私の人なつっこさについては以前も書いた通りで、今に始まる話ではないが、このところ一層磨きがかかっている。特に往々にしてそれは、女性に対して典型的に向けられる傾向にある。先日も群馬の祖父母宅を訪ねたが、往きの電車の中、長い道中はどうしても退屈である。父殿の膝に乗っていても、周囲の乗客が入れ替わる度に自分の存在をアピールしたくてならず、盛んに手を振り、話し掛ける。最近、「ばあっ」と言うのを覚えて得意になっているところなので、顔を伏せて隠れてみせては、素早く顔を上げて「ばあ~っ」とやる。一度や二度相手にされなくても気にもとめず、幾度でも繰返してやるから、先様も根負けして愛想笑いをしながら手を振ってくれる。そうするともう有頂天になって、得意の「バイバイ」をやり、両手を合わせて「パチパチ」をやり、いつまででも遊んでいる。
どうしてだか私が、女性の方、それも比較的年若な方に限って執拗にこうした態度を示すものだから、父殿など、「みのりよ、いい加減見境なくナンパするのはやめておくれ」とぼやくのだが、私としては子供に関心のありそうな、優しそうな方を何となく嗅ぎ分けているだけなのである。下心など誓って毛頭もない。また一人でいる人、本を読んでいる人など、寂しそうに見えて、一時でも私の楽しさを分かちあいたい気持ちもあるのである。これがため、別の日のことだが喫茶店で一人で過ごしておられたある若い女性客に、私は一向相手にされないのにいつまでも「だあっ。だあっ。」と呼びかけ続けていたら、父殿の耳には「ようお姉さん退屈してない?俺とお茶しない?ねえねえ」といった風に聞こえてしようがなかったそうだ。
群馬の家では、祖父母にそれぞれ「じいじ」「ばあば」と呼びかけ思う存分甘えた。逆に、「みのりくん」「なかのみのりくん~」と呼ばれると、「あい~」と返事をして手を上げてみせる仕草も披露する。立ち上がっては、4歩5歩と歩いてみるのもたっぷりと試みることができた。何しろ東京の家と違って広い上、興味を引かれる品物がそこらにたっぷりと転がっているのでこの家に来ると遊んで飽きない。小さな踏み台があって、これを上下ひっくり返して足を掴むと、格好の押し車代わりになって、部屋の端から端まで押して進んだりもできる。疲れると、今度はその真中に座り込んで、「た、た」と催促すれば、誰かが押して動かしてくれて乗り物遊びも楽しめる。
最近もう一つ、私が最近頻繁に発する言葉。「あーあ」という嘆息調のつぶやきである。何か物を持って遊んでいる、それが手を離れて転がって、届かないところにいってしまう。そこで「あーあ」となる。あるいは机の上に置いてあるものに手を伸ばし、遊ぼうとして、うまく取れずにひっくり返してしまう、みんながわっと悲鳴をあげる。そこでまた、「あーあ」。父殿母殿はこれを聞いて、「みのりの前ではなるべくこういう言い方をしないようにしよう。」と思い直すのである。
ところで本日、大阪の地では、父殿の兄夫婦の家に女の子が生まれたという報があった。私にとって、初めてのいとことなる誕生である。近々お顔を見に行くことになろう。関西方面への旅行も無論初めてのことであり、今から大いに楽しみである。
どうしてだか私が、女性の方、それも比較的年若な方に限って執拗にこうした態度を示すものだから、父殿など、「みのりよ、いい加減見境なくナンパするのはやめておくれ」とぼやくのだが、私としては子供に関心のありそうな、優しそうな方を何となく嗅ぎ分けているだけなのである。下心など誓って毛頭もない。また一人でいる人、本を読んでいる人など、寂しそうに見えて、一時でも私の楽しさを分かちあいたい気持ちもあるのである。これがため、別の日のことだが喫茶店で一人で過ごしておられたある若い女性客に、私は一向相手にされないのにいつまでも「だあっ。だあっ。」と呼びかけ続けていたら、父殿の耳には「ようお姉さん退屈してない?俺とお茶しない?ねえねえ」といった風に聞こえてしようがなかったそうだ。
群馬の家では、祖父母にそれぞれ「じいじ」「ばあば」と呼びかけ思う存分甘えた。逆に、「みのりくん」「なかのみのりくん~」と呼ばれると、「あい~」と返事をして手を上げてみせる仕草も披露する。立ち上がっては、4歩5歩と歩いてみるのもたっぷりと試みることができた。何しろ東京の家と違って広い上、興味を引かれる品物がそこらにたっぷりと転がっているのでこの家に来ると遊んで飽きない。小さな踏み台があって、これを上下ひっくり返して足を掴むと、格好の押し車代わりになって、部屋の端から端まで押して進んだりもできる。疲れると、今度はその真中に座り込んで、「た、た」と催促すれば、誰かが押して動かしてくれて乗り物遊びも楽しめる。
最近もう一つ、私が最近頻繁に発する言葉。「あーあ」という嘆息調のつぶやきである。何か物を持って遊んでいる、それが手を離れて転がって、届かないところにいってしまう。そこで「あーあ」となる。あるいは机の上に置いてあるものに手を伸ばし、遊ぼうとして、うまく取れずにひっくり返してしまう、みんながわっと悲鳴をあげる。そこでまた、「あーあ」。父殿母殿はこれを聞いて、「みのりの前ではなるべくこういう言い方をしないようにしよう。」と思い直すのである。
ところで本日、大阪の地では、父殿の兄夫婦の家に女の子が生まれたという報があった。私にとって、初めてのいとことなる誕生である。近々お顔を見に行くことになろう。関西方面への旅行も無論初めてのことであり、今から大いに楽しみである。
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