愛犬ベティと染井野を綺麗にする会

イエローハット創業者鍵山氏より掃除道のご指導を受け,何かお役に立ちたいと思い、毎朝犬の散歩にあわせてごみ拾いを始めました

富士山で瀬古監督と

2009年09月27日 | 八丁堀の風

(写真の後ろの方が瀬古さん)

今日は朝9時に富士山麓のゼロ合目を早稲田大学の瀬古監督に見送られスタート。5区間の駅伝の人と私のように全区間一人で走る人がいます。ここから5合目に向けてただひたすら登りました。富士スバルラインに並行に走る舗装されたスーパー林道みたいな道でした。4区間まで、5連休の100キロ走が効いたようで快調でした。このままと思った瞬間から疲れが出て苦労しました。21キロを3時間11分でした。今回も歩かないと心に決めていましたので、最後まで這うようになんとか走り通しました。自分を褒めてあげたい。さてあと1ヶ月のニューヨークマラソンまで4回、40キロ走出来れば、なんとか!

 


八丁堀の風(NO22) 最終号   「 同心円のらせん階段を登る? 」 の巻

2009年09月18日 | 八丁堀の風
早いもので、この「八丁堀の風」もお陰様で約二年で22号になりました。先日ご連絡いたしましたように、9月28日付けにて、新しい職場に転勤となりますので今月が最終号となりました。毎回題材に苦しみ、自分の語彙のなさに今更ながら学生時代の不勉強を嘆いていた毎月でしたが、終わってしまうと、開放感とともに一抹の寂しさを味わっております。本当にありがとうございました。

 さて今年の3月より地元の体育館で合気道を習い始めました。今までに全く経験もありませんが、IT全盛期に日本の伝統武道もいいかなと思い護身術もかねて通い始めました。
 入会してみますと何もかも初めてで戸惑うことばかりです。最初は何かプリントを渡されて運営ルールや技などを実技とともに教えてくれるものと勝手に思っておりました。ところがたとえば技は、まずその日の技を先生が模範演技をされます。そして黒帯の先輩の方や同じ白帯の方に相手をしていただき練習していきます。しかし最初は技の名前どころか、言っている言葉もさっぱり分かりませんし、ましてや緊張から例えば「右足を引いて・・」と言われてもどちらが右足だったのかも分からなくなって固まってしまいます。家で復習しようにも何をどう習ったのかさえ思い出されません。何度かそんなことをやっていますと、今度は練習の相手の方に迷惑がかかってきます。やむなくDVDを購入して、練習本を本屋で探し、自分で技の一つ一つを分解して、「①右手持つ、②左足右に寄せながら・・・」とメモって行きました。(内心、何でそんな初心者用の手順書を作ってくれないんだと、不満に思っておりました。)そして次の週に覚えた手順でもう一度技をかけてみますが、表面を似せてもちっともかかりません。自宅で女房相手に掛けてみましたが、見事にするりと抜けられてしまいました。

 そんなある日懇親の飲み会があり先輩にちっとも上手くならないことを相談してみました。「何回も何回も先輩のまねをして繰り返していると同じ事をしているように思うかもしれませんが少しずつうまくなるものなんですよ。」そしてさらに「上から見れば同じところをぐるぐると回っていると思っているかもしれませんが、横から見るとらせん階段のように少しずつうまくなっているんですよ。上からは同心円、横からはらせん階段です。」と。

 「同心円のらせん階段を登る」 われわれサラリーマンが仕事上で部下によく使う手法は、指示の紙だったりマニュアルです。この合気道の手法は全く逆で、見て、慣れて、考えて、繰り返す方法だったようです。そういえば私が入社した30数年前はマニュアルなんかなくて、先輩の仕事を見て覚えろと言われ必死に真似から入ったことを思い出しました。30数年の間にすっかりアメリカ式に染まっていたようです。

 そして練習日のある朝、早めに行って入り口付近を眺めていますと、習いに来ている子どもたちは入り口でしっかり一礼して、出席カードを両手で先生に渡していました。ハッとしました。私は56歳、カードは机の上にポイと置いていました。私の同心円はぐるぐる回っていてもらせんでなく、平面だったよう・・・・・。
 いつの間にやら頭で考えた柔な感覚が、経験の積み重ねという地味だけど重要な行為を疎かにしていたことに、今回気づかされました。
私の今後の人生の同心円はらせん階段を登って行けるのやら。挑戦は続く。
ありがとうございました。                 

八丁堀の風(NO21)    「 今、どしゃ降りの中。面白いぞ! 」 の巻 

2009年08月24日 | 八丁堀の風
「少し古くなりましたが、今月の八丁堀の風」


今年のお盆は如何お過ごしだったでしょうか。空けない梅雨、豪雨、そして地震による東名高速の陥没など、計画の変更を余儀なくされた方も多いのではないでしょうか。

 さて私は定額給付金が支給されて、分配をめぐって奥様と遅めの春闘をやって、やっと12,000円を勝ち取ることが出来ました。大切な資金を何に使うか悩んだ挙句、前から欲しかった自転車、それも折りたたみを買うことにしました。YAHOOのオークションを調べて新品18段変速付26インチをジャスト12,000円で落札しました。数日後大きなダンボール箱が到着。子ども時代のクリスマスプレゼントを開ける瞬間のワクワクした心境でした。

 組み立ててみれば、意外に大きく、やっと足が届くほど。嬉しくて近所を走ってみましたが、さて冷静になって考えてみれば、この自転車の使い道が決まっていません。

 ネットで「自転車、旅」を検索すると、出るわ出るわ、世の中にこんなにたくさんの老若男女が日本国中自転車の旅をしているとは驚きました。その記事を参考にしながら思いに耽っていました。

 さてどこに行こう・・・。昨年夜行バスで行った青森に、今年はねぶたを観てから秋田の竿灯、そして仙台の七夕まで東北三大祭を自転車でめぐっては・・・。調べてみれば往復1000キロを超えることが分かり、こりゃ無理。では茨城の大洗からフェリーに乗って北海道の苫小牧に行き、そこで梅雨のない北海道を満喫するプランなど楽しく空想していました。結局体力と痛風発作騒ぎで断念、いや「断念」ではなく普通に「無理」と分かりました。

 ところが先週60歳になられる会社の先輩が、お越しになりました。30数年前、私が入社したときの独身寮の寮長をされて、いろいろご迷惑をおかけした方です。この方は山登りが趣味で日本中の山を駆け巡っています。定年の記念に奥様と屋久杉を見に屋久島に行かれ山小屋で一泊されるほどの山好きです。挨拶代わりに「夏休みどうされます」と聞いてみました。山の計画を話されると思っていましたが、なんと「今年の夏休みは、茨城県の大洗からフェリーに自転車を積んで苫小牧に下りて、それから・・・」「なになに!それから・・」「一泊目だけ宿を決めて後はテントで寝ながら、襟裳岬を目指して、帯広に。そして調子がよければ・・・・まで。」と、冒険家が出発するときのように輝いた目で計画を教えてくれました。

 なんと私の空想をこの先輩は実行しようとしていました。本当に16日北海道の大地に向け出発されました。昨日天気予報を見ていましたら、北海道は雨模様。少々心配して「自転車旅行は如何ですか。天気予報では雨みたいですが・・・・・。」とメールしてみました。しばらくして返信がありました。
「ありがとう。今、どしゃ降りの中。面白いぞ!」
 いやあ、やられましたね。これを見て私は痛風発作が出て弱気になっていましたが、来週誘われていた富士山への登頂に挑戦すると決めました。さてどうなりますやら・・・。

八丁堀の風(NO20)    「  時にはミスもある?! 」 の巻  

2009年07月31日 | 八丁堀の風

八丁堀の風(NO20)    「  時にはミスもある?! 」 の巻  

7月は人類初の月面着陸をしたアポロ11号の40周年、そして日本中を沸かした「皆既日食」と宇宙と天体の月でした。皆既日食は天候不順で残念な結果となりました。夏休みの宿題にしようと考えていたお子さんは、さぞ悔しがっていることでしょう。次の皆既日食は26年後の2035年だそうです、○○才か、誰と何をしているでしょうか。

 さて8月夏の甲子園の季節になりました。野球といえば、私は子どものころから前ソフトバンクの監督、王貞治氏のファンでした。先月の月刊誌「致知」の中に王選手と育ての親、荒川氏の対談が掲載されていました。初めての対談だったそうです。

“荒川博氏24歳、王貞治氏14歳――。球界に燦然と輝く868本のホームラン世界記録は、この2人の師弟の出会いから始まった。運命的な出会いから55年の時を経て、・・”

 荒川氏「初めからミスが許されるなら、これはもう人間として堕落してしまうよ。職業によってはそのミス一つで破産に至ることもあるんだから」

 王氏「真剣で斬り合いの勝負をしていた昔の武士が“時にはミスもある”なんて思っていたら、自らの命に関わってしまう。だから彼らは絶対にそういう思いはもっていなかったはずです。時代は違えど命懸けの勝負をしているかどうかですよ。」

 再チャレンジ日本、フリーター、無理しなくてもいいんだよ、など心の柔らかさに軸足が移ってきた時代に、久しぶりに読んだ本物同士の対談でした。

 そういえばアメリカの球宴に出場したイチロー選手は、オバマ大統領に「君の大ファンだ」と言われ大感激。試合後のインタビューで「大統領の始球式は如何でしたか?」との問いに「一番打者なのでいつものようにダックアウト裏で準備体操していましたので見ていません」と平然と答えたそうです。

 プロと一言でいっても、超一流がつく、荒川氏も、王氏も、イチロー選手も、命懸けの勝負をしているんですね。
私も夏空の下ビールばかり飲んでいなくて、真剣勝負?



「ゲゲゲの鬼太郎 妖怪 一反木綿??  」 の巻

2009年06月25日 | 八丁堀の風
さて先日、趣味のマラソンが嵩じて島根県隠岐の島で開催された、100キロウルトラマラソンに挑戦してきました。結果は75キロ地点、11時間15分でタイムオーバー、バスに収容されあえなく今回の挑戦は失敗しました。久しぶりに悔しさよりも不完全燃焼でもやもやしている近頃です。やっぱり挑戦はするものでなく、成功するものですね。

今回は羽田から鳥取の米子まで飛行機で行き、近くの境港から高速艇に乗って隠岐の島に渡りました。途中の境港は「ゲゲゲの鬼太郎」で有名な漫画家水木しげるさんの出身地。町興しに熱心で、日本海最大の漁港であると同時に、妖怪のふるさととして、町の到る所にねずみ男をはじめ「妖怪立体ブロンズ像」130体余りが立ち並び、「妖怪検定」「妖怪川柳募集」「妖怪そっくりコンテスト」も実施されています。さらに商店街では「妖怪饅頭」「妖怪かまぼこ」「妖怪タイムス」までも。そしてなんといっても圧巻は「水木しげる記念館」ではないでしょうか。館内では、迫力満点の妖怪オブジェが迎えてくれ、独創的な妖怪世界に浸ることができます。

私も子どもにもどったように、うきうきとしながら展示場を回っていました。そしてお馴染みの「一反木綿」を眺めていましたら、何か違和感を感じます。そうです、私はその白くて大きな体から、彼(?)のことを「板(いた)木綿」と信じていました。別人かと思い何度も館内を見回しましたが、やっぱり彼です。「一反(いったん)木綿」が正解だったようです。念のため自宅に帰り家族に確認したところ、呆れ顔で一笑されてしまいました。そういえば、子どものころ「海底二万哩(マイル)」を「二万哩(リ)」と読み、父親に指摘されました(注)。 大きくなってからは「身を粉(こ)にする」を「身を粉(こな)にする」と読み恥をかいてしまったこともあります。人間の思い込みって怖いですね。麻生総理のことを笑っている場合ではありません。私も妖怪学校で純粋さを学んでこなくては・・。

(注)“ウイキペディアには:原題は海底二万リューである。日本では、リューという単位になじみがないことから、当初は『海底六万哩(マイル)』と単位を換算して訳されたが、これと原題とが混同されて『海底二万マイル』という題名が広まった。『海底二万里』という訳題は、日本の里とリューがほぼ同じ距離であり、語感も似ているために採られたものである。”


八丁堀の風(NO18)「 私は○○の妹ではありません 」 の巻

2009年05月28日 | 八丁堀の風
この春から姪が福岡から出てきて東京で学校に通い始めました。慣れない地で寂しいだろうと思い、私の息子と娘も入れて、子ども達の「いとこ会」を開催することになりました。5人の子ども達が集まりにぎやかな食事会となりました。夏休みには実家の庭で花火をした後、近所のコンビニに手を繋いで、アイスクリームを買いに行ったこと等、ついこの間のように思い出していました。あれはみんな幼稚園のころだったのでしょう。さて会も盛り上がり、お酒を飲んだのもあるのでしょうが、姪たちは彼氏の話に盛り上がっていました。隣にいた私は、聞くとはなしに「聞き耳」を立てて聞いていました。娘も含めてみんな(彼が)いたようでした・・・。もうそんな年頃なんですね。少し寂しいやら、なにやら・・・。

そういえば今年に入りこんな話がありました。娘が成人式が終わって、中学校の同窓会に出かけたとき、会う先生、先生が「○○君の妹だ、兄貴元気か?」と聞いてきたそうです。(息子は同じ中学で当時少しやんちゃでしたから心配してくれたのでしょう)ところが20歳になった娘にとっては、この「○○君の妹」は許しがたかったのでしょう。「私は○○の妹ではありません、☆☆です」と言い切ったそうです。知らない間に大人になっているんですね。

このことを、自我や誇りというのでしょうか。呼ぶほうは親しみをこめて言っているのですが、言われているほうはいつまでたっても、付属品のような扱いに内心憤慨していたんですね。

4年前にチベットの女性声楽家バイマーヤンジンさんの講演会を開催しました。現地で留学していた日本人の男性と結婚して、一人で来日して、言葉の壁、習慣の違いや、お姑さんとのやり取りなどを面白おかしく話してくれました。そして日本の方は「チベット」とモンゴルを混同して朝青龍が優勝するとおめでとうと言うそうです。このことを聞いて、まだまだ自分の故郷のことが日本人には理解されてないことが悲しくなるけれど、もっと心に引っかかることがあるそうです。それは「私の大事なチベットという名前を日本の方は悪気はないのでしょうが“ここは日本のチベット”といって“何もない不便なところ”の例えとして使われます。しかしこの言葉を聴くと、チベットを誇りに思う民族として心が痛くなる思いです。」と締めくくりました。

何気ない一言が、一人の人の心を傷つけたり、さらに国家の誇りや気高さをも傷つけていることを心に常に留めていなくてはいけないと娘に教えられました。反省。

八丁堀の風(NO16)   「厚生労働大臣 舛添 要一からの宅急便?!」 の巻

2009年03月26日 | 八丁堀の風
3月22日午前9時10分新宿都庁前の紙吹雪に送られ、3万5千人が走る東京マラソン、私の16回目のフルマラソンへの挑戦がスタートした。10年前に知人から勧められて練習不足のまま42.195㌔を走ることになった。途中何度も何度もやめようと思ったが、家族や会社の仲間に完走を誓った手前、棄権するわけにはいかなかった。そして途中2時間近くも歩き6時間12分フラフラでゴール。走っているときは、こんな苦しいこと二度とやるものかと思っていたが、ゴールと同時に達成感・悔しさそしてこんなことに負けてなるものかと私の挑戦魂に火がついてしまった。今回の目標は4時間切り、結果は4時間21分。満足はしないが、沢山の運営者とボランティアそして溢れんばかりの声援をいただいた沿道の人に感謝。そしてまた挑戦だ。

 挑戦といえば、3月6日午後8時自宅のインターフォンが鳴る。宅急便だ。妻が受け取り笑顔で「間違いないね」と渡してくれた。夕刊フジぐらいの大きなダンボールに包まれていた。「あなたは職業開発促進法の規定による・・・」「厚生労働大臣 舛添 要一」と書かれていた。年甲斐もなく嬉しかった。一級ファイナンシャル・プランニング技能士の合格書だった。

 入社して30年間○○業は強い営業力だと信じて疑わなかった私は、4年前に教育部門を担当することになったばかりに嫌々FP2級を受験した。「頭でっかちに売れるか・・」「こちとら30年の実践経験があるから・・」なんて思っていた私だったが、特に社会保険や税金そしてライフプランの作成に当たって、今まで無関心だった自分の長い老後プランが現実のものとして目の前に晒されて、あまりのリアルさに唖然としてしまった。そして今までこんなことも知らなくてお客様に「健康保険にプラスして・・」「年金は早いうちから・・」なんてお勧めしていたのかと、赤面してしまった。FP2級は運転免許にたとえるならオートマチック車。便利だけど「なぜ」がわからない。ならばFP1級をと思い、2回ほど受験をするもカスリもしなかった。すっかり諦めてしまっていた。

 昨年この会社に出向したのを機会に、せめて決算書が読めるようにと夜の専門学校に通い簿記3級を取得した。小さな資格だが私の脳が少しだけ動き始めた。55歳なのでこの目覚めを活かさなければ二度とFP1級はないと思い、受験講習会に通い始めた。息子が使い残していた大学ノートを取り出し、講師の解説を写し取り、理解できないテキストの文言を書き出し、過去問の回答も解説も写し取った。その数10冊。もちろん学生時代を超えていた。試験前1ヶ月は朝4時に起き1時間半、通勤の行き帰り、土日の図書館通い。硬い頭にはなかなかハードだった。400ページ近い過去問集は5回以上繰り返した。今回の合格率は10%を切っていた。

 一次試験はやっと合格、そして2月面接口頭試問試験が行われた。場所は東京フォーラムの会議室。大きな部屋に対面の机、試験官2名が15分前に配った相続と事業継承の事例について、具体的コンサルを求めてくる。あがってしまいしどろもどろとなる。さらに追い討ちの質問が。死闘の15分間だった。そして試験官と問題を変えてもう一回。終わってみれば、とんでもない勘違いも判明。合格ラインの60%は如何に。自信がなかった。そして発表は自宅へ。

 いくつになっても嬉しいものだ。合格して分かる楽しさ、吹っ飛ぶ苦労、マラソンと似ているかもしれない。若い人は知識を経験に変えていくのだろう。私の場合は経験を知識に変えられたことが今回の収穫だった。 
さて次なる挑戦は・・・。

八丁堀の風 NO15 メタボ撃退 やきとりじいさん体操の巻

2009年02月25日 | 八丁堀の風
先日久しぶりに大阪に出張して来ました。JR大阪駅周辺は20年前のバブル期を彷彿させるごとく、北側には三越・伊勢丹グループの百貨店が入店する駅ビルの大工事が始まり、正面横には、ディズニーランドのお城のような完成直前の阪急百貨店本店が聳え立っています。旨くいくといいですね。
そんな開発真っ最中の駅通路を抜け、阪急電車始発の梅田駅に。朝が早かったので駅構内でお握り二つとお茶を買いました。商品をカウンターに持って行き、代金を支払おうとしたとき、いつものタイミングと違っています。カウンターのおばさんが何かを考えています。「う~ん・・・」そして「380円です」。何かが違う。そうですこの店にはピッというレジがなく、暗算で計算していたのです。懐かしいやら、計算あっているのか心配やら。世の中の新しい動きは大阪から生まれ、東京に持っていって全国に流行るといわれていますが、さてこの暗算方式は。

 こんな地方から全国へといえば、今福島から大ブームが起きています。私もつい先日女房から教えられたのですが、「やきとりじいさん体操」です。

福島市の町おこし「やきとりンピックin福島」で“もりたかし”氏作詞・作曲やきとりソング「やきとりじいさん」に市内の桜の聖母短大講師の岡田麻紀さんが振りをつけ、YouTubeに公開したところ大ブレーク。

ひなどりの誕生から飛び立つまでの練習、最後串に刺されて「ねぎま」になるまでのストーリーをビートたけしのコマネチのようなコミカルな動きも取り入れて考案したそうです。実はこの岡田さん、18歳のときに10キロ以上体重が増え、あらゆるダイエットに励むも12年間減量に成功しない日々。そこで福島大学大学院教育研究科終了(保険体育科)の知識も活かし、自ら成功できるダイエット法を作ろうと決意し、様々な体操を試み、なりたいカラダを実現。今回「やきとりじいさん」の歌に12年間の苦労と知識を詰め込んだそうです。リンパへの刺激や腰と腕の横の動きで体の歪みを矯正するなど、メタボ撃退もあわせ、理論的にもしっかりしているようです。更に踊りながらこの曲を聴くと、その歌詞がじわじわカラダにしみ込んできます。

100年に一度の大恐慌といわれる暗い時代を、この3分間の    「やきとりじいさん体操」が福島から日本を変えるかも。

八丁堀の風(NO14) 「 あなたの客層ボタンは!? 」 の巻 

2009年01月26日 | 八丁堀の風
八丁堀の風(NO14)    「 あなたの客層ボタンは!? 」 の巻    平成21年2月

                               

先日珍しく風邪を引いてしまった。風邪の治し方は、お雑煮の種類と同じくらい各家庭で独自の方法がありそうだ。私は風邪を引いたなと思ったら、とにかくありったけの布団をかけて寝る、そして何度も熱を出して、汗を出して下着を着替える。大体24時間ぐらいで、体力は落ちるが、体調は完全に回復する。女房殿はこの方法にいつも疑問を持っているが、頑なにこの治療方法を信奉する私にあきれ勝手にしなさいという。

ところが今回の風邪は、熱の出方の周期が長く悪寒も激しい、三日たってもいつものすっきり感がない。寝込んだままでも困ると、女房殿に連れられて近所のクリニックへ。待合室には、小学生の母親同伴か、私のような60歳前後の男性が奥さんに付き添われているかどちらかだった。(男性とはいざとなれば弱いものだ・・・)

先生は若く、高熱で咳もなく喉も痛めてないので、インフルエンザ間違いなしと言う。念のために検査すると、インフルエンザではない。あの異常現象が出るといわれた「タミフル」を試してみたがったが、なんだか残念な気もする。

結局薬は解熱の頓服のみ処方される。(もちろん飲んではいないが)女房曰く、最近はクリニックに来る患者の年齢層が上がったという。そういえば先日の新聞に


最大手セブントイレブン・ジャパンの来店客調査を見ると、客の年齢層の移り変わりが浮かび上がる。一九九一年には二十歳未満の比率が四分の一を超える二七%もあったのに九七年には二〇%、二〇〇七年にはついに九%まで低下。多数派は今では若者ではなくなってしまった。
代わって伸長したのが中高年層。四十歳以上の比率を見ると順に一二%、二六%、三七%と上昇。特に五十歳以上の比率が一〇%、一三%、二一%と急伸。「前からコンビニになじんで育った客層が中高年になったうえ、お年寄りも躊躇なく利用するようになったため」 


それにしても、どうしてコンビニでこんなに詳しく年齢層が分るのだろうか。調べてみると、ありました。コンビニのレジには「客層ボタン」といって、会計の最後に10代、20代・・・・そして男女のボタンをレジの人の主観で勝手に打ち分けているそうです。この「客層ボタン」を押すときに、もし手を止められてもう一度顔を見られたら嫌ですね。

 家族でもなかなか話題にしない、見た目年齢、さてあなたはいくつに押されているでしょうか。ショックを受けて、せっかく引いた熱がぶり返さないように・・


八丁堀の風(NO13)「おじいちゃん先生、よく効く(聞く?) 」 の巻 

2009年01月07日 | 八丁堀の風

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。
昨年に引き続き鎌倉の銭洗弁財天に皆さまのご繁栄を祈り、五円硬貨を洗い清めてまいりましたので、お納めください。

さて鎌倉でお参りをした後、久しぶりに横浜中華街で食事をしました。その帰り道、街を散策しておりましたら、客引きのお兄ちゃんに「有名な先生の占い、今なら995円ですよ。やっていかな~い」と声を掛けられました。この歳で占いとは少し恥ずかしいかなと躊躇しておりましたが、「995円」と聞いて、「こりゃ安いな」と一瞬気が緩んだタイミングを見計らったように、見事路上のいすに座るここと相成りました。

60歳ぐらいの男性が両手の手相を見て、開口一番「あなた頑固で、人の話、聞かないでしょう」といきなり核心を突いてきました。勝負脳メカニズムの基本である、「勝負は相手の核心を打ち砕いて初めて勝ったといえる」を仕掛けられました。分っていても動揺するもの、そのあとは静かに占い師先生の話に耳を傾けたしだいです。そして最後に「あなたはこれから一花咲きますよ」と心をくすぐるにくい事を聞いて「995円」にしては、すっきりして帰ってきました。

昔から「人の話を聞かない」と言われてきました。何度も新年の誓いに「今年こそ黙って人の話を聴くぞ」と書きましたが、一日も経たないうちにオジャンになっていました。本当に聴くって難しいものですね。

そんなことを思いながら帰宅しましたら、娘が女房と楽しそうに笑顔で、その日に行った自由が丘の皮膚科の話をしていました。娘は小さい頃からアトピーに悩まされており、年頃になってもなかなか治らないので、評判のその医院に二時間もかけて行って来たようです。そこには70歳を過ぎたおじいさん先生がいて、もらってきた薬も今までのものと同じ、さらに治療の仕方も「自分でよく考えて治しましょう」と言われただけのようです。それでも楽しそうにその病院のことを話しています。何が楽しいのかと尋ねると、娘曰く「病院に行って初めて先生がパソコンを叩かないで、向い合ってゆっくりと話を聞いてくれた」「いいよね、それって。おじいちゃん先生の評判が高いわけが分ったわ」といっていました。なるほどと感心しながら、親父の面子としてさすがに今日の占いで言われたことは話せませんでした。いつの時代にも聴くことが効くんですね。

今年の誓いには何を書こうかと・・・・・。

(後日、二度目にその医院に行ったとき、娘のカルテには何も書かれてなくて、   もう一度ゆっくり話を聴いてくれたそうです。)