僕は共依存してると思うんだ。
共依存とはどういう状態かというと、
相手に依存されている事に自分の存在価値を見出す。
って事で会ってるかな?
例えると夫が散々自分に暴力をふるうのに、
夫の事を分かってあげられるのは自分だけと考えて、
夫を別れられないとかです。
僕は共依存してるんだと思う。
人から必要とされる事でしか、自分の価値を見出せない。
誰からも必要とされなくなったら淋しいな。
なんの生産性も無い、未来もない関係でも、
ツライ思いをしてたら、少しでもつらさが減るようになんとかしたい。
それが、何も産まなくても。
何も産まれなくても、それが共依存と呼ばれているものでも、
それを肯定している自分がいる。
否定しようとしても心がそれを拒否する。
ダメなものはダメなんだけどね。
先の事は何も分からないから、長いような短いような人生で、
こんな時期があってもいいと思うんだ。
共依存とはどういう状態かというと、
相手に依存されている事に自分の存在価値を見出す。
って事で会ってるかな?
例えると夫が散々自分に暴力をふるうのに、
夫の事を分かってあげられるのは自分だけと考えて、
夫を別れられないとかです。
僕は共依存してるんだと思う。
人から必要とされる事でしか、自分の価値を見出せない。
誰からも必要とされなくなったら淋しいな。
なんの生産性も無い、未来もない関係でも、
ツライ思いをしてたら、少しでもつらさが減るようになんとかしたい。
それが、何も産まなくても。
何も産まれなくても、それが共依存と呼ばれているものでも、
それを肯定している自分がいる。
否定しようとしても心がそれを拒否する。
ダメなものはダメなんだけどね。
先の事は何も分からないから、長いような短いような人生で、
こんな時期があってもいいと思うんだ。
共依存ですか・・・アタシの場合は完全に依存です!
家族にはもちろん、愛猫にも☆みんなが元気でいてくれればアタシも楽しいし幸せ♪でも、些細なことでもアタシって必要ないんじゃないのかなって思うと、たちまち孤独な暗~ぃ世界に落ちてしまう。
たぶん、みんながそうだと思います。一人でも大丈夫、一人のが気楽って言う人でも、何かしら依存しているものはあると思うし、そうしなきゃ淋しすぎてヤッテランナイんじゃないのかな?
それにしても、今度の連休はお盆休みですね。早く来ないかな?長期休暇・・・・愛しいッス!
ぼーさんは沈黙に耐えられなくて、空元気でテンション上げるタイプですね?
そのまんま僕です。
でも、そーいうのって、うつをあまり知らない人には「全然たいした事ないじじゃん」って思われてしまうんですよね。
共依存しててもいいのかな・・・・
DV夫に共依存する妻みたいな関係じゃなければいいのかな?
今は無理しないで、これでいいのかもしれませんね。
なんの生産性や発展性が無かったとしても。
うちの会社、アホだから夏休みないんですよ。
つーか、夏休みとして有給3日使いなさいってほざく訳ですよ。
親会社はいいなぁ、組合が強くて。
何かに、誰かに依存することでまたは依存されることで、
精神的・肉体的に傷つけたり、
傷つけられたりしてしまわなければ、
そんな関係でもいいんじゃないかな、と思います。
たとえば薬物の依存とか、アルコールの依存や、
家庭内暴力による関係の構築はおすすめ出来ませんが。
人間同士の関係なら、だれでも少なからず
お互いに甘えたり頼ったりしていますし、
それが顕著になって共依存になるのも自然なのかな、なんて思います。
相手が親しい人ならなおさらですよね。
生産性や発展性は無くてもいいと思いますよ。
わたしにはオットがいます。信頼し、大切に思っている相手ですが、
「頼りすぎてはいけない、心配させすぎてはいけない」
「彼がいなくても一人で生きていけるようにならなければいけない」
「こんな私がいないほうが彼のための幸せではないのか?」・・・・
そんな風に考えたこともありました。
未だに時々そんな考えにとらわれます。
それは、わたしが「うつ」でいることで彼に負担をかけているのみで、
専業主婦としての役割も十分に果たせず、
仕事にも復帰出来ておらず、
自分が社会的になにも生産していない存在である
と認識していたからです。
しかし、ある人が言いました。
「あなたが存在しているだけで、旦那さんにとっては意味のあることなんですよ。ですから、社会的に生産性が無いと感じていても、あなたが存在することこそが役割なのですよ。」と。
それを聞いて、そうか、今の自分のままでいいのか、
と少し楽になりました。
何も生産していない、将来的に発展がない、
とおっしゃってますが、そう感じられても、
お互いが存在すること、それだけでOKなのではないでしょうか?
何事にも考え深いのはひとつの魅力であると
思います。きっと突き詰めてどんどん
思考の回路が回転していく人々は
しんどいだろうなあとも思います。
鈍い人にはなりたくはないというのが本音ですが
しんどいのもいやです。
自分と相性が良い相手を本能的にかぎ分ける嗅覚を
鍛えて、お互いが求め合うってのが理想ですが、
タイミングや縁やしがらみや、いろんなことが
絡まってくるから、なるようになるしかないと
割り切るときもあると思います。
ただ、自分の持っているものより
相手の引っ張っていく力が強い場合、
それが相性の悪いパターンであれば、
嗅覚に従う方が自分のためであり相手のためにも
なるのでしょうか。
底知れない許容量で相性の悪い相手をも導いていける
人はこの世に一握りでもいるのでしょうか。
自分がしんどくなったらきっと相手もしんどいだろう
と単純に考える。
ボロイ人間社会を生き抜くためにはそんな単細胞的な
発想でやりきるしかないんでしょうか。
疑問形ばかりですみません。
自分の存在価値や生きるってことに目的を見出そうと
する脳みその作業は人間だけの特権なのかあるいは
弱さなのか。。ってまだまだ疑問形の私。
人間に生まれてきたからしょうがないって
適当におわります。
ひぃさん、
だらだらと勝手に適当に終わることを
お許しください。
あなたがどこかに存在してくれているだけで、僕はうれしい。
そんな相手が何人(+何匹)かいます。
それは永遠じゃないけど、幸せなのかもしれませんね。
昔から、僕が好きになる人は一癖ある人で、
僕の事を好きになってくれる人はいい人だったなぁ。
やっぱり、誰かに必要とされる事が、僕の存在理由だと思うんです。
ずっと、それを探していくのかもしれません。
あ、僕のBLOGでお許しとかないですから。
このBLOG自体、僕の愚痴でしかないので、
思いつくまま、本能のまま書いていただけるとうれしいです。