国が分裂して新しい国が出来る時
住んでいる住民の投票によって独立するのだが
分断される元の国の承諾・認可があって
国際社会や国連などからの承認が必要
アフリカ大陸の国は、エチオピアを除いて
西欧列強国の植民地となっていたのだが
民族や部族に関係なく国境線が引かれてしまった
このため、第二次世界大戦後独立しても、
部族間の内戦や民族対立が頻発していました
スーダンの歴史
イスラム教のアラブ系住民が多い北部(現:スーダン)
キリスト教のアフリカ系住民が多い南部(現:南スーダン)
多様な民族が混在しているスーダンは、
1899年からイギリスとエジプトによる共同統治下だった
1956年にイギリス・エジプトからスーダン共和国として独立
独立後も軍部によるクーデターと
北部のイスラム教徒と、
分離・独立を求める南部キリスト教徒との間で
内戦とクーデターが繰り返し、長くスーダン内戦が続く
この間北部と南部の境に油田が発見されると
北部vs南部との地域区分の組み換えが起こる
スーダン内戦には、アフリカ各国の介入もあった
隣国エチオピア、ウガンダ、コンゴ民主国
スーダン南部は、2005年ケニアで締結された
内戦の包括的な暫定和平合意により、
スーダン政府から自治を認められ
南部スーダン自治政府の統治となった
2011年に国民投票で98%が分離独立を支持し、
南スーダン共和国として独立を果たしました

分離後も国境にある油田の権益
スーダン国でも軍部同士による内戦
南スーダンでも内戦が勃発している
北アフリカの属するスーダンは、
現在スーダンと南スーダンに分裂している
日本の自衛隊も南スーダンにPKOとして派遣しているが
現在でも政情不安で、テロなどが起きているのだが
日本政府は、テロとは認めずPKOを継続している
この問題は、日報隠し問題で当時の稲田朋美防衛大臣が
矢面にさらされました
歴史的には、北部はエジプトが支配し南部はイギリスが支配
このためアラブ人イスラム教徒と非アラブ人キリスト教徒が同居する
南部を支配していたイギリスは、ウガンダとの統合を望んだが
1947年南北スーダンが統合されたのだが・・・
スーダン政府は、アラブ人イスラム教徒で構成され
南部スーダンは、自治権が認められるのだが
1974年に大規模な油田が南部スーダンに発見されるが、
スーダン政府は、全て中国が実権を握ることになった
1955年ごろから内戦が始まり、南スーダンは独立を住民投票で決定
2011年アメリカの後押しから独立するも
油田の権益をめぐって、国境が画定していない

PS:スーダンの石油権益に関することは、
ゴルゴ13 「165巻ダルフールの悪魔」(2006年7月)
記載があります