明治の終わりに広島の山奥で義母は産まれた まだ電気も通っていない時代である
夫が住んでいる所から車で1時間半位だろうか 今でも家がまばらに点在する小さな村である
夏に子供達を連れて 義母の妹の家をよく訪ねた 裏山から湧き水をひいて使っていたが
冷たくて本当に美味しい水だったことを覚えている その叔母も叔父も今はもういない
小さな家はそのまま残っているよと夫から聞いた
義母の上に兄 そして義母 弟 妹3人 山奥の小さな家での生活はどうであったのか 父親はどのようにして家族を養っていたのかさだかではないが豊かな生活とはとうてい思えない
父親が時々家に帰ってこないことがあり 母親が泣いていたことがあったが 子供なので外で遊ぶのが楽しかったと
話してくれた 学校に行って勉強したという事は聞いた事がない 私が結婚した時の義母は字が読めなかった
日記のように辛い胸の内を紙に書き残していたがカタカナが並びそれでも判読できない箇所が多くあった
ある日 父親が家を出て行って長い間帰ってこなかった 他に女性がいたらしい
母親の両親が怒って 母親を連れ戻しに来て連れて帰ってしまった 残されたのは子供達だけになった
なぜそんな事になったのか 夫が新しい嫁を連れて帰ってくると聞いたのか 嫉妬による腹いせなのかよく分からない
私は話を聞きながらなぜ子供を残していけたのか 母親なら絶対そんな事は出来ないはずと 腹立たしく義母に言った
一番下の妹はまだ生後3ヶ月か4ヶ月位の乳飲み子だった 長女である義母が面倒を見なければいけなくなった
母の苦労の人性の始まりであった
夫が住んでいる所から車で1時間半位だろうか 今でも家がまばらに点在する小さな村である
夏に子供達を連れて 義母の妹の家をよく訪ねた 裏山から湧き水をひいて使っていたが
冷たくて本当に美味しい水だったことを覚えている その叔母も叔父も今はもういない
小さな家はそのまま残っているよと夫から聞いた
義母の上に兄 そして義母 弟 妹3人 山奥の小さな家での生活はどうであったのか 父親はどのようにして家族を養っていたのかさだかではないが豊かな生活とはとうてい思えない
父親が時々家に帰ってこないことがあり 母親が泣いていたことがあったが 子供なので外で遊ぶのが楽しかったと
話してくれた 学校に行って勉強したという事は聞いた事がない 私が結婚した時の義母は字が読めなかった
日記のように辛い胸の内を紙に書き残していたがカタカナが並びそれでも判読できない箇所が多くあった
ある日 父親が家を出て行って長い間帰ってこなかった 他に女性がいたらしい
母親の両親が怒って 母親を連れ戻しに来て連れて帰ってしまった 残されたのは子供達だけになった
なぜそんな事になったのか 夫が新しい嫁を連れて帰ってくると聞いたのか 嫉妬による腹いせなのかよく分からない
私は話を聞きながらなぜ子供を残していけたのか 母親なら絶対そんな事は出来ないはずと 腹立たしく義母に言った
一番下の妹はまだ生後3ヶ月か4ヶ月位の乳飲み子だった 長女である義母が面倒を見なければいけなくなった
母の苦労の人性の始まりであった
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