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人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

指揮者なしのオーケストラ、モスクワの「ペルシムファンス」(1922年創立)

2015-09-25 23:03:25 | メモ

オルフェウス室内管弦楽団創設のはるか前に、指揮者なしのオーケストラがモスクワに存在した!

1922年に創立された「ペルシムファンス Persimfans」(Персимфанс, 第一交響楽団)。

↑ いつ頃の撮影なのか不明。とっても変な並び方!



創立当時はロシアが経済的に最も困ぱいしていた時代で、多くの著名な指揮者が外国に去ってしまったそうです。わずかに残っていた指揮者のうちの一人であるクーセヴィツキーも去り、国内の一流の指揮者が老スークだけになってしまったという状況下、オーケストラの楽員の大部分は国内に留まっていたため、指揮者なしでやっていこうということになったようです。

積極的な意味では、社交界から選ばれたかのようなインチキ指揮者を排除し、「彼一人の演奏」を「我ら全員の演奏」にするためのペルシムファンス。。。その後どうなったんでしょうか?指揮者なしだと、結局はあまり面白くないですよね。

(『レコード音楽』1932年9月号より)



2 コメント

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ペルシムファンスの存在意義 (沼辺信一)
2015-09-26 02:07:03
指揮者の払底という事情もあるかもしれませんが、コンダクターという名の独裁者なしで、団員が平等の立場で協働するという「ペルシムファンス」のありようが、革命後の社会に相応しい新たな形だと当局から歓迎された、というほうが実情に近いらしい。1922年から32年までの十年しか存続せず、録音も残っていないようですが、共演したプロコフィエフやシゲティが絶賛しているところをみると、その演奏能力は相当なレヴェルだったようです。スターリンという独裁者の登場とともに、「民主的な」ペルシムファンスが解散に追い込まれたのは蓋し当然のなりゆきかもしれませんね。
Re: ペルシムファンスの存在意義 (チュエボー)
2015-09-26 22:33:28
沼辺さま

ペルシムファンスについて情報をありがとうございます!スターリンなんですか。

> 1922年から32年までの十年しか存続せず、録音も残っていないようですが

録音がなくてとても残念です。

ブログ本文のソースである『レコード音楽』1932年9月号には、「1927年には創立5周年祝賀演奏会を開き、人民委員会から『共和国功労芸術団体』という称号を与えられ、はじめて国庫の補助を受けるようになり、本年(1932年)3月21日には創立10周年祝賀大演奏会をモスクワ国立音楽院大講堂で開催し、150人からなる大交響楽団(10年前の創立時は56名)の無指揮者演奏がラジオによって全連邦に響き渡った。」とありますが、この直後、絶頂期で解散させられてしまったわけですね。ラジオ放送とか派手にやりすぎて当局に睨まれてしまったんでしょうか。時代の波に翻弄されてしまったペルシムファンス。

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