「事業創造」の授業でシャープ創業者の早川徳次氏を研究発表した。
液晶電卓、ザウルス、太陽電池、アクオスなどの商品開発の独創性もつシャープ、DNAが生まれたのは早川氏のスピリッツが色褪せないで受け継がれ、さらに磨き上げられているからだ。
早川氏は1893年生誕。19歳の時に、当時、洋服を着ることの少なかった時代に穴のないベルトをとめる「バックル」を考案。そして独立。22歳の時は、社名であるシャープペンシルを発明。その後、日本でもラジオ放送が始まることを知り、1925年国産第一号のラジオを開発。松下電器産業がラジオの自主生産をしたのが1931年だから、その6年も前のことだった。そして、ようやくラジオが普及し始めた頃に、すでに「次はテレビの時代が来る」と予見し、テレビの研究を始めた。テレビは1953年にシャープが国産第一号白黒テレビを開発するが、研究開始はその20年以上も前のことだ。
昨年の授業でマーケティングをとった時に、アクオスのブランド研究をした。LSI電卓から液晶テレビまでの時期を研究し、早川氏の「他からまねをされる商品を作れ」という哲学に触れた。松下電器が「まねした」と言われた時代に、シャープは「早まった電器」と揶揄されたほど先をみて、チャレンジブルな商品開発をした。新しいものを作る強いこだわりがあった。「まねをされる商品は売れる商品」というのが信念でもあった。
しかし、ラジオの開発をした当時は日本にはラジオ受信機もない。マスコミと言っても新聞と出版。ブロードキャスト(放送)という概念を理解している日本人はほとんどいなかった時代だったと思う。その時代に、「ラジオだ!」と感じたという。ラジオが普及し始めると「次は必ずテレビの時代だ」と考えた。だからいずれも国産第一号となった。
どうしてそう思えたのか?
授業の中で、教授から質問があった。なぜ、事業創造家は他人には見えないものが見えるのか?と。
学生からは、世の中をもっとよくするためという思考が大きいという意見が出た。教授からは3つの指摘があった。
1. どうしたらもっと上手くいくのかを絶えず考えているマインド。
2. 観察する力。
3. 高い好奇心。
早川氏は大阪心斎橋の石原時計店を訪ねたとき、偶然、日本で始めて輸入された鉱石ラジオと出会い、その場で購入した。当時は鉱石ラジオの研究はほとんどなされていなかったため、内部構造は全く分からない中で、自分で分解し、部品をみて、研究した。商品化までたくさんの障害、壁があった。それを乗り越えたから、国産第一号を生み出した。
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