風花~かざはな~

等身大で身近な出来事を
四季折々の生活雑記として・・

三昧庵

2008年01月18日 | 雑記
鶴岡市の真ん中らへん。
鶴岡公園のすぐそば
三昧庵(ざんまいあん)に久しぶりに行って来ました。
上の写真は「やわらかおからハンバーグランチ 830円」です。
瓦にハンバーグがのってる!!
たれをつけると じゅわあ~と音がしました。
やってくれますね。
ご飯も健康によさそうな なんとかご飯とやらでした。
だだちゃ豆タルト 300円も

地元の特産物を多くそろえている
ここ三昧庵は 鶴岡を観光に来た方が多く来店されます。
武士の一分 の原風景に会えるかも。。。

「ありがとがんす。」
















内なる声を聞くこと

2008年01月13日 | ケイコとマナブ


夕学(せきがく)といえば 昨年
残念ながら受講することはできませんでしたが
興味があった 香山リカさん(精神科医)の講演を抜粋します。

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「今年は、こころの問題が社会的事件に組み込まれて
語られることが多い年でした」
香山リカさんは、そんな前振りからはじめました。
松岡元農相の自殺、朝青龍の帰国騒動、安倍前首相の辞任
小沢民主党党首の辞意表明と撤回etc。
大きな社会的・政治的な事件とセットで
その当事者であるリーダー達が抱えた(悩んだ)
こころの問題がスポットを浴びました。
この現象に対して
精神科医である香山さんは複雑な心境だと言います。

問題を引き起こした原因そのものではなく
結果として発生した精神状態の不安定さばかりがフォーカスされ
あたかもそれが本質であるかのような報道がなされていた。
原因と結果の逆転現象が起きたと言わざるを得ない。

これはマスコミの問題だけではありません。
香山さんによれば、国際統計では、人口の14%(7人に1人)が
一生のうちにうつ病を体験するという報告も出されているそうです。
香山さんの医学生時代、うつ病の罹患率は
せいぜい100人に数人程度だったことを思うと
この20数年の変化は驚くほどだとのこと。

ただし、この変化には、統計カウントの仕方が
変わったという大きな理由があるそうです。
うつ病には、特段の原因無しに発生する
内因性のうつ(香山さん曰く「降ってくるもの」)と
明かな原因が存在する心因性のうつ
の2種類があるそうです。
かつては、前者のみがうつ病とされていましたが
最近は両者を一緒のものと広く捉える傾向が広まったのだそうです。

この理由としては
画期的な抗うつ剤が普及したことがあげられるそうです。
内因性であろうが心因性であろうが
何にでも効く薬が開発され広く使われるようになりました。
その影響を受けるかのように
米国では最新の診断基準が改正され、原因そのものではなく
不眠・早朝覚醒、意欲減退、集中力欠如などの
症状が2週間以上つづく場合はうつ病と診断することが
当たり前になったというのが現在の状況だそうです。

新型の「30代うつ」と呼ばれる症例が
増えてきたのも現在の特徴だそうです。
従来のうつ病は  罹患すると
何をするにもおっくうで、家に引きこもってしまう
自責の念が強く、何でも悲観的かつ自分を責めてしまう
といった特徴がありましたが  新型の「30代うつ」は
職場ではうつ症状が強く出るが
趣味やスポーツは積極的に楽しむ
他責思考で、会社や上司を強烈に批判する
うつ病であることを積極的に受け入れ
広言するといった特徴があります。
休職中に旅行に出かける。
趣味を極めて全国大会で優勝する。
にもかかわらず
会社の話をした途端にうつ状態に戻ってしまう。
それが「30代うつ」だそうです。

新型の「30代うつ」の登場は
臨床現場での混乱も引き起こしているそうです。
従来のうつ病は、むやみに励まさない。
ゆっくりと休ませる。
無理に復帰させないといった対処法が確立していましたが
「30代うつ」に対してそれを行うと
「なんか違うな~」という違和感を
精神科医も感じてしまうのだそうです。

香山先生は、新型の「30代うつ」に対しては
信頼関係という前提を構築したうえで
一歩踏み込んだ強い対応をした方が回復は早いと感じています。
状況によっては、復帰の期待を明示して
背中を押してあげることもあってよいとのこと。

さて、香山さんは、上記のようなうつ病の変化の背景には
社会に「うつ気分」が蔓延していることも
影響していると考えています。
大学のキャンパスには、「生きているのがつらい」
「外に出たくない」「涙がとまらない」など
憂うつを口にする学生が満ちています。
また「泣けること」「笑えること」ばかりを希求し
一方でささいなことで「むかつく」学生達が増えています。
情動性への過度の傾斜。
社会全体が、感情に酔っている状態。
社会批評家としても活躍する
香山さんならでは鋭い観察眼といえるでしょう。

さて、ではどうすればいいのでしょうか。
香山さんは「もっと知性を!、思考を!」とおっしゃいました。
情動性の海は、我々にひと時のカタルシスを
与えてくれるかもしれませんが
そこからは何かを変える力は生まれません。
自分をクールに観察し
じっくりと考える機会を大切にすること。
そのためには「孤独の効用」が必要なのかもしれません。

自分らしく生きるためのコツは
「人の期待に添うこと」をやめること。
そのために、「孤独であること」から逃げてはいけない。
一人になって、自分の内なる声に耳を傾けてみよう。

中学生の25%がうつ状態にあると言われ(厚生省調べ)
精神科や心療内科でうつの治療を受けている人は
70万人を越えるとされる現代日本の病理現象は
「周囲からの期待」に応えられなくなった多くの人々が
自己崩壊を起こしているという事実の証明に他なりません。

「空気を読むことに命をかける大学生」
「周囲との協調に過剰なまでにコミットする中学生」の姿は
成果主義の評価結果を 人間の価値と重ね合わせてしまう
大人達と相似形をなしています。
「孤独であるためのレッスン」とは
悲哀、憤怒、憎悪、悔恨といった抑圧しがちな
自分の感情に素直に向き合い
その存在を認めることからはじまると言います。

「自分が出来ること」には果敢に挑戦する勇気を持つこと。
「自分には出来ないこと」を静かに受け入れる心の強さを持つこと。
なによりも「変えられること」と
「変えられないこと」を識別する知恵を持つこと。
「ありのままの自分」と向き合い、内なる声を聞くことで
そんな人間になりたいと思います。

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今日は冷えるので おでん にしま~~す。































一期一会

2008年01月11日 | ケイコとマナブ
小雨

元気の素は 人それぞれですが
茶道が元気の素と言える友人がいます。
早々に新年会では 初釜の事で話しが盛り上がりました。

友人の茶道のル-ツである
千 宗室(裏千家 家元)さんが夕学(せきがく)で
昨年 講演をおこなっていますので抜粋します。

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人は皆、なにかしらの宿命(さだめ)を背負って生まれてきます。
宿命が、人を育て、大きな仕事を成し遂げることがあります。
宿命が、人を束縛し、苦しめることもあります。
人生と宿命は、時に引き合い、時に強く反発し
一対構造を形成しながら結合していくものかもしれません。

千宗室さんには、宿命の重さに逆らい、乗り越え
受け入れてきた人が持つ芯の強さを感じました。
権威主義、貴族趣味を嫌い、反骨精神や革新意識に
共鳴する感性をお持ちのようです。
自ら強引に変えるのではなく、時代の風を読み
気運が漲るのを待って、巧みに変革を掬い上げる
リーダシップも心がけていると言います。

熱く燃える種火を、内面に絶やさずに
それを覆い隠すように柔らかさと品格で包み込むような
そんな人でした。

講演前の歓談中に、ふとしたことから
大学受験の時期が話題になりました。
風邪が蔓延する2月に受験をさせるのは酷ではないか。
11月頃に受験時期をずらすことも
大学側が本気で努力すればできるのではないか。
そんなお話です。
ご自身が大学受験の最中にインフルエンザに罹患して
苦労した原体験に根ざしたお話でした。

さて、肝心の講演の話に入りましょう。

●「茶道」と「茶の湯」の違いはどこにあるのか。

「茶道」の創始者は千利休と言うことになっていますが
正確には、利休亡き後、子の少庵、孫の宗旦が
多くの弟子達と一緒に利休の教えを振り返り
利休が歩み始めた「侘び茶」の道を整え
礎を築いたのが始まりだそうです。
「茶道」は二人称・三人称で語られる集団の世界だそうです。

「茶の湯」は、利休以前から存在していた
個人の楽しみを意味し、一人称で語られる
一個人の世界になるそうです。

ちなみに、利休は「侘び茶」を完成したのではなく
種を捲いただけで、宗旦をはじめ連綿と続く
「お茶を愛する人々」が、バトンを受け継ぐように
極めてきた伝承作業とのこと。

●「和・敬・清・寂」 

利休が好んだ禅のことばで、茶の精神が凝縮されているそうです。
「和」(和む) 自分と和み、相手と和む。
自分を信じる分だけ相手を信じることができる。

「敬」(敬う) 自分を敬い、相手を敬う。
自分を尊敬できる分だけ相手を尊敬できる。

「清」(清らか) 「赤心」を大切にする。
生まれ持った素直な心に通じる。

「寂」(侘び) いらないものを少しずつ、削ぎ落としていく。

「お茶」というのは「内なる自分に気づき、目を向ける時間である」と
千さんは言います。

●「侘び・さび」とは何か?

千さんは「侘び・さび」を説く際に
「月を見よ」と言うそうです。
月の満ち欠けの繰り返しの中に
限りなく続く生死の輪廻を感じることができる。
死ぬために生まれ、生まれる為に死んでいく。
栄えるものの中に、衰退の哀れを感じ
滅びゆくものの中に、生命力を見いだすこと。
それが「侘び・さび」のこころです。

●「一期一会」

全ての出会いに意味を感じ
それを受け入れ、付き合うこと。
ありのままの一日と出会い、同居すること。
寒さと同居し、暑さと同居すること
「茶の湯」の趣向は、「一期一会」の中に
相手を心地よくもてなすための
「ひと手間」の工夫のことだそうです。
生き方・暮らし方の中に
「ひと手間」の工夫を織り込むことは
人を育てることにも通じると千さんは考えています。

千利休が、その一歩を踏んだ「侘び茶」の道は
16代続く裏千家宗家をはじめ
多くの茶人達によって、究め続けられてきました。
「和・敬・清・寂」「侘び・さび」「一期一會」
といった精神を守りつつも、時代に適応して
柔軟に形態やシステムを変えて来ました。
その歩みはこれからも続くでしょう。

「茶道」は守るものではなく、創るものなのかもしれません。

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日本文化の集大成とも言える茶道。
生活様式が変化し 人間関係が希薄になってきている
今こそ考えたい、人を敬う心に元気をもらえそうです。






















変化の年

2008年01月10日 | その他
小雪

午後から会社の成果発表会の
聴講に行って来ました。
久しぶりに感動しました

たぶん何処の会社も
少なからず変革を求められる昨今
わたし達の会社も同様に
苦痛を伴う 
大きな変化のある年として新年を迎えました。
結果を確実に出し 将来に向かっての変化の年。

そんな背景もありで
いささか沈みがちな会社の雰囲気を
少し明るくしてくれたでしょう。
元気をいただいて来ました(感謝)