市山のきときとワールド写し絵日記

チョイ馬鹿おやじ日々感じたままの姿、ステキな写真・下手な絵 1970年代を
満喫して生きた昔の若者!今じじい

ぐっも~にん東京

2014-12-24 11:37:20 | Weblog
最近は珍しいコーヒーを沸かす器具。これつ24才ぐらいの時にバイト先でこれを使ってコーヒーを出していました。東京に出てから20~25才の間は飲食店のバイトが多かった。とりあえずバイト先で食べられるのが良かったんだろと思います。 その頃兄夫婦もまだ東京にいたので、よく晩ごはんを食べさせてもらいました。奥さんがまた、料理が上手かった。母親には悪いが その姉さんの食事の方が遥かに美味しかった(笑) 僕にとって母親の味は 〓昭和の子供たちやよい町15番地〓 のタンゲさんと同じ 片栗粉に醤油にダシをいれといた卵を流し込んだ 半透明みたいな ゼリーのようなモノだ。。あれが一番だった。二番は野菜の塩揉みした お新香?みたいな 夏によく食べていた。キュウリとナスがベースだった。。姉は色々な洒落た食べ物を作ってくれた。。兄夫婦が田舎に帰ってまだ母親が生きていた頃。。できれば姉さんの料理が食べたい!と、こっそりと思っていた。。母親の機嫌を損ねると大変なので気を使う(笑) なんだかんだ言って 他人さまに気を使う優しい人だ。自分
をイジメた義母でも、晩年は話し相手になり、よく面倒もみていた。気の強さは恐ろしい。。。たまにしか出ないが
爆弾に火をつけると始末におえない人だ。。他人さまに迷惑や嫌な事をするのを嫌う人だ。父親は乱暴だが人一倍人情味のある男でした。。なんかとりとめもない話になってしまった。つい思い出を語りながら うっすら 喫茶店で涙ぐんでしまいました。。母親の事はあまり好きではなかった。。と思っていたが~とってもいい人だったと反省しています。。。自分の両親を恥ずかしい!なんて思っていた若い頃の無知でバカな自分がいた。情けない~恥ずかしい~と格好つけようとは思わないが ただ ただ 愛する事を知らなかった故の浅はかさだった。。。長々と読まれた方! ごめんなさい。