峠★光キリスト教会

横浜から広島県廿日市市へ引越しして 新しく教会を開拓しました
山岳地帯 自然一杯の峠にこの地で初めての教会です

義母の思い出

2011-07-30 22:03:47 | Weblog
 孫のみゆが毎日 夜8時に必ず電話をくれる 一日も休まないで一年間続いている
もうかけなくてもいいよと言ったら バーバが一人でいるので寂しいからかけるよ
身体に気をつけてね 風邪をひかないでね 100歳まで生きてねと言ってくれる
孫から愛情を与えられる私は本当に幸せだと思う                                                                                                                                                      明日の礼拝の準備を終えてこの時間少しホッとしている

光の方へと言う題名の映画が上映されている あらすじを読んで観に行きたいと思ったが
なかなか時間がとれない 親から愛を受けないで育った兄弟が小さな弟の面倒をみるが
小さな弟が死んでしまった 心に傷を負った兄と弟がその後どのように生き大人になったのか・・・ 観にいこうと思っている

義母は小さな妹を死なせた事がどんなにショックであったのだろうか それからしばらくして遠い親戚が話し合って
子供達をそれぞれ養子に出す事になった 義母は12歳で奉公に行く事になった テレビ小説のおしんでは両親の愛情を
受けながら貧しさのゆえに奉公に出されるおしんに涙したが 義母の為に泣く親もいない どんなに心細く辛かったであろうか
義母は17歳になるまで 奉公先で働いた その時のことを余り話してはくれなかった 12歳である 辛いわけが無いと思うのだが
その後の人生が厳しく 苦労の連続であったがゆえに奉公先での苦労はそんなに辛い思い出として残らなかったのかもしれない
ある人の世話で結婚の話があった 義母本人の意思とは関係なく話はさっさと決まり結婚式の日取りまで決められた
せめてお見会いでも・・とは私の思いだが 義母はその時代はそれが当たり前のことであり 結婚式で初めて会いそれでも話をするでもなく
顔もまともに見られなかったと言った 今では考えられない結婚である   
夫になる人(義父)は他の村から子供のいない家に赤ちゃんの時養子にもらわれ大切に育てられた人であった
義母が花嫁になったのは17歳であった 結婚式の時始めてあった夫になる人の横顔をみて男前 今で言うハンサムだなと思ったと
その時だけ嬉しそうに話してくれた





 

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