チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

小澤征爾・武満徹対談よりNHKへの苦言(1973)

2014-03-03 23:40:48 | 日本の音楽家

『音楽現代』1974年4月号に小澤征爾と武満徹との対談が掲載されていました。
1973年12月17日の夜9時過ぎの、小澤さんの行きつけの新橋の「徳寿」という焼肉屋さん(東京都港区新橋3-11-8)での会談だということです。さすがに読ませる!

小澤 何をしゃべったらいいのかな。言いたいことはいっぱいあるけど......。
 ぼくが言うと角が立っちゃうから言えないんですよ。それが最近判ったから、なるべく言わないことにしてるんだ。

武満 何でもどんどん言えばいいじゃない。角が立っても......。

小澤 いや、めんどくさくってね。あとに尾ひれがつくからね。だから当たりさわりのないことだけをやろうと思ってるんですよ。


。。。というやりとりから始まりますが、その割にはNHKホールの悪口をけっこうおっしゃっています。


小澤 だけど今度、NHK新館ホールというのができたでしょう。
 NHKというのはぼくらにとって ― というより日本人にとっては音楽の先駆者であるはずなんだよ。ぼくらの子どものころは、音楽というのはNHKで流れる音楽しかなかったんだから。そうすると、そこでつくるホールというのは音楽をやるホールでなきゃいけないんだけど、それがばかでかいものをつくっちゃって、だれが聞いてもひどいって。ぼくはあさってそこで「第九」をやるので、そんなにひどくなきゃいいと思っているんだけど。そこにオルガンを入れたって。そのオルガンは世界一でかいくらいでかいオルガンなんだそうだ。それで評判になってるんだ。これはね、ヨーロッパでオルガンの好きな人に聞いたら、それこそ大成金趣味のあらわれだと思うだろう。オルガンなんて、でかけりゃいいというものじゃなくて、響きが、よく響くからいいんだよ。ヨーロッパの人は、ちっちゃな教会にちっちゃなオルガンがあっても、それで楽しいわけだよ。それをばかでかいもの注文して、このオルガンを製作した人は笑いながらつくったと思うよ。日本の成金が、サウジアラビアの王様がキャデラックの特別でかいのに金の板をはめ込んだのと同じなんだよね。車なんて走りゃいいんだし、乗りやすいほうがいいのにね。

武満 君は日本を留守にしているわりに、かなりいろいろ知っているということだね。(笑)

小澤 そういうことを聞いたとき、ぼくはむちゃくちゃだと思ったんですよ。

武満 あなたの留守中にN響はいろいろな問題起こして、ぼくは新聞に投書までして、それは投書欄に出たんだけど、ぼくはそんなことでかなり悲しい思いをした。あまりにも改まらないからもう何を言ってもしかたないと思っているのだけれど....。
 ぼくらは音楽会場はすごく欲しいですよ。音楽家の立場として。でも、あんなばかげた大ホールができて、しかもオルガンを建物ができると同時に入れ込むなんてばかなことは、ヨーロッパ音楽の歴史始まってたぶん日本が初めてですよ。
 たとえばシドニーのオペラハウスでは、オルガンを動かすのは今から七年後ですよ。つまり建物が狂うから安定するまで待つわけです。そういうばかなことを平気でやるのは音楽をばかにしてることだな。だれだって知っていることだろうけどそれを皆が黙っているというのがおかしいんです。

小澤 斎藤先生が、広島に何もなかったときに掘っ立て小屋で演奏会をやったらお客さんが大勢来て、とても喜んだ、と自慢して言ってるんじゃないんだ、ふと言われたことなんだ。なにかそこには大事な考えがあるように思うなあ。
 ぼくはアメリカに住んだりヨーロッパに住んだりしてるけれども、そのほとんどが資本主義社会なんですが、音楽家も経験豊かにしているわけだが、日本ほどに物質的だけに、音楽が飾りにちょっとくっついているところはないと思います。

武満 いまは音楽をほんとうに必要としている時代だと思うんですよ。というよりも、音楽を必要とするような生き方というか、考え方というか、感じ方 ― 簡単に言えば感じ方でもいいと思うけれども、そうした生き方に関しての感じ方というものが ―。

小澤 それはこういうことじゃないですか。ぼくはいつも思うのだけれど、音楽というものは、神様が人間にあたえたものの中でいちばんいいものの一ツだと思う。その人間とそれに対する音楽、或いは、人間が耳にする音楽があくまで一対一なんですよ。どんなにマスコミュニケーションが大きくなっても、テレビがどんなに発達しても一対一なんですね。人間が大事だということに戻っていくんですけどね。絵画だって、詩だってそうだと思うんだけど、どんなに、何万冊売った本でも、マスコミニュケーションがでかくなっても、それを読む人の心と書いた人の心が大事で、その心を所有している肉体である人間が大事だとぼくは思うんですけど。音楽会というと、今、日本はそっちじゃないほうが強調されているね。新館ホールにカラヤンが来てやるという話で、それからぼくはいろいろと知ったわけですけども、ぼくのところに来て聞く人は、ヨーロッパのドイツ関係でも、ベルリン・フィル関係でも、日本のジャーナリズムの人も「カラヤンさんはあのホールについて何と言ってた?」というのがいちばん多いのです。カラヤンさんは偉いから、そんな人の悪口は言わない。関係ないからね、カラヤンさんにしてみれば、ぼくだってブラジルにそんなものつくったって関係ないから、ちっとも痛くもかゆくもない。

武満 うん、そうだね。だけど公共団体としてのNHKは国民がみんな関係あるんだからね。ほとんどの人が聴取料払っているのだ。そういう国はあんまりないんだから。せっかくそうやってるんだから、ちゃんとやってくれなければね。
 NHKがやれなかったらだれがやるの、他にもいないわけはないはずだけど。少くともNHKは音楽のためにはいちばんいい状況を持っているんだから......。迷惑したのはN響の会員だね。もっといいホールができたらどうするのだろう。それでもNHKホールにしがみついているのかしら、悪い音でも。
 ぼくは、しょっちゅういろいろ言っているだけれども、まあ、言ってもしかたがないという気持がしてきてね......。

小澤 でも、言っているほうがいいよ。


。。。これ、40年前の対談ですよ!?



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。