チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

フランス料理屋での芥川也寸志と砂原美智子(1958年)

2018-08-03 15:57:04 | 日本の音楽家

『婦人公論』1958年11月号より、六本木のフランス料理店で食事をする作曲家・芥川也寸志(1925-1989)と声楽家・砂原美智子(1923-1987)です。

↑ お二人とも30代半ば。久しぶりに一緒に食事をしたそうです。

 



砂原美智子さんのコメントです。

「メニューを見てるうちに、まず食前酒を注文しようという気になった。隣りの芥川さんに勧めたけど、彼、アルコールは一滴も駄目なのかどうかしらないけど、あっさり断られ、女の私がお酒、男の彼が水を注文してる図は余りいい恰好ではない。

ちびりちびりオードゥブルをつまみながらしゃべっているうちに、たがいに話に熱が入り、たべものの話から、日本語と音楽の問題に話題変更、強情っぱりの持前精神を互いに発揮し、あわやケツレツ寸前までいったが、そこはいい気なもので、お互い自分の説が通った積りでニコニコ、全く自分勝手である。」

。。。芥川さんはお酒が飲めなかったんでしょうか?

このお店は「レンガ屋」といって、東京・港区今井町交番前(現在の六本木交番か)にあったそうなのですが、ネットで探した限り現存していないようです。ざんねん。



6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
また失礼いたします。 (Edipo Re)
2018-08-04 00:50:24
お久しぶりです。レンガ屋は当時から'80年代前半にかけて、各界著名人のみならず東京中の食いしん坊に愛された名店でした。
この時代(たしか溜池交差点近く)は知りませんがその後銀座六丁目並木通りに移転、さらに代官山ヒルサイドテラスにも出店し盛業でした。当初はフランス家庭料理が主だったのですが、'70年代後半から今年初めに他界した20世紀後半を代表するフランス料理界の巨匠ポール・ボキューズ氏の店と提携し、氏の直弟子をシェフを迎え当時最先端のいわゆるヌーヴェル・キュイジーヌを供する東京屈指の名店となったのです。
その後'80年代半ばに不幸な事態(経理上の不正とか)で二店とも閉店の憂き目を見たのですが、ボキューズはその後も日本で提携先を見つけ名を存続させています。ちなみに代官山店の場所はレストラン・パッションとして営業しています。
創業以来のオーナーは慶応仏文出の女性で、その関係で三田関係の文化人に当初からことのほか愛されたと聞いています。また店名のロゴもオーナーの親代わりだった洋画家の佐野繁次郎氏によるものと。
個人的な思い出ですが、生意気にも高校生の頃に当店で食した牛肉のブルゴーニュ風煮込みは忘れ難い味と香りでした。またその少し後にはボキューズの歴史的スペシアリテであるスズキのパイ包み焼きにもいち早く遭遇し、数年後リヨン郊外のボキューズ本店で食した際は同行者達に大いに自慢しました(とここでもプチ自慢?)。
贔屓にされた音楽家諸氏も多かったはずですが、小生が記憶しているのはむしろ文壇や映画演劇畑の方々ですかね。ただこの名店が我々老いたる者どもの記憶にのみ残っているとしたら、いささか悲しい思いにとらわれます。音楽においても接し得た過去の名演の記憶は同様の運命を辿るのでしょうか…。
返信する
Unknown (Unknown)
2018-08-08 18:28:19
Edipo Reさま、いつもお付き合いいただきありがとうございます。うれしいです!

コメント頂いた内容は「レンガ屋」さんでググっても出てこない、ナマの貴重な情報ばかりで申し訳ありません。

Edipo Reさまはお若い頃からグルメでいらしたんですね。「牛肉のブルゴーニュ風煮込み」いまお腹がすいているからか文字を見ただけで美味しそうです!

この「レンガ屋」さんに関する砂原美智子さんの論評の中で「そう広くはないがこじんまりと一応フランス風な雰囲気をもっている。誰でも入れそうな気安い店だ」と書いており、記事にも「フランス風・ハマグリのバタ焼」の製作過程の写真が載っています。バタ焼ってバターで焼いたの意?気楽なお店だったんですね。その後、「高級店」に成長。

> 音楽においても接し得た過去の名演の記憶は同様の運命を辿るのでしょうか…。

食べた料理の記憶、聴いた音楽の記憶。。現場にいた者だけが共有できる儚い夢みたいなものなんでしょうか。それだからこそかけがえのないものになるのだと思いました。
返信する
さらに。 (Edipo Re)
2018-08-08 22:40:16
「ハマグリのバタ焼」これも懐かしい名称です。いわゆるムニエル(粉を付けバターでソテー)ですが、今でも下町の洋食店では同じ名で供しているところも少なくありません。ただ当時は本物の地ハマグリがいくらでも入手出来たので、氏素性不明の昨今の代物とは比較にならないかも。
写真でも分かりますが当時から'70年代前半までのレンガ屋は、チェックのテーブルクロスでカジュアルな雰囲気でした。ボキューズと提携後は名実共に高級店へと変貌したのですが、往時を懐かしむ想いはむしろ日毎つのります。幼き日々への追憶でしょうか。
また砂原美智子女史ですが、大昔のインタビュー記事によるとパリのオペラコミックでクリュイタンスと共演した後、打ち上げでビールが飲みたいけど火照った喉に冷たい飲み物は禁物なので、ジョッキに焼け鏝を突っ込んでお燗(?)を付けたビールを召し上がったと語っておられましたからかなりお好きだったのかも。また野暮の極みですが藤原義江氏との関係はご存知ですよね。
で芥川也寸志氏ですが、ご本人はいざ知らず兄上の比呂志氏は演劇界で知らぬものとて無い酒乱であったので、もしかしたら自重されていたのかも?また同世代作曲家で結成した「三人の会」の團伊玖磨氏は以前ブログでもお書きの通りイケる口でいらしたのに、いま一人の黛敏郎氏は全くの下戸どころか「酒は毒」と断言されていましたから。さる座談会でやはり下戸の某俳優が「調味料としての酒は認めてもいいのでは?」と訊いたのに対し「そう、だから酒飲みってのは醤油飲んでるようなものです」と言い放っておられました。そのくせサントリーのメルツェンなるプレミアムビールのCMにちゃっかり出演されてましたが(笑)。
今後とも更新楽しみにしています。とりわけ「音楽家と飲食」テーマなどで…。
返信する
Re: さらに。 (チュエボー)
2018-08-12 01:02:35
Edipo Reさま、興味深い、ナマなお話をいつもありがとうございます!申し訳ないくらいです。

写真で見るレンガ屋の雰囲気は自分でも気楽な感じが好きです。以前から昔の写真を見ては脳内トリップするのが趣味なので当時のこのお店にも時空を超えて行ってみたいです。

砂原さんはかなり飲めたんですね。芥川さんが水を飲むのでこの時はツマらなかったことでしょう。それにしても芥川兄が酒乱だったとは知りませんでした。あの容貌でくだ巻かれたら怖かったでしょうね~

> 藤原義江氏との関係はご存知ですよね。

自分はあまり詳しくないです。藤原氏がかなりの女性好きで片っ端から、的な話は聞いていますけど砂原さんも例外ではなかったんですか。。いまの時代だったらMeTooですね。義江、恐るべし!

「音楽家と飲食」というテーマ、ヤル気出ます。頑張りますのでEdipo Reさま、またよろしくお願いいたします!
返信する
Unknown ()
2018-08-15 20:55:01
お久しぶりです。記事面白く拝読いたしました。Edipo Re さまのコメントも大変興味深かったです。藤原義江はとにかくダンディで物腰柔らか、それでいて歌劇団を運営するほど有能でパワフルですから、藤原に見つめられたら最後女はころっといってしますようです、笑。ちなみに戦時中の映画「音楽大進軍」に藤原が写っていますが、横にいる滝田菊江となんだか非常に仲が良さそうな雰囲気が・・・爆。
芥川也寸志はテレビでロマンスグレーのお姿しか見たことがなかったのですが、お若い頃の写真は初めて見ました。でもお顔が全然違うので言われなければそうだとわからなかったと思います。也寸志さんも本当にダンディでかっこよかった印象があります。比呂志さんより父親似のようですね。(というか比呂志さんはめちゃ怖い・・・笑)
そういえば今日は8月15日で終戦の日ですが、今年も民放は静かですね。戦争関連のドキュメンタリーについてはNHKが独占するとかいう協定が既に締結されているのかもしれません。うーん推測ですが。
返信する
漣さまへ (チュエボー)
2018-08-20 18:00:46
漣さま、お久しぶりです!コメントありがとうございます。

> 藤原に見つめられたら最後女はころっと

なるほど!今どきのMeTooとは違って脂ぎってはいないわけですね。

「音楽大進軍」という映画、知りませんでした。映像と録音はおそらく別撮りでしょうが、藤原義江の動画(ほぼ口しか動いていませんが)は初めて見ました。愛国行進曲の藤原・滝田、確かにアヤシー。。

漣さまが若い頃の芥川さんについて「お顔が全然違う」と感じられた件、同感です。ダンディーさが感じられない。。この時期以降、イッキに精神的に成長されたんでしょうか。(ナマイキですみません)

> そういえば今日は8月15日で終戦の日ですが、今年も民放は静かですね。

言論統制のごく初期症状でしょうか。テレビはなるべく見ないようにします!

漣さま、これからもよろしくお願いいたします。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。