
潜水艦と言えば呉のイメージが頭にこびり付いています!!
時代の波…1世紀超の歴史に幕 三菱・神戸造船所で最後の組み立て
三菱重工神戸造船所で製造されている最後の商船=26日午前、神戸市兵庫区(甘利慈撮影)
商船建造から撤退する三菱重工業神戸造船所(神戸市兵庫区)で26日、最後の建造となる自動車運搬船の組み立てが始まった。
「造船王国・日本」を支えた名門造船所として100年を超える歴史を誇り、これまでに約1600隻を海に送り出した。
巨大な船体が静かに船台を滑り落ちる進水式は、ミナト神戸を彩る風物詩だが、それも来年3月で見納めとなる。
「先輩たちが残してくれた全ての技術を、最後の船に注ぐ」
午前8時10分、神戸造船所で船の組み立て作業がスタート。
現場の指揮をとる神戸船海工作部外業課の中村吉宏課長(45)は万感の思いを胸に、
作業員らの安全を願うとともに、進捗(しんちょく)状況を確認した。
同造船所では、工場内で船体の各部をブロック状に製造。
それぞれを船台に運んで組み立てる「メガブロック工法」を採用している。
船台でのブロックの組み立てを指揮する中村課長は「工場の部品が少しずつ減っていくと、最後だと実感がわく」。
これまで35隻の建造を手がけたベテランの表情も、歴史の幕を引く作業に緊張感が漂った。
神戸造船所は明治38年8月、三菱合資会社神戸三菱造船所として発足。戦後の造船ブームで生産が飛躍的に拡大した。
日本の造船史を彩る多くの船が誕生し、「世界初」「日本初」を冠した船が少なくない。
昭和43年には、日本初のコンテナ船「箱根丸」を建造。
46年の当時世界最大出力だった「鎌倉丸」も、時代をリードする画期的なコンテナ船だった。
客船では、平成元年建造の「ふじ丸」が日本初の大型クルーズ客船。翌年には「にっぽん丸」も完成させた。
だが、業界は好不況の波が激しく、かつて4基あった商船用の船台も、
現在は1基。事業の多角化も進み、年間売上高のうち、船舶事業の占める割合は2割を切り、
原子力・原動機事業が7割を超えるまでに経営環境が変わった。
平成20年秋のリーマン・ショックを境に、経営環境が一段と悪化。
オイルショックや阪神大震災の被害を乗り越えた造船所も、商船建造の撤退に追い込まれることになった。
三菱重工業は今後、商船建造の拠点を長崎市と山口県下関市に集約し、神戸造船所は、原子力プラントと潜水艦の事業に特化する。
最後の進水式の予定は来年3月9日。組み立てが始まった自動車運搬船が船台を離れるとき、107年の歴史に幕が降りる。
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