スイス生まれのオーボエ奏者・作曲家・指揮者であるハインツ・ホリガー氏(Heinz Holliger, 1939年生まれ)が奥様とともに1970年に初来日しました。
奥様はやはりスイス生まれの有名なハープ奏者、ウルズラ・ホリガーさん(Ursula Holliger, 1937-2014)。きれいなかたですね。昨年1月21日に76歳でお亡くなりになりました。
ホリガーは愛妻家であり、だからこそブラームスとクララのあるまじき関係がショックだったんでしょうね。(クララが焼却したロベルト・シューマン「ロマンス」とホリガー「ロマンセンドレス」)
さて、ホリガーはこの初来日の記者会見で次のように述べたそうです。
「バロック時代におけるオーボエは、ヴァイオリンと同じように重要な楽器でしたが、19世紀に入ると、ほとんど独奏楽器としては使われなくなってしまいました。しかし、この楽器にもう一度光を当てるのが、私の仕事だと思っています。オーボエという楽器は、この200年来ほとんど変わっていません。リードも肝心ですが、呼吸や指使い、唇のコントロールなどで、いかに美しい音を出すかに問題があります。私は、どれという流派に属してはいませんし、私自身これと思った音を出すように努力しています。」
信念に満ちたコメントですね。
「わたしは、オーボエという楽器が、彼の演奏するように演奏されるものだとは夢にも思わなかった。彼は偉大な芸術家であり、信ずべからざる名手だ。」
。。。これはパブロ・カザルスがホリガーを評して言った言葉です。
(参考:『教育音楽』1970年4月号、1975年8月号)
(1)ソロと室内楽
(2)弦楽合奏(小林道夫指揮=バロック曲はチェンバロも)
(3)日本フィル特別演奏会(ミヨーの協奏曲とモーツァルトの協奏交響曲=オーボエ以外は日本フィル団員)
この時日本フィルを指揮したのは、なんと近衛秀麿でした!
ホリガーが初来日したときの曲目はまったくわからず、困っていました。
3種の演奏形態の演目を用意してきたんですね。初来日への意気込みが感じられてうれしいです。
それと晩年の近衛秀麿が指揮をしていたことも知りませんでした。ミヨーとの組み合わせ、意外で新鮮!
なお、近衞はシュトラウスのオーボエ協奏曲の日本初演も読響設立初期にオットー・ヴィンター(後にバンベルク)と共に果たしています。この曲は戦後の作で、日本ではオケ伴奏での機会がなく、ずっとピアノ伴奏だけで知られていましたが、この時にやっと(それもシュトラウスと親交があった)近衞の指揮で実現したわけです。
ABC響破産以降の近衞は演奏回数が少なく過小評価されていますが、実は日本の音楽史の重要な場面には必ず登場していました。
ホリガーの初来日の時、その他の曲目はエマヌエル・バッハとマルチェロの協奏曲、オーボエとハープのためのヘンツェの作品、室内楽では自作のオーボエ、」ヴィオラ、ハープのトリオがあったはずです。トリオのレコードではヴイラがセルジュ・コロですが、日本での演奏は菅沼順準二(もちろん巖本真理カルテットの)だったようです。
正直、通りがかりさまの濃縮された情報に何回か返信しようと試みたのですが自分の知識が浅すぎてロクな文書が書けず思い止まっておりました(今回も浅いのは同じです)。
> ミヨーの協奏曲はこの時の演奏から程なくオケのパート譜が紛失
そんなことがあるんですね。盗難ではないと信じますが。。それにしてもOp.365って1年の日数と同じやらすごい番号ですよね。多作すぎます。
「親方」近衛さんについてはシュトラウスと親交があったこと、オーボエ協奏曲の本邦初演で指揮をされたことも知りませんでした。
自分は有名な曲の日本初演について我が国のクラシックの進歩とからめて興味がありますので貴重なデータです!
ちなみに自分はかわいそうな運命を辿るしイマイチ謎の存在であるABC交響楽団に関して近衛さん自身が発したコメントを探しています。
通りがかりさま、今後ともこのサボり気味なブログをよろしくお願いいたします。