水曜日の話 ”クリスマス・イブ” 時空の旅人

2014年12月17日 | 水曜日の話

 

 高木さんはいつも詰将棋の本を片手に持って、将棋盤とにらめっこをしている。夕食の準備が始まってしばらくすると、グループホーム『星のふるさと』の職員のNahoさんにせかされてやっと重い腰を上げ、ざるに入ったキヌサヤの豆の筋を剥きはじめた。

 急いで筋をとり終えた高木さんは、施設の北の角にある千種さんの部屋から食堂の方へ車椅子を押して移動してくる野瀬さんに手招きをした。彼はこの施設で一番若い職員だ。いつものことなので、彼は「高木さん、もう晩ごはんですから、あとにしましょう。ねっ、そうしましょ」と、諭すように優しく言った。

 高木さんは彼と将棋をするのをとても楽しみにしている。自分の身の回りのことはあまりうまくできなくても、将棋は必ず野瀬さんに勝つからだ。「へー、高木さんはそんなに将棋が強いんですか」と言うと、Nahoさんは調理台の前でみんなの夕食の準備をしながら「野瀬さんは本気ですよ。やりはじめるといつも夢中だから」。野瀬さんは弱い方じゃないが、高木さんの将棋の腕の方が数段優れているそうだ。いつも勝負が終わると、高木さんは千種さんのところへ行き「勝った!」と握った拳を高々と差し上げ得意げに報告する。それでも千種さんは何の興味も示さず、車椅子にぼんやりと座りテレビを見ているばかりだ。

 8人のグループホームの人達の夕食が終わり、『星のふるさと』を終の棲家とする住人はリビングで三々五々自分の世界に入っていった。職員は後片付けを始める。Nahoさんは食器を洗っていたので、そばに行き横に並んで拭くのを手伝った。洗いものをしながら、Nahoさんは来週の水曜日は泊まり勤務だと教えてくれた。夜、何人もの世話をしなければならないのは大変なことだろう。

「来週の水曜日、クリスマス・イブだね」。Nahoさんが言った。そうか、クリスマスとお正月がもうそこまでやってきているのか。12月はいつもの月の2倍くらいの速さで時間が過ぎていく。「忙しくなりそう。買い物もたくさんあるし、みんなのケーキも買わなくちゃ」。

  クリスマス・イブの夜は誰だって友人や親しい人と過ごしたいだろう。仕事と言え、職員の人たちがグループホームの住人たちと過ごさなければならないのは、少し気の毒な気もする。食堂やリビングをクリスマスらしく飾り、ささやかな楽しい宵をみんなで過ごし、その後、Nahoさんには長い夜の勤務が続く。

 クリスマス・イブは雪が降るだろうか。深々と底冷えのする夜の『星のふるさと』の住人はきっと遠い昔を訪ね、時折、現に戻ってくる。それを何度も繰り返し、過去と現在を往ったり来たりするのだろう。肉体からも精神からも徐々に解放され、まるで時空を自由に行き来する旅人のように。Nahoさんもそんな夜空にキラキラ輝く星々の時空を、みんなといっしょに漂っているのかもしれない。

 


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