チュエボーなチューボーのクラシック中ブログ

人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

雑誌『音楽文化』創刊号(「音楽芸術」の前身)

2014-07-09 19:39:16 | 音楽の本

「音樂文化」創刊号の表紙です。昭和18年(1943年)12月号。

この雑誌、調べたら「音楽芸術」の前身なんですね。昭和21年2月号から名前を変えています。

いよいよ激しくなってきた戦局のもとでの発行のためか紙の質が悪く、ページをめくるハシからボロボロに崩れていきます。

 

↓創刊の報告です。音楽雑誌も「統合」されたんですね。

 

裏表紙↓

レコードの宣伝広告は比較的平和です。ワルター似てね~。草間さんは安川さんですね。

 

↓あぶないご時世に藤原歌劇団が歌舞伎座でフィデリオやってます。大東亜交響楽団とは!?

 

↓ここでも大東亜交響楽団。斎藤秀雄指揮。米英激滅大行進曲「闘魂」聴いてみたい!

 

↓厚生音楽って?山葉はヤマハか。

 

↓いよいよ目次を見てみましょう。さらにイヤな気分になるかも。。

如何にして音楽を米英撃滅に役立たせるか」。。。

とりあえずそれ置いといて、最も重要な記事は山田耕筰さんによる「國民音樂創造の責務」という記事だと思います。

自分なりに要約してしまうと。。


・苛烈な戦局の今こそ、音楽の持つ威力を最高度に発揮すべき時である。

・国民音楽の創成が音楽界全体の悲願であった。

・私が音楽の道を私の天職として選び、今日までそれを自分の職分として努力してきたのは何の為であるか。それは今日只今、国家と共に、国民と共に殉ずる精神を持って、音楽を武器とすることに外ならぬ。

・いつ如何なる事態に際しても、いささかも動じない我が民族特有の、而して、東亜共通の音楽を持つこと、これが私の言う音楽の自主性、即ち、自力依存である。

・我が国固有の伝統的音楽たる民謡や古典音楽の系統的研究がなされなければならない。

・我が国の音楽界は西洋音楽万能という、変則的な発達を遂げてきた為に、作曲、演奏、批評が、総て外国の基準に於いて享受されてきた状況は音楽の専門的立場に於いては、かかる態度を一掃すべきであろう。ベートーヴェンやドビュッシーを最高に置こうという考え方の中からは、絶対に、今日の、明日の、健全な日本の音楽が生まれて来ないのである。

 

。。。山田先生、本当はそんなこと思っていらっしゃんなかったんですよね!? むっちゃつまんない音楽になりそ。

いつの時代も音楽は楽しくなくては。ましてや決して武器ではないと思います~