チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

三浦環第一回リサイタルの広告(1939年、月刊楽譜)

2017-10-30 22:00:24 | 日本の音楽家

蝶々さんで有名な三浦環(みうらたまき、1884-1946)さんの「第一回独唱会」の広告が1939年の音楽雑誌に掲載されています。

↑ いつもカワイイ!1939年(昭和14年)11月16日木曜日、日比谷公会堂。日本初演4曲を含む全25曲。聴きたかった~

環さん一人に対してピアニストは3人がかり!

宇佐ダリオ、はいだ・うき、あかまつ・じろうさんに関しては調査中です。

 

三浦環さんはこの広告が打たれた時点で既に2000回(二百回でなく二千回)以上もお蝶夫人を演じているのに、日本でのリサイタルは初めてだったんですね。

普通に考えて、蝶々さんを歌うことにいい加減飽きていたとしても不思議ではない。。

 

↑ この三浦環さんの広告が載っていた『月刊楽譜』(銀座山野楽器発売)1939年10月号の表紙と裏表紙。キッタネーけど良い匂い

 

戦前の音楽雑誌の充実ぶりに接していつも感じるのは、もし日本が戦争に巻き込まれなかったら、もしくは勝っていたら現在の我が国のクラシック音楽界は良くも悪しくもどうなっていたんだろうかという怖れにも似た感情です。戦前・戦中と戦後の断絶ぶりがすさまじいので

(三浦環さんに関する情報はここに追加していきます)



6 コメント

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Unknown ()
2018-02-23 21:42:26
これまたお宝画像をありがとうございます。
三浦環さんなんだか怖い!笑
確か日本ニュースで三浦さんの歌が収録されていますが、聴いてみてかなりキツかったです。(笑)youtubeでもレコードがアップされていますね。
実は私は「戦前日本のアンティーク〜銀器・装身具・高級磁器〜」というブログをやっています。もしよろしければご訪問いただけましたら幸いです。

https://ameblo.jp/kouran3/?frm_id=v.mypage-ameblo--myblog--blog

戦前の音楽関係の事にはあまり詳しくないのですが、戦前戦後でかなりの断絶があるのですね。貴金属製品はそれこそ昭和13年から製造が途切れてしまうのですが、戦後はもう髪型・服装ががらっと変わりますので、戦前誰もが持っていた帯留めやヘアーピン、スカーフピンなどは戦後はすっかり消えてしまいました。でも音楽は戦時中も続いていたので、結構連続している部分もあると想像していました。藤原義江や千葉静子までが戦時歌謡を歌っているのはちょっと辛いですが、音楽自体は戦前より戦時中の方がレベルがアップしているように感じますがいかがでしょうか。
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失礼しました! ()
2018-02-23 21:43:58
いきなり長文を書き込んでしまいました、すみません!
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漣さま、ありがとうございます (チュエボー)
2018-02-28 02:18:45
漣さま、コメントうれしいです!

ブログ拝見しました。すばらしいと思いました。写真もキレイ!

自分はジュエリー関係は全くわかりませんが何十年も前の日本人の美意識や手先の器用さに触れることができ良い気持ちになりました。

ですが自分は「号外」のほうにより興味を持ちました。

映画『音楽大進軍』や藤原義江の豪快な歌い間違いなど、知らなかったし面白かったです。大進軍のポスターの指揮者は三船敏郎??

> 音楽自体は戦前より戦時中の方がレベルがアップしているように感じますが

なるほど。「音楽は武器」だと戦時中の政府は考えていたらしいので国威発揚というか民衆を騙す道具としての音楽を生み出す力はレベルアップしたのかもしれません。

このテーマ、自分には深すぎて答えが出せませんのであらためて考えてみようと思います。
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Unknown ()
2018-03-02 16:57:36
拙ブログにご訪問いただきありがとうございました!細々やっているブログですのでこれからも時々覗いていただけましたら幸いです。

戦時中の音楽文化についてはまだまだ知識が浅いのでこれからもご教示よろしくお願いいたします。素人なのにつっこんだお尋ねをしてしまい大変失礼いたしました。

昭和19年以降の戦時歌謡は今聴くとかなりキツいですね。山田耕筰と藤原義江のコラボの「米英撃滅の歌」などはあまりにも酷すぎて、最初聴いた時は正直もう吐きそうになりました。(苦笑)

ただ、昭和18年の中頃までは、いろいろな歌手や楽団が結構頻繁にクラシックコンサートを開いていたようです。国家としては戦意の維持昂揚が目的なのでしょうが、同時におそらくそこから戦後のクラシック音楽を支えた演奏家たちが育っていったように思えます。藤原歌劇団も昭和18年5月末に「セヴィリアの理髪師」のフルバージョンを初演しています。(ちょっと記憶が曖昧ですが)日本の音楽技術がぐっと向上したのがあの時期だったのかな、と漠然と感じています。

私の好きなフルトヴェングラーもナチス政権下の頃が音楽家としてのピークだったようで、こういうところは何とも皮肉に感じます。
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Unknown ()
2018-03-02 17:03:23
連続ですみません、「音楽大進軍」のポスターの指揮者は岡譲二という男優です。映画のラストでタクトを振っているのですが強烈に下手です(笑)。
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漣さまへ (チュエボー)
2018-03-06 14:22:22
漣さま、コメントありがとうございます!

> 素人なのにつっこんだお尋ねをしてしまい大変失礼いたしました。

いえいえ全く。自分のほうがよっぽど素人です。これからもよろしくお願いいたします。

> 山田耕筰と藤原義江のコラボの「米英撃滅の歌」などはあまりにも酷すぎて

吐きそうになるほどヒドいのですか(笑)米英撃滅の歌、是非聴いてみたくなりました。けっこうヒドいの好きなので。

漣さまのおっしゃるとおり、戦争が音楽の技術を劇的に向上させたのかもしれませんね。平和な大正時代の浅草オペラなんかはそれはもう、技術的にはヒド過ぎる代物だったらしいですから。

> 「音楽大進軍」のポスターの指揮者は岡譲二という男優です

そうなんですね。情報ありがとうございます。その指揮ぶりも味わってみたいです!
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