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学び、教育、学習塾
かつてのMBA(経営修士)学びレポート

一瞬も 一生も 美しく

2019-11-01 19:26:35 | 大学教育・学び

一瞬も 一生も 美しく

これは、資生堂が出した企業スローガンです(2006年)。

このコピーを作ったのは、コピーライターの国井美果さんです。

たった9文字です。

なのに、メッセージが伝わってきます。

うまいなあ、と感心します。

 

OLD is NEW

 

これは、サントリーの商品広告のコピー(1995年)。

OLD。

男性はこれを「だるま」と呼び、パブ、スナックに行けば、「だるま」が定番になっていたほど

当時はよく知られ、多くの人が飲んだことがある商品。

少し飽きられてきたかもしれない時に出したコピーです。

それを、is NEW というごく基本的な文章でつなげただけです。

このコピーを書いたのは、秋山晶さん。

 

秋山さんは他にも次のコピーを書かれています。

 

メカニズムはロマンスだ。(キャノン 1978年)

 

カメラのメカニズム(スペック)というハードなことばをロマンスという詩情的なことばで

つなげています。いろんな解釈ができますが、私は、対極にある2つの言葉をつなげて、

共感するメッセージを作ったところが素晴らしいと思いました。

 

最後に私が一番好きなコピーを紹介します。

糸井重里さんが書かれた新潮文庫のコピーです(1884年)。

 

想像力と数百円

 

「文学」という高尚でややもすると重いものを数百円につなげています。

たった数百円で想像の世界に行けるよ、

創造力を発揮すれば数百円で人生が豊かになるよ、

文学って、数百円で楽しめる気軽なものだよ、

などの声が聞こえてきそうです。

コピーはたった7文字です。

 

塾がある尼崎市の中学校では、2学期に「奥の細道」を授業で学びます。

 

閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声

 

松尾芭蕉が山形市にある立石寺で詠んだ有名な俳句です。

 

たった17文字から、

樹々の緑の濃さ、

聞こえてくるのは蝉の鳴き声だけ、

うるさいはずなのになんと静かなことだろう、

これこそが日本の夏、

などの情景、抒情が沸き上がってきます。

 

ことばのチカラってすごいと思います。

 


十三駅そば

2019-10-31 11:03:38 | 大学教育・学び

先日、ラジオを聴いていたら、「十三駅そば」のことが話題になっていた。

神戸線と宝塚線のホームにある「阪急そば」のことです。

今は、「若菜そば」になっています。

あるリスナーさんからのお便りで、昔、学生の頃、当時お付き合いされていた女性とのデートで、

何度も阪急そばに行き、その女性は、毎回、「おいしいね」と、嬉しそうに言ってくれたそうです。

そしてその後、お二人は結婚されて、今も時々昔を思い出しながらお二人で「十三駅そば」を

食べに行っているとのことでした。

 

デートといえば、おしゃれで雰囲気があって、値段も少し高そうなところに見栄をはるもの。

しかし、学生の身分。たまには行けても、普段は行けない。

そんな懐状況をよーく理解されていたお相手の女性。 

いいご夫婦だなあと思うとともに、私がこれまでの人生で「おいしい」と思った料理って何だろう?

と考えてみました。

 

まず思い出したのは、十数年前、家族4人で京都に行った時のこと、着いたのが遅く、

閉店していたお店が多かったのですが、ちょうど空いていた京阪三条駅前の大衆食堂で

食べた丼(どんぶり)とお汁です。

出汁が最高に美味しく、大衆食堂なのに「さすが京都」と感じ、

家内に何度も「おいしいね」と言ったのを覚えています。

 

次に思い出したのは、転勤で仙台にいた頃、そこで家内と出会うのですが、

仕事が終わってから二人でよく食べに行っていた中華の大衆食堂の料理です。

何を食べたか覚えてはいないのですが、仕事が終わって、ほっとした瞬間、

家内と二人で「やっぱりここはおいしいね」と言って食べていたことを覚えています。

 

その次は、高校時代の部活が終わってから、家に帰る前、

部活友だちとほぼ毎日通っていたうどん屋さんです。

1ぱい130円のかけうどんが部活で疲れた高校生の空腹を十二分に満たしてくれました。

みんなで「やっぱりここのうどんは最高やな」と毎回、言っていたことを覚えています。

 

これが私のおいしいものトップ3です。

そして、このトップ3からどんな意味合いがあるのだろうかと、考えてみました。

〇好きな人、仲が良い人と一緒に食べる料理はおいしい。

〇おいしさの感度と料理の値段に相関関係はない。

〇「おいしいね」と口から発する言葉はその後も記憶に残る。

〇”夜遅くちょうど開いていた京都の食堂”、

”1日の仕事が終わってから家内と食べる中華”

”部活帰りに友だちと食べるうどん”

といったようにおいしさを高めてくれそうなシチュエーションがある。

 

ここで、敢えて「意味合い」を考えてみたのは、感動したこと体験したことを言語化することの大切さを

知ってもらいたいと思ったからです。

言語化するには、事象を分析して考える必要があります。

「なぜおいしかったのだろう」という問いを立てることから始まります。

 

「言葉にできるは武器になる。」という本の中で、人はことばで考える、と言ったのは、

電通のコピーライター梅田悟司さんです。

考えるためには、「ことば」が必要ということを言っています。

 

「やばい」ということばは、若者だけでなく、子ども、大人も使うようになっています。

「やばい」には、肯定を大げさに言ったり、時には肯定、否定を交ぜていう便利なことばです。

例えば、「すごく怖いのに、すごく面白い」とか。

しかし、便利ゆえに「やばい!」とだけ言って、そのあと考えないでいると、

体験しとたことが単に「やばい」という記憶に片付けられてしまう。

それでは、体験が深まらない。

 

体験を深めることは人生を豊かにすることだと私は考えています。

そのためには、言語、ことばの大切さをあらためて思います。


日本とアメリカの学生における学習の違い

2010-10-09 14:23:01 | 大学教育・学び
日本とアメリカの学生における学習の違い

作家の高村薫氏は、「企業も、あるいは国や私たち生活者も、少し先のことを考えて、今何をどうするべきかという発想ができなくなっており、それがいまや日本人の体質になりかけている。」と指摘し、
その背景にあるのが、社会に蔓延する「不安感」であり、その「不安感」が日本人を思考停止にしているのではないかといっています。

不安しかない未来を考えたくないという気持ちになるのは仕方ないことかもしれません。しかし、「仕方がない」と済ませていることがまさに思考停止そのものではないでしょうか。

新しい学習指導要領では教育目標として「生きる力」を育むことがいわれています。不安社会で生きる力を育むために、教育は何ができるのかを考えることが大切です。

教育によって習得する能力には多くのものがあります。
まずは、知識を覚え、その背景や理論を分かるといった「記憶力」や「理解力」、次に知識を使って問題を解く「活用力」、さらに、知識を自ら調べる「探求力」です。
これらの能力は、学習モデルとして、「行動主義」、「認知主義」、「学習転移」として、日本では初等・中等教育で習得し、世界の中でも日本人の水準は高いところにあるといえます。

しかし、大学受験までは猛烈に勉強してきた学生は大学入学後に、学習から遠ざかります。
総務省調査データ(2006年)をもとにして中教審が作成した資料に「学校段階別の学習時間」に、1日の平均学修時間データがあります。それによりますと、小学生:5時間17分、中学生:6時間30分、高校生:6時間23分、大学生:4時間04分となっています。 
大学生は授業時間が少なく、アルバイトやサークルなどの活動の多さも影響しているのでしょうが、最も少なくなっています。

アメリカのモンタナ大学で教授経験がある橘由加先生は、
「モンタナ大学の学生に過去10年間教えてみて、とにかく勉強量の多さとその真剣な勉強ぶりには驚かされた。アメリカの大学生の中には、週日平均睡眠時間が3~4時間で、1週間何百ページにもなる課題図書の購読をこなす学生も多い。学生たちのファッションは実にシンプルで、学内で化粧をしている女子学生はまれである。毎週金曜日の午後以外はひたすら勉強という感じである。」
と、「アメリカの大学教育の現状」(2004年)の中でいっているとおり、アメリカの学生との違いが見て取れます。

アメリカピッツバーグ大学の岡本昌裕先生によると、
「(アメリカは)小学校から高校までの教育 (特に公立学校) のレベルは決して高いとは言えない。
したがって特に高卒レベルの労働者の質は全体的には日本の方が高いだろう。筆者が問題にしているのは日本の大卒の労働者の質的レベルである。
アメリカの大学生は授業以外に一日に7.6時間も勉強している。これは平均値だから、アメリカ人学生といっても平均よりずっと下の人はあまり勉強はしていないことになるが、アメリカの大卒の半数は学生時代に授業以外でも一日に7.6時間以上勉強した人たちである。
日本の大卒で大学時代にそれほどの勉強をした人はごく一握りのはずである。アメリカの高校までの教育の実態やレベルの低い大学の実態だけを見て、自分達はアメリカ人より優秀だと思っている日本人が多いが勘違いもはなはだしい。
日本の大卒が大学で取得した専門的知識の平均的な量とアメリカの大卒のそれを比較したデータというのは見たことがないが、アメリカ人の方が上であるとしか思えない。
未来を担う若者が勉学に精進しない国が発展するはずがない。このままでは10年後には日本は相当程度衰退しているであろうし、その衰退は既に始まっている。」(「My Odyssey masahiro's website」2009年より)

学習時間は日本とアメリカの違いが明らかです。しかし、学習は時間だけではなく、質も重要です。日本の学生の学習の質はどうでしょうか。
2007年に東京大学が行った研究結果があります。
それによりますと、
「大学生の4人に3人は『自分で勉強するより、必要なことはすべて授業で扱ってほしい』と考え、授業内容では『最先端の研究』よりも『学問の基礎』を重視している学生の方が多いことが18日、東大研究グループによる調査で分かった。
授業と直接関係のないことを、独自に学ぶのは少数派であることも判明。高度な専門知識を自ら習得するという学生のイメージからは程遠く、受け身の傾向の強い現在の学生像が浮かび上がった。」

これだけで、日本の学生の学習スタイルを結論付けることは乱暴ではありますが、「受身的な」学習に至る背景も分かるような気がします。「受験」というテーマと「合格する」という明確な目標がある場合には、みんな頑張って勉強する。これがが多くの日本人の学習スタイルではないでしょうか。
目ざすものが明らかな時には勉強するが、目標が見えなくなると、とたんに勉強しなくなる。そんな学生像が想像できます。冒頭で紹介した高村氏指摘する「日本人の体質」に共通することです。

ここから、どのようにしていけばよいのか?
さてさて・・・、であります。

「脱ゆとり・生きる力の教育」の次に必要なこと

2010-10-01 23:31:01 | 大学教育・学び
新しい学習指導要領に基づく学校教育が小学校で来年度から、
中学校で2012年度から全面実施され、高等学校では2013年度
から学年進行で実施されます。
新しい学習指導要領は、1つは「脱ゆとり」をかかげ、
授業時間数が増加されます。
背景にOECDが実施する国際学力アセスメントであるPISAに
おいて、日本の生徒の成績が低下していることがあります。
もう1つは、「生きる力」の育成にあります。
「生きる力」とは、文部科学省によると、
1.基礎的な知識・技能を習得し、それらを活用して、自ら考え、
判断し、表現することにより、さまざまな問題に積極的に対応し、
解決する力
2.自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や
感動する心などの豊かな人間性
3.たくましく生きるための健康や体力
とされています。

この「生きる力」を育む教育課程改訂の背景として、今後、必要な
学力として、知識を効率よく習得し、再生、反復する能力だけでなく、
新しい価値を創造する能力が求められる時代になっていることも示して
います。
ただ、この「理念」が具体的な指導要領に落とし込まれているかに
ついては、疑問が残りますが・・。

それはさておき、これら教育課程改訂の方向性は、間違ってはいない
と思います。
しかし、この改訂方針だけで果たして良いのか?というと必ずしもそ
うではないのではないでしょうか。

次にくる課題とは何か?

「多様性」を伸ばす教育ではないかと考えます。
一人ひとりがもつ能力、価値観、志向性の多様性を認めて、それを伸
ばしていくこと。
そのためには、「教育構造」、「教育システム」の転換が必要だと考
えます。
「多様性」ももった人がいる集団はどうなのかというと、「多様性」
がぶつかり合うことで生まれてくる「創造性」や「オリジナリティ」
があるだろうと思います。
日本はすでに成熟社会に入ったと言われています。かつては世界の
工場と言われ、正しく効率的に物を作る強さがありましたが、
すでに新興国にその地位を譲っています。
日本人がこれからの世界で「生きる力」を獲得していくためには、
「創造力」や「オリジナリティ」が必要ではないか。
ところが、日本では、教育の目的は勉強の出来る子どもを育てること
に焦点が当てられすぎているのではないでしょうか。
テストの点数が良いことです。
テストの点数を上げるために、問題を解くために必要な知識を効率
よく覚え、それを上手に使うことです。
問題はすでに与えられていますので、いかに正しい答えを効率よく
見つけ出すか、です。
しかし、このようなテストの点数が高い子を育てる教育だけでは、
創造性やオリジナリティはなかなか伸ばせないのだと思います。

では、「多様性」を伸ばす教育システムを作るためには、何を変え
ればよいのか?
これについては、改めて、書いてみたいと思います。

プロジェクト型学習 その2 教育目標

2009-04-29 17:04:16 | 大学教育・学び
プロジェクト型学習を考える その2「教育目標について」

前回に続き、プロジェクト型学習について書いてみます。今回は、教える側にとってのポイントを考えてみます。ただし、「教える」とは言っても、プロジェクト型学習は学生側が主体となって学んでいくものであるため、「ファシリテート」といったほうが的確かもしれません。

「教育」であれ「学習」であれ、「学び」には「目標」が必要である。教育目標、到達目標、学習目標といったいろんな言い方がされますが、要は「何を学ぶのか」を明確にしておくとうことです。学生とも共通の認識をもっておくことが重要と考えられます。

プロジェクト型学習の教育目標については、多くの大学での実践によって、概ね次のようにまとめました。
1. 問題発見、問題解決について学ぶ
さらに具体的に分類すると、
① 計画力、企画力
② コミュニケーション力、交渉力
③ 問題を整理する力、分析する力
④ コントロールする力:スケジュール、品質、予算または経費、リスクに対する管理力
⑤ 組織運営力:リーダーシップ、フォロワーシップ
⑥ 行動力、協調性、助け合い精神
  これらの力は、経済産業省が提唱する「社会人基礎力」、厚生労働省の「就職基礎能力」に通じるものと言えます。学校だけでなく、社会でも有用な力という意味で「普遍的」な力、「ジェネリック・スキル」ともほぼ同じと考えてよいと思います。企業の人材育成では、「ポータブルスキル」とか「ビジネススキル」という言い方もされます。

プロジェクト型学習では、与えられたテーマ・課題に取り組んでいくわけですが、決まりがあります。グループで取り組むこと、エンドの期限が決まっていること、成果を出さなければならないこと、学外の社会資源と連携・協力することが求められていること、こういった前提条件があるおかげで、上記の①から⑥は「やらざるを得ない」ことになります。つまり、プロジェクト型学習には、問題発見・解決力を発揮しなければ前に進まないように、「埋め込み」がされているということです。逆を言えば、問題発見・解決の力を発揮しなくても成果が出せるものはプロジェクト型学習の定義から外れると考えてよいのだと思います。

2. 学問について学ぶ
大学でプロジェクト型学習を行う意義として、「学問」について学ぶことがたいせつなことだと考えています。同じ「プロジェクト」でも、社会で取り組むプロジェクトは、そこには事業とか業務についてですので、企業の利益は外せませんし、社会の動向、消費者の感情といった「現実世界」をベースにする必要があります。理論よりも現実、理想よりも現実を優先する場合が出てきますし、企業が存続し続けるためには、当然のこととして受けとめられています。
しかし、大学で取り組むプロジェクト型学習は、学問について学ぶことが大切だと思います。この場合、学問には2つの要素があります。
1つは、特定の専門分野についてです。例えば、同志社大学のプロジェクト型学習として行われた「きものをプロデュースしてみよう」では、きもの離れの実態をマーケティングリサーチして調査することが行われていたようですし、京都産業大学でもマーケティングの理論を組み込んでいました。たとえば、他にどんな専門分野が考えられるのかを私なりに考えてみると、裁判官制度をテーマとすれば、法律の意義や解釈を学ぶことにつながり、環境問題であれば、政策学や工学(モノ作り)、農学を深く学ぶことになるだろう。調査をすれば、統計学を学ぶことにもなる。伝統産業の革新であれば、文化、歴史、マーケティングを学ぶことになる。専門分野には学問としての体系があり、多様な学説や学問成果があります。そういったものに触れることで、学問としての論理性、奥の深さ、視点の多様性を学ぶ機会になります。
2つめは、学問の基底をつらぬく理念である、「問いを立てる力」、「批判的思考力」、「オリジナリティ」を学ぶことだと思います。大きな教室で行われる知識伝達型教育では教員の話すことを理解することが目標でしたが、プロジェクト型学習は少人数で教員とのやりとりが緊密に行えるメリットを生かして、学問にとって大切な姿勢を学ばせることが可能だと思います。「伝統産業を活性化しよう」というテーマだとします。このテーマを展開していって、何が問題になっているのか? その問題はどうして起こっているのか? 何が問題か? 問題を解決するにはどうしたらいいのか? という「問い」です。伝統産業がそのもてる魅力にも関わらず、停滞・減退しているのなら、なぜこういう事態になったのか? 何が間違ったのか? という批判精神。原因分析と提案ではこれまでにないアイデアを形にする独創性。このようなファシリテートが可能ではないかと思います。

  次回は、プロジェクト型学習の授業設計について考えてみたいと思います。

プロジェクト型学習

2009-03-17 01:31:09 | 大学教育・学び
プロジェクト型学習 PBL(project based learning)

以前に、PBLでも問題基盤型学習(problem based learning)について書いたが、今回は プロジェクト型学習 PBL(project based learning)について書いてみます。

2009年2月にプロジェクト型教育(学習)に取り組んでいる京都産業大学と同志社大学のそれぞれのシンポジウムに参加した。京都産業大学は経済産業省で提唱している「社会人基礎力」を育成するための補助事業であり、同志社大学は文部科学省「現代GP」の補助事業という違いから、プロジェクト型教育の出発点と進め方で異なる点はあったが、教育目標としているところは同じである。与えられたテーマに対して学生がグループで調査・研究を行い、解決策や提案・企画をまとめていくというプロセスを通して、その結果として、チーム協働力、課題解決力を身に付けようというものだ。

シンポジウムでは先生方から大学での取り組みについて講演をされた後、PBLを履修した学生からも発表があった。学生の発表はとても興味深かった。プレゼンの仕方の素晴らしさもあったが、履修を終えての感想として、次のコメントがあった。「企画や提案をした時や、誰かに説明したり発表した時は、どうしたら納得してもらえるか?と、まずは相手のことを考える経験ができた。」「僕たちはメールで情報交換ばかりしていて、グループで本音を言い合うことがなかったけど、討議するという経験ができたのは良かった。」「課題の答えを出すことに意識がいっていたけれども、それよりも自分を知ることができたことが大きかった。自分に足りない点、成長したところに気づけた。」「リーダを任されたけど、うまくいかない時は逃げ出したくなった。自分の力の無さを感じた。」
この最後の2つのコメントは、PBLがメタ認知の効果があることを示していると言えるだろう。

今回は、プロジェクト型学習(または教育ともいう)とは何か?についてその定義と目的について考えてみたい。
三重大学の教育学部ではPBLのガイドラインとして以下の3項目をあげている。(※)
① 学習者の主体的な学習を促している。
② ある問題を解決する、もしくはあるプロジェクトを完成させるといった「問題解決事態」の中で学習を進める。
③ 集団での問題解決活動が含まれている。
※(三重大学教育学部PBL 教育研究プロジェクトより)

つまり、「学生がグループで主体的に課題に取組み、課題解決をする学習形態である。」「主体的」であるとは、テーマは与えられるが、自分たちでどのように取り組むかを計画し、調査・研究・活動・分析・まとめ・発表という「活動」が不可欠だ。活動しなければ成果が得られない。講義を聞いていれば知識が入ってくるわけではない。静的な学習ではなく、「動的」である。

次に、プロジェクト型学習の「プロジェクト」とは何か?について考えてみたい。
「プロジェクト」は企業や行政で盛んに行われている活動であるが、以下の特徴がある。
1. 期限が決まっている。
情報システム構築であれ、企画提案であれ、スケジュールのデッドラインは決まっている。デッドラインを超えると、それを前提にして組まれている業務が全て狂うことになってしまう。契約違反になり、損害賠償請求の対象にもなりえる。約束の期限内で完了することが求められる。 

2. 「成果物」を創造しなければならない。
プロジェクトの目標は「成果物」である。成果物には「有形物」、例えば、商品やデザイン開発、パンフレット、DVDを作ることが考えられる。また、企画書、提案書、報告書などの「文書」である場合もある。形の無い「無形物」も目標になる。例えば、子供向けの教育プログラムを開発し、そのプログラムを子供たちに提供するといったことや、町内の商店街を活性化するための催し物を計画し実行するといったことも考えられる。いずれにせよ、何かしらの「成果」が目標として設定され、それを期限内に達成しなければならない。

3. チーム・マネジメントが必要である。
グループで活動をするので、組織をマネジメントする必要がある。マネジメントの対象となるのは、「人」と「活動・進捗」と「成果」である。メンバーに役割りをアサインメントし、目標を共有し、細かな点を含めて、メンバー間の様々なことを調整しなければならない。リーダーシップとチームワーク、フォロワーシップが大切になってくる。そして、活動、進捗のコントロール。成果の見通しをつけて目標との乖離を埋めていく。面倒な問題も多く発生してくるので、1つ1つやっていくと手間がかかる。

4. リスク・マネジメントが必要である。
スケジュールが予定通りに進まないことや成果物の品質の目標と現状との乖離が大きくなりすぎて、リスクがクライシスにならないように、ヘッジとコントロールをしていくことも必要になってくるだろう。問題点をお互いに共有して、対策を打っていく軌道修正だ。

5. コミュニケーション力が不可欠。
私が大学生の頃は、大きな教室で先生が講義をし、それをノートにまとめることが大学での授業だった。後は、図書館で本を読んでまとめることであった。コミュニケーション力は大学の授業では必要なかった。サークルとかバイトでは必要であったが・・。

社会で行われているプロジェクトを大学教育の場で体験することで、プロジェクトで遭遇する多くの体験ができるだろう。プロジェクトマネジメントに必要な複雑で難しく面倒な問題を解決していく能力も身につくかもしれない。例え、身につかなくても、社会で求められる能力のイメージをもち、現状で不足しているものを認識し、努力のきっかけにすることであっても大きな意義をもつだろう。
ただし、プロジェクト型学習が単なる社会の真似事に終わってしまい、「やっただけ」にならないように、授業を設計し、運営する側の配慮も大切になってくる。このあたりは次回に考えてみたい。

ティーチングとラーニング

2009-02-17 00:26:52 | 大学教育・学び
ティーチングとラーニング

MBAの2年目の授業が終了した。先週末に最後のレポートを提出、これで4月まで1ヵ月半の休みに入る。大学院のMBAコースは標準では2年間で卒業するが、仕事や家庭の都合によって最高4年間まで延長が認められる。私は昨年、3年に延長申請をして認めてもらった。

さて、この2年間で17科目の授業を履修した。
教授陣は実務経験が豊富であったり、レベルの高い理論や高度な知識・見識を持っているので、どの科目も興味を持って履修できた。
授業は研究発表や討議が多い。事前にグループワークをしたり、個人研究をする。社会人が毎週集まってグループワークをするのは難しいので、スカイプというインターネットを使った会議システムにたいへんお世話になった。スカイプは相手とすぐつながるし、音質も高い。何よりパソコンの画面で資料を見ながらミーティングできるし、チャットも併用できるので、すばらしく使い勝手が良かった。

先週、事務室から授業評価のアンケート依頼が来たので、回答して返信した。2年間、学生として授業を受けてみて、自分にとって評価の高い授業の特徴があることに気づく。他の学生はどう考えているか聴いてみないと分からないが、自分の考えとしては、こうだ。
1. 良い授業とは講義の仕方が上手いということとは相関がない。
2. 授業の進め方、学生の発表や討議のファシリテーションの仕方はやや相関がある。これは、討議の時間で関係のない質問をしたり、自分の意見ばかり発言する学生がいるといらいらすることは多少ある。こういう時は教授に仕切ってほしいと思う。
それでは、良い授業とは何かというと、あくまでも私個人の考えであるが、
3. 学生にどのように学ばせるか、何を学ばせるかが授業の中にしっかりと組み込まれている。学生の学びをサポートするテキストやハンドアウト、補助資料、新聞や雑誌のコピーが適切に提示され配布される。
4. 学び(ラーニング)と教授(ティーチング)の設計がきちんとされている。
5. 課題(レポート)がよく練られている。練られているレポートは情報を調べて、本で理論を整理し、その上で考えないと書けない。課題で問われている設問の意図を1つずつ剥がしていく感覚であるが、時間はかかるが、その剥がしていく過程で、今まで見えていなかったことが見えてくる瞬間が生まれる。

4の学び(ラーニング)と教授(ティーチング)について。
高等教育での学びは正答がない。自分で問いを立てて研究する。そこからオリジナリティある自分の考えを論理的に組みたてる。教授から教えられることは、結論に至るまでの思考方法や視点、研究方法といったものだ。つまり、学生の学びを支援し、学びのプロセスを成長させるものであることが大切だ。
このことは、ダイヤモンド社から出されている「企業内人材育成入門」にも書かれていて、学習カリキュラムと教育カリキュラムの違いを明確化することの有効性を説いている。そこでは、学習理論における「状況論アプローチ」が人間は教育プログラムの中だけではなく、現場で仕事に従事するなかでも意識する・しないに関わらず学んでいるとされる。教育とはあくまでも支援であり、人材育成という活動における主体は学習者であるということで、効果的な教育を実現するためにはどの部分をどのように支援するかを明確化することが重要だと言う。

学習には、本を読む、雑誌やネットで調べる、グループワーク、個人研究、レポートなどいろんな形態がある。それらをどう組み合わせて、学習設計(ラーニング・デザイン)をするかが重要だ。

MBAに来る学生の学びの動機は高い。放っておいても自分たちで学習する。しかし、学部の学生は決してモチベーションが高いわけではない。それゆえに学習の動機付けも必要になってくる。


教育における方法知について考えるPART.3   ~創発戦略から~

2008-11-22 10:02:25 | 大学教育・学び
前回は「方法知」における「態度」の大切さを書きました。
3つめの未知の状況や異なる価値観を受け入れる態度について、別の角度から考えていきたいと思う。

現在通っているMBAでは、「戦略論」を学ぶ機会が多い。基礎科目のひとつでもある「経営戦略徒マネジメント」があるし、「マーケティング」や「ベンチャー企業経営」の授業でも「戦略」は当然、触れられます。
戦略論には大きく分けると「市場ベースの戦略論」と「資源ベースの戦略論」がある。全社はポーターやコトラー、後者はバーニーに代表される。ところが、多くの方もご存知のミンツバーグはどちらにも属さない戦略論を提唱した。
「創発戦略」といわれるものです。

「創発戦略」とは、「知らず知らずのうちに生まれてくる戦略、あるいは何らかの意図があったとしても次第に形成されてくる戦略(H.ミンツバーグ経営論 ダイヤモンド社)」と呼んでいる。「戦略における学習」の視点が大切だとも言っています。

創発戦略が成功した事例は、『企業戦略論』(J.B.バーニー著 ダイヤモンド社)に書かれています。
・ホンダ :1960年代、アメリカの二輪車市場に初めて進出した。「大型で馬力の大きい二輪車を売ること」が戦略であった。しかし、全く売れなかった。中産階級が求めていたのは、小型スクーターであった。ホンダは戦略を変更し、小型スクーター市場で成功し、その後、大型バイクを市場に導入することができた。
・ジョンソン&ジョンソン :もともとは医療機関向けの殺菌ガーゼと医療用ギプスのメーカーだった。あるとき、医療用ギプスに対して皮膚に炎症を起こるというクレームが寄せられ、ギプスにパウダーを添えるようにした。それからまもなく、消費者から「パウダーだけを買いたい」という声が寄せられ、一般消費者向けパウダーを発売した。
・マリオット・コーポレーション :ホテルで有名なマリオットはもともとレストラン事業を営んでいた。レストランのひとつがワシントン郊外のフーバー飛行場に近いところにあった。レストランのマネジャーは乗客が機上での食事を買い求めるために自分の店にやってくることに気づいた。創業者のJ.マリオットがこれに注目し、イースタン航空と交渉し、一人分づつパックしたランチを飛行機に届けるビジネスを確立した。 

これらの創発戦略が成功した事例と方法知の態度を結びつけるのは少々強引かもしれませんが、「自分たちの外部と内部環境を真摯に受け入れる態度」が「方法知を学ぶ」ことに大きく作用し、その結果として「うまくいく」ことにつながるのだと思います。

もともと、日本人には日和見的なところがあるといわれます。農耕民族だったから天候を気にすることが多く、それが習性になったのかもしれません。一方、狩猟民族は、狙いを定めて狩りに行く。とても対比的です。
日和見的な態度には良いところがあります。企業であれば、それは顧客から学ぶ態度であり、現場から学ぶ態度です。日本企業には戦略がないといわれることも多いようですが、こういった創発戦略こそが多くの日本企業が採用した戦略であるといえるのではないでしょうか(さきほど紹介したとおりアメリカ企業も創発戦略で成功しているのですが)。それが、日本企業の強さではないでしょうか。



教育における方法知について考える PART.2

2008-11-21 01:11:52 | 大学教育・学び
「方法知」について再び考えてみよう。
「方法知」は「学び方を学ぶ能力」と言えます。
これに対する概念が「内容知」で、「知識」や「スキル」そのものである。
この2つの知には特徴があります。
【1】内容知はすでに体系化、固定化された知である。
   方法知はダイナミズムがあり、場面や状況によって変わる。
【2】内容知はすでに普遍化、一般化されている。
   方法知は属人的である。

内容知は明示的であり、方法知は暗示的であり、暗黙知に近い。

さて、方法知は、どのようにしたら獲得できるのだろうか?

大学ではPBL(project based learningまたはproblem based learning)が行われる。他人とのコミュニケーションを通して、議論を発展、収斂させて結論へ導いていったり、情報を集め、資料を作り、発表するプロセスが含まれる。
課題(テーマ)の解決方法を自ら考え、活動(Action)を通して、試行錯誤しながら、うまくいく方法を学んでいく。

うまくいく方法は属人的な要素を多く含む。
自分にとってはうまくいく方法でも他人が同じようにうまくいくとは限らない。
また、ある場面でうまくいった方法が、別の場面でうまくいかないこともある。
それはなぜ起こるのかというと、方法知には外部と内部の状況が影響するからだと言われています。
良い例とは言えないかもしれませんが、仕事であるテーマが与えられたときに、よく考え、企画をしてから行動する方法がいつもうまくいっているとしても、
100%そうではない。何も考えずに、行動したほうがうまくいくことがある。
同じように、自分が得意な分野で成功している方法が、苦手な分野でも同じように成功するとは限らない。自分が保有している知識や経験によるのである。
このように考えると、方法知とは状況を判断する力であるとも言えそうです。

状況を判断する力は状況にむかう「態度」が大きな比重を占めると思います。
態度というのは具体的には次の3つの種類があると考えています。
1.状況を客観的に把握する態度。自分の都合の良いように判断しない態度。
2.自分の能力を素直に判断する態度。過大評価も過小評価もしない態度。
3.未知の状況、異なる価値観を受け入れる態度。



教育における方法知について考える PART.1

2008-11-18 22:55:07 | 大学教育・学び
Learning to learn というのをご存知だろうか?
訳せば「学び方を学ぶこと」。
Learning to learn(学び方を学ぶ) はヨーロッパ、EUで取り組まれており、研究成果も出ているようだ。
どこから生まれた概念なのかというと、2000年に採択された「リスボン戦略」のひとつである。EUをヨーロッパの教育を2010年までに世界一にするという目標である。

世界一とはどのような基準で測るのかよく分からないところがあるが(OECDのPISAのようなアセスメントで測ろうとしているのかもしれない)、要は、ヨーロッパの教育はアメリカと比べると劣っている、アジア経済圏の追い上げも著しく、「このままでは自分たちはだめだぞ」という危機感の表れであるようだ。

リスボン戦略というのは、2000年3月、EU加盟国首脳によって、2010年までに、EUをより良い職業をより多く創出し、社会的連帯を伴う持続的経済成長を可能にする世界中で最も競争力があり、ダイナミックな 知識に基づく経済地域に発展させるという目標を定めたもの。EUをより豊かにし、残存する地域間格差を是正するのが目的だ。経済発展には学校・教育の充実が必須であり、研究・教育への投資をGDPの3%に引き上げることも決定した。というのも、教育・研究費の対GDP比率は1.93%(2003年)にすぎず、アメリカ(2.59%)、日本(3.15%)を下回っていたからだ。
さて、リスボン戦略の教育の充実であるが、8つのキー・コンピテンシー向上を方針としている。
1. 母国語によるコミュニケーション力
2. 第2外国語によるコミュニケーション力 
3. 数学的、科学・技術の基礎的能力
4. IT・デジタル・スキル
5. 学び方の学び方 =Learning to learn
6. 社会市民としてのスキル
7. リーダーシップ、アントレプレナーシップ
8. 文化的理解力と表現力 

この5番目が「学び方を学ぶコンピテンシー」である。
日本では、「方略」とか「方法知」といわれている概念と同じである。「方法知」が学ぶ方法であるのに対して、知識そのものの学びを「内容知」という。
さらに詳しくは次回に。