大正通信社『国際画報』大正15年7月号より、ロシア大使館における「三大音楽家の夕」の画像です。1926年4月19日。
一番右のお姉さんの目が怖いのはこの際おいといて、「三大音楽家」というのは
Irma Yaunzem(コントラルト)
Karasulova(ドラマティック・ソプラノ)
ジルマルシアック(フランスより来日)
。。。ということらしいですがネットでちょっと調べただけではほとんど情報がありませんでした。珍しい写真かと思ったのに残念。
さらに記事によると左から山田耕筰、Professor Lass、Kopp大使、Karasulova、Paul Kovaleff、Irma Yauzemと書いてあります。2人足りない~
もう少し調べます。
それにしても山田耕筰さんはいろんなところに顔を出していますね。
↑ 説明わかりづらい
山田耕筰は戦前の一時期、ソ連との文化交流にえらく熱心で、国交樹立から間もない1925年4月に東京で「日露交歓交響管弦楽演奏会」を成功裏に催しました。その後も親ソ的な左翼文化人たちに交じってソ連大使館にもしばしば出入りしていた模様です。
こうした流れから山田耕筰は1931年に訪ソしてモスクワやレニングラードで自作の管弦楽曲を披露し、ショスタコーヴィチや指揮者アレクサンドル・ガウクらと親しく交わるまでに至る。このときショスタコーヴィチから第一交響曲のスコアを託され、山田は約束どおりその日本初演(指揮)を果たしています。
ですから1926年4月の時点で、山田耕筰がソ連大使館での演奏会に招待されたのは不思議でもなんでもないんですが、問題は写真キャプションにある「佛國ヂルマルシアツク氏」の一節。これがもしフランスのピアニスト、コルトー門下のアンリ・ジル=マルシェックス Henri Gil-Marchex のことだとすれば、甚だ理解に苦しみます。なぜならジル=マルシェックスは1925年10月から12月まで初来日し、連続リサイタルを成功裏に終え(シベリア経由で)すでに帰国しているからです。そもそもソ連大使館でロシア歌手たちとともにフランスのピアニストが共演するというのが不可解なのですね。
つまるところ、ここで云う「三大演奏家」とは畢竟、カラスロワ女史、イルマ・ヤウンゼン嬢、パーヴェル・コヴァレフ教授の三露人のことだと推察されます(英文キャプションはそう解説していますので)。にもかかわらず、ここにどうしてジル=マルシェックスの名が紛れ込んだのかは皆目わかりません。
さらに付言すると、このジル=マルシェックスはその後1931、31~32、37年と来日を繰り返し、ラヴェル、ルーセル、プーランク、ミヨーなどの「現代仏蘭西洋琴音楽」を数多く日本初演し、また日本の作曲家の楽曲のパリ初演にも関わるなど、日仏音楽交流に大きな足跡を残しながら、今では思い出されることも少ない不遇なピアニストです。
本来、ブログに載せるには自分でもっと調べてからでないといけないはずのところ、情報をありがとうございます!
山田耕筰氏の人脈作りの名人ぶりに驚きました。それと、ジル=マルシェックスというピアニストについては全く知りませんでした。
ところで一枚目の画像を説明入りのものに変更しましたが、両方の記事の英文にジル=マルシェックスの名前は出てこないんですよね。
もしかしたら日本人記者が英文のKovaleffを何かの拍子にジル=マルシェックスと勘違いしたとか??
そもそも一枚目の画像、中央の3人の男性のうちどれがKovaleff氏なんでしょうか。頭が痛くなります。一枚目の英文もFrom leftとあるのに右からだし、英文も和文も適当な感じですね。