チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

アルゼンチンで日本の歌を紹介したソプラノ歌手ジョリー・グレッコ(1939)

2014-11-08 23:50:38 | メモ

昭和14年頃、中南米諸国には汎米主義の嵐が吹き荒れており、20数万の移住邦人はとても不安な毎日を送っていたそうです。

そんな中、タンゴの国アルゼンチンで日本の歌が紹介され、絶賛されるという出来事がありました。

1939年秋に同国で開催された国際揺籃歌謡独唱音楽会(揺籃歌=子守歌)には世界13カ国の代表歌手が参加したそうですが、日本代表としては美術商横濱健吉夫人でソプラノ歌手のジョリー・グレッコさんが出演しました。



グレッコさんが歌ったのは山田耕筰の「子守唄」。これが他の諸国の子守歌を圧倒して人気を博し、はるかに芸術的だと絶賛されたということです。

山田耕筰の子守歌って、中国地方の子守唄のことでしょうね(ねんねこしゃっしゃりま~せ~)。こういう感じの歌がアルゼンチンでウケたとは。

↑ 子守唄をうたうグレッコさん。子供の人形のそばには65型の4K液晶テレビ!



その音楽会のあとも、グレッコさんは引き続き音楽会やラジオ放送で日本紹介に努めていたそうです。

↓ 第二回日本音楽の夕(1940年秋ブエノスアイレスのテアトロ・デル・プエブロ劇場※)




この演奏会も大成功だったようです。弦楽四重奏曲、インベンションというのは誰の作品でしょうか?

とにかく、ジョリー・グレッコさんのような、日本のために努力された外国の方のことを忘れちゃいけないですよね。

(音楽新潮昭和15年3月号及び12月号の記事より)

※Teatro del Pueblo 1931年に創設されたアルゼンチンで最初の独立した劇場。



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