最近うどんを打つようになりまして、今度はお蕎麦に挑戦しました。
いろいろ読んでいると結局凝っている人と単純に昔は田舎のおばあさんが自己流で自由に打っている方に分かれます。もちろん私は自己流です。
今回は初めてでしたのでどのくらい捏ねるか分からなくてうどんのように一生懸命に捏ねてみました。その結果世界にもまれな硬い硬い蕎麦になりました。
家族は一応笑顔で食べてくれましたが、柔らかい蕎麦にするには?
次回の楽しみですね。
最近うどんを打つようになりまして、今度はお蕎麦に挑戦しました。
いろいろ読んでいると結局凝っている人と単純に昔は田舎のおばあさんが自己流で自由に打っている方に分かれます。もちろん私は自己流です。
今回は初めてでしたのでどのくらい捏ねるか分からなくてうどんのように一生懸命に捏ねてみました。その結果世界にもまれな硬い硬い蕎麦になりました。
家族は一応笑顔で食べてくれましたが、柔らかい蕎麦にするには?
次回の楽しみですね。
半年前から気になっている映画を見に行ってきました。
中学生か高校時代だったでしょうか、あの山荘での銃撃のテレビ中継を思い出します。
結局主犯の「森」・「永田」はこの山荘に向かう前に逮捕されてしまいます。
思想的にはわかりませんが、人間の究極、つまり映画の中で出てくる「総括」のシーンと言いがかりに現在の「いじめ」を重ね合わせて似たのは私一人であろうか。
パワハラそんな言葉で今は表されているのだろうか、権力を持つものが発する言葉、そしてそのつど変える答え、そしてやむなく賛成する群集心理
現在の会社組織でも行われているのでは・・
深く身にしみる映画でした。
1960年代から'70年代にかけて日本の体制を揺るがせた学生運動は、連合赤軍が占拠した「あさま山荘」で終わりを告げた。
そこから、現在の日本が始まったのだ。
1972年に刻まれたメッセージは、粛清された同志たちの死が語るのではなく、10日間にわたる銃撃戦のなかにある。
銃口は、いまも、日本の“この時代”に向けられてられている。
「あさま山荘」に至る道は、どこにあったのか?
包囲された山荘のなかで、何が起きたのか?
若松孝二は“あの時代”を、どう描くのか……。
映画の評判が良かったので先に本を読んで見ました。
どちらかというと何とか賞をもらった作家が無名時代に書いた小説の匂いがしました。いい意味澄んでいる、ある意味もう一歩 さてさて
中学に進んでまもなく、どうしても学校へ足が向かなくなった少女まいは、季節が初夏へと移り変るひと月あまりを、西の魔女のもとで過した。西の魔女ことママのママ、つまり大好きなおばあちゃんから、まいは魔女の手ほどきを受けるのだが、魔女修行の肝心かなめは、何でも自分で決める、ということだった。喜びも希望も、もちろん幸せも…。
世界中にODAのお金で貢献している日本でこんなにまじめに現地に溶け込んでいた方が本当に残念なことになりました。
安全と復興、これからの課題はとても大きいと思います。
心からご冥福をお祈りします。
最近、奇跡のりんごの木村秋則さんから福岡政信さんへそしてエチオピアで
植林をすすめるNPOのこの作者の新妻香織さんへつながり
この本「楽園に帰ろう」に到達しました。
若い女性が10数年目にひとりでアフリカを陸路で横断するなど、勇気にあることです。最後は心の世界へ
(古い本でしたのでアマゾンで1円でした、総量340円に儲けがあるのかな?)
それにしても著作権など中古本の保護がいるように思わないでもないですね
アフリカ15カ国を324日間にわたり、単身陸路横断した若い日本女性の体験記。命がけの旅の最後の目的は、真の呪術の世界に触れることだった…。
朝の地下鉄にいつものように始発から座って乗っていました。
新聞を半部ぐらい読み終えてふと前を見ると、ドアに一番近いわたしから5人目ぐらいの座席の前に松葉杖をついて立っているおじさんが目に入りました。何ぼなんでも松葉杖ですから近くの誰かが替わると思っていましたが、3つぐらい駅を過ぎても替わりません。私も離れていますし混んでいましたし、何より声をかけるタイミングを失っていましたので悩みました。離れていたことを理由に一日嫌な思いをするぐらいなら離れていてもいいと思い思い切って「席をどうぞ」と。
このとき私の頭の中では短期間に「寝たふりするか」「離れているから人のせいにするか」など姑息な思いも広がりました。しかし答えは単に「困っている人が立っている」この状況を変えれることは自分に出来る、でした。お陰で自己満足ですが気持ちのいい朝になりました。
大阪の知り合いの方から本が送られてきました。
NHKでも放映されて有名になった方です。しかしどこかでこの人のことを以前読んだ事がありましたが、改めてその凄さと、人間の生き方を教えていただきました。
先週亡くなられた福岡正信さんの本を読まれてからこの自然の力を生かす農法を実践されたとの事です。
一概に「一徹」なんて口では言いますが、実践してそして長い挫折の先の成功など口で軽々しく言ってはいけないような気がしました。
ネットで見ますとこのような運動を全国でも多くの方が取り組み始めています。
きっと世界を救うのはCO2排出権ではなくこれでしょう。
何とか世界に広げられないのでしょうか。
少し古い本ですが、谷津干潟の松田さん、イラク救援の方、地雷撤去の方、そして活動的お坊さんと一人出始めて大きな流れを作った人たちです。
興味がそそられるのは、ここに掲載された4名の方や組織が今どうなっているのかを調べてみました。その結果1名は活動が表にのっていない(やっていないわけではないが組織的に何か課題があったのか?)、あと一名の方はNPOを解散していた。(これも援助が依存を呼ぶとの判断で現地化を勧めた結果)そしてあと一名も?
変化していくんですね。逆に言うと長く続くことは本当に凄いことですね。