愛犬ベティと染井野を綺麗にする会

イエローハット創業者鍵山氏より掃除道のご指導を受け,何かお役に立ちたいと思い、毎朝犬の散歩にあわせてごみ拾いを始めました

蕎麦打ちに挑戦

2008年08月31日 | ほっと一息

最近うどんを打つようになりまして、今度はお蕎麦に挑戦しました。

いろいろ読んでいると結局凝っている人と単純に昔は田舎のおばあさんが自己流で自由に打っている方に分かれます。もちろん私は自己流です。

今回は初めてでしたのでどのくらい捏ねるか分からなくてうどんのように一生懸命に捏ねてみました。その結果世界にもまれな硬い硬い蕎麦になりました。

家族は一応笑顔で食べてくれましたが、柔らかい蕎麦にするには?

次回の楽しみですね。


実録・連合赤軍 あさま山荘への道程

2008年08月29日 | ほっと一息

半年前から気になっている映画を見に行ってきました。

中学生か高校時代だったでしょうか、あの山荘での銃撃のテレビ中継を思い出します。

結局主犯の「森」・「永田」はこの山荘に向かう前に逮捕されてしまいます。

思想的にはわかりませんが、人間の究極、つまり映画の中で出てくる「総括」のシーンと言いがかりに現在の「いじめ」を重ね合わせて似たのは私一人であろうか。

パワハラそんな言葉で今は表されているのだろうか、権力を持つものが発する言葉、そしてそのつど変える答え、そしてやむなく賛成する群集心理

現在の会社組織でも行われているのでは・・

深く身にしみる映画でした。

 

1960年代から'70年代にかけて日本の体制を揺るがせた学生運動は、連合赤軍が占拠した「あさま山荘」で終わりを告げた。
そこから、現在の日本が始まったのだ。
1972年に刻まれたメッセージは、粛清された同志たちの死が語るのではなく、10日間にわたる銃撃戦のなかにある。
銃口は、いまも、日本の“この時代”に向けられてられている。

「あさま山荘」に至る道は、どこにあったのか?
包囲された山荘のなかで、何が起きたのか?
若松孝二は“あの時代”を、どう描くのか……。


本 西の魔女が死んだ

2008年08月29日 | 読んだ本たち

映画の評判が良かったので先に本を読んで見ました。

どちらかというと何とか賞をもらった作家が無名時代に書いた小説の匂いがしました。いい意味澄んでいる、ある意味もう一歩 さてさて

 

中学に進んでまもなく、どうしても学校へ足が向かなくなった少女まいは、季節が初夏へと移り変るひと月あまりを、西の魔女のもとで過した。西の魔女ことママのママ、つまり大好きなおばあちゃんから、まいは魔女の手ほどきを受けるのだが、魔女修行の肝心かなめは、何でも自分で決める、ということだった。喜びも希望も、もちろん幸せも…。


本 楽園に帰ろう

2008年08月26日 | 読んだ本たち

最近、奇跡のりんごの木村秋則さんから福岡政信さんへそしてエチオピアで

植林をすすめるNPOのこの作者の新妻香織さんへつながり

この本「楽園に帰ろう」に到達しました。

若い女性が10数年目にひとりでアフリカを陸路で横断するなど、勇気にあることです。最後は心の世界へ

(古い本でしたのでアマゾンで1円でした、総量340円に儲けがあるのかな?)

それにしても著作権など中古本の保護がいるように思わないでもないですね

 

アフリカ15カ国を324日間にわたり、単身陸路横断した若い日本女性の体験記。命がけの旅の最後の目的は、真の呪術の世界に触れることだった…。


通勤電車での出来事 ありゃりゃ

2008年08月25日 | 元気なサラリーマン

朝の地下鉄にいつものように始発から座って乗っていました。

新聞を半部ぐらい読み終えてふと前を見ると、ドアに一番近いわたしから5人目ぐらいの座席の前に松葉杖をついて立っているおじさんが目に入りました。何ぼなんでも松葉杖ですから近くの誰かが替わると思っていましたが、3つぐらい駅を過ぎても替わりません。私も離れていますし混んでいましたし、何より声をかけるタイミングを失っていましたので悩みました。離れていたことを理由に一日嫌な思いをするぐらいなら離れていてもいいと思い思い切って「席をどうぞ」と。

このとき私の頭の中では短期間に「寝たふりするか」「離れているから人のせいにするか」など姑息な思いも広がりました。しかし答えは単に「困っている人が立っている」この状況を変えれることは自分に出来る、でした。お陰で自己満足ですが気持ちのいい朝になりました。


妙高高原で第一回笹ヶ峰山岳ロードレースへ

2008年08月23日 | ホノルルマラソンへの道
妙高高原笹ガ峰のスキー場の駐車場をスタートしました。リフトの隣の道をひたすら登り10キロヒイヒイ言っていました。その後は5キロ下って行きました。皆さん早い。やっと1時間42分でゴールしました。練習しなくては?なんて今は思っていますが

追加:夕方から腰が痛くなり遂にはシップまで・・・・

奇跡のリンゴ これは凄い生き方だ!!

2008年08月20日 | 読んだ本たち

大阪の知り合いの方から本が送られてきました。

NHKでも放映されて有名になった方です。しかしどこかでこの人のことを以前読んだ事がありましたが、改めてその凄さと、人間の生き方を教えていただきました。

先週亡くなられた福岡正信さんの本を読まれてからこの自然の力を生かす農法を実践されたとの事です。

一概に「一徹」なんて口では言いますが、実践してそして長い挫折の先の成功など口で軽々しく言ってはいけないような気がしました。

ネットで見ますとこのような運動を全国でも多くの方が取り組み始めています。

きっと世界を救うのはCO2排出権ではなくこれでしょう。

何とか世界に広げられないのでしょうか。


たった一人が世界を変える

2008年08月19日 | 読んだ本たち

少し古い本ですが、谷津干潟の松田さん、イラク救援の方、地雷撤去の方、そして活動的お坊さんと一人出始めて大きな流れを作った人たちです。

興味がそそられるのは、ここに掲載された4名の方や組織が今どうなっているのかを調べてみました。その結果1名は活動が表にのっていない(やっていないわけではないが組織的に何か課題があったのか?)、あと一名の方はNPOを解散していた。(これも援助が依存を呼ぶとの判断で現地化を勧めた結果)そしてあと一名も?

変化していくんですね。逆に言うと長く続くことは本当に凄いことですね。


八丁堀の風(NO9) 「 たった一人が世界を変える 」 の巻

2008年08月18日 | 八丁堀の風
八丁堀の風(NO9)    「 たった一人が世界を変える 」 の巻       

 北京オリンピック観戦で寝不足ではありませんか。さすが13億の中国の民のパワーに圧倒されそうです。そういえば子供のころに見た東京オリンピックに似たものを感じました。

 1964年、今から44年前、日本は「ビートルズの来日」で世界が身近になり、国内では、浜田光夫と吉永小百合の「愛と死をみつめて」に涙をしていた時代だった。家族でテレビにかじりついて観た東京オリンピック、体操日本、東洋の魔女そして重量挙げの三宅選手など16個の金メダルに日本の国民は酔いしれていたのではないでしょうか。

 当時の記録を調べてみると陸上男子100mボブ・ヘイズ選手は10.0秒、北京ではボルト選手が9.69秒と脅威の世界新となっている。一方男子マラソンではアベベ選手が2時間12分をマークして金メダル、今でも見劣りしない記録ではないでしょうか。そんな中北京オリンピック柔道の表彰式のプレゼンテーターがあの「ヘーシング」だったのには懐かしさより驚きを感じてしまいました。

 さてお盆休みに読んでいた「たった一人が世界を変える」(同朋舎発行)の本の中に一人で行動を起こして、長い孤独とジレンマに耐えながら邁進して、ついに世の中の仕組みなどを変えた「偉人」たち4名が載っていました。その中でも同じ千葉県に住む「森田三郎」さんの話(実録)に驚かされてしまいました。

 習志野市谷津干潟で子供のころ遊んで過ごした森田さんは昭和49年、29歳のとき新聞記事で干潟の埋め立てがまもなく始まることを知ります。すぐにそこに行ってみたが、昔の面影どころか、ヘドロと多量のごみ(タイヤ、布団、バイク、自転車、犬猫の死体など)で埋め尽くされた姿に愕然とします。その日から泥まみれになりながら、朝も晩も、雨の日も雪の日も、ついに仕事までやめて一人でごみを拾い続けます。その間行政や住民と衝突し、遂には「谷津干潟は市の恥」と埋め立ても時間の問題となってきた。しかしながらこの頃からごみを拾った効果なのか、カニやゴカイや魚の数が目に見えて増え、その豊富なえさを求めて鳥もやってくるようになった。そして8年目のある日、ついに近所の主婦2名が昼間の手伝いを申し出てくれた。その後も幾多の苦難にもあいながら、干潟は日本有数の水鳥の宝庫になり、平成10年にはラムサール条約にも登録となった。森田さんは講演会で「私は15,6年目にボランティアという考えはやめている」「ごみ拾いは私の日常生活の一部である」「私はわたしのふるさとである谷津干潟の生き物たちの命を想い、行動してきただけである」と述べられています。

 ちなみに連続金メダルの北島選手は5歳のときに水泳を始めて今年で20年、競泳8冠のフェルプス選手は7歳で始めて16年、そしてあの谷亮子選手はなんと7歳から27年間でオリンピック連続5大会メダル獲得という偉業を成し遂げました。素晴らしい。

 森田さんや若いオリンピック選手たちも、長い間の努力があるからこそ、多くの人の心に感動を与え、そして世界を変えているのではないでしょうか。一つのことを続けるのが苦手な私としては「感動」とともに今回も大いに「反省」をした次第です。