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日々の移ろい

携帯と電話

私が20歳前後だった頃、
家は商売をしていた。
そして、店先には、公衆電話があった!

家は店と一体になった部分が一つと、隣接した家(別棟)の二軒だった。
食事は店の家で・・、店を閉めてからお風呂・寝る・・は別棟の家で。
私の部屋は、別棟の方にあった。

電話はと言えば、店の方の、リビングに備え付けてあった
もう一軒の方には、電話はなかった!

私が働くようになって、片方の電話を引いてもらった。
子機?と2女が聞いたが、いえいえ親電話を
それから自由に使えるようになったが、でも、
待てど暮らせど、リン!と言う音が鳴らず・・・懐かしく思い出す


今の子では考えられない生活だったと思う。
連絡を取りたくても、公衆電話か、家のしかも店の電話しかないような、
人の目があり、こそこそ・・なんて事はありえなかった。

しかもいつか電話が来るかも知れず、息を殺して待っているしかなく、
といって、誰かが受話器を取るかもしれないし、
リンと鳴って、すぐに切れてしまうと・・・
さっきのはもしかして・・・なんて切ない思いに駆られる事も、
今の子なら、履歴で電話してくれたのね・・なんて・・安心したりも出来なかった。

私から電話をするの
あっち(男)からかけさせなくっちゃ!

店先の公衆電話も、
自宅には電話が引いていない人が、沢山の10円玉を手に、
遠く離れた人へ、電話をかけている姿も良く目にしたっけ
その硬貨が飲み込まれていく量と言ったら・・遠方ほど早いのナンノ

また、近くの人への取次ぎもしたっけ。
電話が無い家の人が、うちの電話番号を知らせてあって
「○○をお願いします!」と電話がかかれば、その家まで行き呼びに行ったり・・。

今朝の天声人語に、高校生の百人一首が掲載されていた。
どの句も言い得て妙ばかり
なかでも2女は
 「メール待つ心も体も寒い冬あなたの返信まるで湯たんぽ」
この一首に、共感していた。

そこから話題は展開し、私の若い頃はね・・となった次第でした。

でも、今でも胸がキュんとなるのは、
「♪改札口で君の事~、いつも待ったものでした♪」

そうなのそうなの、来るかこないかもわからず、
連絡の取り様が無いにもかかわらず(携帯があれば・・ね)

通信手段の進歩は、人間にとって、はたまた心の機微なるものにとって
どう影響しているのかしら・・・。
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