4月16日付けの新聞が出てきました。
後で前震と格付けされた益城町を震源とする
14日の震度7を報道するものでした。
実はその16日の未明には後に本震と呼ばれる震度7の地震にも
見舞われていたのです。
そして皮肉にもと言うか、奇遇というかその日の熊日の
生活情報誌は被害が酷かった西原村の特集だったのです。
私の家は被害は少なかったのですが、
友はまだテント生活の方もいます。
大きな地震の後、八代にも5強が来て、
「対岸の火事と思っていたが他人ごとではない」と
テレビのインタビューに答えておられた男の人が
おられましたが、皆そうですよね。
熊本県と大分県 先月14日以降の震度1以上の
地震の回数は1200超、今も余震におびえています。
マルコ 13:8。ルカ 21:11。
「またそこからここへと地震があり,食糧不足があるからです。
これらは苦しみの劇痛の始まりです」。
正にそこからそこにでしょう。
でも同じ「日奈久断層」上にある八代まで、
もっと大きな地震がないようにと祈っていました。
そうなれば熊本は壊滅的ですものね。
今日はやっとパソコンの前に座ることが出来ました。
今後順次、未曽有の大地震について書いていこうと思います。


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