うつ日記復職編

うつ病により約1年半休職していました。
2006年3月より復職し、うつと付き合いながらの生活をおくっています。

守る強さと守らない軽さ

2008-09-08 23:21:03 | たわごと
ここ数年の僕のヘタレっぷりというのは
守るものがないからなのかなぁと思う。
ただ、それが純粋に悪い事ではないんだよね。
以前の僕は守る為に限界までがんばって、
結果1年半を失って、もっと長い年数を苦しんだ訳で。
凡人ではあるけれど、世間にはまぁ顔向けできる程度の人生。
それすら維持できなかった訳ですが(笑)

今の僕は守るものがないだけに気楽です。
でも、がんばれない。現状より上を目指してないから。
ただ、今の世の中は背負うものが無いからといって、
自分一人分とてラクして衣食住を維持できるわけでもないので
そんなに気楽でもないか。
結果迎えるであろう孤独死ってのもちょっとむなしいけど、
アリといえばアリだな。

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6 コメント

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骨が折れても歩き続けますか? (とおりす)
2008-09-15 05:18:04
ここ数年のヘタレっぷり、とおっしゃいますが、人間誰しも、足の骨を折れば、その歩みはヨレヨレにならざるを得ないと思います。

今はがんばらなくていいと思います。堂々とそうしていればいいのです。それまでに十分がんばったじゃないですか。(←この言葉は自分を含めた、うつ病の仲間たち全員に向けて言っています)
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こんにちわ (ささ)
2008-09-19 19:06:24
守る強さと守らない軽さですかぁ、なんだか歌詞のようなタイトルですね、すっきりと。
ひぃさんお久しぶりです。今夏は猛暑で、長いようで短い短いようで長いバッテバテの日々でなんとか乗りきれたかと思えた時に、財布を紛失して大打撃のささです。
今やるべきことが目の前にあることに自分自身の存在意義を感じ、やるべきことが次から次へと押し寄せてくる感覚(重圧?)に肩が重くなり、行き詰まる。こんなことの繰り返しでうんざりしながらも、その時その時で自分の居場所がありさえすれば私はそれで「まぁいいか」と思うようになってきました。体力低下や老化といったものに対しても「まぁしょうがない」と思い込むことで現実として適当に受け入れるといいますか。適当っす。背負うべきものは意としていない時にそうせざるをえなくなるかもしれないし。おっしゃるとおり、すべて”アリといえばアリ”ですよ。このフレーズ気に入りました、アリっちゃアリ、ナイっちゃナイ。
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ひぃさん、はじめまして (ゆか)
2008-10-05 20:55:23
時々、ブログを拝見させていただいてます。
守りたいもの、強烈に好きなこと、支えになる何か。
見つけられないでずっといます。
気楽だけど、頑張れない。
ひぃさんがずっと頑張ってきたことや、
乗り越えてきたことに、たぶん私は全然及ばない
情けない暮らしをしてきてると思うけど
少し、気持ちが分かります。
何もかもが順調に見えるかのような時は、
守りたいものとか無くても大丈夫だけど、
少ししんどくなった時、辛いとき、
乗り越えたり、やり過ごしたりするだけの力が出ない。
自分ひとり、ちゃんと養おうと思う気持ちさえ
出てこなくなる。どうにか、したいです。
ひぃさん、また気が向いたらブログ、顔出してもらえると嬉しいです。

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とおりすさまへ (ひぃ)
2008-10-14 21:30:30
世の中、大多数の人は
折れた骨やギプスを見るまでは
病気、怪我とは認めてくれないようです。

非難はできませんけどね。
多分、僕も自分が経験していなければ
同じだったであろうから。
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さささまへ (ひぃ)
2008-10-14 21:38:40
ナイかなぁ?
これからの日本、多数派にはならないにしても
アリっぽいのかなと。
だって、
100万円年収が下がっていいから
100万円分精神的にラクな仕事につきたい
ってムリですもん。
落ちる時は底まで一直線ですよね。
底の定義は人それぞれですが
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ゆかさまへ (ひぃ)
2008-10-14 21:48:11
はじめまして。
守りたいものって諸刃の剣だと思います。
がんばれるけど、限界近くまでがんばっちゃう。
でも、病気(なんですかね?ゆかさんは)が
治ってから探しても十分だと思います。
さびしいけど、病気の人には負担の方が大きいと思うし
支えてくれる人がいても、その人に対して
申し訳なく思ってしまうのではないでしょうか?

くどい事を書きましたが、焦らないで。
欲しいものが見つからないなら元気な時にだけ
探しましょう。
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