京都”ときどき”散策

京都人です。

萬亀楼

2006年12月30日 10時31分09秒 | 京都散策
大通りから二筋ほど中に入った京都西陣の一角、
木造民家が建ち並ぶ静かな場所に
300年近く続く料亭『萬亀楼』があります。

特別な表札があるわけでもなく
目印は風に揺れる暖簾だけ。
知らない人はおそらく素通りしてしまうでしょう。

打ち水された玄関
奥へ続く細長い廊下
季節の草木が茂る中庭
隅々までゆきとどいた大広間

40年程前、一般家庭から嫁いでこられた大女将のお話が印象的でした。

「嫁いで直ぐは大変どしたけど 自分の居場所を作ろう思ったんどす。
そしたら 毎日が楽しゅう(楽しく)なりました。」

自分の居場所とは隠れてひとりになる場所のコトではなく
自分の存在感をしめせる場所のコト、自分が必要とされるコト。

大女将の場合は家族と従業員の分のご飯を作る、
それが「居場所」だったそうです。

下鴨神社の遅い紅葉

2006年12月22日 11時55分16秒 | 京都散策
12月も半ば過ぎたというのに
下鴨神社の糺の森はまだ紅葉が見頃です。

見上げると真っ赤な空から光りが差し込み
時おり吹く風に合わせて
赤い星のような葉っぱが舞い落ちます。

川面は光りと紅葉に反射していっそうキラキラと輝き
そこだけホンワカ暖かです。

神殿へと続く森の散歩道は
”まだ紅葉が綺麗でしょ!”とささやきかけてきます。

今年最後の”紅葉狩り”ですね。

善峰寺

2006年12月10日 14時20分15秒 | 京都散策
「大原野神社」「金蔵寺」を見てまわった後
東海自然歩道を通って「善峰寺」までハイキングです。

ゆっくり歩いて1時間半くらいでしょうか・・・

明るく広い道に出るまでの登りの山道はかなりハード!
細く滑りやすいので落ちないように気をつけなければなりません。

「善峰寺」は11世紀の前半に源算上人がこの地に小堂を建て、
自作の十一面千手観音をまつられたのに始まります。

歴代天皇にも崇敬あつく中世には50余もの堂塔を有する大寺院でした、

しかし、応仁の乱で焼けてしまい、
現在の諸堂の多くは徳川五代将 軍綱吉の母桂昌院によって再建されたものです。

訪れた人は

白が印象に残る三門に圧倒され
天然記念物に指定された樹齢600年の五葉松”遊龍”に驚き
奥へと上り 振り返ると広がるお寺の全貌に感動し
京都盆地を眼下に一望出来るその風景には言葉もないことでしょう。

何時間でも居続けたい!
もう1度来てみたい!

きっとそんな思いを抱きながら帰路についてしまいますよ。

金蔵寺

2006年12月07日 10時50分40秒 | 京都散策
阪急電車「東向日駅」前から
バスに乗り「南春日町」で下車。

大原野神社へ行くのとは反対の坂道を
1時間ほどかけて歩いていきます。

田畑が広がり、竹林を抜け、民家を通り、猿を遠くに眺め・・・
細い山道である東海自然歩道を上っていくと
小塩山の中腹標高350メートルほどのところにある「金蔵寺」が見えてきます。

かなりしんどいので靴や服装、持ち物はハイキング仕様がいいですね。

養老2年(718年)に開かれた「金蔵寺」は
平安京造営の際に平安を祈念して経文が納められたことから
西の岩倉と呼ばれます。

応仁の乱などの兵火により焼失しましたが、
江戸時代の徳川五代将軍綱吉の生母桂昌院により再建されました。

山門から境内に続く紅葉に囲まれた石段
暖簾のように吊るされた干し柿が印象深い境内
奥へ奥へ進んで行くと拓ける市内を一望できる見晴台
本堂の窓際に座り境内を眺めるひととき

本当にゆったりした静かな時間を持つことが出来ます。

大原野神社

2006年12月04日 17時55分51秒 | 京都散策
阪急電車「東向日駅」から
1時間に1本の 阪急バス65系統に乗り
「南春日町」下車。

徒歩10分足らずで「大原野神社」です。

桓武天皇が都を奈良から長岡京(現向日市)に遷されたとき、
天皇はしばしば大原野に遊んで鷹を放たれた。
その美しい風景を賞でて奈良の春日大社の分霊を遷し
祀ったのが起りだそうです。
そして850年に左大臣藤原冬嗣を祖父とする文徳天皇が
壮麗な社殿を造営されました。

藤原氏の一族は女が生まれると中宮や皇后になれるようにこの社に祈り
祈願通りの地位につくと美くしく行列を整えて参拝していたとか。

奈良の猿沢池をまねて造った鯉沢の池
古歌に詠まれた瀬和井(せがい)の清水
拝殿前には春日社の神鹿の狛犬

今は人もまばらな静かなこの場所が
当時は由緒正しく栄えた神社であったことを想像させてくれます。