「ハガキそのものをいくら顕微鏡でみても、ハガキのハガキたるゆえんは解りませんね。」
(内田義彦『社会認識の歩み』)
社会科学とは何か、を最も端的に示した一文が引用した文章だと思う。
ハガキを顕微鏡で見たり、細かく砕いて遠心分離機にかけてみたり、液体に溶かしてみたりといったアプローチでは、ハガキの素材は特定できるかもしれない。
このアプローチは自然科学と呼ばれるものだ。
ただ、自然科学でのアプローチでは、長方形の紙きれが「ハガキ」として扱われていることのゆえんはわからない。
それに対して、社会科学とは、下記のようなアプローチである。
長方形の紙をハガキたるものとしているのは、郵便制度があり、それを支えているのは、ミクロでは「郵便を配達する人だとか、仕分けする人とか」であり、マクロ的には、郵便制度を支える物流システムが機能しているからであり、その物流システムは人類史の歴史を通した生産物(車しかり、道路しかり)によって支えられている。
そういう社会連関の中でハガキを捉えるからこそ、「ハガキのハガキたるゆえん」が理解できる。
だから、「社会科学」というと大げさだけど、みんなやっている認識のひとつだ。
ちなみに引用した本では、内田氏はこう語る。
「『社会科学』がなぜわれわれに縁遠いものになっているのか、どうすれば社会科学的認識がわれわれ一人一人のなかで育ってゆくか、その方法を考えたいというのが私の話の趣旨であります。」
さてさて、内田義彦の著書に出会って10年くらいたったかな。たまに読んでは本棚に戻し、また読み返しては戻しをちょっとずつ続け、少しは本が自分のものになってきたかな、という印象。
(内田義彦『社会認識の歩み』)
社会科学とは何か、を最も端的に示した一文が引用した文章だと思う。
ハガキを顕微鏡で見たり、細かく砕いて遠心分離機にかけてみたり、液体に溶かしてみたりといったアプローチでは、ハガキの素材は特定できるかもしれない。
このアプローチは自然科学と呼ばれるものだ。
ただ、自然科学でのアプローチでは、長方形の紙きれが「ハガキ」として扱われていることのゆえんはわからない。
それに対して、社会科学とは、下記のようなアプローチである。
長方形の紙をハガキたるものとしているのは、郵便制度があり、それを支えているのは、ミクロでは「郵便を配達する人だとか、仕分けする人とか」であり、マクロ的には、郵便制度を支える物流システムが機能しているからであり、その物流システムは人類史の歴史を通した生産物(車しかり、道路しかり)によって支えられている。
そういう社会連関の中でハガキを捉えるからこそ、「ハガキのハガキたるゆえん」が理解できる。
だから、「社会科学」というと大げさだけど、みんなやっている認識のひとつだ。
ちなみに引用した本では、内田氏はこう語る。
「『社会科学』がなぜわれわれに縁遠いものになっているのか、どうすれば社会科学的認識がわれわれ一人一人のなかで育ってゆくか、その方法を考えたいというのが私の話の趣旨であります。」
さてさて、内田義彦の著書に出会って10年くらいたったかな。たまに読んでは本棚に戻し、また読み返しては戻しをちょっとずつ続け、少しは本が自分のものになってきたかな、という印象。