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メモリー&ダイアリー

団塊世代の昨日と今日の出来事

メーカーの談合

2006年07月31日 | 仕事一途
 公共工事の談合では、主に元請業者に問題があるとされる。
 しかし、その下に位置するメーカーにも談合体質は根付いている。

 土木コンサルタントが受けた、ある公共仕事の中に、土木工事では出来なくて、建築工事としなければならない部分があった。
 そして、その建築工事の設計が、私のところへ回って来た。
 基本的な計画は既に固めてあり、発注出来る図面にすることが私の仕事であった。

 その中に、門型のコンクリート製品があった。幅3m、高さ3m、奥行き1.5mで厚さ18cm程度のもので、これを等間隔に設置して、間にサッシと屋根を取付ける工事である。

 門型コンクリート製品は、現場打ちの鉄筋コンクリート造に変更しても良かったが、当初の計画を生かすことにした。
 そこで、その門型製品のメーカーを、コンサルタントに確認し、図面作成依頼の手配をした。このような製品は、土木工事では頻繁に使用されるものなのである。
 早速送られて来た図面を、建築工事の図面に作成し直した。土木と建築では、図面の表現方法等が、かなり違っている。私なりの図面にもしたかった。

 図面が出来ると、工事費を算定しなくてはならない。
 工場製品等は、3社以上のメーカーの見積を比較して、一番低い金額を採用することになる。
 よって、図面作成を手伝って貰ったメーカーを含め、3社に図面を送付して見積を依頼した。前以って、各社の営業担当には、その旨の電話はしておいた。

 4、5日後、1社から封書が届いた。図面作成のメーカーからのものだった。
 3社の見積書が同封してあった。要はこのメーカーが取りまとめたということだ。

 私は、何も言ってはいない。他の2社は、図面作成を手伝ったであろうメーカーを探したのだ。そして、談合したということだ。いつも、そうしているに違いない。
 見積書の金額もそのようになっている。内訳の項目も同じ、金額の多少も一律になっている。
 誰が見たって、一目で分かるようなものを、何故作るのだろう。
 どうせ関係者は、誰もが知っているよ、とでも言いたそうである。

 汚水処理施設工事の談合では、「汗をかいた業者」が、有利な条件で落札したと報道されていた。
 あれと構図は、全く同じである。

 建築でも土木でも、設計者が安易に相見積に頼ってしまうという風潮がある。
 設計者は、特殊な技術や工法等において、メーカーに依存しなければ何も出来ないという矛盾も抱えている。

 公共工事の発注システムそのものに問題がありそうである。 

設計ミス:その5

2006年07月27日 | 仕事一途
 14、5年前、2人で建築設計の会社を設立した。
 我々は、その1期目に大きなミスを犯してしまった。

 それは、新興マンション販売事業者の初めての事業で起こった。相方の知合いの事業者であり、彼が担当していた。
 事業主と同様に、我々にとっても、設計から手掛けた最初の物件だった。

 彼は、まず、与えられた敷地の“公図”を元に分譲マンションを計画した。建物の床面積が、法定容積率一杯まで取れることが、最優先条件である。
 そして、計画を検討して、住戸数、住戸配置、各住戸の間取りが固まってくる。
 もちろん、建物の規模、形を大きく規制する高さ制限、日影等の法規制をクリヤすることも、大切なことである。
 
 事業主側で事業収支が検討され、事業にGOサインが出た。そして、最短のスケジュールが組まれる。経費は出来るだけ抑えるにこしたことはない。

 建築確認を申請している間に、実施設計が終わる。次に入札があって施工業者が決まる。
 建築確認が下りるのを待っていたかのように工事が始まった。

 まず、建物の配置を確認するために、縄張りをする。前以って、敷地の測量が行われた。
 この時、建物が図面通りに配置出来ないこと、日影規制に抵触すること、駐車装置の設置に無理があることが分かった。
 
 地形の定かでない“公図”に頼ったためのミスだった。目分量で、高低差や敷地内の小山の位置を推測してしまったのだ。
 事業推進が決定された段階で、事業主に測量してくれるよう頼めば良かったのだ。双方が前ばかりを見た結果だった。

 施工業者が設計変更の提案を持って来たが、従う訳には行かない。今後の工事監理に支障が生じる。
 役所と折衝して、法規的なことは何とかクリヤ出来る見通しだけは付いたが、我々のミスは大きい。
 それ以降の設計変更、工事監理の業務からは、はずされることになった。

 2、3年して、彼から、その後の経緯を聞かされた。
 日影規制をクリヤするために、かなりの大きさの隣接地を買い増す必要が生じた。その土地の所有は、結果として一時的で済んだのだが、事業主の社内では、責任の所在を巡って、大問題になったそうである。土地代の差額や追加工事費等で相当な出費を強いてもいた。

 その後、事業主との付き合いは続いたが、一緒に仕事をしたことは一度もなかった。

 数年後、その事業主は株式上場を果たした。今では、大きな物件も手掛ける地元の業界最大手企業になった。
 我々の後を引き継いだ設計事務所は、その事業主の多くの物件に携わった。

 この過ちは、結果的に我々の会社が瓦解する一因になってしまった。

製図板がなくなる

2006年07月22日 | 仕事一途
 世の中が、アナログからデジタルへ大きく変わったように、図面を引く手段も、全く様変わりした。

 大学の設計課題はT定規で書いていたように思う。製図室はあったようだが定かでない。授業としての設計製図には、重きを置いていなかったようだ。

 最初の設計事務所の製図板は、平行定規であった。T定規を進化させたものだ。T定規から平行定規に移行して、余り年月が経っていなかったのではないかと思う。
 水平線は平行定規で、垂線や斜線は三角の勾配定規で引く。T定規よりは格段に扱い易いし、精度も良い。
 1人の所員が、アーム式のドラフターを使っていたのが目を引いた。
 とにかく、製図台には感心した。町の鉄工所に作らせたようなもので、鉄筋で作られていたが、ちゃんと勾配を付けることが出来た。ゴムの摩擦で任意の位置にセット出来るのだ。高さは、ブロックや木片を下に置いて調節した。灰皿を取り付けられるようにもなっていた。
 事務所は、当地では老舗と言って良かったが、十分に年輪を感じさせるものだった。

 11年を経て、次の事務所では、トラック式のドラフターを使った。やはり、慣れてしまえば、平行定規の敵ではない。便利だし、能率も上がった。

 自営になって、ドラフター、製図板、製図台、それに椅子とランプの一式を買った。初めて自前で揃えた訳であるが、20万円余り掛かった。バイト用に必要だったりして、最終的には3セットになった。

 4年余り経って、2人で会社を起こした時に、CADを利用することにした。
 CADソフトの他に、パソコン、モニター、机等を2セット、それにプリンターとA1版のプロッター各1台で、何と900万円を超えるリース契約を結んだ。
 住宅設計を基にしたようなソフトで、使いにくかった。私は、それから7年もの間、パソコンは専ら、事業収支を打ち出すのに用いただけで、相変わらず、ドラフターから離れられなかった。

 パソコンに恨まれるような7年が過ぎ、1人になって初めて、パソコン化出来た。
 パソコン、モニター、A2版のプリンターで60万円余りを支出した。
 JW-CADというフリーソフトが、ドラフター感覚で使えて気に入った。今度は、製図板が物置になってしまった。そうなると、ドラフターは邪魔物扱いだ。

 何度かの引越しで、その製図板ともお別れした。油圧式の製図台が重たかったが、それからも解放された。

 今は何時でも、何処でも仕事が出来る。
 いつも縛られているようで辛いこともあるが。

日影規制と付合う

2006年07月21日 | 仕事一途
 大学の法規の講義で印象深かったのは、容積制への移行期に当たっていたということだった。
 学生だから詳しいことは理解出来なかったが、建物を計画する上での、画期的な制度であると教わったことを記憶している。
 1970年の大改正である。容積制や防災面で、今に至る法規制の基礎が確立されたものであると思っている。
 実際の施行は2年後だったと思うが、留年中でよく分からない。
 事務所に入った時、所員が、排煙設備や非常用進入口等で右往左往していたことを思い出す。

 入所後三年余りして、日影規制が施行された。
 この時、私立大学の5階建ての校舎を設計していた。もちろん、何とか日影図も書いて建築確認を申請した。
 建築基準法に適合していれば、建築確認を下ろさねばならない21日目に、確認出来ないと、役所が言って来た。他にも指摘事項はあったが、一番の問題は、日影だった。
 大学の敷地は、高低差60m余りの山の斜面にあって、10数棟の校舎がその斜面に点在している。
 このような場合、どのように適用するかということを、法は教えてくれない。建物の接する地面に高低差がある場合は、平均地盤面を算定し、それを基に日影規制するとあるだけだ。

 役所は、当該1棟の日影図だけでは建築確認出来ないと言う。建築許可申請が必要であるとも言ったが、具体的な指示がある訳でもない。いきなり、難しい事例に遭遇して、役所も考えあぐねていたのだ。

 私も困ったが、とにかくやらねばならない。
 大学の土木科の教授に、測量実習で作成したであろうキャンパスの測量図を頂けないかと頼んでみたが、言を左右にして出してくれない。敷地の高さが欲しかったのだが、ないものは仕方ない。過去の確認図書を引っ張り出して、建物の高さと地盤を比べながら、目分量で推測した。これが、意外と正確だったのには、正直驚いた。しかし、役所に話せることでは全くない。

 500分の1の敷地図に各建物の配置とその日影図を書いて、役所に持って行った。
 全体の平均地盤面を基にすると、地面に潜る建物もあるし、2、3倍の高さになる建物もあって現実的ではない。各棟のその地盤における日影を考慮することが実際的である。そして、各建物のその地盤における日影は規制内に納まっている。よって、建築確認の審査だけで済ませることが出来るのではないか。
 これが、私の主張であった。

 しかし、役所は、法の適用はあくまで全体の敷地を一つの地盤面とした上で考慮すると言う。
 2、3倍の高さになる建物の日影が規制内に納まらないので、敷地全体が日影規制の既存不適格となるであろう。ただし、個々の建物をその地盤面で考えれば規制内であるから、建築許可を申請しても建築審査会の同意は得られるだろうということだった。
 申請から工事、そして完成後以降も紆余曲折があって、感慨深い建物となった。

 それ以後、毎年のように、その大学の4、5棟の建物の設計に携わったが、いつも建築許可申請が先行した。速成した500分の1の日影図が、随分と役立った。

 日影規制については、最初から難問にぶつかって、ある種、私の得意分野になった。
 バイトで日影図の作成を頼まれたこともある。どの程度の建物が可能であるか、検討を任されたこともある。

 計算機片手に日影図を書いていた時代が懐かしい。

設計ミス:その4

2006年07月19日 | 仕事一途
 長らく仕事をして来て、一度だけ、「検査済証」が降りなかったことがある。
 今だから言えることであり、忘れてしまいたいことである。

 法律違反を承知で工事をして、検査を受けない建物があるということを聞いたことはあるが、この場合はそうではない。

 建物は地元私立大学のある学科の実験・講義・研究棟であった。
 1~3階には実験室・講義室、4階と5階には研究室が配されていた。用途上、床面積は、下3層は大きく、上の2層は小さかった。
 屋内階段は別にあったが、5階と3階の屋上を結ぶ屋外階段を設けていた。詳しく覚えてはいないが、法規上は、不要な階段ではなかったはずだ。

 竣工検査で、この屋外階段が問題となった。屋外階段は回り(円形)階段だった。
 「避難階段である屋外階段が、近くの窓から2m以上離れていない」ということが法規違反になると指摘された。数値的には僅かな距離であった。
 結果はそうであったとしても、原因が何であったのか、記憶が確かでない。
 考えられることは3点。
  ・部分的な階段であり、避難階段ではないと判断した。
  ・階段幅を考慮して、2m以内にある部分は階段ではないと考えた。
  ・建築確認申請時の図面が明確でなかった。

 役所の担当者は譲らない。余談だが、この担当者は同年だった。 
 違反状態を是正しない限り、「検査済証」は降りそうにない。 
 是正するには、窓を塞いで壁にしなければならない。窓を塞げば、困る室が出て来る。

 私も若かった。今なら、階段に部分的に壁を付ければ良いと気が付くが。
 そのまま、手を拱いてしまった。建物は、年度計画に従って、使用されていたことにもよる。2年程、そのままになっていた。

 役所の担当者から、「移動になるから、あれを片付けておきたい」との連絡があった。

 例の窓のガラスを網入りガラスに替えて、「検査済証」を貰った。

 この建物を設計した年に、折悪しく(?)、日影規制が施行された。
 早速、適用されることになったが、これが一筋縄では行かなかった。
 
 大学のキャンパスは、山の斜面にあって、校舎が点在している。
 法規をそのまま適用すると、地に潜る建物もあるが、2、3倍もの高さになる建物も出て来る。それで建築許可を取るようにと指示された。
 前後してしまったが、建築確認申請提出の後から、建築許可申請を提出した。建築許可を得るには、建築審査会の同意も必要である。手続きに2ヶ月半余分に掛かった。
 年度始めには竣工する必要がある。それで事前着工せざるを得なかった。

 最初から最後まで、法令違反をしてしまったことになる。

 初めに躓くと、後々まで祟ってしまうという例である。

設計ミス:その3

2006年07月18日 | 仕事一途
 建築基準法及び関連法令は、政策のみならず、地震や火事等に対する防災対策の要請からも改正される。
 防災対策を主眼におけば、改正は厳しい方向に行く。
 最近の政策は、経済活動を活発化するために、種々の規定を緩和する方向で進めている。
 相反するが、大概、規定は別々だから頻繁に改正される。

 改正は度々行われ、見過ごすと折角の緩和も有効に機能させ得ないことになる。
 以下は、縁浅からざる知合いの失敗例である。4、5年前のことだ。

 彼は、70戸余りの分譲マンションを設計監理していた。
 私は、住宅性能評価員として、そのマンションの性能を検査する立場にいた。

 マンション事業者は、「住宅の品質確保の促進等に関する法律(品確法)」に基く住宅性能表示制度を活用して、種々の性能を担保したマンションをユーザーに提供しようとしていた。販売に有利だと考えたのである。
 性能を担保するためには、指定住宅性能評価機関の検査を受ける必要があり、私はその評価機関に属する検査員、すなわち住宅性能評価員であったのだ。
 建築基準法の規定を満足していることが、検査の必要条件であるが、全てが評価対象ではない。建築基準法は建物を成立させ得る最低基準を定めたものであり、住宅性能表示制度は住居としてのより高い性能を求めようとするものだからである。

 現場の検査には、5回行った。施工途中が4回、それと竣工時である。

 最後の検査を終え、煩雑な書類の整理のために、日を改めて現場に行った。
 検査の対象ではないが、設計者の立場で見て、気になることがあったので、施工業者の担当に尋ねた。

 気になることとは、次のようことであった。
 廊下側の部屋の窓は出窓で、その出窓の下を、空調機の室外機置場にしている。
 しかし、その空間には高さがない。とても室外機が納まるような高さではないのだ。
 原因は、窓が大き過ぎるということである。
 建築基準法は、窓の大きさは、部屋の面積の7分の1以上必要であると定めている。
 窓は、確かに7分の1に相当する大きさがある。

 だが、この規定も、実は緩和されていたのだ。
 市街地の土地は、狭かったり、3方を囲まれていたりする。そして、マンションを建てようとすると、建築基準法の諸規定が足枷になる場合がある。
 部屋には一定以上の大きさの窓が必要だという規定もその一つである。しかも、「窓は採光上、有効でなければならない」という条件があり、そのため、窓の外部には定められた空間が必要になる。この空間が、なかなか確保出来ないのだ。確保出来ない場合は居室ではなく、《納戸》《衣装部屋》にならざるを得ない。
 この規定の緩和は、「窓と、他の建物や隣地との間の距離によって、その窓の大きさを最大3倍まで拡大して見なすことが出来る」というものだ。
 3倍という数値は、トップライト、すなわち天井に設けた“明り採り”に適用されているものである。随分と思い切った緩和である。小出しにするよりは良いかも知れないが。

 このマンションは郊外にあって、問題の窓の外側は十分に広い。従って、窓の大きさは、取付けられた窓の3分の1であっても適合する。
 それとなく、現場担当者に、「出窓の下に室外機が入らないようだが」と尋ねた。
 以下、現場担当者の回答。
  ・施工図の段階で不都合に気が付き、事業主、設計者を交えて検討した。
  ・検討したが、法令は守らなければならないので、原設計通りにした。
  ・ユーザー検査でも、ユーザーから疑問の声があった。

 私は、聞き置いただけで、何も言わなかった。

 誰も、緩和規定があることに気付かなかったのだ。
 設計者は知合いである。知ってしまうと、ユーザーに言い訳が出来なくなるだろう。
 そして、窓の大きさだけを捕らえれば、大きいことは喜ばしいことであるし、検査自体は合格なのだから。

設計ミス:その2

2006年07月17日 | 仕事一途
 建築基準法の第1条には、
  「この法律は、建築物の敷地、構造、設備、及び用途に関する最低の基準を定めて、
   国民の生命、健康及び財産の保護を図り、もって公共の福祉の増進に資すること
   を目的とする。」
と書かれている。

 最低の基準を定めて、その基準以上であることを求めている訳である。
 だから、審査時には、基準に達していなければ、訂正を要求される。
 しかし、「基準を上回っていた場合、基準限度まで修正を求められる」ということは絶対にない。

 私は、一度、法の緩和されている部分をうっかり見落としたために、今でも少し後ろめたい思いをしながら、その建物の前を通っている。

 建物の高さは、敷地が属する用途地域に附随している係数に、敷地に面する道路の幅員を乗じて得られた数値以下とする、という規定がある。
 たとえば、商業地域にあって、前面道路の幅員が20mの場合には、1.5×20=30 で30mが限度となる。(住居系の用途地域の係数は 1.25 である)
 高さ30mは、道路境界線上での限度であり、道路から離れるに従い、1:1.5の勾配で高くすることは許される。これを、道路斜線制限と呼び習わしている。

 中曽根政権以降の制限緩和政策は、建築基準法にも大いに適用され、この場合も緩和規定が追加された。建物を、道路境界線から後退させると、その後退した距離だけ前面道路の幅員が広くなったと見なされ、結果として、より高い建物を建てることが出来るようになった。

 私の失敗は、上記の緩和によるものではない。
 用途地域と容積率によって異なるが、一定の幅員以上の前面道路に面していれば、高さの制限を受けなくても良い場合がある。この規定は、本文ではなく、法の末尾に別表という形で載っている。

 私の担当した敷地は、商業地域にあって、容積率は500%であった。この場合、前面道路の幅員が25m以上あれば、高さの制限規定は受けないで良いことになっていた。
 そして、実際に25mあったのだ。私は、これを全く見落としてしまった。
 商業地域は係数1.5、高さは係数×道路幅員。これしか、頭になかった。だから、高さ制限を考慮して設計していた。

 竣工間際になり、その分譲マンションを見上げて、惜しいなと思った。最上階のバルコニーに庇がないのだ。手摺もコンクリートの壁ではなく、その階だけ、そして13階であるにも拘らず、金属製の手摺になっている。高さ制限を考慮したためだ。

 そう思った時、気付いた。道路の幅員が25mあったと。

 もう遅い。せめて、コンクリートを打つ前に気が付いておれば、庇を付けることが出来たのに。
 救いは、最上階とその下階はメゾネット形式になっており、下階のバルコニーには、ちゃんと庇があるということだ。

 今、図面を見ると、当然ではあるが、断面図に道路斜線制限が記入してある。
 審査した担当者は、不要であると気付いたに違いないのに、何も言ってくれなかった。

 私も、まだ、誰にも言っていない。

設計ミス:その1

2006年07月16日 | 仕事一途
 建物の設計に、ミスは避け難い。

 ここで設計ミスとは、結果として現れる建物の竣工後の状態でのことを言う。施工のミスも、監理が疎かになったということでは設計ミスである。

 ミスも様々である。法規、性能、機能、デザイン等々についてミスが発生し、その原因と対処の方法も違う。

 まず、法規上のミス、すなわち法令不適合について書く。

 建物を建てる場合、最初に建築基準法、各種構造設計基準、消防法等の関係法令に則って図面を作成する。
 次に、特定行政庁または指定確認検査機関に「建築確認申請書」を提出する。
 審査の結果、関係法令に適合していれば、その証である「建築確認済証」の交付を受けて工事に着手出来る。
 不適合であれば、訂正や追加資料が必要となる。訂正なしで確認されることは、まずあり得ない。建築基準法令は難しい。ケアレスミスもある。
 建物が竣工すると、完了検査を受けることになる。
 工事内容によっては、中間検査を受ける必要がある。
 完了検査で、法令に適合していることが確認出来ると、「検査済証」が交付され、晴れて建物の使用が可能となる。

 完了検査は、「建築確認申請書」との照合だけではなく、再度、関係法令に適合しているかどうかが判定される。「建築確認申請書」に全てが記載されている訳ではないからである。 
 完了検査において、法令に適合していない箇所があれば、是正しなければならない。

 この場合、建築確認を受けた「建築確認申請書」の通りに施工していても、不適合であると判定されれば、是正する必要がある。あくまでも法令が優先する。
 これが、特定行政庁のスタンスである。審査ミスは避けられないということだろう。
 そして、それは建築設計に携わる我々の認識でもある。

 この度の特定行政庁による“耐震偽装”見逃しの問題を当て嵌めるには、ことが大き過ぎて是非の判断に戸惑うが、責任を取ったという話を聞かないのは、審査ミスはあっても法令には従えということではないかと思う。
 しかし、常識的には見逃すようなことではない。実務能力、経験が不足していたのだ。
 肩を持つ訳ではないが、一方で民間の指定確認検査機関の担当者だけが責任を問われたのは、何か解せない思いがする。

 それだけに、法規上のミスだけに拘らず、設計者の責任は重たい。
 しかし、ミスが大きくなればなるほど、責任の全てを負う経済的な能力がない。

 設計上の瑕疵を補償してくれる保険はある。私も、かって一度、加入したことがある。どこまで担保してくれるか等については詳しくない。
 全体として、保険加入状況はお寒い状態ではなかろうか。

 “耐震偽装”は、改めて考え直す機会を提供してくれたと思う。

談合業者との関わり

2006年07月15日 | 仕事一途
 話は四半世紀も前、役所の仕事をしていた折のことである。

 設計図面が大体出来ると、積算に入ることになる。各工事の数量を拾い出し、価格を入れて、入札のための予定工事費を見積もらなければならない。

 この段階で、落札予定業者が判明していて、積算をその業者に頼んだのだ。

 役所の次年度予算が決まると同時に、事業とおおよその工事費が分かることになる。
 業界団体は、それを元にすれば、年度初めには、各事業に担当業者を割り当てることが出来る。

 設計事務所はそれを利用する訳である。
 業者に積算を頼めば、事務所にとっては、積算の経費を浮かすことが出来るという現実的なメリットがある。

 落札予定業者は、いずれにしても、遅かれ早かれ、詳細な積算をしなければならないのだ。早めに予定金額を知ることが出来る利点がある。
 数量はごまかせないにしても、メーカーの見積等で少しの水増しは出来るだろう。

 お互いに損なことではないのである。
 この程度の関わりは、まだ浅い付合いだったと言えるのではないだろうか。

 入札の前に、役所の担当者から、その工事の施行業者名を尋ねられた。
 役所の方もおよそのことは分かっているのだ。

 古き良き時代の一コマである。

 今も変わらないかも知れない。

設計事務所の談合

2006年07月14日 | 仕事一途
 土木建築業界は談合の温床のように言われる。
 毎年のようにニュースになる。

 悪しき慣行だと分かっていても、摘発されるまで談合する。
 摘発されても、形を変えて談合を続ける。

 世間はそのように見ているし、業界は時には開き直ってもいる。
 
 JR、JT、NTTは、かっての三公社が効率経営を目的に民営化されたものである。
 道路公団も民営化された。
 郵政も、「民間で出来ることは民間で」のスローガンの元で民営化が進行中である。
 大義名分は尤もであるが、裏面では様々な業界の強い要望でもあったろうと思う。民間企業であれば、効率経営に徹するから、発注に際して厳しくなると言う。しかし、たとえば、旅客鉄道業界が徹底した運賃競争をしているだろうか。否であろう。
 何はさておき、民間企業の発注であれば、談合の罪に問われることはないのだから。

 一見、クリーンなイメージで見られる設計事務所でも、談合はしていた。摘発されたということも聞かないから、現在でも続いているかも知れない。
 役所発注の仕事から離れて10数年にもなるから、判然とはしないが。

 設計事務所に勤めていた折も、役所の営業には関わっていなかったから、談合の実態には詳しくないが、概略、次のようであると聞いた。

 役所の設計業務を受注している事務所が集まって、大きな設計業務受注の受皿を名分に、一つの受注組織を設立し、法人化していた。
 その法人組織が、各事務所の受注実績を管理する。
 役所の業務発注の際には、指名された各事務所の実績を比較して、実績の低い事務所を受注事務所に決める。

 それだけのことだが、立派な談合である。

 一度、思わぬことで、その場に立ち会ったことがある。

 辞めたばかりの事務所から、設計業務委託の現場説明に行ってくれと頼まれた。現場説明と言っても、実際に現場に行く訳ではない。机上で設計条件を説明するだけだ。
 社員旅行の日程と重なり、現場説明に行くことが出来ない。それに受注の番には当たっていないから、話を聞いてくれるだけで良いと言うことだった。
 
 各事務所の担当が現場説明を聞きに行く。その後、喫茶店に集まる。受注事務所が決まったら連絡するから、という話を聞いて帰る。
 それで、後日、日当を貰った。
 皮肉なことに、その設計業務の物件は、県警の小規模な派出所だった。

 もう一つ、最初に勤めた事務所でのことである。
 事務所の売上不振で、暮の賞与が非常に少ないことがあった。その時、所長が、「賞与を出すために、ある物件の設計業務を譲ってくれるように頼んだが、断られた」と涙ながらに言って、所員に詫びたことがあったのだ。
 所員に我慢させても、事務所業界をリードしているという自負から、業界組織の秩序を乱すことは出来なかったようだ。

 職能の確立を願って奔走した人だったが、設計事務所と言えども、経済社会に翻弄されざるを得ないのが現実だった。

都庁に通う

2006年07月13日 | 仕事一途
 あのバブルの時代を振り返ってみて、苦笑いすることがある。
 いくら技術系の人間とは言え、私は、バブルという異常事態を、経済的側面から全く理解していなかったのだ。ただ、忙しかったということで通り過ごしてしまった。

 2度目に勤めていた設計事務所を、先々の何の当てもなく辞めてしまったのも、バブルに一因があった。辞めようと決意する前の2ヶ月の間、日付けが替わって2、3時まで仕事をした。残業時間の方が長い。1日の4分の3を事務所で費やしたことになる。

 最初の事務所に11年、次の事務所に3年半勤めて、結果的に独立したことになってしまった。

 3番目の子の保育園の送迎に明け暮れていた時、最初の事務所から声が掛かった。
 都庁の仕事を手伝ってくれないかということだった。
 大手事務所が受注した都営住宅の標準設計見直しの業務を、遥か遠くにある地方の事務所が下請けしたのだ。

 最も頻繁に打合せを要する段階では、週に一度、都庁に出向いた。それが2ヶ月余りも続いた。
 受託側は、意匠担当の私、元上司の構造担当、それに電気設備と機械設備の担当の計4人に、現地で合流する元請事務所の担当者1人を加えて5人である。
 委託先の都庁からは5、6人が打合せに出て来られた。

 打合せの前日、夜行の寝台車に乗ると、当日早朝に東京駅に着く。
 その当時、都庁舎は丸の内にあった。駅からは歩いて行けた。
 朝一番から始めて、新幹線最終列車の発車30分前まで、時計とにらめっこをしながら、打合せをする。
 慌しく都庁を出ると、走るようにして駅に行き、新幹線に飛び乗る。
 そして、真夜中に家路に着く。

 翌日から、各々が宿題を検討して、次の打合せに備える。

 この繰り返しであった。

 その頃、スリーエス切符というのがあって、それを利用した。
 行きはB寝台、帰りは新幹線のグリーン車だった。
 寝台車は2段だったが、比べる対象が分からない。
 グリーン車は仕事疲れには良かった。満員だった。2度もおしぼりが出た。300円の冷凍アイスクリームのあの硬さも忘れられない。

 1年近くを、この仕事で埋めた後、元請から直接、次の仕事を貰った。
 都営住宅の標準設計に、エレベーターと身障者用の部屋を付加する業務だった。
 半年余り、また都庁に通うことになった。

 消費税制度が施行になった影響か、新幹線と飛行機の料金差が小さくなり、家内が飛行機を手配してくれたことがあった。
 一度乗ると、飛行機を止められなくなった。
 前日に出なくても良かったし、時間的にも半減以上の効果があった。

 バブル時代の私の思い出である。

 ただ、その翌々年に新築なった新宿の新都庁舎には、未だに行ったことがない。

建築課職員と話す

2006年07月06日 | 仕事一途
 一昨日、区役所建築課の担当者から電話があった。
 先日、提出した書類に訂正が必要だと言う。10箇所程度の指摘事項を並べ立てられた。メモは取らないで聞いた。詳細は、行けば分かる。しかし、完璧だったはずなのにと、少し落ち込んだ。

 その中で1点、気になる事項があった。法律の適用を間違っていたらしい。法規の本で確認すると、「目から鱗」であった。私の全くの思い違いであった。
 以前の改正に、私が追いついて行っていなかったのだ。苦笑いである。

 建築基準法は、技術関係法規だから難しいと言われている。確かに難しいが、仕事をするからには、この法律を避けて通る訳にも行かず、日々、新たな発見をしながら悪戦苦闘している。

 図面を1枚書き直して、昨日午後、区役所建築課へ行った。

 担当者に話を聞いて、訂正と追加事項の書込みをした。訂正印を押し、担当者に確認して貰って終わった。

 これで一定の日数を経れば、建築確認の申請を受付けてくれる。
 担当者が聞いて来た。「確認申請はどこへ出されますか?」
 民間指定機関へ申請する積りだったが、「そこまではまだ、考えていないのですが」と答えておいた。

 それから、雑談になった。役所では珍しいことだ。

 現在、区役所への申請が増えて忙しくなったと言う。民間機関に信を置けず、役所が見直されているということだ。耐震偽装事件の影響である。

 耐震偽装では、区役所も大変だったとのこと。
 過去の建築確認の構造計算書の全数を引っ張り出して、再検討したのだそうだ。保管期間は5年間であるし、民間機関と分け合った時期だったとしても、総数がどの位であったか想像も付かないが、余分な仕事であったことは確かだ。
 疑わしき事例は、1件もなかったようで、そのことは、設計に携わる我々にとっても喜ばしいことだ。

 構造計算が、計算尺から、ソフトを利用したコンピュータに移行し始めたのが、20数年前である。
 その頃、市役所に、T氏という、構造の審査に大変厳しい人がいた。
 私は構造に詳しくないから、ただ傍観していただけだが、彼は大きな声で、構造設計者を叱正していた。事務所間でも有名だった。だから、構造設計者は十分留意して設計に当たったのだ。
 このことを、目の前の若い担当者に話すと、彼も知っていた。2、3年前に退職されたそうだ。
 市の職員も、課長級で退職出来れば良い方であろうが、T氏は、地元私大出ながら、部長まで昇進したはずだ。

 このような土壌がある地もあるのだ。一律に建築士を悪と見ないで欲しい。

 耐震偽装が問題になった折、分譲マンションのデベロッパーの求めに応じて、かって担当した物件の構造計算書を持って行った。
 そこでも、事業担当者にこの話をしておいた。少しは安心してくれたものと思う。

 意図して耐震偽装するような奴は、あの彼1人であると信じたい。

建物が解体された

2006年06月30日 | 仕事一途
 昨年の夏、私にとって、骨身を削られるような悲しいことがあった。
 建築設計を業として、最初に設計した建物が解体されたのだ。
 時代の要請に追いつかなくなり、仕方なかったのだろうが。

 設計事務所に入って1年半は、実務はまだ無理だからと、手伝いをさせられた。

 当市で始めて採用した総合設計制度による学校跡地の商業施設と分譲マンションの建設計画、球場前のオフィスビル、駅裏のマンション、それに県東部の駅前商業ビル。

 思い起こすと、それぞれが懐かしい。第一次オイルショック前で仕事は多かった。

 さて、初めての担当物件は、大手学習出版社の支社社屋。

 本社は東京である。打合せが東京であった。
 その時、私は26歳にして初めて、東京に行った。大阪へは5歳の折に行ったのに。
 
 学生時代を含めて、それまでに県外に出たことは、就学旅行や社員旅行を除けば、全くなかったと言って良い。他で覚えているのは個人的に隣県に出かけただけだ。
 自慢にもならないが、受験でも出なかったし、大阪万博にも行かなかったのだ。

 打合せには、所長の息子と2人で行った。済ませてから、新宿を歩いた。あの当時、いくつの超高層ビルが建っていたのか覚えていないが、例の安田火災海上のスカートビルに入って、コーヒーを飲んだことは思い出せる。

 建築場所は駅裏であった。駅裏といっても、500m余りの距離がある。
 戦前は陸軍駐屯地、戦後は開拓農地。駅近くの一等地だから、30年を経過した当時は、農地等は無かったに等しい。それからまた、30年を経た現在の町並みには、正直驚かされる。あの一帯は、もはや駅裏ではなく、新幹線口前が正解だ。
 
 建物は小規模な3階建て。1階は玄関、駐車場と倉庫、2階は事務室、3階は支社長の住まいであった。
 基本計画は所長の息子であり、実施図面を書く私に、あれこれとうるさい。

 工事監理も担当した。監理専門の年配の所員もいたが、勉強の意味もあって、2人で行った。施工図チェック等の細かいことは、当然、私が見ることになる。
 同時に、県営の高層住宅の設計も進行していた。忙しかった。
 そのことを言い訳にすると、それで一級建築士の試験に落ちた。その年が最初の挑戦で学科は受かったのに、設計製図がだめだったのだ。意匠屋の面目丸潰れだ。
 この経緯は追々に記す。

 施工業者は入札で決まった。施主の意向でもあったろう。
 当時、当市に進出して来たばかりで、どうしても仕事の欲しかった業者が、相当に低い価格で落札した。
 事務所にこの仕事を持って来てくれた業者、駅裏を牛耳っていた大手業者の顔が潰れた。潰したのは、その落札業者を指名業者に入れた我が事務所である。
 それは所長の考え方であった。戦後、満州から引き揚げて来て、当市で設計事務所を開設した大御所で、理想主義者だった。その折、建設省、建設業界と設計業界とで、職能について綱引きをしていたはずだが、私は余り詳しくない。
 事務所として、入札に筋を通した訳だが、仕事を仲介してくれた業者が喜ぶはずもない。それ以後、その業者は事務所に、全く出入りしなくなった。

 そんな思い出の詰まった建物であったから、消えてしまったのは非常に寂しい。

 救いは、そのすぐ近くに、それも私が担当した県立の教育センターが、随分と大きくなった樹々の中に、堂々と建っていることだ。

 自分がこの世にいなくなっても、設計した建物は残ると自負することで頑張ってきたのに、こんな具合に、いずれはどの建物も無くなるのだ。

区役所へ行く

2006年06月29日 | 仕事一途
 梅雨も一休みの今日は、もう夏のようなの暑さで、その暑い最中に区役所へ行った。

 建築確認申請の前段階の書類提出のためだ。提出は、条例と指導要綱で義務付けられている。
 これを提出して、20日を経過しないと確認申請も受付けてくれない。
 条例はともかくとして、要綱には絶対的に従う必要は無いはずではある。しかし、市役所に逆らって、要綱関係書類の提出を拒否したという話は聞かない。やり合っても時間は掛かるだろうし、後で何かとやりにくくなる。それに、定められているのは、駐車・駐輪台数、ゴミ置場、管理規則等の環境整備が中心であり、協力して当たり前のことだからだ。
 当市のことだったかは確かではないが、一時、マスコミを賑わせた某ビジネスホテルは「要綱だから」と言って無視したという報道があった。全国的にやっていたようだ。よくやると思った。どうせ付けは払わされる。

 まず、発注元に行って書類に押印して貰う。
 それから区役所へ行く。駐車待ちの車が並んでいたが、車を止めるのに時間は掛からなかった。

 所管の建築課は3階にある。
 階段を3階に上がって、ロビーのソファに座り、書類を綴じることにした。
 狭いロビーだが、その中に4、5人掛けの喫煙コーナーがある。ビニールを垂れ下げて、一応仕切ってある。
 作業していたところへ、訪ねて行くところであった担当者が喫煙に来た。にこやかに挨拶しておいた。少し罰が悪そうで、1本を吸い終えると、そそくさと出ていった。

 窓口で、その担当者に提出書類を見せて説明する。

 この度は、まず、完璧に準備した。
 文句の付けようの無いようにしたかった。市役所作成の書類の字句を訂正してやった位だ。少しは見直しただろう、と思う。
 前に提出した書類も一部を差替えて、整合性を持たした。

 努めて明るく振舞って、区役所を後にした。

 “役所と一戦”と意気込んでいたが、少し反省した。
 私はよく反省する。反省することが多くなった。

 人間、歳を経る毎に丸くならなければならない。
 「歳と共に尖がるところは、より尖がる」と言うが、程々にしなければならない。
  
 今日一日は、晴れた空のように気分爽快であった。

近隣説明:後編

2006年06月21日 | 仕事一途
 昨日に続いて。

 分譲マンション用地の所有者であるデベロッパーの本社は、計画地からはかなり遠くにあるので、当然後回しにして、北側の街区に向かう。

 事前調査で、この街区の対象は40台分の駐車場と借家4軒であり、その所有者はお一人だと分かっている。他には学校がある。

 まず、所有者の住まいである大邸宅を訪ねる。恰幅の良い初老の主人に、門扉のところで説明する。「一応聞いた。但し、了解した訳ではない」とおっしゃって終了した。大地主だけあって鷹揚なものだ。条例は、了解を得ることまでは要求していないので、これで良い。

 次は借家回りだ。

 最初の家は、家の中から犬に鳴かれて終わり。留守では仕方ない。

 2軒目では、ブザーを押すよりも早くドアが開いた。隣の犬が知らせたに違いない。小柄で優しそうなお婆さんが出て来られた。一通りの説明に、諦め顔であった。「ここからずーと向こうまで見えたのに」とおっしゃる。時代の流れに抗し切れないもどかしさが、笑みの中に痛いほど分かるが、私にもどうしようも出来ない。

 次の家では、玄関の土間に片足素足のまま、ドアを開けて若い奥さんが顔を見せられたが、私がファイルを開くのと同時にドアは閉まった。何かのセールスと間違えられたようだ。声を掛けたが、2度とドアは開かなかった。

 4軒目は留守だった。入り口の横に水槽が2つ置いてあって、きれいな小魚が気持良さそうに泳いでいた。

 最後は県立の学校である。所有者にといっても、まさか県知事に説明する訳にも行くまい。校門を入って事務室を探す。玄関口から中を覗くと、廊下で2人の女性が声と手話で話をしておられた。ここは「ろう学校」なのだ。話が終わるのを待って声を掛ける。事務室に通されて、事務長と思しき年配の女性と、若くてきれいで大柄な女性事務員に丁寧に説明した。お2人にとって、こういう類のことは始めてで扱いに困惑の様だし、私も少し戸惑った。書類と図面を置いて帰り、何かあれば連絡するということにどうにか落ち着いた。

 計画地の西側の駐車場の持ち主は、600m余り海側のマンションにお住まいである。登記簿で確認したのだ。車で移動する。
 大きな建物でセキュリティは万全だ。室番号を押すと女性の声が聞こえて来た。来訪の用件を伝えると、ポストに入れて置いて欲しいとの返事である。図面一式とメモした名刺を投函して退出した。

 残るはデベロッパー。車でUターンである。出発点を通り過ぎて、まだ2km近く行かねばならない。だから本当は最初に行くべきだったのだ。アポの時間がまずかった。しかし、昼時という時間が良かったようで、計画地周辺をほぼ終えることが出来た。
 社屋に着いて、2階の受付に行く。出て来た事務員が、マンション事業部は市内中心部に引っ越したと言う。
 仕方なく、一応、自分の事務所に戻った。
 取りあえず、あのマンションの担当者に電話すると、図面その他を見たいとのこと。同業だから電話で済むことを期待していたのにがっかりである。
 再び車で、平和大通り沿いの本社を訪ねる。
 入社3年だという担当者は、はきはきしていて、好青年だった。持参の図面を預けて一段落である。

 ここまでが昨日の私の行動である。

 現在時刻は、13時。
 13時半過ぎから出かけて、昨日の留守宅を再訪し、またまた留守ならば、建築概要等の書類を投函して、一応終了する積りである。

 今までに幾度、このような近隣説明に回ったのだろうか。ちょっと調べてみよう。
 この度ほど、スムーズにまた楽しく歩けたことは初めてのように思う。

 “犬の美容院”の美人のオーナー
 笑顔が明るい隣の奥さん
 学校の事務員さんとミントの葉を嗅がしてくれた魅力的な女性教師(?)
 それに、借家のお婆さん

 こんなことでもなければ、出会いもなかったし話も出来なかったことを思うと、条例に感謝々々。

 設計の方もスムーズに進むと良いのだが。

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