まだこの時代の竹内先生は多くを話されません!!
竹内睦泰講演会 国防1 日本歴史文化研究機構
日本の歴史を知り尽くす竹内先生の記録は天皇家の歴史です。
私たちが学んだ日本の歴史は捏造された真実とかけ離れています。
竹内睦泰講演会 国防2 日本歴史文化研究機構
美しい歴史が無い中華を良く見せるには日本を殺める位がちょうど良い!
そんなレベルで教科書が作られたとしか思えません!!
クリスマスツリーが樅ノ木で祝うのは日本の諏訪大社の御柱の文化の影響!
何故樅ノ木なのかは、神が宿りやすいから・・・また近日中に!!
最近の竹内先生の言葉は日本人よ目を覚ませの
思いがこもってます。秘密を守り抜くはずの言葉を公開されてます。
「国防 現在~未来」 月刊むっちゃん 2018年1月号 ダイジェスト
世界の主要国が日本を敵に回して得する事は何も無い事を十分理解しています。
そんな中でも偏向批判をするメディアの動きが疑わしいのです。
日本を批判するのは日本人にはさせないで帰化人を集めている点ですね・・・
これは真のオーナーがメディアの創業家ではない意味合いでは・・・???
問題は日本人の頭が固くなっている点を、竹内先生が心配されているのでは
これはネットから一部抜粋した文章です!!
*菊池 大麓
菊池 大麓(きくち だいろく、安政2年1月29日(1855年3月17日) – 大正6年(1917年)8月19日)は、
治・大正期の数学者、政治家である。
涯―箕作秋坪・つね夫妻の次男として江戸に生まれ、父の実家・菊池家の養嗣子となった。
・秋坪は箕作阮甫の弟子で蘭学者であり、母・つねは阮甫の三女にあたる。
書調所(東京大学の前身)で英語を学び、1867年(慶応3年)と1870年(明治3年)の2度に渡り英国に留学した。
度目の留学ではケンブリッジ大学で数学と物理学を学び学位を取得、帰国後1877年(明治10年)、
京帝国大学理学部教授となり、近代数学を初めて日本にもたらした。
大学総長、学習院院長、京都帝国大学総長、理化学研究所初代所長等を歴任し、
1902年(明治35年)には男爵を授けられた。
数学者・教育者であるとともに政治的手腕もあったので帝国学士院会員及び同第8代院長、貴族院勅選議員、
文部省専門学務局長、文部次官、文部大臣、枢密顧問官等を歴任した。なお、孫の美濃部亮吉も政治家である。
この「田中舘愛橘」が、広島・長崎の人々を原子爆弾で大量無差別殺戮した「実行犯人」である。
帝国大学いらない。ノーベル賞いらない。岩手県人「新渡戸稲造」も戦争指導者だった。
全国を戦争指導の為に「講演」して歩いていた。講演費を貰いながら。
米内光政がA級戦犯に指定されなかったのは、日本製原子爆弾を日本に使用したからだ。
芸人「北野武」の祖父は、東条英機である、最近「連続殺人犯 永山則夫」の書籍が出た。
著者は元家庭裁判所の人だ、永山則夫は、美智子皇后を母とし、三島由紀夫を胤とすると書いた事への、
美智子皇后の抵抗だろう。「永山則夫」は特別です。美智子皇后もそう云って居たではないですか?
三島由紀夫にそう答えていた。その「永山則夫と北野武」は同じ喫茶店で、
アルバイトをしていたが、二人に接点は無いと書かれていた。そんな馬鹿な事あるか、二人は共犯だろう。
東条英機の孫が殺人を犯さないわけが無い。確信犯だ。岩手県人が出てくると「戦争」だ。
これが日本の歴史なのか?民主党代表 小沢一郎は、岩手県人の血筋だ。
台湾総督府時代に鹿島建設が、コンクリートダムを建設して、会社が巨大化していった中で、
小沢左重喜と鹿島建設が、盟友関係になっていった。
この「鹿島建設」の始まりは、ここ「所沢市」の鹿島一族から出た。
所沢市と鹿島建設、岩手県と所沢市如何して、関係しているのか?
不思議だね。冒頭の「田中舘愛橘」が1945年貴族院会議でも、NHKラヂオ放送でも「マッチ箱型原爆を」を
叫んでいた。
これが、アメリカに投下されて、日本が勝つと吹き込んでおいて、“日本製の原爆製造が成功”すると、
ロスアンゼルスに運ばないで、広島と長崎で地上起爆、爆破させた。
この日本製原爆製造と、「海軍燃料工廠や陸軍燃料工廠」での怪しげな研究と731部隊の人体実験、
これら全ては繋がっている。
山本洋一が云う「佛教と科学」の混同は危険だと云ったら、こんな本が在るのですね
<池内了:物理学と禅:物理学と神>第二、第三の「田中舘愛橘」が居た。
東照寺の「単頭 野村修身」も劣化ウラン弾反対運動かでしたが?この人も「羊頭狗肉」の公案だ。
岩手県と云えば、盛岡市に在る「不来城」が有名です。
この名前の由来は“戦争に出兵したら、再び生還するな”と言う意味である。つまり「死んでこい」である。
ただし、当然の事だが「命令した者は死ない」訳である。この思想が「神風特別攻撃隊:特攻:」の原点で在る。
東条英機や米内光政・原敬・鈴木善幸などの、岩手県出身の軍人・政治家が「この不来思想」を、
日本人全般に利用したのが「軍人勅語」に成った訳である。
今日はココまで!!
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