどなど。救急医という仕事を考えると意外ですが、実は先生は、「生とは何か」というところから出発し、万教同根・梵我一如の境地に達し、そこに摂理を見出されました。

話を聞けば聞くほどに、独特で魅力的なワールドが広がっていきます。そんな世界観、人格は一体どうやって形成されたのでしょうか。それを解明することが今回のインタビューのミッションだったのですが…。

――先生は、幼少期はどのような子どもだったのですか?

わんぱく坊主でしたね。遊ぶのに精一杯、という。小学校の頃から運動はよくできる子でした。決められたことが嫌いで、勝手になんでもする、あまり人の言うことを聞かない子。
また、絵を描くことがすごく得意でした。風景も、想像のものも、なんでも描いていて、いろいろな賞をもらっていたのですが、中学2年生のある日突然、パタンと意欲がなくなりました。学校の校庭で自分の目に入ったものを描いたのを最後に、描きたいという意欲がなくなったのです。

――不思議ですね。絵のほかにはどんなことが好きだったのですか。

音楽、美術館、博物館、スポーツ…。あとは、海で泳いだり、野山を走ったり。山は、10歳の頃から一人で登っていました。

――すごいですね。ご両親はどのような教えだったのですか。

父から教えられたのは、「負けるケンカはするな」ということと、「卑怯なことはするな」ということ。母が言っていたのは、「男らしく」ということでしょうか。うだうだ言うなとか、言い訳をするな、と。
登山は、低い山から始めました。子どもの頃から体力はありましたし、20歳になってからは、年間200日は山にいました。大学が金沢だったので、誰もいない岩場を登っていました。プロの登山家になろうと思っていたので、学業は二の次。ただ、二度目に雪山で滑落したときに、「もう山にはくるな」という声を聞いたんですね。1度目の滑落は、鹿島槍ヶ岳北峰で、1000メートルもの高さをほんの数十秒で一気に堕ちました。このときは本当によく助かったなと思います。不思議でした。そして2度目は、昭和54年12月で、100メートルほど堕ちただけだったので、精神的なダメージはなく、余裕はあったのですが、はっきりと声を聞いたのです。そのまま山を下りて、それ以降、山に登ろうと思ったことはありません。

――すさまじい体験ですね。ただ、1度目に堕ちたときにはやめようとは思われなかったのですね。そもそも、プロの登山家になろうとまで先生を虜にしたのは何だったのでしょうか。

そばに生物かいない感覚がおもしろいのです。自然の中で生きているという実感、ですね。登山は人と競うものではありませんし、幸せな感じがするんですよ。よく「怖くないのですか」と聞かれることもありますが、「間違っていることをしなければ大丈夫」と信じていました。登山をしていると生き延びるのに必死ですが、怖さよりも、自然の素晴らしさのほうがもっとすごいわけです。猛吹雪のなか、何日かに1度晴れたときの素晴らしさといったら、言葉にはできません。

~後編に続く…~

―–



2009年11月11日
「足るを知る、ということ」――東京大学医学部附属病院救急部部長 矢作直樹先生~後編~

~月曜日のブログの続きです~

――先生の物事を達観された感じというのは、やはり登山の経験に基づくものなのでしょうか。

確かに登山をしていると、雨風をしのげて、寒い思いをせずに、食べるものがあれば、それだけで十分な満足を得られます。それ以上の贅沢は必要ないと実感できますので、そういう意味ではよかったなと思っています。
ただ、それ以上に影響が大きいのは、やはり親でしょうか。平成14年に父が亡くなって、それ以降、母は仙人のような生活をしていました。ほとんどの荷物を父と暮らしていた家に残して、本当に必要な荷物だけを持って1Kのアパートに引っ越しました。ひっそりと本当に幸せそうに暮らしていたので、その影響が大きいと思います。
「足るを知る」ということですね。つまらない欲やしがらみは無意味だと教えてくれました。世の中の皆が、このような境地になったら、きっと悩みはなくなるでしょうね。幸せに生きられるかどうかは、心がけ次第なのです。ただ、それが難しいのですよね。人は人の背中を見るといいますが、結局は、見ようと思うものしか見ませんから。

――2度目の滑落をきっかけに登山家という夢をあきらめ、医学部を卒業して、今、救急の現場で働いていらっしゃるわけですが、救急も違う意味で生死にかかわる現場ですし、緊張感があるかと思います。仕事としての魅力はどのようなところにあるのでしょうか。

日々、感動するのですが、つい、慣れが生じてしまうんですよね。自分の悪いところです。予測できないことは少なくなりましたので、慣れてはいけないと思いつつも、日常の感覚に流されがちです。
ただ、臨床の現場で幾多の患者さんやご家族と出会うなかで、「われわれの存在意義とは何なのか」と考えるきっかけをいただいています。そのことには本当に感謝しています。
最近の関心は、どうやったら日本国民を幸せにできるか。今の世の中はいびつなことが多いと感じるのです。目の前の現象のみにとらわれて、本質に目が向けられていないというか…。とはいえ、臨床の現場ではできることに限りがあるので、もっと不特定多数の方にメッセージを伝えるためにメディアを使うことも必要だなと。そう思っていた矢先に、ある出版社から本を出す話をいただきまして、今、原稿をまとめているところです。

――本の出版、楽しみですね。今日はありがとうございました。先生の世界観はどうやって形成されたのかをお聞きしたかったのですが、本を読ませていただきます!